作品タイトル不明
先に動くという選択
「……もう一度、整理するぞ」
父は地図の前に立ち、セリユーへ視線を向けた。
「はい」
セリユーも静かに応じる。
「これまで侵攻は何度かあったが——」
指で過去の侵入経路をなぞる。
「いずれも小競り合い程度」
「ええ」
「我が領も同じだ。王国があった時は、な」
その一言で空気が変わる。
「……はい」
セリユーの表情も引き締まる。
「だが今は違う」
父は低く言った。
「王国の統制は無い。抑えも効かん。小競り合いで済む保証は無い」
沈黙。
「……」
「実際に、我が領は侵攻を受けた。雑ではあったが、来た」
「はい」
「ならば——」
視線を北へ向ける。
「ここにも来ると考えるべきだ」
「……同感です」
セリユーも頷いた。
父は地図を叩く。
「この地形だ」
広がる平野。起伏の少ない地。
「平坦が多い」
「はい」
「侵攻には向いている。軍を進めやすい。展開もしやすい」
「その通りです」
「そして」
父はゆっくりと言葉を続ける。
「こちらは、防ぎにくい」
「……」
セリユーは黙って頷く。
「山や谷で絞る事も出来ん」
「線が広がるだけだ」
「はい」
「……厄介ですな」
ぽつりと、セリユーが呟く。
「厄介、で済めば良いがな」
父は淡々と返した。
「さて……」
腕を組む。
「どうしたものか」
静かに考える。
セリユーの言葉がよぎる。
“時間です”
「……」
「セリユー」
「はい」
「お前の判断が遅れた理由。小さな村だと言っていたな」
「……はい」
少しだけ視線を落とす。
「村人は、簡単には動きません。土地があります。家があります。家畜もあります。全てを置いて逃げるという決断は……」
言葉を選ぶ。
「容易ではありません」
「だろうな」
父は短く返す。
「ならば」
一歩、前に出る。
「“その時”に判断させるのが間違いだ」
「……」
セリユーが顔を上げる。
「事が起きてからでは遅い。迷う時間が、そのまま死に繋がる」
「……はい」
「ならば」
父の目が鋭くなる。
「先に決めさせる」
「先に……?」
「ああ。どこへ逃げるか。何を持って行くか。誰が先に動くか。全てだ」
セリユーの目がわずかに見開かれる。
「……避難、ですか」
「訓練だ」
父は言い切った。
「侵攻が来る前に、動かしておく。身体で覚えさせる」
「……」
「そうすれば」
指で地図の村を叩く。
「いざという時、迷わん」
「……確かに」
セリユーが静かに頷く。
「それなら……動ける。時間も、削れる」
「ああ。まずは」
父は地図をなぞる。
「狙われやすい村からだ。街道沿い。平野の中央。逃げ場の少ない所」
「……はい」
「そこに優先して注意喚起。そして避難訓練。段階的に広げる」
「承知しました」
セリユーは深く頷いた。
「……良い手だと思います」
セリユーがぽつりと言う。
「だが?」
父は視線を向ける。
「反発は出ます。間違いなく」
「……だろうな」
「“逃げる前提”で動かす事になりますから弱気と取られる者もおります」
父は少しだけ考えた。
そして。
「それでいい」
あっさりと言った。
「……よろしいのですか」
「全員に理解される必要は無い。生き残る事が最優先だ」
「……」
「文句は、生きてから言えばいい」
静かな声だが重い。
セリユーは、ゆっくりと頭を下げた。
「……承知しました」
「各村へ通達し、準備を進めます」
「ああ」
セリユーが去った後。
父は一人、地図を見つめていた。
「……先に動く、か」
小さく呟く。
来てからでは遅い。決めてからでも遅い。
「動かしておく」
それだけだ。
窓の外では、風が強くなっていた。
冬は、すぐそこまで来ている。
そして——その先には、戦が来る。