軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

プレゼント

深界で行われた卒業試験を無事に終えて、王都に戻って仲間達と盛り上がった夕食会の次の日の朝。

大急ぎで家へ戻ったアイセを待っていたのは、いつもの何倍も不機嫌そうな顔で出迎えた父だった。

客の前で失礼な態度を取ったこと、勝手な外出、朝まで戻らなかったことなど、たっぷりと小言をもらったが、試験を終えたばかりで疲れていることを盾にして、どうにかやりすごした。

安心できる家の中で人心地がつき、高揚した気持ちでどうにか塞き止められていた疲れがどっと押し寄せてきたので、それから丸一日を睡眠で潰した。

翌日、早朝に目を覚ましたアイセは、いつも通りの宝玉院の制服を着て、ゴソゴソと屋敷の中を家捜ししていた。

――会いたい。

起きてからこんなことばかり考えている。

この気持ちが恋なのか、友情なのか、もしかしたらただの強い者への憧れの気持ちだけかもしれない。

だけど、今はただシュオウの顔を見て、あの落ち着いた、安心を与えてくれる声を聞きたかった。

もし、これが恋愛感情だとしたら。

同年代の女子達が、誰が好きだの、キスをしただのとヒソヒソ話す内容にはうんざりしていた。

自分達は国の未来を預かる軍人になるのだから、勉強すること、鍛えなければならないことがたくさんある。

だから、自分にそうした機会が訪れるのは、もっと先のことだと思っていた。

「あった……」

倉庫部屋の中にうずたかく積まれた木箱の一つを手に取る。

これで、シュオウに会いに行く口実ができた。

昼過ぎになり、アイセは徒歩でのんびりとシュオウが滞在している宿を訪れていた。

誰に会うこともなく、二階に昇って、あらかじめ聞いていたシュオウが泊まっている部屋のドアをノックする。

「私だ」

「…………」

しかし、ドアの向こうは無反応。

「おーい、シュオウ。いないのか」

さらに強くドアを叩くが、やはり反応はない。

あきらめきれず、最後だと決めて声を張り上げて、さらに強くドアを叩いた。

「おーい! いたら開けてくれ!」

扉の向こうから人が動く気配がする。

少しして、ガチャリ、とドアが少しだけ開いた。

隙間から顔を出したシュオウは、目を細めて不機嫌そうな顔をこちらへ向けている。

どう見ても起きたばかりといった様子だった。かろうじて目を薄く開いていて、灰色の髪は寝癖であちこち飛び跳ねていた。

「…………なんだ」

「もしかしてまだ寝てたのか? もう昼過ぎだぞ」

困った弟を注意するような口調でアイセが言うと、シュオウはますます不機嫌そうに眉をひそめた。

「……用件はそれだけか」

「いや、じつは試験中に色々世話になったお礼にと思って、贈り物を持ってきたんだ」

抱えてきた木箱の上蓋をはずしてシュオウに見せる。

アイセは中に入っている物を、自信満々に胸を張って披露した。

「父の領地で作っている土産物で、金箔を貼った木彫りの熊だッ――」

バタン! と、ドアは勢いよく閉じられた。

扉に押し出されて舞い上がった風に、アイセの金色の前髪がふわりと浮いた。

「…………え?」

――あ、あれ。

何度もドアを叩いてシュオウを呼んだ。が、返事はまったく返ってこない。ついさっきまで普通に応対していたのだから、これは意図的に無視されているのだろう。

なにか怒らせるようなことを言ったのだろうか。

持ってきた贈り物は、買えばかなり値の張るものだ。てっきり喜んでくれるものと思っていたのだが、期待ははずれてしまった。

アイセは木箱をかかえて、なにがいけなかったのか吟味しながらとぼとぼと帰宅した。

翌日、アイセはリベンジに燃えていた。

わざわざモートレッド伯爵家と縁の深い商人を呼び出して、オススメの最高の品を買い付けた。

昨日と同じくらいの時間に、必死の思いでそれをかついで持っていく。

部屋の前で何度か呼びかけてみて、ようやくシュオウは応じてくれたが、昨日と同じように寸前まで眠っていた様子で、強引に起こした形となってしまったせいか、機嫌はすこぶる悪そうだった。

また逃げられてしまう前に、今度こそと意気込んで持ってきた物を見せたのだが、シュオウは昨日と同じように無言でドアの向こうへ消えてしまった。

「そんな……」

持ってきた物がだめなのだろうか。

今回用意したのは、高価な赤い宝玉を目に埋め込んだ、酒樽をかついだ大きなタヌキの置物だった。

自分としては、かなりセンスの良い物を選んだと自信があったのだが、受け取ってはもらえなかった。

二度目の敗戦に、ふと嫌な考えが頭をよぎる。

――もしかして、嫌われて……る?

