作品タイトル不明
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「やあ、レカン。よく来てくれた」
「ああ」
驚いたことに、領主クリムス・ウルバンは、レカンに対する怒りやわだかまりをまったくみせなかった。
もともと厳しい顔つきをしていることを差し引けば、機嫌のよい顔といってもいい。もっとも、その機嫌のよさの奥に、隠しようもない疲労が表れていたが。
「この前に君から言われたことを、よく考えてみた。やはりシーラ様には、ワシが直接事情をお話しして、スカラベル導師のご滞在中、迎賓館にお越しいただくようお願いすべきだろう」
「ほう」
レカンは驚いていた。
この言い方だと、領主自身がシーラの家におもむいて頼み込むつもりなのだろう。ひどく忙しいだろうし、それにもまして、領主の体面からいって、下層地区の荒屋に住む庶民のもとに足を運ぶというのは、相当に勇気ある決断だと思われる。
「了承していただけるかどうか、今はまだわからんが、了承していただけるものとして準備は進めなくてはならん」
「そうだろうな」
「そこで君だ」
「オレがどうした」
「シーラ様が迎賓館におられるあいだ、君には、護衛兼付き人として、領主館に滞在してもらいたい」
「なに?」
「本来なら、君にも迎賓館に宿泊してもらいたいところだが、王都から来られるという一級神官様でさえ、迎賓館には泊まれないのだ」
急ごしらえの小さな迎賓館には、スカラベル導師とシーラの二人と側仕え以外の客は泊まれないのだ。安全確保のためでもある。
「オレが、泊まる必要があるか?」
「夜間や早朝に、シーラ様が何か用事があるかもしれない。日中はもちろんだ。たとえば、家にある何かを持ってきてほしいとか、薬師同士の話のなかで何かの助手が必要になるとか、そういう場面はいくらでも考えられる。シーラ様の助手や下働きができて護衛ができるのは、ニケか君だろう」
「それはそうだな」
エダは薬師としての修業をしているわけではないから、今回の用事で助手は務まらないだろう。
あんな危険人物に護衛などいるわけがない。妙な護衛をつけたら、むしろ護衛が危険だ。だが、領主にそう言うわけにもいかない。
「だがニケは居場所がわからない」
「まあ、そうだな」
居場所はわかっているが、シーラとニケが同時に登場することは不可能なのだから、ニケにシーラの付き人が務まるわけはない。
「だから君にいてほしいのだ。了承してくれるか」
「わかった」
「おお。それは助かる」
正直、面倒だと思った。
領主館に宿泊などすれば、スカラベルとかいうめんどくさい老人と顔を突き合わせることになるし、王都から来るややこしいやつらとも顔を合わせることになる。
といっても、もともと日中はシーラのようすをみに来るつもりだったし、それが通いではなく泊まりになるだけだ。
何より、クリムスには、前回ひどい言葉を投げつけた。それに対してクリムスは、一歩引いた態度を示してくれた。正直、負けたと思った。
もともとそれほど無理な要請ではないのだ。これは受けるしかない、とレカンは思った。ただ、素直に承諾したのが照れくさかったので、少々韜晦した言葉を付け加えた。
「夜になっても酒を飲んではいかん、などとは言わんだろうな?」
領主がにやりと笑った。
「おお。最高の酒を用意しておこう。役目に差し支えない範囲であれば、いくらでも飲んでくれ。その判断は君に任せる。つまみも用意する」
思わずレカンも、にやりと笑った。
笑わせられてしまった。
これは完全にクリムスの勝ちだ。
レカンは負けたが、気持ちのよい負けだった。
くさくさしていた気持ちがふっとんだ。
これが領主の度量というものだとすれば、なるほどクリムスはたいした領主だ。
「実は、スカラベル導師の随行や護衛が増えてなあ。困り果てているんだ」
「ほう。何人ぐらい増えたんだ」
「まず随行では、人数は増えていないが、ケレス神殿総神殿の副神殿長という女性神官が入ることになった」
「ほう。高位の女性神官か。面倒そうだな」
「面倒なんだ。それから、神官がたを含む薬師全部で二十名のはずが二十四名になった。これはまあ予想の範囲だ」
「ふむ」
「問題は護衛だ。当初の予定だった王国騎士団一隊に加え、王国騎士団副団長殿が来られることになった」
「一人増えただけなら、どうということもないだろう」
「あのなあ、レカン。王国騎士団副団長といえば、慣例的に子爵家の子弟が選ばれる。この前来られた副団長殿もカッチーニ家のご子弟だったではないか」
「カッチーニ家?」
「ザイファド・カッチーニ様だ!」
「ああ、そんな名前だったな」
「今度来られる副団長殿のお名前はネイサン・アスペル様。アスペル子爵家の子弟が九日間も逗留されるんだ。それだけの部屋をご用意しなければならん。さらに、王国魔法士団の副団長殿が追加になった。こちらも爵位持ちの貴族家のかただ」
クリムスはため息をついた。
「さて、用意した部屋を一度みてもらおう。足りない物があれば言ってくれ。できるだけかなえる」
そう言ってクリムスが立ち上がり、部屋を出て歩き始めたので、レカンはついてゆくほかなかった。
ずいぶんと奥に案内された。
(ここは領主家の家族が住む区域ではないのか?)
もしかして二階に案内されるのかと思ったら、ぐるっと回って庭に面した平屋建ての小さな建物に案内された。
領主家の家族の住む棟と屋根続きになっており、少し古いが立派な造りだ。
何より、この位置は、迎賓館の真後ろであり、何かあったときすぐに駆けつけられる。王都から来る王国騎士団の騎士や神殿騎士を差し置いて、レカンにこの場所を任せるということは、領主として最大限の裁量であり、レカンへの信頼の表明だ。
それがわからぬレカンではない。
(信頼には信頼をもって応えよう)
(めんどくさいことだが)
(護衛の役目はまっとうさせてもらう)
ひねくれ者の狼にそう思わせたのだから、やはりクリムスはすぐれた領主だ。
「すまんがこの建物には鍵がない」
「問題ない」
入った部屋は、大きな居間だった。
立派なソファがある。書き物机もある。ちゃんと棚には高そうな酒も並んでいる。
書棚には本が十冊ばかり並んでいる。地図らしきものもある。
居間の壁には武器掛けがいくつもあり、槍と戦斧がかかっているが、剣をかける場所は空けてある。
〈立体知覚〉で調べてみると、隣は寝室兼着替え室だった。クローゼットには何着か服が入っている。ベッドがとても大きい。
その奥にはなんと浴室があった。
本格的な料理を作るような台所はないが、茶の準備と片付けができるほどの炊事場がついている。
その隣には、小さな居間と大きな寝室があり、こちらには大きなクローゼットがあり、化粧机がある。浴室もついている。
そして明らかに使用人用とわかる小さな部屋が隣接している。
「ふむ。いい部屋だ」
「気に入ってくれたらうれしい。ああ、入りなさい」
茶のワゴンを押した侍女を従えて、若い貴婦人が入ってきた。
その若い貴婦人の髪は桃色で、きらきらと輝きを放っていた。