作品タイトル不明
彼女たちは街で生きていた
四方を囲むようにして座ったハルカたちは、男に視線を送り続ける。すっかり縮こまってしまった男が哀れで、ハルカはシャディヤと一緒に正面に座っていながらも、ユーリの方を見るようにしていた。
「んで、何しに来たんだよ」
足を組んだアルベルトが詰問すると、男は目を泳がせながら答える。
「や、宿を買い取ってうちで運営しようと思いまして」
「脅してかよ」
アルベルトの低くなった声を聴いて、男はブンブンと首を振った。
「いや、飲んだくれの親父とまだ十六歳の娘だぞ! 毎日毎日働いて大変だろうと思って、高値で買い取ってやろうと思ったんだ! 昨日はちょっと感情が高ぶっただけで、いつもちゃんと交渉をしている!」
「……あの、本当です。でも私、ここを他の人に任せる気はなかったのでお断りしていたんですけど」
アルベルトは首をかしげて考えて、自分が間違っているであろうことを恐らく理解してからも、謝罪したりはしなかった。ただ、話が難しくなってきたからこれ以上介入する気はなくなったようだ。
「へー、でもこの宿ってやっぱり儲かってるの?」
「えっと、二人で細々と暮らしていく程度です。人手が足りず色々と足りない部分も多いので、料金を安くしていますから。この場所を維持するのが目的だったので、それでよかったんですけれど」
「いやだからだな、俺がここを買い取ってもちゃんと維持して、昔のような宿として運営する。酷い目に遭ったんだから、あんたらはその金でのんびり暮らしたらいいと言ってるだろ!」
男はこの家で起こったことを知っているようだ。おやっと思ったハルカは、話が気になって男の方へ視線を戻した。興奮しやすい性質なのか、腰を少し浮かせていた男は、その途端に視線をそらした。
話が聞きたかっただけなのに、随分とこわがられてしまっている。
「……その話なんですが、一月ほど時間をくだされば、この宿を譲ろうと思ってます」
驚いたのか男は顔を正面に戻して、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「それは……、いいことだが、なぜそんなに急に……?」
「国を出ようと思うんです」
「な、なんでだ? シャナさんを待ってるんじゃないのか?」
再び身を乗り出した男と、口を挟めないハルカたち。
シャディヤは深く息を吸って表情を引き締めると、静かな声で告げた。
「お姉ちゃんは、もう帰ってこないので。フバルさんはお姉ちゃんのことが好きだったんですよね。もしお姉ちゃんが帰ってくるあてのない宿じゃ嫌なら、他の人に譲ることにします」
「……シャナさんは、死んだのか?」
こくりと頷いたシャディヤを見て、フバルと呼ばれた男はテーブルに肘をつき、俯いて頭を抱えた。
時折唸るような声を出したり、頭を振ったり髪をかきむしったりしていたフバルだったが、五分ほどしてようやく顔を上げる。その間誰一人として言葉を発することはなかった。
フバルは顔を赤くして口をしっかりと結び、眉間と鼻に皺を寄せたまま立ち上がる。怒っているような表情をしていても、ハルカたちはもうフバルのことを警戒していなかった。
「俺が、この宿を買う。達者で過ごせよ」
数歩歩いて背中を向けたまま足を止めたフバルはそれだけ言って、少し上を向きながら宿から歩いて出ていった。
シャディヤは笑顔を作って頷く。
「うん、これで宿を引き払う準備もできます。皆さん、どうぞよろしくお願いします」
「ええ、もちろん。……お姉さんのことお伝えしてよかったんですか?」
「……はい。二人とも、近所の人からすごく好かれてましたから。他にも、何人か伝えなきゃいけない人がいるんです。私達と一緒にお姉ちゃんを待ってくれてた人たち。出発するまでにお話をしておきます」
「辛いでしょうに」
「……はい。でも待ってる間も辛かったです。その間ずっと支えてくれた人たちには、ちゃんと言わないと」
「そうですね……」
気丈に振る舞っているのが分かるけれど、ハルカはここで何かを言えるほど器用ではない。仲間たちのことであれば多少入り込んでいけるようになったけれど、誰にだって気の利いたことが言えるわけではないのだ。
「シャディヤさんってさ、十六歳なんだ。私より一歳年下なんだねー」
「え、あ、そうなんですね」
コリンは立ち上がってユーリを抱き上げる。ユーリは何事かと思いながらも、振り返って顔を見上げ、されるがままになっていた。
シャディヤの前に来ると、困惑しているその膝の上にユーリを乗せる。
「今度から一緒の拠点で暮らすんだから、あんまり怖がらなくてもいいからね」
モンタナが立ち上がり、すたすたとその場から去って自室へ向かう。
「アル、レジーナ、部屋戻ってまた出かける準備しといてよ。もっとこの街ぶらついてみたいし」
「は? 話の途中じゃんか」
「いいから、ほら、早くいく!」
話が終わったことを確認したレジーナは粘らずにさっさと退散したが、アルベルトはコリンに背中を押されての移動だ。
ハルカもついていくべきかと考えていると、コリンからの指示が飛んでくる。
「ハルカはユーリのこと見ててあげてね! じゃ、よろしく!」
コリンに言われるがまま、浮かせかけた腰を下ろす。
気の利いたことが言えない自分ではなく、コリンが残ったほうが良かったのではないかと思いながらも、ここで抗議する気はなかった。
隣でユーリを抱きしめて気落ちしているシャディヤを放っておくわけにはいかない。しかし何を言っていいかわからない。
結局ハルカはただ黙って、横目で二人を観察しているだけだ。
「……ハルカさんは、ユーリ君にママって呼ばれてましたね」
「え、いえ! その、私がユーリの母を名乗ったわけではなくてですね……、あ……、違うんですよユーリ、別にそう呼ばれるのが嫌なわけでもないですからね? ユーリのことは本当に自分の子供のように大切に思っています。だ、だからってシャディヤさんのお姉さんこそが本当のお母さんであることは間違いありませんし……!」
ユーリの母はここに確かにいたのに、それを差し置いてママと呼ばれているのは問題があるのではないか。そんな思いから言い訳を始めて、途中でそれがユーリを傷つけているのではないかと思いつき、慌ててフォローを入れる。
シャディヤとユーリ、よく似た目からじっと見つめられて、ハルカがうろたえていると、二人は同時にへにゃっと気の抜けた笑顔を見せた。
「優しいんですね、ハルカさん」
「うん、だからママなの」
小さく漏れるような笑い声を聞いて、ハルカは耳のカフスを撫でる。
何かできた、というよりも笑われているだけの状況だけれど、先ほどのシャディヤの悲しそうな横顔を見るよりは、よっぽど良いと思っていた。