いや、そんなことはないはずだ、と自分に言い聞かせて首を振る。

結局、それ以降まったくシュオウから反応が返ってこなかったので、あきらめてタヌキの置物を担いで一階へ下りた。

すると、偶然紙袋を抱えて宿に入ってきたシトリとバッタリ出くわした。

「シトリ、どうしたんだ。誰かに会いに来たのか?」

「べつに」

シトリは、なんとなくはぐらかした態度でそっぽを向いた。

アイセはシトリが抱えた紙袋が気になってしかたがない。

「それ、贈り物……か?」

シトリはかすかに頷いた。

「ひょっとして、シュオウに……か」

そうでなければいい。そんな甘いことを一瞬考えた自分が情けなかった。

「だとしたら、なに」

やっぱりそうなのか。この瞬間、アイセは明確に理解した。

いままでの態度を見ていて、なんとなく感じていたことだが、どうやらシトリもシュオウに対してなにかしらの好意を抱いているらしい。

ならば、目の前にいる無愛想な同級生は、同じ得物を狙うライバルとなるのだろう。

彩石を持つ貴族社会では一夫多妻の重婚は当たり前の文化だ。

輝士や晶士の数と質は、そのまま国の軍事力として大きく影響するので、貴族は多く子供を作ることを推奨されている。

とくに優秀な能力を持つ輝士や晶士ともなれば、結婚相手を探すのにあまり困ることはない。

アイセの父にも、五人の妻がいる。

ただ、複数人と結婚をしたからといって、正妻や側室といった考え方はない。爵位を持つ貴族家などでは、生まれた子の中で最も優れた者を後継者に選ぶのが一般的だからだ。

優秀な血を多く、そしてより確実に残すために必要な手段でもあるのだが、基本的に一夫一婦の結婚しかしない平民からは、奇妙な目で見られているらしい。

シュオウは平民だ。

異性との付き合いに関する考え方なども知らず、どのような結婚観を持っているかもわからない。

下手をすれば、一つだけの椅子をシトリと争わなければならない事態も予想できるのだ。

もともと負けず嫌いのアイセは、僅かな時間の間に、シトリを敵として改めて認識した。

今の段階ではシュオウへの思いをたしかなものとして自覚しているわけではないが、春の訪れを予感させる新たな感情の芽生えの気配くらいは感じている。

ひょっとすると、一生に一度の何かに巡り会ったかもしれないのに、それを易々と他人に渡してやるほどお人好しでもない。

目の前にぶらさがっているチャンスは、かならず掴むのがアイセという人間なのだ。

「無駄なことだぞ。シュオウはあまり贈り物が好きじゃないらしい」

アイセが高みから見下ろすように言うと、シトリはムッとした表情を作った。

「ほっといて」

だが、シトリの視線がアイセの横に置かれたタヌキの置物に移ったとき、嘲笑をこめた表情へと変化する。

「もしかして、それ、プレゼント?」

「む……そうだが」

「プッ」

「なぁッ!?」

あの感情をほとんど表に出さないシトリが笑った。しかも、自分を小馬鹿にしたように。

「そんなモノで彼の気を惹こうなんてバカすぎ。どうせ受け取ってもらえずに帰るとこだったんでしょ」

カーッと頭に血が上っていく。

「う、うるさいッ! そういうお前は受け取ってもらえたのか」

「ムッ」

シトリは再び不機嫌そうに顔の色を消した。

――なんだ、シトリも同じなんじゃないか。

だからといって安心もしていられない。

今回は何を持ってきたのか知らないが、自分より先にシュオウがシトリの贈り物を受け取ってしまえば、それは後れを取った自分の負けを意味し、我慢ならないほどの屈辱である。

それから両者は、互いに火花が飛び散らんばかりに睨み合って、それぞれの行く道へ別れた。

もっとなにか、シュオウが喜んでくれるようなものを探さなければ。

さらに翌日。

残り少ない小遣いをはたいてまで購入した高価な置物を持ってシュオウの部屋を訪問したアイセは、再びものの見事に玉砕していた。

今度は持ってきた物の説明すらさせてもらえず、シュオウは一瞥しただけでドアを閉めてしまったのだ。

さすがのアイセも、これには気落ちした。

いくら持ってきたものが気に入らないからといって、あの態度は酷いのではないだろうか。

帰る気力すら湧かず、宿の二階から一階へ続く階段の途中で座りこみ、一人溜息を落とした。

「あら、こんなとこでなにしてるの?」

声をかけてきたのは、外から戻ってきたクモカリだった。

「いや、ちょっとシュオウに会いに来たんだが…………」

続く言葉が出てこなかった。

シュオウのあまりに冷たい態度に、厳しい訓練にも耐えてきた鋼の心ですら、濡れた紙のようにしんなりと萎えてしまっている。

「もしかして、プレゼントを持ってきて受け取ってもらえなかったとか?」

「……なんで、わかる」

「そりゃ、荷物を脇に置いて落ち込んでるのを見たらなんとなくね。シトリも似たような感じで贈り物をつっぱねられたみたいだし」

「そうか」

シトリもまた失敗したらしい。少しだけ安心してしまったが、どうしようもなくむなしいだけだった。

クモカリはアイセの隣に座った。体が大きいので、一枚壁が出来たみたいに存在感がある。

「気を惹きたくてプレゼント攻撃ってところは、いかにも貴族様の発想よねえ」

「わるいか? 好きな相手へ高価な贈り物をするのは、どれだけ本気なのかを相手に知らせるのにてっとりばやいじゃないか」

アイセが口を尖らせながら言うと、クモカリはワガママを言う子供を諭すような口調で言った。

「あのねえ、異性から物を貰うのってけっこう重いのよ。そりゃ貰える物ならなんでも、なんて人もいるけど、シュオウって結構真面目そうじゃない? なんでもかんでもホイホイ受け取ったりなんてしないわよ。それに王都に家があるわけじゃなし、そんなかさばる物を渡そうってのは論外ね」

「……そうか」

言って聞かせるようなクモカリの言葉を受けても、怒りは湧いてこなかった。

最初に見たときは、その独特な容姿から特に考える事もなく気持ち悪い人間だと決めつけていたのだが、共に旅をして苦難を乗り越えた今となっては、クモカリのまわりを気遣う細やかな優しさをきちんと見て理解することができていた。

