作品タイトル不明
第26話 赤い信号は、返事ではなかった
外周ビーコンから持ち帰った断片データは、だいぶマシ室の端末に移してあった。
OR―――N R―――。
読めない文字列は、まだ画面の端に残っている。レンはそれを見るたび、少しだけ眉を寄せた。ノアは誤認の危険があると言って、候補名を出さなかった。それは正しい。正しいが、気にはなる。
今はそちらではない。
レンは作業台の上に外部センサーの部品を並べた。小型レンズ、曲がった支柱、短い通信ケーブル、ビーコンから抜いた方位データの断片。拠点の外へ出るなら、地面を知らないといけない。ガタの「嫌です」だけに全部を任せるのは、さすがに怖い。
「ノア。昨日の穴、地図に重ねられるか」
『可能です。精度は低いですが、周辺地形の薄層化領域を推定できます』
「薄層化領域って、踏むと落ちる場所だよな」
『正確には、踏むと落ちる可能性がある場所です』
「だいたい同じだ」
『生存上は近いです』
端末に簡易マップが出る。
[LOCAL TERRAIN MAP]
――――――――――
拠点中心:稼働
地点A:薄層地表/地下空洞
外周ビーコン断片:取得済
北東方位:中継部候補
地下管路:複数反応
危険領域:推定中
――――――――――
レンは画面を見ながら、小型センサーのレンズを拭いた。
外側の傷は取れない。内側には細かい砂が入っている。完全な復旧は無理だ。だが、使える範囲で組み合わせれば、拠点周辺の地表の反応くらいは取れるかもしれない。
作業台があってよかった。
床でこれをやっていたら、ねじをなくして終わっていた。
「だいぶマシ室、腹立つ名前なのに便利だな」
『名称との整合性が確認されています』
「拾うな」
『拾いました』
レンはレンズの枠を外し、細い金属棒で砂をかき出した。
こり、と小さな音がする。前にも聞いた音だ。水処理、ガタの冷却ファン、ビーコンの端子。最近は、何かを削ってばかりいる気がする。
端末の端で、赤い点が一つまたたいた。
レンの手が止まった。
「ノア」
『確認しています』
赤い点は、外部マップの上ではない。画面の右上、通信系ログの端だ。小さい。だが、昨日まで非表示になっていた場所に出ている。
胸の奥が、勝手に強く鳴った。
「ミオからか?」
『違います』
返答は速かった。
速すぎて、レンは逆に苛立った。
「まだ見てる途中だろ」
『波形分類は完了しています。相互観測残滓の反射です。通信ではありません』
「反射ってなんだよ」
『以前観測された“MIO”の残滓が、外周ビーコン断片の方位データに干渉して戻ったものです』
「返事じゃないのか」
『返事ではありません』
レンは端末を見た。
赤い点は、まだまたたいている。弱く、断続的で、今にも消えそうだ。それでも、MIOのログがあった位置に近い。だから、一瞬、体が先に反応した。
ミオ。
名前が喉まで来て、止まった。
[CROSS OBSERVATION STATUS]
――――――――――
観測語:MIO
通信:未成立
反応:残滓反射
経路:外周ビーコン断片経由
再接続:非推奨
――――――――――
「外周ビーコンを拾ったから、こっちに戻ってきた?」
『近い表現です。ビーコン断片が、相互観測残滓の一部を局所的に反射しました』
「つまり、向こうから来たんじゃない」
『はい』
「こっちの中で跳ねただけ」
『はい』
レンは笑おうとして、できなかった。
端末の赤い点を指で触れそうになる。触れても意味はない。ただの表示だ。だが、触れば何か増える気がした。そんなわけがないのに、指が動く。
ノアが言った。
『レン。再接続画面を開くことは推奨しません』
「まだ開いてない」
『開こうとしています』
「してない」
『指先の移動方向と視線固定から推定しました』
「監視が細かい」
『必要です』
レンは指を引いた。
だが、赤い点は消えない。
反射。
返事ではない。
ミオが何かを送ったわけではない。
分かっている。
分かっているが、胸の奥に熱が残る。腹立たしいほど、期待してしまった。
「……くそ」
レンは小さく吐き捨てた。
作業台の上の小型ねじが、指に当たって転がった。落ちる前に、レンは押さえた。危ない。こんな状態で作業を続けたら、また何かを逆に差す。
『作業中断を推奨します』
「しない」
『現在の集中状態は低下しています』
「知ってる」
『なら、中断を推奨します』
「中断したら見るだろ」
ノアは、少しだけ間を置いた。
『見る対象はMIOログですか』
「そうだよ」
『では、作業継続より危険です』
「言い方」
『再接続を試みる危険があります』
「……そこまで信用ないか」
『現在のあなたは、通常時より衝動的です』
「通常時も衝動的って言いたいのか」
『比較対象はあります』
「言うな」
レンは額を押さえた。
画面の端で、赤い点がまたたく。
これを消してしまえば楽だ。非表示にすれば、手は伸びない。だが、それはそれで嫌だった。MIOの痕跡を見えない場所に押し込むたびに、自分だけ安全な方へ逃げている気がする。
そんなことをしても、拠点が落ちたら終わりだ。
昨日もそうだった。
今も同じだ。
レンは歯を噛み、端末の前に立った。
「ノア。再接続条件だけ出せ」
『再接続画面ではなく、条件表示のみですか』
「そう。押す画面はいらない」
『了解しました』
[RECONNECT REQUIREMENTS]
