作品タイトル不明
白旗の使者と崩れた国境
カッ……カッ……カッ……
三騎の蹄の音が、ゆっくりと町へ近付いてくる。
誰も喋らない。
屋上では弓兵が弦を引き。
物陰ではクロスボウ隊が膝を付き。
民兵は盾を構えたまま、息を殺している。
撃てば戦争。撃たなければ交渉。
その境界線が、今まさに近付いていた。
「……止まれ」
門前二十歩。レオンが低く命じる。
三騎は素直に停止した。敵意は無い。だが隙も無い。全員が歴戦の動きだった。
先頭の男が、ゆっくり兜を外す。
三十代後半か。
日に焼け、頬に古傷。
明らかに“戦場帰り”の顔。
「……この町の指揮官に会いたい」
落ち着いた声。
威圧でも懇願でもない。ただ、事務的。
エドワルドは一歩前に出た。
「俺が指揮官だ。エドワルド・フォン・グレイス」
男の目が細まる。
「……やはり貴族か」
「そちらは?」
白旗がぱたんと揺れた。
「ベルン領所属。元騎士団副官、ダルクだ」
元。その一言が全てを物語っていた。
「使者として来た。交渉を望む」
「内容は?」
「敵か味方か、それを決めに来た」
……やはり同じか。
この世界の合言葉だな、とエドワルドは内心苦笑した。
建物内。
最低限の護衛だけを残し、簡易の卓を挟んで向かい合う。
レオンは壁際。いつでも斬れる位置。
ダルクは部下二人を背後に立たせたまま口を開いた。
「単刀直入に言う。ベルン領は、もう無い」
「……滅んだか」
「ああ」
淡々としている。だが拳は強く握られていた。
「王都の混乱が飛び火した。暴動、放火、略奪。兵は王都召集で減っていた」
「守り切れなかった、と三日で崩れた」
空気が重くなる。
「領主は殺された。館は焼けた。兵の半数は民を逃がす時間稼ぎで死んだ」
静かな声だった。怒りも嘆きも無い。
それが逆に、地獄の濃さを物語っていた。
「俺たちは生き残った民、百二十七名を連れて森を転々としている」
「……百二十七」
「食料は尽きかけ。怪我人多数。冬まで保たん」
だから来たのだ。三騎だけで。命を賭けて。
「頼みに来たわけではない」
ダルクは真っ直ぐ言った。
「確認だ」
「確認?」
「貴様らが略奪者なら、我々は今すぐ別方向へ逃げる」
レオンが鼻で笑う。
「随分信用が無いですな」
「当然だ」
ダルクは即答した。
「今の世で“武装集団”を信用する馬鹿はいない」
正論すぎる。エドワルドは小さく息を吐いた。
「……では逆に聞く」
「何だ」
「俺たちが民を保護していると分かったら?」
「その時は」
一拍。
「情報交換を望む」
「同盟ではなく?」
「まだそこまで信用できん」
正直で、嫌いじゃない。
「だが」
ダルクは続ける。
「民を守る者同士、背中は預けられる」
その言葉は、騎士としての誇りそのものだった。
沈黙。
レオンが小声で囁く。
「悪くない条件ですな」
「ああ」
エドワルドは頷いた。
今欲しいのは領土ではない。
情報と時間だ。
「条件は二つ」
「聞こう」
「そちらの民は全員保護する。食料も医療も出す」
ダルクの目が揺れる。
「その代わり」
「……代わり?」
「戦える者は、この町の防衛に協力してもらう」
即答だった。
「望むところだ」
迷いゼロ。
「あとは?」
「王都の情報を全て話してもらう」
ダルクの顔が、僅かに歪んだ。
「……聞かない方が良いぞ」
「それでもだ」
数秒。そして彼は、ぽつりと言った。
「王都は地獄だ」
・飢えた民が倉庫を襲撃
・兵が鎮圧で民を斬る
・その兵を今度は別の民が殺す
・火災が延焼
・水も食料も止まる
・死体が積み上がる
「王は城から逃げようとして——」
言葉が止まる。
「民衆に引きずり出された」
室内が凍った。
「その場で八つ裂きだ」
……確定か。王政は、完全に終わった。
もう“国”は存在しない。
あるのは。生き残った集団だけだ。
エドワルドは静かに立ち上がる。
「分かった」
手を差し出す。
「情報交換。そして共助」
ダルクも立つ。
「……ああ」
固く、握手。それは国家間の条約でも。
王の勅命でもない。
ただの、生き残り同士の約束。
だが。
今の世界で、最も価値のある契約だった。
外に出ると、白旗がまだ揺れていた。
レオンが笑う。
「また仲間が増えましたな」
「……ああ」
遠くを見る。王のいない時代。
代わりに。小さな“国”が、あちこちに生まれ始めている。
「戦国時代だな、これは」
白旗は、もう降伏の印ではない。
——生存の合図だ。そう理解した瞬間だった。