まるで面倒見の良い姉に見守られているかのように、心が安らぐ。

「にしても、これ何? ずいぶんと重そうだけど」

クモカリは布でくるんだ置物を手に取った。

「ベリキン様という南方の神様の置物らしい。これを売ってくれた商人が、あっちでは土産物として人気があると言っていた。表面に金箔が貼ってあって綺麗だろ」

クモカリは布をはがして中身を確認した。そして顔を盛大に引きつらせた。

「なによこれ……顔はぶっさいくだし、腹は出てるし、角みたいなのも生えてるし、神様ってよりお伽噺にでてくる鬼かなんかじゃないの」

「失礼な事を言うな。向こうでは民草の間で崇められていると聞いたぞ」

「ねえ、聞くのが怖いけど、これいくらで買ったの?」

アイセは買った金額の数字を、指を立てて見せた。

「それって銀貨、よね?」

「……金貨」

「あんたって……結構バカ子だったのねえ」

「なぁッ!?」

クモカリがアイセに送る視線は同情一色だった。

「絶対騙されてるわよ。こんなもんがそんなに高いはずないじゃない」

「……そう、だろうか」

「そうよ。まったく、悪徳商人を儲けさせただけだったわね」

「はぁぁぁ――――」

情けなくて溜息がこぼれてしまう。

今までたいして使いもせずに溜め込んできた小遣いを、ほとんどつぎ込んでしまった。

これから正式に准輝士として働けばそれなりに給料を貰えるが、それもまだ少し先のこと。

未だにシュオウが喜んでくれるような贈り物を選ぶことができていないというのに、これは完全に失敗してしまった。

「そのブサイクな置物、銀貨一枚でよければ買い取るわよ」

「欲しいのか?」

「ぶっちゃけ欲しくはないけど、今度だそうと思ってるアタシの店の隅っこに置くのもいいかなってね。キンキラしてて魔除けになりそうだし」

「ならゆずる。私はもう見たくもない……」

クモカリから銀貨一枚を受け取り、ベリキン様の像を渡した。少しでも必要としてくれる人のもとへ渡るなら、異国の神様も本望だろう。

「お礼っていうのも変だけど、一つだけ助言してあげるわ」

「うん」

「シュオウの事。もし彼の態度が冷たいからって落ち込んでるなら的外れよ」

「どういうことだ?」

「知らないでしょうけど、彼、試験中ずっと寝ずに夜の番をしてくれてたのよ」

「えッ……?」

それは完全に初耳で、クモカリの言った事を理解するのに、僅かに時間を要した。

「三日目くらいの夜だったかしら……夜中に喉が渇いて起きたら、シュオウが一人で夜光石の即席ランプに少しずつ砕いた石を入れてたのよ」

「そんなことをする必要があるなんて、一言も言わなかったじゃないか……。知っていたら順番を決めて交代したのに」

「アタシも言ったわよ。だけど、一言で断られて、みんなには黙っておけって言われたわ。アタシも疲れてたから、ついつい甘えちゃったけど」

「どうして……」

シュオウが頼ってくれなかった事が悲しかった。信頼されていなかったのだろうか。

「みんな今みたいに打ち解けてなかったしね。それに、なにかあったときにすぐに動けないと困るからって言ってたわ。今ならわかるけど、狂鬼相手にあれだけの事ができるなら、自分一人でどうにかしたほうがいいって思うのも無理ないわよ」

「そうだとしても――」

シュオウを責める気持ちよりも、彼が一人で苦労を背負っていたことに気づけなかった事がくやしかった。

「だから、こっちに帰ってきてからはほとんど一日寝っぱなし。途中からは大人一人を背負ってずっと歩いてたわけだし、相当疲れ溜まってるみたいよ。だから、ちょっと彼の態度がそっけないからって変な誤解はしないであげて」

重たい荷物を持たせ、食べ物の管理をまかせて、怪我の面倒まで見てもらい、夜の見張りを一人でさせて、最後には命まで守ってくれた。

結局自分は、最初から最後まで彼に頼りっぱなしだったのではないか。戻ってからくたびれ果てた体を癒すため、誰に泣き言を言うでもなく一人で眠り続けているシュオウを思うと、心に穴が空いてしまったかのように悲しくなった。

「……うん。わかった」

「それじゃ、部屋に戻るわ。もしどうしてもシュオウに何かあげたいなら、小さくてかさばらないものにしたほうがいいわよ。それと、会いにくる時間は夕方くらいにしたほうがいいわね。彼、夕食を食べる時間だけは起きてくるから」

アイセは礼を言って、クモカリと別れた。

明日こそ、と気合いを入れて立ち上がる。

過ぎたことを引きずってもしかたがない。アイセは塞ぎかけていた気持ちを素早く切り替えた。

シュオウが黙って引き受けていた苦労を労う意味でも、やはり彼に喜んでもらえるような贈り物を用意するのは、意味のある行為だ。そう考えれば、いつまでも鬱々と悩んでもいられない。

アイセは顔をあげ、前を見ながら帰路についた。

次の日は朝から王都の市場へと足を運んでいた。

そこそこの商人が経営しているような大きな店はだめだ。商売っ気が強すぎて、こちらが伯爵家の人間だからと高くて、無駄に大きな物ばかりすすめてくる。

アイセはこれまであまり来たことがなかった、普通の人々で賑わう普通の市場で、シュオウへの贈り物探しをすることに決めた。

市場には肉や野菜、果物などがカゴに山盛りで置かれ、あちこちに隙間なく並べられている。工芸品や日用品、アクセサリーを売る店もあり、品質にこだわらなければ、ここだけで生活に必要な物はほとんど揃ってしまいそうだ。

