作品タイトル不明
第443話:信仰心
窓から外を見れば、すでに夜の帳が下りて暗闇が世界を支配している。
「……」
外の様子を窺っていたエヴァリーナが少し見上げれば、わずかに見える月が柔らかな光を放っているではないか。
今エヴァリーナがいるのはチェーザに宛てがわれた部屋なのだが、二つあるベッドの一つにはエヴァリーナの身の回りを世話する女性がすでに横たわっていた。日中の出来事がよほどショックだったのだろうか。部屋へ戻るなり早々、エヴァリーナに断りを入れてベッドに入ったのだが、彼女の眉間には皺が寄っており、今も寝苦しそうに唸っている。
そんな彼女の額にエヴァリーナは手を添えると、神聖魔法第1位階『 幸夢(グーデルン) 』を使用する。この魔法は暗黒魔法第1位階『 悪夢(ナイトメア) 』と対をなす魔法で、その名のとおり対象の精神を安定させ、幸せな夢を見せることができるのだ。
魔法の効果は覿面で、先ほどまでうなされていた女性は安らかな寝息をかく。それを確認したエヴァリーナは椅子に座ると、机に積まれた本の中から一冊を手に取る。机の上に置かれる魔道具のランプが、エヴァリーナと本を照らす。
ジャーダルク王国暦291年。
ボドリード七世王陛下、各諸侯をはじめとする臣下たちの反対を押し切って、異世界召喚を決断する。おそらくは、前年に愛娘が獣人と思われる亜人に無惨に殺められたのが原因だろう。あれ以来、王陛下の心身は衰弱し、言動に不自然な点が見受けられる。
我がボルジムア家は臣下の中でも強く異世界召喚に反対し、王陛下へ諫言したことを留意していただきたい。
ジャーダルク王国暦292年。
異世界召喚の贄が王都へ集められる。贄の多くは異世界召喚に反対していた諸侯たちが治める領地から強制的に選ばれた。
我がボルジムア家は諸侯として、貴族として、領民を護るべく、あらゆる手を駆使して、他領に比べ限りなく少ない贄の提供で済ませたことを留意していただきたい。
同年、異世界召喚を強行する。
異なる世界より強制的に招かれた少女――――サクラ・シノミヤにはボドリード七世王陛下が求めていた戦う力はなく、王陛下ならびに賛同者たちを大いに落胆させた。
(贄? 異なる世界……強制的…………まさか黒の聖女とは……なっ……なんてことを)
ページをめくるエヴァリーナの指に力が入る。
聖国ジャーダルクの前身となった国家が、このような非人道的な所業をしていたことに思考が、なにより感情が追いつかないのだ。心を落ち着かせるためにエヴァリーナは深呼吸をすると、再び本を手に取る。
サクラ・シノミヤには側仕えとして、ジャーダルク王国でも有能で見目麗しい男性の騎士が一人つけられた。
これは異世界召喚者の多くが急激な環境の変化による多大なるストレス、また言語の疎通ができないことにより、さらにもとの世界へ帰れないことで自死を選ぶ者が少なくないことから、護衛兼監視者として王国の上級文官たちによって手配されたものと推測される。
同年、サクラ・シノミヤによる突飛な政策提案に、諸侯や文官たちは大いに反発する。
多くの臣下が王城へ陳情を訴えるも、この頃になるとボドリード七世王陛下は治世に関心がなくなっていたと思われる。その証拠に一部の臣下が政を掌握し、王陛下の症状を隠していたことがのちに判明する。この時期に我がボルジムア家が私兵や財貨を不正に蓄財していたと一部の者たちが誹謗中傷していたが、全てはジャーダルク王国の治世を憂い、我が領民を護るためにやむを得ない対応であったことを留意していただきたい。
(またですか)
心の中でエヴァリーナはため息をつく。
この本だけでなく、他の本でもくどいくらいボルジムア家は自分たちの行いの正当性を読み手に訴えかけているのだ。そのせいで本に記載されている内容の真実性が損なわれていることに、著者は気づいていないのだろうか、と。
ジャーダルク王国暦293年。
サクラ・シノミヤは、あの聖女は――――否、これでは聖女ではなく魔女ではないか。あまりに荒唐無稽な現象が起こった。証拠はないが、これまでのサクラ・シノミヤの言動から、彼女が関わっているのは明白である。また世界中を巻き込んだこの騒動のさなかに、彼女は以前から提唱していた人頭税や十分の一税などを廃止させた。これは多くの諸侯の権益を冒す行為に他ならぬ。彼女が魔女と呼ばれるようになる 由縁(ゆえん) でもあるだろう。
(人頭税は教団が廃止させた悪税……十分の一税?)
