作品タイトル不明
さらり
レジーナが先に走り出したとき、一歩出遅れたアルベルトだったが、ただ手をこまねいていたわけではなかった。ただ敵を追うわけではなく、次に逃げていく先を予測して息をひそめ、そしてリエールが三度形を成した瞬間、容赦なくその首を刎ね飛ばした。
前線を駆けまわる二人を眺めながら、コリンとイーストンは地上で待機する。
もしあのリエールという吸血鬼が人間を人質に取ろうとした場合、それを阻止するのが二人の役目だ。
「やりたい放題だね、あの二人」
「ほかに注意がいかないくらい圧倒してくれるならそれでいいんだけどねー」
地上での穏やかなやり取りとは裏腹に、屋根の上では殺気がばらまかれている。容赦する気も会話を楽しむ気もない。殺してから考えるといわんばかりの追走劇が繰り広げられていた。
それでも地に足をつけねばならないものと、自由に空を飛びまわれるものでは機動力が違う。人型を取り喋ろうとするたびに殴り、斬りかかられたリエールは、ようやく二人から大きく距離を取ることができた。
今度は余計なことを言わずに、ガリっと自身の手の親指を嚙みちぎった。
いままで殴ろうが斬ろうが出血のなかったその体から、大量の血液が流れ落ちる。
「痛い痛い痛い、くそくそくそ、人間のくせにこのリエール様に血を流させるなんて、本当に許せない……!」
突然の自傷にも二人はひるむことなく、屋根を走り、飛び、その距離を縮めていく。
リエールは忌々し気に整った表情をゆがめ、何かを呟いてから、突然満面の笑みを見せた。
流れた血がうごめき、膨れ、そして射出される。
刃を形作ったそれは、まっすぐに二人に迫る。
単純な軌道を見切った二人は、ぎりぎりでそれを避けようとする。
眼前に迫った刃がわずかに膨らむ。その予兆をレジーナが先に、次いでアルベルトも気が付き、二人は体勢を崩すことを厭わずに体を空に投げだした。
直後血液の刃がはじけ、針のようにあたりの屋根を貫き、地面に突き刺さる。
「あら、勘がいいじゃない」
余裕の表情でリエールが呟くと、地面に突き刺さった血液は、再び結集し夜空に不気味な刃を作り出す。
「でも、何度だって仕掛けるわ。距離を取った時点で負けよ、愚かな人間たち。苦しんで、おびえて、這いつくばって私に詫びなさい! そうすれば、ほんのちょっとだけ、楽に殺してあげ……る?」
一閃。
銀色の光がリエールの首を通り抜ける。夜の暗闇に紛れるように、静かに背後に現れたイーストンは、音を立てず、声も上げず、ただ静かに剣を抜き、最低限の速度でゆるりと剣を振りぬいた。
首元に冷たいものが当たった瞬間、リエールはわずかに空気を割く音を聞いたが、その直後には景色が転がり始めていた。
粗末な屋根の軒先に引っ掛かり止まった頭を、イーストンは片手で髪を持って拾った。
体は足元に横たえてある。
「なに、なにこれ? なに、なんなのよぉおおおお!?」
意思に従わず、勝手に視点が変わりリエールは絶叫する。
「首を落としたからもういつでも殺せる、夜でも関係ないよ。言ってることはわかる?」
「なに、なに言ってるの? は? 死ぬわけないじゃない」
「死ぬよ。僕の武器は、君たちを殺すための武器だ」
「噓、噓、ちょっと、やめてよ冗談でしょ。お願い、まだ間に合うから私の体に戻して、ね? ちょっとふざけてただけじゃない」
もう絶対に助からない。
ただ生命力が高いから生きているだけの状態だったが、それをわかっていてイーストンは尋ねる。
「……噓をつかないで質問に答えてね。君はエトニアで兵士たちにこの村を襲うように命令したよね? 彼らの家族を人質にとって。人質は無事?」
リエールからはイーストンの姿が見えない。耳に馴染む声質で穏やかに語られているというのに、今は死神のささやきのようにしか聞こえていなかった。
吸血鬼の中でも中堅以上の長寿で、今まで一方的に相手をなぶることしかしたことのなかったリエールは、はじめて自分がどうしたら助かるのかを考えた。相手が何を考えていて、どうしたらだまして元に戻せるのか、必死に頭を働かせた。
そうして卑屈な笑みを浮かべて口を開く。
「違うの、私も命令されたの」
「そんなことは聞いていないよ。僕は、彼らの家族がどうなっているかって聞いているんだ。答える気がないならもういい」
「待って、待って! え、えへへ、ちょっと殺しちゃったけど、私が出てきたときにはまだ生きてたのもいたわ、本当よ?」
イーストンは黙って足元にある体の心臓を、その剣で一突きした。足元からさらさらと砂に変わっていく体を見ながら、イーストンはもう何もしゃべろうとしなかった。
「ね、私ちゃんと本当のこと言ったわ。私の体……」
さらりと持っていた頭部も砂に変わり、声は夜の闇の中に溶けて消えていった。
わずかな風が砂を屋根の上から払い落とすと、その場にごろりと一つの紅の宝石が残る。
イーストンは剣を収めると腰をかがめてそれを拾い、流れていく砂を眺めた。
「いいよなー、その武器。俺のじゃ斬っても倒せねぇんだもん」
すると突然アルベルトの声がする。
屋根の下から、片手に剣をぶら下げたままのアルベルトが見上げてきていた。隣には不満げな表情のレジーナが腕を組んで立っている。
「あたしもそれがあったら最初に倒してた」
「……俺だってそうだし」
「あたしが先に倒してたから、アルベルトの出番はねぇよ」
「……いや、お前の攻撃だったらわかりやすいから先に蝙蝠になってたかもしれねぇし」
「でもあたしの方が先に攻撃した。出遅れは黙ってろ」
アルベルトがさらに何かを言い返そうとしたところで、イーストンは二人の間に飛び降りて笑う。
「でもさ、結局僕が倒したんだから、一番の手柄は僕じゃないかな」
「……そうだよなぁ! 結局イースが仕留めたんだからな!」
話に乗っかることにしたらしいアルベルトが大きな声を出すと、レジーナがじろっとイーストンを睨む。
「……おい、イーストン、訓練の相手しろ」
「駄目だよ。怪我したらハルカさんが悲しむでしょ」
「じゃあ帰ってきたら相手しろ」
「夜ならいいけどね」
「イース、俺も俺も!」
「はいはい」
そんな馬鹿な会話をしながら元の場所へ戻っていくと、コリンが呆れた顔で三人を迎える。
「大きな声出すから結構みんな起きちゃってるよー?」
「うん、でもひと先ずこれで安心だから。はい、コリン」
イーストンが手に持った 吸血鬼の心臓(ヴァンパイアルビー) を手渡すと、途端にコリンはニコニコの笑顔に早変わりだ。
「わぁ、大きいー」
危機は去った。
襲ってきた吸血鬼の本性を見たイーストンの気持ちは穏やかでなかったが、気のおけない仲間たちとのやり取りのおかげで、ほんの少しそれも和らぐ。
とはいえ訓練大好きな二人の相手をさばき続けるのは一苦労だ。
早くハルカが帰ってきてくれることを願いながら、イーストンは素振りを始めたアルベルトとレジーナをぼんやりと眺めるのであった。