作品タイトル不明
80話 フォルトナ・エクスプローラー
………
…
〜同時刻、冒険都市アガトラ、商業地区、青空市場のテラス席にて〜
「あいよ、お姫様、お待たせ」
「わあ、ふふ、ありがとうございます、ウィス」
ウィスに差し出された水飲み用の革袋。
耐水性に優れた水棲のモンスターの皮から作られた茶色のそれをフォルトナが笑顔で受け取る。
どかり、青空市場の一角、開放されているテラス席にウィスが腰掛ける。
緑髪のどことなく高貴な雰囲気を持つ神秘性と、町娘の持つ無邪気な元気を併せ持つ不思議な美女と、荒々しく派手な様相の男の組み合わせは自然と周囲の注目を集めていた。
「ん、うめえな、このワイン。水で薄めてんのは王国と同じだが、それでも風味が全然違う」
「んー、鼻から喉にまとわりつくこの芳醇なグレプの香り。それをここまで透明感ある味に仕上げてるのはきっと、帝国の水がとても美味しいからでしょうね。ヒナヤ山脈から流れる雪解け水、数千年をかけて複雑な地層で磨かれた水と、水竜の遺産、素晴らしいです」
フォルトナが細い喉をコクコクと鳴らす。頬に手を当てて星型の虹彩を輝かせながらそのワインを褒め称えた。
水飲み用の皮袋に屋台で注いでもらった水で薄めたワインを2人が呑気に楽しんで。
「ちそう? なんだァそりゃ」
「あら、勉強不足ですね、ウィス。今度時間がある時にわたくしが授業して差し上げますよ」
「いらねー。美味いもんは美味いで終わりでいいさ、余計なこと考えるのァ、疲れる」
「あら、残念。貴方は地頭がいいからお勉強すればもっともっと伸びると思うのですけれどー」
「いらねぇなあ。俺サマァ、自分に必要なもんとそうじゃねえもんの区別はつく。力に知恵は必要ねえ、……この世界の王の剣に、余計な知恵がついたら王様は剣を恐れるかもしれねえだろ?」
チェアの背もたれに大きな背中を預けるウィス。赤い切れ長の瞳が正面に座るフォルトナの琥珀色の瞳を写す。
「あ、は。誰のことを言ってるのかわかりませんが、世界の王ならそんな小さなことは言いませんよ。ああ、でもこのワイン、本当に美味しいですね。あとでおかわりを所望致します」
「あんま路銀無駄遣いしてんなよ、まだ王国の傀儡どもの手続きは終わってねえんだから」
「んー、 彼(・) 女(・) か(・) ら(・) の(・) 贈(・) り(・) 物(・) に"魔術学院"からの流失したものがあったのは望外の幸運でしたけど、まー、扱いにくいことですね。あのお父様とお母様を素材にしたお人形…… とても扱いが難しいですもの」
純真。幼い子が何か楽しいことを語るような口ぶりでフォルトナは言葉を紡ぐ。
もはや彼女に善悪の基準は無い。自分でそれを手放し壊していたから。
「あー、費用対効果を考えても微妙だなぁ。竜教団にいたはぐれの魔術師30人と、素質のある信徒100人を魔力炉にしてようやく自由意思がある人形2人動かせるんだもんな。伝説の全知竜はそれを1000は下らぬ数同時に動かせるらしいけどよー」
「まあ、でも使えるものは使わないと。ふふ、誇らしいです。お父様とお母様、さすがは王族、最期まで屈さずに王家の誇りを貫いたんですもの。これからはわたくしたちのお人形としてまだまだ働いて貰いましょう」
フォルトナ第二王女の国崩しはほぼ完全な形で成った。
表向きのカバーストーリーも流布は完了、王家は完全に彼女の手の中に堕ちて。
「相変わらずおっそろしい女だなあ。肉親を、文字通り自分の人形に変えちまうたあな」
言葉とは裏腹に感慨もなくウィスがつぶやく。
フォルトナの国崩しにおいて障害となった王国の戦力のほとんどを屠った個人は自分のことを棚上げし、己の主人に口笛を吹く。
「上兄様と義姉様の人形も欲しかったんですよ? でも損傷が酷すぎてやむなく火葬ですもの。天使様の元へきちんとたどり着けていればいいのですが」
「うへー、ドン引きだわ……」
「それに欲を言うならば上姉様も…… ああ、いや、あの人はやはりいいです。中途半端に利用なんかしようものなら、盤面をひっくり返されてもおかしくありませんもの、人形に成り果てても自我程度なら取り戻してもおかしくありません」
