作品タイトル不明
見えない刃
「……まさか、兄上がそこまでやっているとはな」
エドワルドは小さく呟いた。
先ほど聞いた内容を、頭の中で反芻する。
「商隊を偽装して潜入……だけじゃない」
視線を横に流す。
「屋号まで、か」
グレゴールが静かに頷く。
「はい」
「北部方面で実在していた商人の屋号を買い取っております。規模としては小さな商会ですが……昔から細々と交易を続けており、隣国とも一定の取引があった様です」
「……なるほどな」
エドワルドは腕を組んだ。
「完全な“新規”よりも実在した名前の方が通りやすい」
「はい」
グレゴールは続ける。
「帳簿や取引履歴も最低限は残っており、違和感が出にくいかと」
「徹底してるな……」
思わず漏れる。
「名前だけじゃない。信用ごと、買ってる」
レオンが低く笑う。
「そこまでやれば、疑われにくいでしょうな」
「ああ」
エドワルドは頷いた。
「下手な偽装より、よほど自然だ」
そしてもう一つ。
「人材は?」
グレゴールが答える。
「職業軍人ではありません。半農半武の者を選抜し、商人経験者数名もです」
「……理由は」
「軍人色が強すぎると不自然になる為、との事です」
「……」
エドワルドは一瞬、言葉を失った。
「よく見ている」
ぽつりと漏らす。
「歩き方、目線、癖。全部でバレるからな」
「はい」
グレゴールも同意する。
「商人に紛れるのであれば、商人である必要がある。農民に見えるなら、雇われた身。なお良い」
レオンが腕を組む。
「戦場の兵よりも、よほど厄介ですな」
「ああ」
エドワルドは短く答えた。
「“普通”に見える連中ほど、厄介なものはない」
部屋に、少し重たい空気が流れる。
エドワルドはゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「……ここまでやるとはな」
正直な感想だった。
大胆。
だが同時に、異様なまでに細かい。
「恐ろしい発想だ」
ぽつりと呟く。
レオンが少しだけ笑う。
「今更では?」
「……否定はしない」
エドワルドも苦笑する。
だが。
「それでもだ」
視線を落とす。
「ここまで“準備”するとは思っていなかった」
ただの潜入ではない。
偽装。
信用。
人材。
行動。
全てが繋がっている。
「……」
しばらく沈黙。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「だが」
目が細くなる。
「これで終わり、とは思えんな」
グレゴールがわずかに反応する。
「……と言いますと」
「兄上だぞ?」
エドワルドは静かに言った。
「見えている所だけで終わるとは思えん。むしろ——」
一拍。
「見せているのは、ここまでだ」
レオンが口元を歪める。
「裏がある、と」
「ああ」
エドワルドは頷く。
「グレゴール」
「はい」
「お前が聞いていない事は、何だ」
グレゴールは少し考える。
「……具体的な“その後”は聞いておりません。工作後、どう動くか。どの時点で離脱するか」
「……」
エドワルドは小さく笑った。
「やはりな。そこだ」
レオンが低く言う。
「一番重要な所を伏せている」
「そういう事だ」
エドワルドは頷いた。
「火を付けて終わりじゃない。井戸に入れて終わりでもない。その後、どうするか……そこに本命がある」
部屋の空気が、わずかに張り詰める。
「恐らく」
エドワルドは静かに続けた。
「混乱を最大化させる動きをしてくる。誤情報を流すか。内部を疑わせるか。あるいは——」
言葉を止める。
「……内側から崩す」
レオンがニヤリと笑う。
「随分と楽しそうですな」
「楽しんでいる訳じゃない」
エドワルドは淡々と返す。
「だが」
少しだけ口元が緩む。
「嫌いじゃない」
そして、ゆっくりと立ち上がった。
「兄上がそこまでやるなら」
視線が鋭くなる。
「こちらも、それに合わせる」
グレゴールが頭を下げる。
「……承知しました」
エドワルドは小さく息を吐いた。
「全く」
ぼそりと呟く。
「手のかかる兄だ」
だが、その目は——どこか楽しげでもあった。