作品タイトル不明
元領主の矜持
「セリユー様をお連れしました」
扉の外から声がする。
「入れ」
短く返す。
扉が開き、一人の男が入ってくる。
「……お呼びと聞きました」
セリユーは一礼した。
その動作は丁寧だが、どこか距離がある。
「来てもらったのは他でもない」
父は椅子に座ったまま視線を向ける。
「この地の防衛についてだ」
「防衛……ですか」
「春先、隣国が動く可能性がある」
「……」
一瞬だけ、セリユーの目が細くなる。
「そう、見ますか」
「ああ」
父は頷いた。
「来る前提で考える」
沈黙が落ちる。
「……この地を知っているのは、お前だ」
父は続ける。
「地形、道、補給路、村の配置」
「全てだ」
「……」
「だから聞く」
わずかに身を乗り出す。
「どこが危ない」
セリユーは、すぐには答えなかった。
ゆっくりと視線を落とす。
そして。
「……国境沿い北東の谷です」
低く答えた。
「谷か」
「はい。細いですが、抜けられます。正面から来る軍は通らないですが——」
一瞬、言葉を選ぶ。
「少数であれば通れる。裏を取れるな」
「はい」
父は頷く。
「他は?」
「国境の川沿いの道。冬は凍ります。今はまだですが、春先なら……」
「動けるか」
「はい」
父は机の上の地図を見下ろす。
「……やはり、線が長い」
ぽつりと呟く。
「全部は守れん」
「……」
セリユーは何も言わない。
「ならば」
父は顔を上げる。
「捨てる場所を決める」
その言葉に、空気がわずかに変わった。
「……捨てる、ですか」
セリユーの声が少しだけ低くなる。
「ああ」
迷いはない。
「全てを守ろうとすれば、全てを失う。守るべき所を決める。それ以外は——」
言葉を区切る。
「切る」
沈黙。
「……それは」
セリユーがゆっくりと口を開く。
「村を、見捨てるという事ですか」
真っ直ぐな視線。
「そうなるな」
父は即答した。
「……」
わずかな間。
「……以前の私も」
セリユーは静かに言う。
「同じ判断をしました」
父は何も言わない。
「守れない村を切り捨て中心を守る。結果は——」
一瞬、目を伏せる。
「崩壊です」
空気が重くなる。
「だから聞く」
父は静かに言った。
「何が足りなかった」
セリユーは、少し驚いた様に顔を上げる。
「……何が?」
「お前の判断は間違っていない。だが崩れた。ならば原因がある。それを知りたい」
「……」
セリユーはしばらく黙っていた。
そして。
「……時間です」
ぽつりと答える。
「時間?」
「はい。決断が遅れた。住民の移動が間に合わなかった。結果、混乱が広がった」
父はゆっくりと頷いた。
「……なるほど」
「切るなら、早く守るなら、徹底的に中途半端が一番崩れる」
「はい」
しばらく沈黙が続く。
やがて父は言った。
「……お前の判断は、今は使う」
セリユーが顔を上げる。
「だが」
視線が鋭くなる。
「同じ失敗はせん」
「……」
「切るなら早く守るなら確実に。迷わん」
その言葉は重い。
「……承知しました」
セリユーは深く頭を下げた。
その動作は、先ほどよりもわずかに低い。
セリユーが去った後。
父は一人、地図を見つめていた。
「……切るか」
小さく呟く。守るために切る。
その重さを、知っている。
だからこそ——
「……遅れん」
静かに決意する。
外では冷たい風が吹いていた。
春は、まだ遠い。