軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

4 どうしよう可愛い

「もう籍入れちまった方が早い気がしてきた」

「やめてください、泥沼不倫とかになったら笑えません」

「これであいつに惚れたら俺の頭は本当にどうかしている」

青い空白い雲、遮る物の無い美しい光景を、私の婚約者様は虚ろな目で見詰めている。

ここは大学の屋上。いつもの様に授業合間に研究室を訪ねると、苛立ちを隠しきれず険し顔をしたハヴェイナ……ヴェナがいた。最早聞かなくても分かる、シンシアが来たんだなぁと。

「まぁ、少し落ち着きましょう。はい、コーヒー」

「あぁ、ありがとう」

「折角ならおやつも持って来るべきでしたね。天気も良いし、絶好のピクニック日和」

「大学の屋上でか?」

「外に出られたらそれはもうピクニックですよー」

私達がいるのはベンチ一つ置かれていない屋上なので、他に誰も居ない。屋上テラスとして整った場所が他にあるので、わざわざこっちを選ぶ人は居ないと踏んだが、大正解だった。他より少し汚れているけれど、芝生に腰を掛けるのとそう変わらないだろう。ポット一つでは少々味気ないが、急の外出で飲み物があるだけマシか。

「私、空が好きなんです。広くて遠くて、美しい」

絶対に届かないけど、絶対になくならない物。ベッドの上でも唯一感じられる外の世界。息をするのも苦しくて起き上がれない時、私は窓の外に想いを零していた。空との会話は言葉がいらない、心に浮かんだ事をただ捧げるだけ。返って来ないけれど、嫌がられる事もない。どんな願望も、どんな苦痛も。そして時々、風が季節を教えてくれる。

「寄り添ってくれなくていいの、そこに居るって、分かるだけでいい」

いつか、風を切って走ってみたかった。素足に絡む砂の感触を知りたかったし、水溜りの上でジャンプしてみたかった。桜並木を歩いて、肌を焼く日差しを感じて、紅葉を眺め、雪に足跡を付ける。季節が巡る度に変わる願望を、変わらない空に投げる。

翡翠霞(わたし) の、十八年。

「どうせなら天文学科とかが良かったなぁ。占星術とか」

「……占いには生まれ持った才がいる」

「予知とか予見とかの才能でしたっけ。魔法って言っても万能ではないんですね」

「カスミの世界には一切無かったのか」

「魔法と見紛う科学ならありましたけど、魔力器官がそもそもありませんから。そこまでは共有されなかったみたいですね」

「カスミが本を開いている間の記憶だけだからな、小説の内容以外はほとんど知らない」

「それも途中までしか読んでませんしね」

そう思うと、彼が霞について知っている事はそう多くないのか。私はヴェナの生い立ちをそれなりに知っているのに、何だか申し訳ない気分になった。創作物として眺めていた頃なら兎も角、存在している一人の人間として相対すると、勝手に私生活を覗いたみたいな気持ちになる。

それに関して文句一つ言わないし、私へも情報開示を求めて来ない辺り、人との関わり方が上手い。女性たちはこういう所に惹かれて、玉砕していくんだろうな。

「私が居た世界には『魔法みたい』はあっても『魔法そのもの』は無かったです。それこそ、創作物の中の話で。その分科学が発達してましたから、遠い未来では魔法も科学で再現してたかも」

「俺からするとそっちの世界の方が興味を惹かれるけどな。この国は魔法に頼り切っているが、魔力が未来永劫尽きないとも限らない」

「ヴェナの研究対象は、魔力の製造と変換、でしたっけ」

「表向きは魔力消費の削減、魔力総量増幅の研究。製造と変換は俺が個人で進めてる物だから、表の方で成果がないと予算も時間も捻出出来なくなる」

「体内に魔力器官がある人にとっては、重要性を理解し難いんでしょう」

「だろうな。だから俺は……エスメラルダが嫌いだった」

はっきりと口にしたのは初めてだなぁ。嫌っている事は知っていたし、エスメラルダも嫌われている自覚はあったけれど、こうしてちゃんと言葉にするのは……多分、初めて。小言が多くて価値観が合わない、そういう表面は知っているけど、どうして彼が耳を傾けないのかは、気にした事が無かった。