フォルトナがあははと小さく笑う。己の国崩しにおいて最大の障壁となっていた第一王女の長姉とのひと時を想う。
ああ、楽しかった。己の幼き黄金時代の象徴を乗り越え、その這いつくばる長姉の首に剣を振り下ろした瞬間をフォルトナは想う。
あの最期の瞬間まで、なにも諦めずに生きる力に溢れていた長姉の視線。身震いするほど恐ろしく、美しかった。
だが、その選ばれた強さも彼女の幸運にひれ伏したのだ。
「あー、あのおっかねえ姉ちゃんな。確かにそれはわかるわァ、あの爺さんも、強かったなあ」
ウィスもまた懐かしむ。長姉の配下の老騎士、アレは強かった。
大戦の頃より生きているという古い老騎士。なんでも過去は竜や"鬼"を友として大戦期を駆け抜けたという老兵。
ジーヤマーヤ樹海の奥底から集められた数多の漂竜物に愛された強い騎士。王国の軍よりもあの老人の腕力は素晴らしいものだった。
王国を終わらせたた王女と英雄。互いに互いの試練を、強敵を想う。
それは勝者にだけ許された傲慢な、郷愁にも似た何か。
「……うーん、クーデターの噂や、内乱の噂は残念ながら耳ざとい帝国に伝わっているでしょうし。政も帝国は一筋縄では行きません、お父様とお母様のお人形がきちんと働いてくだされば、竜祭りの始まるギリギリまでには正式にわたくしたち、王国の使者として受け入れて貰えると思うのですが……」
感慨と同時に、彼女は策を巡らせる。
己の幸運を試す。ただ、それだけの為に彼女は世界を冒し続ける。
「ま、それまでは大人しくしておこうぜえ。おい、言っておくが、それまで竜殺しやら、竜とやらにちょっかいかけんなよ」
ウィスが口を尖らせる。己の主人の奔放さに頭を悩ませるのは従者の本番と弁えつつもそれを諌めるのは諦めていないようだ。
「えー、ダメですか? わたくし、もっともっとあの方とお話ししてみたいのですがー」
「だ、め、だ。てめえのイカレムーブに俺様付き合わすんじゃあねえ。クソ、今俺らが五体満足でこうして呑気に市場で買い食い出来てんのは、ただの竜の気まぐれってことよ、理解してんのかァ?」
ワインで口を湿らせつつ、ウィスが視線を険しく。
並の兵士ならその視線だけで戦意を失いかねない目つき、だが彼の主君はどこ吹く風。
ぽわぽわと琥珀色の瞳を美しい二重瞼で隠して笑う。
「あは、もちろんもちろん。ねえ、ウィス」
「なんだよ、バカ姫」
「貴方の目から見て、彼女、蒐集竜はいかがでしたか?」
風が止んだ。
琥珀の瞳、狂気を孕みつつそれをあくびにも出さない人でなしの瞳が英雄を写す。
懐かしき過去、世界の王になろうとした英雄に覇道を諦めさせた女の目は昔からなにも変わっていない。
「ーー正直なこと、言っていいかァ?」
「ええ、忌憚なき意見を」
王女の言葉に、英雄が笑う。
「 な(・) ん(・) だ(・) 、(・) あ(・) り(・) ゃ(・) 」
呆れたような、そんな声だった。
「…………」
「聞いてた話と違うぜェ、この世界の人間なら誰しも知っている竜の逸話やら、我が家に伝わる竜の伝説。ヒトより上の位階の生き物、竜。あの蒐集の竜はそん中でも伝説の中の伝説、あの炎竜や水竜の末だろ? なのに、なんだよ、あれ」
英雄が、竜を語る。
幼き頃より聞かされた規格外の生命。古い大戦よりももっと、もっと昔、人々が星に手を伸ばしていたとされる前の文明の頃よりこの世界に存在する者。
大空を支配する者、炎を操り、水を呼び、知をもたらし、世界のバランスを司る者。
竜。
それはどこまでも自由で、傲慢で、理不尽そのもの。そんな存在、 は(・) ず(・) だ(・) っ(・) た(・) 。(・)
「ーーまるで、ただのヒトじゃねえか、びっくりしたぜ」
「へえ」
だが、英雄が先ほど垣間見た竜はそんな知識とは違ったものだった。
「たしかにその力やら存在感は別格だ。奴がその気になりゃオレサマ達は死んでたかもしんねえ」
ウィスのごつごつした戦士の手がワインの入った皮袋を握りしめる。