各店の主達は大声で客寄せをしていて、どこもとても活気に溢れていた。

お金を入れた袋を逆さまにして中身を手の平に落とす。

いまある手持ちは銅貨が十二枚と銀貨が二枚だけ。軍資金としてはどうにも心許ない。

だがとにかく、シュオウに受け取ってもらえそうな物を探さなくてはならない、のだが、意気込んで市場をぐるりと一周してみたものの、結局これといった物は見つけることができなかった。

アイセはがっくりと肩を落として市場を出た。

街中をふらふらと歩きつつ、手ぶらで会いに行ってもいいのだろうか、と自分に問いかける。最初はただ会いたかっただけなのに、今ではすっかり目的がすり替わってしまっている気がする。

アイセをこれだけ焦らせている一因はシトリだ。もし、自分よりなにか良い贈り物を用意して、シュオウがそれを受け取ったら。彼はきっと、喜ぶに違いない。そして礼をしたいといってシトリを部屋に招き入れ、良い雰囲気になった二人はそっと抱き合い――

「ああッ、もうッ」

アイセは綺麗に整えた金色の髪を、ガシガシとかき乱した。

――イライラしている。落ち着かないと。

心を鎮めるために深呼吸をする。

何度か深く息を吸って吐いてを繰り返していると、鼻の奥をくすぐるような甘い匂いが漂ってきていることに気がついた。

しかし、周辺を見渡してみても、匂いの元となるようなモノはなにもない。

アイセは匂いが濃くなっているほうを探して少しずつ裏路地のほうへ進み、丸い菓子を焼いている小さな屋台を発見した。

半球形にいくつもくぼんだ鉄板に、黄色い生地の元となる液体を流し込んで、そこそこに焼き上がったところで針のような道具を使ってひっくり返している。そうすることで、まだ生の状態で中心に残っていた生地の元が、もう半分にも丸い形で広がって焼き固められていく。

完成したまん丸い黄色の玉をしばらく冷まして、中心に穴の空いた先の尖った器具を玉に差し込み、餡を少しと生クリームを注入して完成する。

王都では平民達の間で昔からよく知られている、シュータマという甘いお菓子だ。

嫌な想像を巡らせて頭が疲れていたアイセは、屋台から泳いでくる甘い香りに誘われるように前まで進んだ。

「いらっしゃいませー!」

屋台の中から元気の良い女の子が出迎える。

「こんにちは」

アイセが顔を見せて言うと、女の子は目を見開いてとても驚いた表情をした。

「お、おかあさんッ」

「はいはい」

屋台の奥で材料の用意をしていた、女の子の母親らしき女性が腰をあげた。

「あら、まあ……こんなところに輝士様が、いったいなんのご用でしょうか……」

女の子の母親は怯えた様子でアイセに聞いた。その足下では、不安な様子で母親の服を掴んでいる女の子がいる。

「あ、いや」

「もし商売の許可証のことでしたら、私たちのような者にはとても……どうか、これで見逃してはもらえませんか」

母親はそう言って、店の儲けであろう何枚かの銅貨を差し出した。

「ちがう! 私はただ、売り物を見に来ただけだ。変な勘違いはしないでくれ」

「はぁ……」

母親はきょとんとしていた。

見ると、目の前にいる二人の親子はみすぼらしい格好をしている。

ムラクモは豊かな国で、男手であればたいした技術がなくても、夜光石を掘る鉱山や石切などの高賃金の仕事がたくさんある。

平民とはいえ、この親子の着ている服はボロすぎる。もしかすると、父親のいない家庭なのかもしれない、とアイセは想像した。

それにしても、あまりにも自然に賄賂を渡そうとした事が気にかかった。

市場や路上での商いは、国から許可を取る必要がある。その辺りを現場で監督しているのは第一軍所属の警備隊だろう。

ひょっとすると、彼らの中に許可申請を取る事が出来ず、こっそりと商売をしているような弱者から金をせびっている者がいるのかもしれない。だとしたら、それは非常に残念なことだ。

「よければ、作っていることろを見せてもらいたいのだが」

「は、はい。それはもちろんでございます」

シュータマが目の前で一から作られていく。

ただのトロトロとした液体が、少し手を加えただけでコロコロと丸い形になるのが面白かった。

「あの……よかったらどうぞ」

女の子が、出来たてのシュータマを一つ差し出す。

「いいのだろうか」

受け取ったアイセは、念のため母親にも確認した。

「どうぞ、貴族の方のお口に合うかはわかりませんが」

「なら、一ついただく」

シュータマ一つはそれほど大きくない。アイセは一口でまるごと放り込んだ。

「美味しい……」

口の中で薄皮がはじけて、中からドッシリとした甘さの餡と、濃厚かつ爽やかな生クリームの食感が混ざり合い、絶妙な甘さと歯触りを醸し出している。

家や宝玉院の寮で出てくる洗練された菓子と比べると、たしかに少しチープではあるが、一口で食べられる気安さと一粒で二度美味しい食感はやみつきになりそうだった。

――シュオウは、甘い物は好きだろうか。

シュータマを食べて美味しいと思った気持ちを彼と共有できたなら、きっと楽しいはずだ。

どうせ手ぶらなのだし、食べ物でもなにもないよりいいかもしれない。

アイセは袋から銀貨を一枚取り出して、屋台の主に手渡した。

「これで――」

買えるだけすべて欲しい、と言いかけてやめた。

どっさりと買い込んでいって、またシュオウに拒絶されれば無駄になるだけだし、クモカリに言われたように、無闇にかさばる贈り物を持参するのは、考え直したほうがいい。

「一つだけ欲しい」

シュータマは十個を一セットとして販売している。

欲張らずに、それだけを貰うことにした。

「あ、ありがとうございます。あの、ですけど、銀貨一枚に用意できるお釣りがなくて……」

「……いいんだ、釣りはいらない。驚かせてしまった詫び代とでも思っておいてくれ」

何度も頭を下げる親子に別れを告げて、アイセはシュオウのいる宿までの道を一人で歩いた。

お釣りをもらわなかったことは、傲慢だったかもしれない。手持ちには細かい銅貨もあった。シュータマの代金をぴったり払うこともできたのに、銀貨を渡してしまった。子供を抱えて裏路地でこっそりと商売をして生きている、あの女性に同情してしまったのだ。