赤児から老人まで、その収入に関係なく税を課した人頭税は悪税として聖国ジャーダルクでは有名な税の一つであった。この悪税をイリガミット教の初代教王が廃止させ、苦しむ民を救った話はイリガミット教の聖書にも記されている。
(もし、これが真実だとすれば、イリガミット教が黒の聖女の功績を横取りしているではないですか)
椅子に座り、床に足をつけているにもかかわらず、エヴァリーナは浮遊しているような、なんとも気持ちの悪い感覚に襲われる。彼女の信仰心が足元から崩れ始めていたのだ。
震える手でコップを手に取ると、そのまま乾いた喉を潤す。中身は白湯である。
「だ、だいじょうぶ?」
エヴァリーナのフードに覆われた髪の中から、彼女を気遣う子供の声が聞こえる。
「ええ、大丈夫よ」
「ほ、ほんどに?」
ぴょんっと、エヴァリーナの髪の中から飛び出してきたのは手のひらに乗るくらい小さな――――巨人であった。小さいとはいえ、ひと目でわかるその異形の身体は間違いなく巨人族のものである。
「本当よ」
そう言いながら、エヴァリーナは巨人の頭を人差し指で撫でた。
※
「失礼します」
ドアをノックしてからエヴァリーナが執務室へ入ると、チェーザはまだ仕事を続けていた。
「おや、お付の方はどうなされましたかな」
「ショックが大きかったようで、早めに就寝させました」
そらみたことか、と。チェーザはわずかに頷く。エヴァリーナは言葉を和らげてショックと言ったのだが、実際はイリガミット教や聖国ジャーダルクの未来を憂う彼らにとっても衝撃的な内容だったのだ。ボルジムア家の父祖は異端者、その血を引くチェーザも異端者である。本もろともボルジムア家を燃やすべしといった過激な発言などもあったのだ。当然、そのような声はエヴァリーナが許さなかった。
「ところで、本は?」
恐る恐るといった様子で、チェーザは問いかける。
「原本、複本を含めて、十二冊全てをもとの場所に仕舞いました」
その言葉に心の底から安堵するチェーザであったのだが、エヴァリーナの眼を見て「嫌だなぁ」と思う。これまでに何人か同じ眼をしている者を見てきたのだ。覚悟の決まった眼、殉教者と呼ばれる者が同じ眼をしていた。
「それで、わざわざ本を戻したことを、私に伝えに来たわけではないようですが」
「ええ。一通り本を読んで疑問に思った点を、チェーザ卿に聞こうかと」
「は、ははっ。私でお役に立てるかどうか。先ほども申したとおり私は――――」
突如、執務室内が眩しい光で照らされる。
光源はエヴァリーナ――――ではなく。その背後に顕現した金色の女神である。祈るように指を絡めていた女神の手が解かれ、左右に両腕を伸ばすと、金色の幾何学模様が執務室内を覆っていく。
(こ、これは……っ!? 魔法ではないっ。エヴァリーナの固有スキルか)
「あなたは教王によって、黒の聖女に関して喋ることを禁止されている。ですが、筆談では応じることができるのでは? でなければ、ボルジムア家の秘蔵している本にサクラ・シノミヤのことを記載することができないではありませんか。それと本には意図的なのか、曖昧な表現でなにが起こったのかを隠しているように見受けられました。もしかしてボルジムア家では、本に記載できないような内容を筆談で秘密裏に代々継承しているのではありませんか?」
余計なことを喋らないようにチェーザは口を噤む。
「ご安心ください。私の固有スキルで執務室内を聖域化しただけです。この聖域内では呪いや病気、それに制約などを無効化する効果があります」
エヴァリーナの言うとおり他者に無害なのかもしれない。横流ししていた聖神薬を自身にも使用していたチェーザは、それでも長年の政務をこなすために身体を酷使してきた。その結果、身体の節々が年々蓄積するように傷んでいる。
その肉体が執務室内が聖域化したと同時に、目のかすみや腰や膝の痛みが緩和しているように感じているのは錯覚ではないのだろう。それでもチェーザは少しも安心も油断もしていなかった。
(この女は聖女候補に選ばれるほどの人材だ。この聖域内で虚偽を働けば、なにか罰則があってもなんら不思議ではない)
「さあ、これで私の問いかけに答えていただけますね」