「だが、そうはならなかった、わかるか? 竜なのに奴は俺サマ達を見逃した、少なくとも奴にとってよ、不快な存在である俺らを見逃したんだぜぇ? この意味、わかるか?」
「くすくす、さあ、なんでしょう」
「まともだ。あの竜、俺らの常識の中にいる奴なのかもしれねえ」
ウィスがごくりごくり、大口でワインを飲み干さんばかりに一気に煽る。
「ゲフッ、まともなら、ただ強いだけの存在ならいくらでもやりようがある。お前の上兄様みたいになあ……」
ぐびり。
ただ、皮袋を傾けてその中に注がれたワインを飲む、荒々しく粗暴な所作が絵になる、そんな男だ。
「ああ、上兄様。たしかに彼は真っ向勝負であれば貴方ともまともに戦えたでしょうね。ふふふ、今、思い出しても、楽しかったです、あれは」
フォルトナが顔を伏せ、肩を震わせる。その震えの理由は絶対に悔恨や後悔などではない。
「てめえの趣味悪い思い出はどーでもいい。とにもかくにも、竜が想像以上に ま(・) と(・) も(・) だった。資料や見聞でまとめていた事前予想の蒐集竜だったら、多分俺たちはあそこで死んでた」
「へえ」
「へえ、じゃねえンだよォ。お前、消し炭になっててもおかしくなかったんだぞ」
呑気なフォルトナにウィスが口を尖らせて。
「でもそうはならなかった」
フォルトナの言葉が染み入るように、市場の喧騒の中ウィスに届いた。
「っ………」
「わたくしも確信致しました。"幸運にも"竜は今、きっと変わりつつあるのですよ……ええ、ほんと、昔と全然違う」
「あ? 昔? なんの話だぁ?」
「え? わたくし、今何か言いましたか?」
笑う、笑う、女が笑う。
楽しそうにニコニコ微笑むその顔は、市場で安売りされている食材を手に入れた町娘のそれ。
だが、片方だけ開かれた星型の虹彩に彩られる目は違う。高貴さと狂気がどろりと煮詰められたおぞましい目で。
「変わる、だァ?」
「あら、わからなかったんですか? ウィス。ふふ、女心がわからないヒトですねえ、ほら、思い出してくださいよ、そもそも竜は何故、わたくし達を見逃したのでしょうか?」
「あ? あー…… 野郎かァ」
フォルトナのヒントを経て、ウィスが気づく。
竜が、自分達を見逃した理由を。
「クスクス、ええ、ええ、そうですよ、ウィス。聞きましたか? 聞きましたよね? "やめろ、ドラ子" 彼が、竜を止めたのです、ふ、ふ、フフフフフフフ、なんなのでしょうね、あの男、彼ー
「竜殺し」
「……確かに、アイツが竜を止めてたよなァ。なんか衝撃すぎて頭から抜け落ちてたぜェ」
「ええ、驚きましたが、わたくし達はそれを目にしてしまった。竜は彼の言葉通りにわたくし達を見逃した。それはつまり、竜が彼を、たった1人のヒトを尊重したということです」
ふ、フフフフフフフ。
フォルトナが笑う、愉快で仕方ない、そんな笑い方。
「ねえ、ウィス、わたくしの剣、わたくしの力、わたくしの英雄。貴方から見て、かの竜殺しはどんな存在でしたか?」
王女が英雄に問う。
竜を殺す、本来ならば英雄にのみ許されたその偉業を成した奴隷のことを。
竜のあり方を冒しつつあるその男を。
「正直なとこ、言っていいかァ?」
「ええ」
「ーーぎゃはは。 な(・) ん(・) だ(・) 、(・) あ(・) り(・) ゃ(・) 、気色悪い」
言葉とは裏腹に、ウィスはニヤリと口元を吊り上げて凶暴な笑みを浮かべる。
「アレは良くない、良くない人種だぜ。俺サマの嫌な予感は正しかった。見て確信した。アレは関わったらいけない種類だ」
良くない、そう言いながらも燃える夕陽のような赤い瞳は爛々と輝く。
「ーーへーえ、ウィス、貴方にそうまで言わせるヒトですか」
「……単純な強さという点なら正直、まあ、いいとこ二流の上澄み、一流にゃ届かねえ程度のな。だが、気持ちワリー」
「気持ち悪いとは?」
「……アンタは何も感じなかったのか? アイツと話してたらよォ、感じたんだ。まるで野郎の中に、 な(・) ん(・) か(・) が(・) …(・) …(・) ああ、そうだ、奴に見られると同時に別のナニカにも覗かれてるような感覚を覚えた、ギャハハ、マジで、気持ち悪いぞ」
