作品タイトル不明
夕暮れを裂く新牙
「撃て」
その一言で、夕暮れの草原が——裂けた。
乾いた音。
バッ、バッ、バッ、と。
通常の弓とは違う。
張り詰めた弦の重い響きでもない。
短く硬く、連なる。
連射式クロスボウ特有の、乾いた殺意。
先頭の一騎は、敵偵察騎兵。
その馬が、最初に異変へ反応した。
地面が動いた。
そう見えたのだろう。草、土、景色。
その筈だった場所から、突然“何か”が起き上がる。
偽装布。
人ではない。景色だった物。
その景色が、矢を吐いた。
馬が嘶く。前脚が乱れ。
乗り手が、後方へ投げ出される。
「――ッ!?」
声にならぬ驚愕。だが——遅い。
二射。
三射。
乾いた音。夕暮れに、悲鳴が混じる。
「……」
クラウスは、それを静かに見ていた。
やはり急いでいる者には——見えない。
近い。
本来なら近過ぎる距離。
騎兵なら、もっと早く気付けた筈、だが気付けない。
何故か。偽装布。それもある。
だが——それだけではない。
“見ている場所”だ。
騎兵、軍人、経験。
それらは、優位であると同時に癖でもある。
剣は、接近。弓は、中距離。投石は、遠距離。
無意識に、そう分類する。
長く戦場を知る程。身体へ、思考へ、染み付く。
弓矢は、少し離れた所から来る物。
そう、思い込む。だから——近過ぎる。
その距離は、“弓が来る距離ではない”
故に、意識から外れる。
「……」
皮肉だな、と。クラウスは、心中で淡く思う。
軍歴が長い程、戦を知る程、“常識”に縛られる。
近距離弓撃。
しかも、伏せ、偽装、連射。想定外。
「……良い」
後続、先遣隊。砂塵、速度。その全てが今、誤認へ変わる。
見えない数が。見えるのは、矢。音と悲鳴。
落馬。なら——どう感じる?
“伏兵多数”
そう錯覚する。
連射速度に、乾いた連続音。
通常の弓では、起こり得ぬ密度。
十人?二十人?そんな少人数で濃密な矢は放たれない。もっとか?
隊は、纏まっている筈。普通は。
兵は、ある程度の単位で動く。
まとまる、陣を作る、位置を取る。
だから、敵も。
“纏まった集団”を探す。
今回は違う。見えない纏まりが。
低姿勢の散開。弓矢では、あり得ない姿勢。
なのに、矢だけが多い。
「……」
良い錯覚だ。
人は、理解出来ぬ物を見ると“より大きい物”として誤認する。
見えない敵。多い矢。速い連射。なら。
“かなり居る”
そう、脳が補完する。
「……」
後続が、止まり始めた。先頭が、乱れる。
横へ避ける者。馬を抑える者。
状況確認へ視線を走らせる者。
遅い。
見ろ。もっと近くだ。
夕暮れの北風。
「……そうだ」
ぽつり。
騎兵の機動力は脅威。
速い。踏み潰す。切り裂く。
その分。
“小回りが利かぬ”
急に近距離で景色が牙を剥けば。
対応は遅れる。
「……」
止まる。乱れる。詰まる。
それで、十分。
まだ、追撃ではない。
まだ、投石でもない。
先ずは——“新しい恐怖”を覚えさせる。
弓が、こんな近くから来る。
敵が見えない。地面が動く。
「……」
戦場の常識。その一枚を剥がす。
クラウスは、静かに息を吐いた。
良い非常に。
割れた枝は今、ただ進軍を止められているのではない。
“理解”を止められている。
何が居る?どれだけ居る?どこに居る?
その迷いは速度より重い。
春の夕暮れ乾いた連射音。
その日、南下した枝は、初めて知る。
追うつもりで踏み込んだ先にあったのは。
退く敵ではなく——“景色そのものが噛み付く戦場”だった。