作品タイトル不明
4 アルカン村のマギー3
マギーは先生が亡くなった事を知り、混乱した頭で村長の家を出て自宅へ向かっていた。数週間の間目にしていなかった村は変わった様子も無く、道の脇には花が咲き、鳥は木に生っている実をついばんでいた。
しかししばらく歩いている内に、マギーは誰にも会わない事に気付いた。
午前中のこんな時間には、女たちは洗濯物を干しながら庭ごしに話をしたり、そうでなくても畑では必ず誰かが働いていたものなのに、見渡す限り人の姿は見当たらなかった。
誰にも会わないまま家に帰りつき鍵を開けて中に入ると、家の中はシンと静まり返っていた。
慌てて家を出て夕食の支度がそのままだったテーブルも、誰かが片付けてくれたようで食べ物が腐って残っている事もなく、マギーはホッとすると同時にあの時エマにハムを食べさせてやれば良かったと、どうしようもない悲しみを覚えた。サミュエルを運んだ寝室へ入ってみると、当たり前だがそこには誰もおらず、シーツも枕も布団も全て感染が広がらないように処分され、ただベッドの木の枠だけが残っていた。
マギーはしばらく静かに立って部屋を見渡していたが、寝室の隅に置いてあるエマのおもちゃ箱に、サミュエルの作ってやった木の人形が入っているのを見つけたら、もう無理だった。
あの時、エマはただの木彫りのウサギの人形に大喜びして『お父ちゃん、ありがとう』と言って飛びつき、サミュエルに抱き上げられキスされて、くすぐったいと騒いでいた。
自分はその時どこにいたっけ。『良かったね。どこにでも持って行って無くすんじゃないよ』そんな事を言って笑っていたんだっけ。
ああ、あんたが羨ましい。
マギーは、固い木の人形を手に持ち、床に崩れ落ちて号泣した。
気が付いた時、日は傾き始め夕方に近づいていた。いつもなら乾いた洗濯物を取り込み、そろそろ夕食の支度を始める一番忙しい時間だ。
誰かの為にする家事は何も無いマギーは、ゆっくりと立ち上がって教会へ行く支度をした。
いよいよ、二人に会いに行かなければいけない時間だった。
心の中ではまだ何も受け入れられていないマギーは、墓に飾る花も持たず、ただ身一つだけを動かして教会へ向かった。
教会へ近づくにつれ、今まで誰一人見かけなかった村人が大勢いる事に気が付いて、マギーは目を凝らした。皆一様に俯き加減で口元に布を巻いているので、最初は誰が誰なのかよく分からなかったが、特徴あるくせ毛でその中心にダイアナがいる事が分かった。
ダイアナと夫のマイケルはマギーとサミュエルと幼馴染で、一つあけて隣の家に住んでいた。エマと同い年の息子リアムもいて、家族ぐるみでずっと親しくしている仲だった。
マギーは、もしダイアナがサミュエルとエマが亡くなった様子を知っていたら教えて欲しかったし、知らなくても二人を亡くした自分の悲しみを分かってもらえたらと、助けを求めるような気持ちでダイアナの方へ向かった。
『ダイアナ』
近づくにつれて、俯いていた人々は近所に住む村人と分かったが、マギーの姿を見ても誰一人声をかけず皆距離を取った。そんな事に気付かないマギーは、ダイアナに声をかけた。
誰とも話さないでぼんやりと下を向いていたダイアナが、呼びかけに顔を上げ、マギーを認めた瞬間一変した。
『あんたの家が疫病を運んで来たんでしょ‼』ダイアナは鬼の様な形相でマギーにつかみかかった。『サミュエルが乗合馬車で疫病を連れて来たって聞いたよ!マイケルは馬車を降りたサミュエルと話しをしたから、うつったんだ。リアムだって同じさ。二人を返してくれよ!』半狂乱で肩を揺さぶってくるダイアナに、マギーは何も言葉を返せなかった。
周囲の村人も皆、多かれ少なかれ同じ事を考えている目で遠巻きに見ている。
『わた、私もサミュエルもエマも亡くして…』やっとの思いで言葉を絞り出すと、ダイアナは更に激高して『あんたの家が大元なんだから、あんたになんて誰も同情しないよ!こんな遠くの村にこんなに早く疫病が来るなんて、欲張って領都になんて働きに行くからだろう』
憎々し気に言い募るダイアナに、マギーはもう何も言えず立ちすくんだ。
『ダイアナ、もうそれ以上言ったらいけないよ』凛とした声がして振り向くと、アンが立っていた。アンも皆と同じく口元に布を巻いて表情は読みにくいが、目が怒っているのは分かった。