勇者を裏切った英雄の末裔、数多の戦の才能に愛された彼、超越者の1人たるウィスは竜殺しを評価する。
気持ち悪い。
彼がこう評した男は今までに竜殺しを除いて1人だけ。最もウィスに死をイメージさせた最強の敵、第一王女の老騎士のみ。
ありとあらゆる"漂竜物"に"副葬品"、本来であれば選ばれた者が1つだけ扱うのを許されたこの世ならざる力の物品。
それを使い捨てるあの規格外の古い超越者と同じ感覚をウィスは竜殺しから感じていた。
「あらあら〜、ウィス。オカルトスイッチでも入りましたかー? もしかして怖くなってきちゃいましたかねえ?」
「うっせ、タコ。真面目に聞け。……このクソヘルムが奴に反応したんだよ」
「あら、本当ですか? その"呪いの品"は貴方の家の家系のヒトにしか反応しないはずでは?」
「ギャハハ、ああ、その筈だった。でももしかしたら、もしかするかもなァ」
ウィスが己のベルトに巻きつけているそれを眺める。
古く錆びたバケツ型の騎士兜。ぽっかり欠けた眼窩部分の穴には見通すことの出来ない小さな奈落が空いている。
ウィスの家に古くから伝わる'呪いの品"、歴代当主の腰に時代を超えてぶら下げられてきたそれは静かにそこに有る。
「あはは、いい顔になってきましたね、英雄。今回も手伝ってくださいますか?」
「ああ、いつも通りだァ。てめえが壊して、俺も壊す。ほんとのところなら、あの竜殺しにゃ関わりたくなかったけどよォ、このクソバケツヘルムを押し付ける事が出来る可能性があるなら話は別だ」
呪いの品、持っているだけで活力を吸い続ける厄介な品。
ウィスに問答無用の縛りを強制するそれ、捨てても、捨てても、気付けば目の前に現れる呪いの品。
それは、ウィスの か(・) ら(・) だ(・) か(・) ら(・) は(・) ず(・) れ(・) な(・) い(・) 。
「あらー? ウィスー、少し乗り気になってませんかー?」
「ギャハハ」
だが、その呪いは押し付けることが出来る。
英雄の血筋に取り憑き、その力を代々奪ってきた呪いが数百年ぶりに他人に反応したのだ。
ウィスが歯を剥き出して笑う。
「あー、本当にやっちまうか、竜での運試し。ぶっちゃけ最初は今度こそここで死ぬって思ってたが、案外勝ち目があるかもしれねえ」
不確定要素は多いがな、ウィスの呟きをフォルトナは張り付いた笑顔のままに聞き流す。
都合の悪い言葉など聞こえない、彼女はそういう人間だ。
「アハ、そうしましょう、ウィス。幸運にも、竜はその格を落とし、我らヒトの手が及ぶ存在であることを他ならぬ竜殺しが証明してくれています」
空は高く、青い。
愉快な2人組が、楽しげに言葉を交える。
「試してみましょう、わたくしの幸運が、この幸運だけでどこまで行けるのか」
彼女の理由はシンプル。ただ、試したい、知りたい。己の幸運が本物なのか。
この世界に己の幸運よりも価値あるもの、本物があるのかどうかーー
「ああ、なんだかワクワクしてきました。あはは、竜様との運試し、さて此度こそ、今度こそ、今回こそ、わたくしは、負けてしまうのでしょうか」
「ああ、お前も気持ちワリー」
狂った瞳を、ウィスが眺める。愉快げにそれを眺めて。
同時に、明らかにこちらへ近づいてくる足音に耳を向けていた。
「おいおいおいおいおい、にーちゃんに、ねーちゃんよ、そこの席、誰の断りを得て座ってんだ?」
「あら」
粗暴な声、飛び散る唾。
洗礼は誰にでも共通して現れる。
異なる世界からやってきた男にも、国を追われて弱き従者とともに希望を抱いてやってきた不幸な女にも、そして、王国を堕とした王女と英雄にも等しく。
冒険都市の洗礼はやってくるのだ。
「おお! 超美人! 緑の髪たあ、珍しいな!」
「よー、姉ちゃん、そこの席さあ、俺達がいつも使ってる席なんだよ、何勝手に使ってくれてんの?」
「えーやばくね? え? 何? 喧嘩売ってくれてんの?」
ヘラヘラした顔、多人数でいることの優位から来る浅い余裕。
武装した5人の男、冒険者がニタニタした顔で王女と英雄に興味を示して。
「……………」
「……………♪」
ウィスとフォルトナ。視線だけで言葉を交わす。
どうする?