「あいつの言葉は正しい。言われている時は腹が立って仕方がないだけだったが、冷静になって考えれば、奴の言い分は真っ当だ。貴族として、上に立つ者として、清く正しく生きるべきだ。国の益を考えるべきだ。その為には、より有用な研究を……一語一句、模範解答」

「…………」

「失った事のない、失う心配すらした事の無い人間の、傲慢な正論だと思った」

触れたらこちらの肌が裂けてしまいそうになる、硬い声だった。耳から髪が垂れて、ヴェナの顔が隠れる。そう言えば彼は長い前髪で左側が隠れているのに、私は表情が見えないなんて思った事が無かった。

「獣人や、魔力器官の欠損、枯渇。魔力を持たずに生きる者はいくらでもいる。獣人の様にそれでも生きられる場所があるなら兎も角、人間は魔力ありきの場所で生きるしかない。生まれついてだけでなく、怪我や病だって、いつ己の『当たり前』を失うか……誰も分からないのに」

ヴェナが失った当たり前……実母の存在が、頭を過る。それほど詳しい描写は無かったが、病により魔力が枯渇し、彼が四歳の時に亡くなった事は、読者として知っている。そしてそれを共有した彼も、私が読んだと知った上で話しているんだろう。

「俺の研究は、多くの人間には無駄だ。魔力を体内で作れる者にとって、外付けの魔力器官や貯蔵なんて無意味でしかない……実際、成功もしていないから、余計に」

ふー、と息を吐いて、空を見る。髪が覆っていた表情は、思うよりもずっと強く見えた。エスメラルダへの苛立ちとか、成果の出ない実験への不満とか、そういうのじゃなくて。自分に対する少しの失望と、激励。きっと今まで何度も一人で乗り越えて来ただろう挫折を、今また乗り越えようとしてる。

この国の誰も想像していない、遠い未来を見据えている様な気がした。

「成功していないだけです」

「……?」

「成功していないだけで、失敗じゃない」

怪訝そうに眉を顰めて、視線が交わる。切れ長の目と通った鼻筋、薄く整った唇も、性別さえも不明瞭にしてしまう、圧倒的美だと思った。小説に出て来る、麗しの王子様そのもの。出会った時から、エスメラルダとして見ていた時から変わらない相貌を、私も確かに綺麗だと思っていたはずなのに。

今目の前に居る彼の方が、ずっとずっと美しいと思う。

黒い髪も、金色の瞳も、何処か蠱惑的な雰囲気も、似ても似つかないはずなのに。空を綺麗だと、好きだと思った、あの時と同じ様に。

「成功するまでやれば、成功でしょ」

拗ねたみたいな口調になってしまったと、口にしてから気が付いて少し恥ずかしかった。でも、撤回する気は無かったし、実際にそう思ったから。彼は成功する。小説の中とか、関係なく、絶対に成功するまで諦めないだろうと。何度挫けようと、結果が出なかろうと、最後に成功したなら粘った者の勝ちだ。

だから、少しだけムカついた。他の誰でもない、彼の成功を無駄だと言った、エスメラルダに。

「……ふはっ」

きょとんと眼を丸くしていたと思ったら、吹き出す様に笑い出した。私の口調が可笑しかったのか、それとも内容の方かは分からないが、肩を揺らしてケタケタと笑っている姿は私の羞恥心を煽るのに充分過ぎる。

頬に熱が集中するのが分かって、彼の顔を見られなくなってしまった。視線をうろうろと背景にさ迷わせている間に、ゆっくりとヴェナの肩の震えが治まっていく。漸く笑いの波を越えたらしい。

「確かに、良いな」

「え?」

青い空白い雲、遮る物の無い美しい光景を背に、綺麗な唇が弧を描く。ほんのり染まった頬は、笑い過ぎて体温が上がったせいだろう。艶と色気のある美貌が、笑うと少年みたいに幼くて。

「居るって、分かるだけで良い」

昔ベッドの上で読んだ、本の一節を思い出した。

――可愛いは、愛の始まりである。