金色の女神はエヴァリーナを見守るように背後に控えて微笑を浮かべている。この女神は光の女神イリガミットを象ったものではない。エヴァリーナの信仰心を無意識に具現化したような存在で、金色の女神はエヴァリーナには見えていない。
「獣人浄化政策がジョン・ラリル・タイフォーの裏切りによって失敗に終わる。本を読み進めると、本来は子ができなくなるはずであったにもかかわらず、呪詛を仕込まれた人族の女性との間には子を設けることができたと」
「…………そのとおりです」
今のエヴァリーナを下手に刺激すればどうなるかが、チェーザには予想がつかなかった。だから質問に対して素直に応じる。
「純血種の獣人の寿命は20年から30年だったのが、生まれてきた赤児は倍以上に伸びた、と」
「ええ……。だからジョン・ラリル・タイフォーが裏切ったと申したでしょう。あれのせいで獣人の寿命は伸び、浄化するどころか逆にその数は増大することとなりました」
「人族の企みに純血種の獣人は 最後(・・) まで気づかなかったのでしょうか?」
「ははっ。そんなわけないでしょう。いくら獣がバカとはいえ、何年も子が生まれなければ気づく」
「それにしては、私は純血種の獣人を見たことも聞いたこともありません。徐々に数を減らし、滅びたのでしょうか?」
「その可能性は否定しませんが、ボルジムア家では別の理由で滅んだか、その数を激減させたと推論しています」
サクラ・シノミヤについては話したがらなかったチェーザは、獣人については逆に話したくて仕方がない様子であった。
「シスターエヴァリーナ、純血種の獣人と呪詛を仕込まれた人族の女性との間に生まれた赤児は、どのような扱いを受けるかおわかりか?」
卑しい笑みであった。
グラスにワインを注ぐと、一気にチェーザは飲み干す。興奮のあまり口内が乾いていたのだろう。
「地獄でしょうな。獣人の女は子を設けることができなくなり。代わりに混じり者が次々に生まれていく。その光景を想像してください。許せますか? 許せるわけがない。多くの赤児はその場で殺されたと聞きます。わずかに生き残った赤児も尾を切られたとか」
他種族に偏見のないエヴァリーナは悲痛な表情を浮かべる。なんの罪もない赤児が無慈悲に殺されたと言われれば、無理もないだろう。
「尾は獣人にとって、とても重要な部位です。中には尾のない獣人種もいるようですが。ああ、純血種の獣人がなぜ見ないかの理由でしたね。混ざり者、半端者と呼ばれた、今の獣人種の祖とも言われる者が純血種の獣人を悉く殺して回ったそうです」
あまりな言葉にエヴァリーナの目が見開かれる。
「それほど驚くようなことですか? 私はこの話を聞いたときに納得しましたよ。獣人からは忌み嫌われ、人族の母親は獣人を恨んでいる。そんな環境で生きてきた混ざり者がどのように育つかなど、容易に想像できるではないですか」
「純血種の獣人よりも、人族との間に生まれた子のほうが強いのでしょうか?」
「いいえ。純血種の獣人は今とは比べ物にならないほど強い種だったそうです」
「なら、どうして――――」
「混ざり者の中に化け物のように強い者がいたようです。猫人の獣人種で、他の混ざり者を率いて純血種の獣人を相手取って戦争を起こしたとか。それで大幅に数を減らした純血種の獣人が、数を維持できなくなって消滅――――それがボルジムア家が出した推論です」
さあ、もう全て喋りましたよと、これで満足して帰ってくださいと期待の篭った眼差しをエヴァリーナへ向けるのだが。
「次は黒の聖女についてです」
変わらぬ様子で次の話へ進めるエヴァリーナに、チェーザの身体からは悲壮感が漂う。
「サクラ・シノミヤを召喚するのに、どれほどの生贄が捧げられたのですか?」
「……ボルジムア家が把握しているだけで、五千人ほどと聞いております」
眉間にわずかに皺が寄ったエヴァリーナの姿に、チェーザの口から悲鳴が漏れ出る。
「黒の聖女――――サクラ・シノミヤには戦う力がなかったと記載されていました。では、どのような力を有していたのでしょうか」
「なんでも他者と心を通じ合わせることができたそうです。その力のおかげで、比較的早くジャーダルク語を取得できたとも」
(ジャーダルク語?)