わたくし、興味があります。
目だけで、その意思は交わされて。
「あら、ごめんなさい。冒険都市に来るのは初めてでして。冒険者の方でしょうか?」
フォルトナがにこりと微笑む。高貴な血と美貌を惜しみなく冒険者に向ける。
「お? 笑うとマジで美人だな。んん? おい、この女、なーんか似てねえか? なあ、ガルド!」
まるで、肉を目の前にぶら下げられた飢えた野犬。
下卑た欲望を隠そうともしない冒険者達が、フォルトナの顔から身体を舐め尽くすように見つめる。
彼らは味を占めていた。
見覚えのないおのぼり、人の集まるこの都市で弱者を、はぐれものを食い物にする快感を知っている。
つい、最近もーー
「おお? あー、あー! 似てる、似てるなあ! この前遊んだ 緑(・) 髪(・) の(・) 田(・) 舎(・) 女(・) !」
1人の大男が、フォルトナの顔を覗き込み、醜く唇をめくって笑った。
「へえ」
琥珀色の星形をした虹彩は本当に一瞬、大きく揺れ動く。水面に大きな石が投げ入れられたように。
フォルトナの纏う空気の温度が下がった。そのことにウィスだけが気付いて。
「なんだ? いいとこのお嬢様にお付きの護衛か? いい身分だな、オイ。そこの姉ちゃんに兄ちゃん、せっかく冒険都市に来たんだ、よかったら案内してやるぜ?」
2メートル近い大男だ。酒臭い息を汚い胃の腑から湧き出して喋る。
「だとよ、お姫様」
ウィスが横目で冒険者の品定めを終えながら、フォルトナに問う。
いつでも、どうとでもなる、それが英雄の判断だ。
「んー、でしたらせっかくですしお願いしようかしら」
フォルトナが形の良い顎に指を当てて小首を傾げる。
ウィスだけだ、気づいたのは。その王女の目は獲物を見定める猫に似ていた。
「お、ノリがいいな、ひ、ひひひひ。おい、そっちの男はお呼びじゃねえ、怪我したくなかったらこの姉ちゃん置いて失せな」
ガルドと呼ばれた大男が、ウィスに声を荒げる。
大きな身体に、小さな脳みそ。
相手の実力を見極めることなく、ただ自分よりも身体が小さいということだけで相手を見下す。
つい先日、とある黒髪の冒険者とリザドニアンに絡んだ後、首を踏み折られかけたことなど色街で発散した後に、すっかり忘れていた。
彼の頭にはもう、数ヶ月前に同じ手口でおもちゃにした緑髪の田舎女の具合が良かったこと、お付きの男の首を捻り折ってゴミ箱に捨てた時の興奮しか、残っていなかった。
「らしいけど、どーするお姫様」
「ウィス、近くでも散歩してきてください。わたくし、この人たちに聞きたい事がありますので」
「へーへー」
ウィスがあっさりと席を外す。冒険者を一瞥したあと、その場から離れていく。
「お? へへ、賢いな、この前の緑髪女の男は、生意気にも逆らってきたのによー」
「ひゃはは、今回は首を折られた男の死体の処理はしなくて済むな」
「処理っつっても、ゴミ箱に捨てただけじゃん。ゴミは、ゴミ箱にってか?」
冒険者が腹の底から笑う。
周囲がざわざわと騒ぎ始める、だが誰も手を差し伸べることはない。
冒険都市、ここで生きていくには力が必要だ、他者ではなく己の力で火の粉を払える力が。
それがない者はみんな、悲惨な最期を迎えて。
「じゃあ、姉ちゃん、いいとこ案内してやるわ、男の方もいねえしよ、ひひひ、ついてくるよな?」
「ええ、もちろん」
ニヤニヤ、ヘラヘラヘラ。
欲望の視線の中、フォルトナが立ち上がり、冒険者に囲まれながら歩みを共にする。
向かう先は、暗がり、路地裏。
光も、助けも届かない、数々の冒険都市に呑まれた者たちの涙や血が滲んでいるこの都市の闇に、フォルトナも足を踏み入れて。
「冒険者様、先ほど仰ってた緑髪の田舎女とは?」
「ああ? アンタとよく似た女だ、幸薄そうで陰気ない女でよ、生意気にも男連れで冒険者になりたーいってギルドに来てたバカ女さ」
こつ、こつ、こつ。