あの親子にとって、アイセの渡した銀貨は相当な儲けとなったはずだ。

きっと喜んでいるだろうが、少しも良い事をしたという気にはならなかった。

自分で稼いだわけでもない金を寄付したところで、それを誇ることなどできそうもない。

以前なら見えなかった事や、考えもしなかった事が心にある。

これもやはり、シュオウ達とすごした深界での様々な経験による変化なのかもしれない、とアイセはしみじみ思った。

考え事をしている間に、あっという間に目的地まで到着していた。

時間も、ちょうど夕暮れ時。暗くなりかけていた気持ちを切り替えて、再びシュオウのいる部屋まで行き、ドアを叩いた。

「シュオウ、起きてるか?」

今日はすぐに反応があった。

ドアが開いて、シュオウが目を擦りながら顔を出す。

まだ起きて間もないといった雰囲気だが、これまでのようにおもいきり不機嫌な様子はない。

「どうした。もし、またクマやらタヌキの置物だったら――」

「ちがうちがう! ちょっと、な。近くに用事があったから寄ってみたんだ」

会いたかった。話がしたかった。顔を見たかった。

言えたらどんなにすっきりするだろうと思っていても、恥ずかしくて言葉が出てこない。

「なら、もうすぐ夕食だから一緒に食べていったらどうだ」

「あ、ああ。そうしよう、かな……。ところで、これ、来る途中で買ったんだが、よかったらどうだ」

アイセはシュータマをシュオウに差し出した。

断られてもダメもとだ。

いらん、とつっぱねられるのを覚悟していたのだが、意外にもシュオウはシュータマをじっと見つめて興味をしめした。

「これ……」

「シュータマ、というんだ」

「一つもらってもいいか?」

「もちろんだッ」

シュオウはシュータマを一つ摘んで、恐る恐る口に運ぶ。

そして、一噛みした途端、その表情が一瞬にして子供のように頬を柔らかくして微笑んでいた。

初めて見る、完全に油断したシュオウの顔がそこにある。

「……美味い。とくに、この中身のクリームみたいなのが」

「もしかして、生クリームが好きなのか?」

「わからない。今初めて食べたから。だけど……本当に美味しいな」

シュオウは念入りに舌を動かして、口のまわりについたクリームを舐めとった。

「これ! よかったら貰ってくれ」

シュオウはアイセが差し出したシュータマを見つめて、少し悩んだ様子を見せながらも結局は受け取った。

「……ありがとう」

――やった!

ついに、贈り物をシュオウに受け取ってもらえた。

手を小さく握り、笑みがこぼれないように顔を無理矢理引き締める。

しかし、誰からも見えない想像の中の自分は盛大にガッツポーズを作り、満面の笑みで飛び跳ねていた。

「えっと……一つ、頼みがある」

心の中で小躍りしていたアイセに、シュオウが神妙な面持ちで言葉をかけた。

「なんだ、なんでも言ってくれ」

「俺が、その……こういうのが好きだって事、内緒にしてほしい。なんとなく恥ずかしいから」

なにが恥ずかしいのかはわからないが、アイセにそれを断る理由はない。むしろ誰にも教えたくなんてなかった。

シュオウの好物を、ライバルに先んじて知ることができたのだから。これはかなり優勢なのではないだろうか。

そんなことを考えていただけで、自然と顔が綻んでしまう。

「わかった、誰にも言わない! じゃ、今日はこれで帰る。また近いうちに寄らせてもらうから」

「夕食は食べていかないのか?」

「うん、いいんだ。今日のところは、目的は果たしたから」

別れの挨拶もそこそこに、アイセはシュオウの下を後にした。

軽やかにスキップしながら宿を出ると、またシトリと正面から出くわした。なにやら大きな荷物を両手で抱えている。

「シトリ、良い夜だな」

「……まだ日、おちてない」

「そうか、あっはっは、まあいいか」

アイセはかつてないくらい朗らかに笑った。

「なにか変な物でも食べたんじゃないの」

「ヌフ」

シトリの一歩先を行っている優越感から、にやけ顔を抑えられない。

「キモ……ねえ、なにがあったの?」

「内緒だ。シュオウと約束したからな」

「……それってどういうこと」

「悪いけど、言えないんだ」

追及されても困るので、アイセはさっさとその場から離れた。

勝利の美酒に酔うアイセは、後ろから苛ついた様子で自分を呼び止めるシトリの声をさらりと聞き流し、歩幅を大きくしていく。

鼻歌を歌い、勝者としての貫禄をふりまきながら家路についたのだった。

おかしい、あの態度はなんだ。

にやけたマヌケ面で立ち去って行ったアイセが気になる。

前に見た時はどこか自信なさげで、おどおどとしていたのに、次に会ったら見たこともないくらい幸せそうな馬鹿面でスキップまでしていた。

シトリはその理由を瞬時に推理する。そして、稲妻のような直感が頭を打った。

――負けた、の……。

「ありえない……」

これまではアイセに対して、剣で劣っても、馬術で負けても、なんら腹は立たなかった。

しかし、やっと出会えた思い人にちょっかいをだされるのだけは許せない。

シトリのなんとなくの予想では、アイセはこの手の恋愛沙汰には疎いのでは、という油断もあったので、今まではある程度安心できていたのだが、もし仮に、あの上機嫌の原因が、自分よりも先に彼への贈り物を渡す事に成功した事からきているのだとすれば、これは由々しき事態だ。