――――――――――
観測語:MIO
通信:未成立
必要条件:通信中継部修復
必要条件:外部センサー安定
必要条件:補助電源増設
必要条件:拠点管理ノード負荷低減
現状:不足
――――――――――
レンは、表示を一行ずつ読んだ。
通信中継部修復。
外部センサー安定。
補助電源増設。
拠点管理ノード負荷低減。
どれも、まだ足りない。
足りないものが並ぶと、苛立ちは少し形を変えた。焦りではなく、作業項目になる。嫌な話だが、その方が動ける。
「中継部は北東候補」
『はい』
「外部センサーは、今やってる」
『はい』
「補助電源は、まだ足りない」
『はい』
「拠点管理ノードの負荷低減は?」
『作業区画、保管区画、水処理、居住区画の安定化により一部改善しています。ただし、外部通信を支えるには不足しています』
「一部は進んでるんだな」
『はい』
レンは少しだけ息を吐いた。
何も進んでいないわけではない。
寝床を作った。水を戻した。作業台を作った。ガタを起こした。外へ出て、穴を見つけ、ビーコンを拾った。全部、地味だ。どれも仮だ。だが、条件の一部には触れている。
MIOには届かない。
でも、届くための場所は少しずつできている。
『赤い反応が低下しています』
端末の端の点が、薄くなった。
レンは目をそらさなかった。
消えるところまで見た。
赤い点は、二度またたいてから消えた。
画面には、条件だけが残った。
「……返事じゃなかったな」
『はい』
「分かってる」
『はい』
「でも、名前は残ってる」
『ログは保持しています』
「それでいい」
レンは作業台に戻った。
小型センサーのレンズ枠を持ち直す。指先がまだ少し硬い。さっきより慎重に、ねじを戻す。一本、二本。三本目は少し入りづらい。焦らず、角度を変える。
入った。
『外部センサー補助ユニット、組み上げ可能です』
「よし」
レンはレンズと支柱を仮固定した。ビーコン断片の方位データを、センサーの簡易マップに重ねる。画面に拠点周辺の荒い線が出た。地点Aの穴。外周ビーコン。北東方向の不明反応。
線は粗い。
だが、前より見える。
[LOCAL SENSOR UPDATE]
――――――――――
外部センサー補助:仮復旧
地点A:登録済
外周ビーコン:登録済
北東方位:中継部候補
地下管路:注意
相互観測語:MIO
再接続:保留
――――――――――
「MIOまで出すのか」
『関連条件として表示しています。非表示にしますか』
レンは少し考えた。
消したら楽だ。
出したままだと、たぶん気になる。
でも、条件として見えるなら、衝動ではなく作業にできる。
「そのままでいい」
『了解しました』
「ただし、押す画面は出すな」
『再接続操作画面はロックします』
「俺が解除って言ったら?」
『確認を二回要求します』
「三回にしろ」
『三回に設定します』
「そこは素直なんだな」
『必要な制限です』
「俺が頼んだんだけどな」
『その点を評価します』
「評価するな」
レンは端末から手を離した。
だいぶマシ室のランプが、作業台の上を照らしている。小型センサーは不格好だ。レンズは傷だらけで、支柱は曲がっている。ケーブルも短い。だが、動く。
これを外へ置けば、次はもう少し広く見える。
北東の中継部候補へ向かう準備が、一つ進む。
レンは小型センサーを手に持った。
軽い。
だが、この軽い部品が、MIOへの再接続条件の一つを少し埋める。
「ノア。次の外部作業で、これを置く」
『推奨します』
「ガタは嫌がるだろうな」
『高確率で不満を通知します』
「まあ、聞く価値はある」
『はい』
車庫の方から、小さな電子音がした。
『不満』
「まだ何も言ってないだろ」
『待機、長い』
「聞こえてたのか」
『車庫内音声通知、低出力で稼働中です』
「便利だけど面倒だな」
『分類上は便利です』
『不満』
レンは笑った。
さっきより、少しだけ普通に笑えた。
赤い信号は、返事ではなかった。
それは変わらない。
けれど、その反射が外周ビーコンに引っかかったということは、外の設備がMIOログに影響するということでもある。中継部を直せば、もっと安定するかもしれない。地下管路や外周線にも、何か残っているかもしれない。
期待ではなく、条件として。
レンはそう思うことにした。
期待すると、手が滑る。
条件なら、直せる。
壁面端末の表示を、もう一度見る。
通信中継部修復。
外部センサー安定。
補助電源増設。
拠点管理ノード負荷低減。
やることは多い。
だが、多いだけだ。
レンは工具を片づけ、小型センサーを作業台の中央に置いた。
「まず、外部センサーを置く。次に北東を見る。中継部を探す」
『順序として妥当です』
「赤い信号は?」
『残滓反射としてログに保持します』
「返事じゃない」
『はい』
「でも、捨てるものでもない」
『はい』
レンはうなずいた。
MIOの名前は、画面の下に小さく残っている。
通信は未成立。
再接続は保留。
条件は不足。
それでも、完全な空白ではない。
レンはランプを落とす前に、小型センサーの固定具をもう一度だけ押した。
ぐらつきは少ない。
明日、外へ持っていける。
遠くへつながるために、今は返事ではない赤い信号を、作業項目に変える。
レンは端末を閉じた。
画面の最後に、MIOの三文字だけが一瞬残り、すぐに消えた。