石畳を歩く音、フォルトナの言葉に冒険者の1人が答える。
「あはは、なるほど。その方達は今なにを?」
「アヒャヒャ!! さあな? 少なくとも連れの男の方は土ん中、無縁墓地でぐちゃぐちゃに溶けてんじゃねえーのか? 女の方は…… まあ、適当におもちゃにした後捨てたからわかんねーな」
「今頃生きてりゃ、スラム街で立ちんぼでもしてんじゃねーのか? 余所者が簡単に生きていけるほどこの街は甘くねーからなー」
「それか、口減らし同然の狩猟で、街の外で化け物の餌になってんよ、いや、惜しい事したな、あの女、かなり身体は良かったしよー」
暗がりの中、冒険者達が笑う。獲物を囲んで、これから先の悦びに身体を熱くする。
彼らは知っている、暴力で弱い者をなぶる昏い快感を。
「まあ、ひどい方たちですのね。もしかして、これからわたくしもその田舎臭い不幸な女のように、貴方たちにおもちゃにされてしまうのでしょうか?」
「ーーヒヒっ、それはアンタの態度次第だ」
だんっ!
突如、ガルドと呼ばれていた大柄の男がフォルトナの細い肩を掴み、石壁に叩きつける。
背中を強く打ったフォルトナがけほっと、肺から息を絞り出す。
「ケホ、ーーあら? 案内してくれるのではなかったのですか? ふふふ、騙されてしまいましたね」
背中の痛みをおくびにも出さず、フォルトナが微笑む。
「うるせえ、わかってたくせによ。ノコノコついてきやがって、誘ってたのか? ん?」
ギラギラと、もう欲望を隠そうともしない目。
ガルドが興奮し、自分の分厚い唇を舐めまわしフォルトナに顔を近づける。
「まあ、愉しませてくれたらあんまひどいことにはなんねーよ」
「あの見た目だけ派手な護衛もとっとと逃げちまうし、お嬢様にはふさわしくなかったなあ、なんだ、欲求不満だったのか?」
周りの冒険者たちも息を荒くし、軽鎧の留め金を外しつつ、フォルトナに集う。
何度も、何度も繰り返された営み。
シンプルなルール、残酷な法則。
強い者が弱い者の運命を決める、ただ、その法則が淡々とここにあるだけーー
だが。
「わたくし、昔からとてもとても、運が良かったんです」
「あ?」
生き残る冒険者には、共通点がある。
己を知ること、そして獲物の選定を誤らないこと。
ああ、今日、彼らにはそのどれもが欠けていた。
「でも、あの子はそうではなかった。不器用で愛想も悪くて要領も悪かった。だから、 見(・) 逃(・) し(・) た(・) の(・) に(・) 。(・) わたくしの運試しに必要なかったのに。ああ、 ト(・) レ(・) ナ(・) 、アナタは本当に運が悪いですね」
「なんだ、この女、頭おかしくなったか?」
「関係ねーよ、見た目は一級品だ、ひん剥いちまえ!」
「この前の緑髪を思い出すなぁ! あん時みたいに殴って泣かそうぜ! そっちの方が具合いいからよ!」
冒険者達は、気づかない。
自分達は今日、決して強者の側ではなかったことを。
「そして、わたくしはやはり幸運、ですね」
「意味わかんねーんだーーょ、?」
最期のときまで、気づかないのだ。
「は?」
「え? ぷぴゃ」
赤い風。
それが上から吹きつけた。彼らとは違う、良く風呂に入り、香油を嗜む彼の香りが風に混じる。
同時に、血の香り。
さっきまで5人いたはずの冒険者は4人に減った。
「そりゃ、同感だ、冒険者共」
脳天から、 踏(・) み(・) 潰(・) さ(・) れ(・) て(・) い(・) た(・) 。
赤い髪の男の足元に、潰れたトマトのようなぐちゃぐちゃが一つ。その代わりに人が1人消えていて。
「え、え? ペニー? ペニーはどこ、だ? え?」
「あ、ペニーとかいうのは、これかァ? 随分とまあ、柔らかくなっちまったなあ」
空から降ってきた赤髪の男。
ブーツについたぐちゃぐちゃを壁になすりつけてぼやく。
「は、は? どこ、から」