不安な気持ちに背中を押されるように、シトリはシュオウのいる宿の二階まで急ぎ足で向かった。

息を切らせながらドアを叩くと、中からここ数日で一番すっきりと目覚めているシュオウが出てきた。

「どうした、慌てて」

「アイセ! もらった!」

「え?」

気持ちが焦って、訳のわからないことを言ってしまった。

「――じゃなくて、アイセから何かもらったの?」

「あー……」

シュオウの返事は煮え切らない。

「ねえ、どうなの」

「もらった、けど」

「……やっぱり」

あのアイセの態度は、勝ち組としての余裕からきているものだったのだ。

「ねえ、何をもらったの?」

シトリがこれまで持ってきた物は、最高級品質の剣、立派な馬が買えそうなほど高い毛皮のフード付きコートや、葉巻などなど。自分なりに男の好みそうな物を考えて選んだつもりだったが、無理矢理起こされて機嫌の悪そうだったシュオウは、無言でドアを閉めてなにも受け取ってはくれなかった。

「……言いたくない」

シュオウの答えは素っ気ない。この様子では、アイセに口止めされているかもしれない。シトリは素早く思考を切り替えた。

「じゃあ、これ受け取って」

アイセは綺麗な青い鳥籠を差し出した。

中には青銅で作られた小鳥の置物が入っている。

王都の大きな輸入品店で見つけて買ったもので、かなり高かった。

「気持ちは嬉しい。けど、こんなに高そうな物は受け取れない。それに、もらっても持って歩けないだろ」

「う……」

どうも、シュオウは気軽に物を受け取ってくれるような性格ではないらしい。

そんなところも好意的に思えるが、アイセが贈り物の受け渡しに成功していることを考えると、このままでは平常心を保っていられる自信がない。

――こうなったら、奥の手。

「うッ、うう…………ひどいよ、君の事を想ってがんばって選んだんだよ……それなのに……」

鳥籠を大袈裟に床に落として、顔を下に向けて泣いてみせる。

もちろん、嘘なのだが。

えーんえーん、と子供の頃でもこんな泣き方はしなかったが、ここは勝負所だと決めて必死に泣くふりをした。

「あ、いや……泣かせるつもりは……」

顔を落としているから正確なところはわからないが、シュオウからは明らかに狼狽した気配が伝わってくる。

母から聞かされていた通り、男は女の涙には弱いらしい。

こうなればしめたもの。

主導権を握ったシトリは、シュオウには見えないように小さく舌を出して仕上げにかかる。

「……う、うッ……デート」

「え?」

「デート、してくれたら、許してあげる……じゃないと――」

さらに大きな声で泣くぞ、と脅してみせる。

「わ、わかったッ。わかったから泣くのはやめてくれ」

こっそり顔をあげてみると、心底まいったように視線を上げて、後ろ頭をボリボリと掻いているシュオウが見えた。

少しやりすぎてしまっただろうか。なにぶん、こうした事にまるで経験がないので、さじ加減が難しい。

「ほんと?」

「約束する。だけど、金もまだ入ってないし、そういうことには経験がないからよくわからないけど、いいのか」

「いい」

シトリは即答した。

奢ってもらったり、金のかかる遊びを一緒にしたいわけじゃない。ただ、誰にも邪魔されずに一緒に居られる時間が欲しいだけだ。

シュオウから数日後の昼頃から一緒に出かける約束を取り付けて、シトリは宿を後にした。

帰り道、暗くなった街中を歩いている途中で、シトリは小さくガッツポーズした。

――作戦、成功。

待ち遠しかった初デート当日は、念入りに支度を調えている間にすぐにやってきた。

シュオウが気疲れしない程度にカジュアルな服が見あたらなかったので、けっきょく着慣れた水色の制服を選んで、迎えにいく。

気持ちが焦って約束より少し早い時間に行ってしまったが、シュオウはきちんと準備して待っていてくれた。

さっそく二人連れだって外に出た。

シトリはこの日のために、事前に独自の調査をして、王都の恋仲の男女が共にでかける人気の場所を把握していた。

なかでも、溜息橋と呼ばれている、王宮へ続く大きな石橋が人気があるらしい。

シュオウの手を引いて、さっそくそこへ案内した。

見渡すかぎりの青い湖。

湖面は静かだが、溜息橋はたくさんの人で溢れていた。

橋は途中まで自由に行き来ができるようになっていて、遠目ではあるがここから王宮も見る事ができる。

他国や地方から、商売などのついでに観光に来た人々でそこそこ賑わっていて、道の両側には、許可をとって商いをしている露店や屋台が並んでいた。

「すごいな」

「うん。人がいっぱい」

溜息橋は、途中いくつかの支柱で支えられていて、そこだけ道が広くて丸い作りになっている。

二人は王宮に近い橋の真ん中あたりまで進んで、木製のベンチに腰掛けた。

「それにしても、王宮がこんなに近いのに随分と開放的なんだな。もっと緊張した雰囲気だと思っていた」

「何代か前の女王の時に、吸血公が橋の半分近くまで自由に出入りできるように開放させたみたい」

「なるほど」

一陣の冷えた風が、二人の間をすり抜けていく。

「さむい……」

シトリは体をかかえて、縮こまった。

「これ、よければ使うか」

シュオウは、自前の黒くて立派な外套を摘んで見せた。

「ううん。それじゃ君が風邪ひいちゃう…………一緒に入れて」

シトリは隙をみて、一瞬の早業でシュオウが着ている外套の中に潜り込んだ。