「他種族とも、その力で意思疎通して上手く取り込んでいたそうです」
「チェーザ卿、憶測でサクラ・シノミヤを貶めるのは――――いえ、気にしないでください」
思わずサクラを庇うような発言をしてしまったことに、当のエヴァリーナ自身が驚いていた。
「サクラ・シノミヤが起こした荒唐無稽な現象について、チェーザ卿は聞き及んでいますか?」
「それは……言語です」
「先ほどジャーダルク語と言っていましたね。私たちが現在喋っている言語はジャーダルク語なのでしょうか?」
「さすがは聖女候補……理解が早い。ええ、ええ。私たちが喋っているのはジャーダルク語で間違いありませんよ。もっと古い呼び名があったそうですが、ボルジムア家でも記録は残っていませんでした。なにせ千三百年以上も前のことですからね。
サクラ――――おお、本当に口にすることができるとは、驚きましたよ。サクラ・シノミヤがジャーダルク語を除く、他国の言語を全て消したと、ボルジムア家では推論しています」
「まさかそのような……チェーザ卿は、そのような荒唐無稽なことを信じているのですか?」
「どうでしょうか。ですが、事実としてジャーダルク語以外の言語が消えたのは間違いないようです。それは大変な混乱を世にもたらしたそうで。まあ、当然でしょうな。ある日、いきなり自分たちが喋っていた言葉が消えるなんて、想像するだけで背筋が凍るような出来事かと」
「推論と言うだけの事実や根拠を、ボルジムア家は把握してたのでしょうか」
「まさしく。そこが私も気になる点ですね。ボルジムア家はそこまで強く主張できるほど証拠を集めることはできなかったのでしょう。だからこそ、本に荒唐無稽な現象とだけ記載することしかできなかったのでは」
エヴァリーナの顔色を窺おうとするのだが、背後に控える金色の女神が怖くて、チェーザは顔を上げることができない。
「証拠を集めることができなかった。ですが、そう推論するに足るサクラ・シノミヤの能力について知っていたのでは?」
「始まりの勇者を操っていたのでは、と」
「光の勇者オズウェルのことでしょうか?」
「え、ええ。そのオズウェルです。なんでも物や魔法を消す固有スキルを有していたと。その勇者の力とサクラ・シノミヤの力を組み合わせて、世界から言語を消したと――――は、ははっ。言っている私自身もあまりにも無理がある言い分ですが、ボルジムア家ではそう結論づけています」
強引な結論だとチェーザも自覚しているのだろう。純血の獣人のときとは違って、その言葉には自信がないようだ。
「十分の一税については?」
「おや、知らないのですか。イリガミット教が徴収していた税ですよ。領地持ちの諸侯が人頭税を徴収するように、収入や収穫物の十分の一を教会や修道院へ収める――――」
イリガミット教の暗部を嬉しそうに語るチェーザであったのだが、エヴァリーナの顔を見て言葉が、口が固まってしまう。
「許せない」
自分に向かって言われたわけではない。それでもチェーザの心胆を寒からしめるには十分な力が込められていたのだ。
「チェーザ卿、まだまだ尋ねたいことはあります」
「は…………はい」
まるで魔言のような力の込められたエヴァリーナの言葉に、チェーザは力なく頷く。
この日、チェーザは徹夜でエヴァリーナの質問に応え続けることになるのであった。