「上、屋根の上だ。気が変わったァ。そこのイカレ女の思い通りになるのは気に食わねーが他の男のクセー臭いがついた女の隣にはいたくねーからなーァ」
資格がいるのだ。
この冒険都市で生き抜くには資格がいる。
それは、力、残虐。それが無かった田舎女はこの街に呑まれた、そして王女と英雄にはそれが、過剰に備わって。
「あは、幸運にも、わたくしの英雄の気が変わったようで何よりです」
星型の虹彩が、ガルドを見つめる。
緑の髪は艶やかに、彼女の指がそれを梳かす。緑の髪は同じなのに、まるで違う。
冒険者、彼らが先日いたぶった田舎女と、その女はよく似ていて、だがまるで違う存在だ。
ああ、今更気付いてしまった。
「あ、ヒ、ィ」
ガルド。愚かな彼はふと、思い出した。その眼をどこかで見た。つい最近、見た。
あの、冒険者ギルドで出会った黒髪の冒険者。自分をたたきのめし、見下ろしてきたあの眼。
色街で、女を使って発散したのはそれが怖かった。こちらを生き物とすら見ていないようなあの眼。
黒髪の冒険者と、今こちらを見つめる緑髪の女は同じ眼をしていて。
「ひ、お、同じ、目…… う、動くな! この女がーー」
ガルドが、突如現れた赤髪の男に叫ぶ。そうだ、この女を人質に、人数はまだ、こちらの方が上で。
「悪いな。あんま騒ぎは起こしたくねー。目撃者も、生存者も必要ねえよなァ」
「はい、誰にもバレないと思いますよ、幸運にも」
「え?」
もう、誰もいなかった。
数年行動を共にしたパーティメンバーは、首が枯れ木のように折れてたり、何故か真っ二つになっていたり、壁のシミになっていたり。
赤い髪の男が、手をパンパンとはたきながらこちらを向く。
「だとよ。うちの幸運の星がそう言った。まあ、なんだ、女の趣味が悪い者同士、同情はするぜ」
「は、え? 死、しんで? え?」
ガルドの頭の中から緑髪の女のことはもう無い。何が起きたのか、何が起きようとしてるのか、それも理解出来ない。
「遅っ」
赤髪の男の腕が、ひゅっと振られて。
「ぷら」
何もわからないまま、ガルドの首から上は壁に叩きつけられてペーストの仲間入り。
冒険者の血肉が、路地裏に染み込んで、ひとつになった。
英雄の、圧倒的な暴力。
資格は充分。
「あーあー、やっちまったよ。目立つなとかいざこざはダメって言ってた瞬間にもう帝国初キルかましちまった。装備やら人相、身体つきから、まー、冒険者なのは間違いねーなァ」
返(・) り(・) 血(・) 一(・) つ(・) 浴(・) び(・) ず(・) に(・) 、彼らを始末したウィスが辛うじて残っている死体を足蹴にしながら眺める。
「ありがとうございます、ウィス。もう少しで手込めにされてしまうところでした」
「うるせー、バカ女。わざとてめー男を煽って誘ったろ? こいつら、そんなに気に食わなかったのか?」
「いえ? 特に」
王女は静かに笑う。
それは英雄にも触れざる彼女だけの郷愁。
「ーーあっそ。あーあ、ぐちゃぐちゃじゃん。死体どーするよ」
「んー、どうせわたくしの幸運で、わたくし達に影響が及ぶ形でバレることはありませんけども、確かにいたずらに死者を野ざらしにするのはよくない…… あ、いいものを見つけました!」
とてとて、彼女が血溜まりを跳ねる。
おぞましい幸運は、血の飛び散り方も歪める、彼女のスカート、ローブ、血の一滴たりとも彼女に触れることはない。
大きな鉄の箱。
ゴミ箱、帝国が進める都市衛生計画により、各所に存在するそれには冒険都市の代謝物が集められる。
ならば、これも、その代謝の結果だろう。
「おー、都市運営のゴミ箱か。すげーよな、こう言うの設置出来る所に国力の差を感じらァ」
「ええ! 灰は灰に、ゴミはゴミ箱に。きちんと片付けておきましょう!」
フォルトナがくるくる回りながら回る。
「え、誰がこのぐちゃぐちゃ触んの?」
「それはぐちゃぐちゃにした人でしょう」
ゲーッと顔を歪めるウィス、それを見てフォルトナは笑うだけ。