すべては作戦通り。わざわざ出かける際に薄着で来たのはこのためだ。

外套の中はシュオウの熱がこもっていて、ぽかぽかと温かかった。

べったりとシュオウにくっついて、わざと自分の胸が当たるように体を押しつける。

シュオウは咳払いをして、緊張した面持ちで照れ隠しをしているように見えた。

「ねえ」

「うん」

「こんな事、初めてするんだからね」

シトリは囁くように、シュオウの耳元でそう言った。

「俺だって初めてされた」

「わたしの気持ち、気づいてるよね」

「……ああ」

「どう思ってるのか聞いてもいい?」

時折、体を近づけてみたりすると望んだとおりの反応が返ってくることがあるが、それはおそらく男としてはあたりまえの反応で、相手が自分だから特別そうなのだ、などという甘い事は考えていない。

深界での濃密な時間をすごしたせいか、出会ってから随分と長い時間が経過しているように感じられるが、実際はまだお互いの事をほとんど知ることもできていないほど、この関係は極浅いものなのだ。

彼の気持ちが、真っ直ぐこちらを向いていない事もわかっている。だけど、それでも聞きたかった。

「……正直、嬉しい、と思ってる。だけどすぐにどうにかするのは難しいだろうな」

「どうして?」

「どうしてって、俺には家もないし職もない。家庭を持つには準備が足りなさすぎるだろ」

シュオウは少し呆れた声音でそう答えた。

「真面目なんだね。女としては嬉しい気持ちもあるけど、ちょっとだけ手を出して遊んでみたい、とか思わないの?」

「後が怖くて、その覚悟がまだ持てない」

「いくじなし、って言いたいかも」

「言われてもしかたないな」

抱き合った形のまま、二人の間に明るい笑い声がこぼれた。

思い出したようにたまに吹く強い風に髪を撫でられながら、目を閉じる。

少し離れたところから聞こえる人々の喧噪。

空を泳ぐ鳥たちの鳴き声。

のんびりとたゆたう水の香り。

隣にいるシュオウに寄りかかり、温かくて少しガッシリとした体に頭を預ける。

――しあわせ。

少し前までの深界での辛い試験が、まるで夢の中の一時だったかのように、今は身も心も蕩けてしまいそうなほどの平和な空気を満喫している。

微睡みに手招きされるように、シトリは意識が軽くなっていくのを感じていた。

「だけど――」

シュオウの硬い声が、うとうとしかけていたシトリを呼び覚ました。

「――現実の話として、ちょっと難しいんだろうな」

「なんのこと?」

「身分、っていうのか。その……」

シトリは貴族、シュオウは平民。つまりは、そのことを言いたいのだろう。

「さあ。でも、ママは全部知ってるよ」

そう言うと、シュオウは驚いた様子で聞いた。

「知ってるって……今日、俺と会う事を、か」

「うん」

「それでよくここまで来られたな。よく知らないけど、貴族っていうのはその手のことにはうるさいんじゃないのか」

「それは家による。私の家はパパもママもあまりうるさくないから。でも、さすがにパパは相手が貴族じゃないって知ったら腰をぬかしちゃうかもね」

子爵である父が自分に望んでいる事といえば、無難な相手を見つけて結婚し、子供を産むことくらいだろう。

自分は晶士という、軍ではどこの国でも貴重でありがたがられるような才能を持って生まれたが、軍人としての資質がまるでないことを両親はよく知っている。

今回の試験で合格したことも、喜んだというより、エリートとしての道に乗せられてやっていけるのだろうか、と心配されてしまったくらいだ。

優秀な彩石を受け継いでいくことを重視する貴族家では、女であろうと才に優れる者が当主として選ばれることはある。だが、それもシトリの性格やこれまでの怠惰な様子から、ほとんど期待はされていない。

「お母さんは、なにも言わないのか?」

「…………わたしのね、ずうううっと前のご先祖様は踊り子だったんだって」

シトリは唐突に言った。

シュオウはきょとんとして聞き返す。

「でも、たしか子爵家だとか」

「それはパパのほう。今の話はママのほう」

「へえ」

シュオウの受け答えは軽かったが、興味がないといった感じではなく、あまりに突然の話に戸惑っているようだった。

「それでね、そのご先祖様は、生まれも育ちも苦労ばっかりで、それでもとびっきり見た目がよかったから、運命的な出会いを経て、真面目で良い旦那様を見つけて幸せになったんだって」

シトリの話に、シュオウは真剣に頷いて耳を傾けていた。

「すこしして、その二人の間にも女の子が生まれて、ご先祖様はその子に強く言い聞かせて育てたの。女の幸せは男で変わる。だから、お前はお父さんより良い男を捕まえなさい、って。そんなことを言い聞かされて育てられた女の子は、大人になってお父さんよりもちょっと稼ぎの良い優しい夫と結婚したの。それで、また女の子が生まれて、自分が言われて育った事を、またその子にも言って育てた」

「ちょっと、お伽噺みたいだな」

「うん。わたしが子供の頃から、寝かしつけるときに毎晩聞かされたんだから――――それで、そんなことが何代か繰り返されていくうちに、ご先祖様の血を受け継いだ女達は、しだいにたくさんお金を稼ぐ商人や、彩石を持っている輝士と結ばれて、ついにわたしのママの代になって爵位持ちの妻になった。わたしの中には、男を見る目で成り上がってきた女達の血が流れてるんだって」