『みんなも、疫病を誰が持って来たとか、誰のせいだとか言っても仕方ないのは分かるよね。あれは誰でも最初にかかる可能性があって、それが誰になるかなんて分からないものだ。
最初にかかった人は、何も知らないで具合が悪くなって、周りもどうしたら良いか分からないでいる間にうつってしまう物なんだよ。
それでも責めたいなら、一生誰にも会わないで家に閉じこもって、一人で暮らすと良いよ』
この疫病で村人に尽くし亡くなった医者の娘で、自分もずっと看護活動を続けているアンの言葉に、ダイアナもそれ以上何も言えなくなった。マイケルとリアムもアンの父親に診察してもらい、その後医者は亡くなっているのだから、自分だってアンに責められても仕方ないのだと、初めて気が付いた。
『みんな、傷ついてるんだ。それをもっと傷つけ合っても仕方ないだろう』アンが言うと、ダイアナも村人も、マギーの方を見ずにそれぞれの家の方向に散っていった。
誰もいなくなって一人残ったマギーの所にアンがやって来た。
『ちょうど良かった。家に行ったらいなかったから、教会だと思ってきたんだ』
アンは、下げていたバッグから何か書いてある紙を取り出した。
『父さんが、二人を看取った時の様子をマギーが知りたいと思って書き残してたんだよ。あの時は本当に時間も薬も無くてろくな事が出来なかったし、父さんもあまり具合が良くなかったから読みづらいけど』渡されたのはノートを破ったような紙にかかれた、走り書きだった。
‘’ サミュエル高熱。意識はもうろうとしてマギーとエマは近寄るなと言い続ける。解熱剤を多めに投与。熱下がらず、明け方意識が無くなり、逝去。最後の言葉 マギー、すまん。エマを頼む ‘’
‘’ エマ高熱。意識混濁。解熱剤効かず体力がもたない。お母ちゃん、お父ちゃんと時折呼ぶ。意識戻らず。逝去 ‘’
紙を両手でつかみじっと見つめるマギーに、アンはさらに小さな包みを二つ差し出した。『これは二人の髪の毛を埋葬する前に切っておいた。そのまま渡してあげたかったけど、念のために消毒だけはさせてもらった』
震える手で包みを受け取って、髪が風に飛ばされない様少しだけ開いてのぞいた。
サミュエルの黒っぽい茶色と、エマの赤みがかった茶色。
二人共撫ぜると固かった髪を思いながら、また丁寧に包み直し胸に押し当てて、マギーは初めてアンに礼を言った。
『ありがとう。アン。それと、ごめんよ。私たちのせいで、先生は…』
言いかけたところで、アンはさえぎった。
『何であんたが謝るのよ、マギー。あんたが謝る事なんて何もない。病気は誰のせいでもないし、父さんは自分の仕事に誇りを持ってた。途中までしか出来なかった事は悔いてたけど、恨み言なんて言ってなかったよ。もし父さんに何か思うなら、よくやってくれたって、感謝だけでいい』それだけを言うと、アンは『まだまだ薬も足らないし、やる事が多すぎるからもう行くね』と立ち去った。
マギーは墓地に入り、神父に教えられたサミュエルとエマが二人並んで埋葬されている場所にたどり着いた。
『サミュエル。こうなっちまったから、エマのことはあんたに頼んだよ。私は、もう少しここで過ごしてから行くから、待ってて』その場でしばらく祈ったマギーは、よっこらしょとかけ声をかけて立ち上がり、何か手伝えることが無いかアンに聞く為に歩き出した。
それからマギーがアンの手伝いで村を周ると、いくつかの家では疫病を持ち込んだと責められ、マギーを無視する者もあった。しかしマギーはそんな時決して謝る事はせず、やるべき事だけやって黙って去った。
やがて特効薬が行き渡り、村に患者がいなくなって昔の様な平穏が戻って来た。
その頃には何も無かったように皆が挨拶を交わすようになったが、ダイアナはマギーと言葉を交わす事が無いまま再婚し、村を離れた。
マギーは今もジャックの家に仕事に向かう途中、空き家になった一軒隣を見て、失くした友情を思い胸が痛む。
けれど曲がり角の向こうから歩いて来るアンが、自分を見つけて笑顔で手を振ってくれるので、自分も精一杯笑って大声で挨拶をする。
「アン! おはよう。今日もいい天気だね!」