しばしばウィスがため息をついて、死体を回収し始めて。
風が吹く。
フォルトナはふと上を見上げる、昏い路地裏でも視線を上に向ければ、あの市場から見えた青空が見える。
その青さは、彼女の幼い頃。生まれた時を全く同じにした双子の姉と眺めた空とも同じ色。
「さよなら、わたくしのーー」
「……なんか言ったか?」
「いーえ、きっと貴方の気のせいですよ、ウィス」
彼女はもう止まらない。
止まる理由など元からなく、そして今この瞬間に彼女を止める事が出来たであろう可能性も潰えた。
「ねえ、ウィス」
「あ?」
「ヒトは運命の外側に出ることは可能だと思いますか? 課せられた使命、望まれた役割、その履行を投げ出す事が出来ると思いますか?」
それは彼女の宿痾。幼き頃に気付いた世界に対しての反骨心。
己の片割れは外側に、行けなかった。
その身に刻まれた凡庸、無能ゆえに世界に敗れたのだろう。
同情も憐憫もない、なのに空寒い虚しさがフォルトナの空っぽの胸の中を行き来する。
「……知らねー、どーでもいいな」
「そうですか」
己の英雄の素っ気なさ、それはフォルトナにとって心地よいものだ。
「でもな」
英雄の言葉が続く。
「うん?」
王女が首をかしげて。
「俺サマァ、今の状況が運命だってーんなら。お前のバカ覇道、イカレポンチに付き合うのが俺サマの運命だってんなら、まあ、あれだ。今んとこ悪くねえ、割と楽しんでっから」
「あは」
ぶっきらぼうな言葉、フォルトナは気付かない、自分が今、久しぶりに心の底から笑ったことを。
「もう、わたくしのこと好きすぎでしょう、ウィス」
「ウザ〜」
チョンチョンとウィスを肘でつつくフォルトナ。心底うざそうな顔をウィスが浮かべて。
そんな己の英雄の服の裾を、フォルトナが掴む。
じっと、星型の瞳が赤い瞳を捉えて。
「ーーわたくしは外側に行きます。運命を放り出し、わたくしを、この幸運を試し、この奈落のような世界で生きていく」
英雄の裾を離し、路地裏の外を眺めて、己の胸に手を合わせて目を瞑る。
瞼の裏には、あの金色の美しい髪が靡いて。
「ああ、楽しみです。竜よ、偉大なりし蒐集の竜よ。待っていてください。試してくださいな、わたくしを。わたくしは挑みます、世界そのもの、この世を構成する概念の証である貴女へ」
「うわー、なーんかへんなスイッチ入ってんなァ」
「うるせーですわ。さあ、狡猾に周到に臆病に冷静に傲慢に尊大に行きましょう。我ら、ヒトであるが故に」
にいっと、フォルトナが笑う。
空へ、細い手を伸ばし、手のひらを広げて。
「叶わぬ空へ中指を立てに行くのです」
一本指を、空へ。
「ついていくさ、王女サマ」
「よろしく頼みますね、英雄さん」
がたん、いつのまにかウィスがゴミ箱の蓋を閉める。赤いシミはそのままに、肉片は全てあるべき場所に。
「では、我が麗しの王女サマ、どこから始める?」
「アハ、そうですね、ではまずは願いましょう。んー、そうですねえ……」
人事を尽くして天命を待つ。フォルトナにそれは適用されない。人事こそが、天命となるから。
「竜、竜殺しによって変わりつつある彼女。ええ、ヒトに近くなっているのなら、そうですね、迷い、戸惑ってもらいましょう。ああ、きっと叶います、幸運にも」
竜を揺さぶる、ヒトに近くなっているのなら、竜殺しがそれの原因ならば、なんて簡単な隙なのだろう。
国を堕とした女は、竜をも堕とすのだろう。
「これから、 竜(・) と(・) 竜(・) 殺(・) し(・) は(・) す(・) れ(・) 違(・) う(・) 、なんてどうでしょうか?」
彼女が願うのなら、それはきっと叶うのだろう。
ああ、 幸(・) 運(・) に(・) も(・) 。(・)
「ねえ、ウィス」
「なんだよ、フォルトナ」
空高く、青く。
「たのしみですね、竜祭り」
フォルトナのぼうけんが始まる。
………
…