「面白い話だな。だけど、それって――」

「そう。わたしのママが言うには、あなたの見つけた男なら、きっと間違いないって。その男をものにするためなら、なんでもしなさいって背中まで押されたんだから」

「それは……随分と過大評価されてる気がするけど」

シュオウは苦笑して視線を流した。

「わたしにもよくわからないし、今まではどうでもいい話だと思ってたけど、そんなことで君との仲が公認になるなら、むしろ歓迎したいくらい。でも、だからって、君に期待を押しつける気なんて全然ない。ただ、側にいたいだけ。今話したのは、わたしを知ってほしいと思ったから。変な話だから、いままで誰にも言ったことないんだよ」

日々をただなんとなく生きてきたシトリには、強くアピールしたい自分というものや思い出が少ない。

なので、うんざりするほど母から聞かされた今の話くらいしか、自己主張できることがなかったのだ。

「……わかった。覚えておく」

「うん」

それから二人の間には、一時の静かな時間が流れた。

目をつむり、心地良い水の音を聞いて、相手の温もりを確かめ合う。

またこんな風にできたらいいな、などと考えていたとき、大事な事を聞き忘れていた事を思い出した。

「ねえッ、そういえば、君は試験が終わったらどうするか決めたの?」

「ああ、一応」

「それで?」

「軍に入ることになった。ずっとかどうかは、わからないけど」

シトリはほっと胸をなで下ろした。軍に入るということは、ムラクモに残るということだからだ。

「よかった。もし旅に出るなんて言ったら、急いで支度しないといけなかった」

「……ついてくる気だったのか」

シュオウの声は、呆れたような、退いたような、複雑な色が混ざっていた。

「あたりまえじゃんッ。でも、どうして軍に? あんまり興味なさそうだったけど」

「誘われたんだ。色々と、まあ説得されて、ちょっとだけ興味が湧いた」

「まさか、アイセに……?」

シトリは眉根を寄せた。

アイセの説得でムラクモに残る事を決めたのだとしたら、素直には喜べない。

「いや、違う人だ。誰かっていうのは、ちょっと言えないんだけど」

「ふうん」

軍の人間だろうか。

彼の試験中での活躍が耳に入ったのだとしたら、それも十分ありうる。

だがとりあえず、アイセでないのなら一安心だ。

「そろそろ帰ろう。今から歩いたらちょうど暗くなる頃だろ」

「うん。ねえ、今日は一緒に夕食を食べていってもいい?」

「問題ないだろ。むしろ、宿の女将さんが喜ぶ。儲けが増えるって」

寄り添ったまま、来た道を辿って橋を歩いた。

橋の入口近くに差し掛かった時、道の脇にある屋台のほうから漂ってくる良い匂いがシトリの食欲を刺激した。

ぐぅぅ、と腹の虫は状況を考えずに自分勝手に恥ずかしい音を鳴らす。

「腹が減ってるのか」

「べつに……」

本気で恥ずかしかったので、シトリは顔を見られないようにシュオウから視線をそらした。

「一つ食べていこう。帰っても夕食の時間まではまだ少しあるから」

シュオウの声はどこか気遣うようだった。

本人は無自覚かもしれないが、相手を思いやるときのシュオウは反則的なまでに声音が穏やかで優しくなる。普段は突き放したような、少し冷たい態度なので、その落差で余計に心に突き刺さるのだ。

まるで優しい兄に甘やかされる妹のような心地になり、シトリの羞恥心はさらに倍増した。

「いい……おなか、減ってないから」

「俺が食べたいんだ」

シュオウはシトリに外套を預けて、串刺しに焼いた鳥肉を売っている屋台に寄って、スパイシーに香るボリューム満点の串焼きを二本買って戻ってきた。

差し出された湯気のあがる串焼きを受け取って、感謝の気持ちを伝える。

「ありがと……お金、払う」

「いい。クモカリに少し借りてきたから余裕があるし、報酬が出たらすぐに返せる。それに、今日ここに来たおかげで気分転換ができたから、そのお礼だ」

「うん……ありがと」

シトリは、シュオウの気持ちのこもった串焼きを頬張り、幸せな気持ちも噛みしめた。

だが、シュオウは自分の串焼きになかなか手をつけようとはせず、視線を少し遠くへやっていた。

視線の先を見ると、さきほどの串焼きの屋台を、少し離れたところからじっと見つめる、孤児らしきみすぼらしい格好の痩せた男の子の姿があった。

ムラクモは比較的豊かな国ではあるが、なんらかの事情で親を失った子供をきちんと保護できるような施設や法に乏しく、街中を歩いていると、そうした子供達を希に見かけることがある。

「……ちょっと待っててくれ」

シュオウは孤児の男の子の下まで行き、まだ湯気が出ている串焼きを差し出した。

男の子はそれを恐る恐る受け取って、小さく頭を下げて走り去っていく。

シトリの下に戻ってきたシュオウは、悲しそうな声で、独り言のように言った。

「わずかな食べ物が、一瞬の餓えを満たすだけにすぎないって事はわかってるんだ。だけど、ほんの少しでも美味しい物が食べられたら、あと一日生きてみようって、小さな希望になるから」

シュオウは去っていく男の子の背中を、酷く辛そうな顔で見つめていた。

孤児だった彼の、実体験からくる憐憫の情なのだろうか。

なにに不自由することなく育てられたシトリには、その気持ちを共有するための手がかりすら見いだせず、ただ黙っていることしかできなかった。

預かっていた外套をシュオウの肩にかけて、また二人で寄り添うように歩き始めた。

隣に立ちたいと思っている人の、心の内をもっと知りたい。

シトリは強く決心をこめて、シュオウの手を力強く握りしめた。