作品タイトル不明
突然の攻撃
宿へ向かう間にもう一軒、生活全般の雑貨を扱う店にも立ち寄った。
コリンはそこでも軽く情報収集していたが、現皇帝に対する評価は悪くなかった。
「うーん、割と評判がいいんだよねー」
「……そうですね」
人ごみの中で話をしても、さほど気にする人などいない。モンタナが常に尾行を警戒しているが、今はそれもいないようだった。
「もっとなんか、恐怖政治! みたいなのしてると思ってた」
「私たちからすればそうなんですけど……。よく考えてみると、それだったらもっと噂が流れてきそうなものですよね」
「うーん、そうなのかなー」
コリンは不満そうだが、ハルカはそんなもんかと冷静に状況を捉えようとしていた。
日本にいた頃を考えると、ハルカも自国の政治について強い関心を持ったことは殆どなかった。ただたまに、税金など、自分の身の回りに関係するような話が進められてるときにだけ思い出したようにニュースで気にしてみたりしていた。
この世界に住む人は、流石にそれよりかは関心を持って暮らしているのだろうけれど、首都で生まれて死ぬ商人は、商人に関係した政策にしか興味はないのだろう。そこに、皇帝が家族とどういう関係を持っていたかなんて話題は、おそらくエッセンス程度にしかなりえない。
別にハルカたちはこの国に革命を起こしに来たわけではないので、街が混乱していないのは悪いことではない。
ないのだが、コリンにしてみれば、皇帝は悪役みたいであった方がやりやすかったというだけのことなのだろう。
紹介された宿へ着くと、中から言い争うような声が聞こえてきた。
ハルカたちが顔を見合わせてからそっとドアを開けて中を覗き込むと、男が女性の手首を掴んで無理やりその体を引き寄せようとしている。
「いい加減にしてください! 泊まっているお客様の迷惑になります!」
「一人じゃ大変だろうから、俺たちがこの宿を買い取ってやるって言ってんだろ! いい加減に……」
コリンが眉を吊り上げて男の邪魔をしようと一歩踏み出したところで、カウンターの奥からぬっと目の据わった男が歩いてきた。顔が真っ赤で、片手には大きな木のジョッキを持っている。
近寄るだけでアルコールの香りが漂ってくるようなその男は、無言でそのジョッキを頭上まで振り上げると、男の後頭部に向けて思いきり振り下ろした。
「う、う、うちの娘に、て、手を出すや、やつはぁ! ぶち殺してやる!!」
「お父さん!」
威勢はよかったのだが、千鳥足の酔っ払いの一撃は、男に大したダメージを与えることができなかった。
少しの痛みと、溢れんばかりの怒りをもって、男は女の手首を放して酔っぱらいの胸ぐらをつかんだ。
「この、酒爺が! 舐めてんじゃねぇぞ」
「うるせぇ!! ばっ、馬鹿野郎、ここは俺の店だ、で、でていけ!!」
至近距離での酒臭さに顔をしかめた男は、左手で胸ぐらをつかんだまま右の拳を振り上げる。荒事に慣れているだろうその男の腕は、酔っ払いの首を容易にへし折ってしまいそうなほど太かった。
「ちょっと落ち着いてねー」
コリンが潜り込むようにして間に入ると、アルベルトが男の首に手を回して動きを止める。ハルカも酔っ払いを後ろから羽交い絞めにして少し後ろへ離した。酔っ払いがいくら暴れようと、所詮は鍛えられていない町人だ。ハルカの拘束を振りほどくことなんか絶対にできない。
「落ち着いてくださいね、お父さんも」
「うおおお、だ、だ、誰がお義父さんだ! どこの馬の骨とも分からん奴に、お、お義父さんなんて、よ、呼ばれる筋合いはない」
「あ、いえ、そういう意味ではなく」
「じゃ、じゃあどういういみなんだ、娘はやらん、やらんからな!!」
「はい、大丈夫ですから落ち着いてください」
ハルカが酔っ払いに悪戦苦闘しているうちに、話は勝手に進んでいく。
「あなたがこの店の人で合ってるよねー? えっとー、この人店から追い出したほうがいい? それともお話ししたい?」
「えっと、その、追い出してもらえますか……? できれば乱暴せずに……」
男を捕まえているアルベルトの大剣に目をやってから、その女性は恐る恐る答える。すると、アルベルトは首をいくらか絞めて男に向けて警告した。
「聞こえたかよ? 黙って出てくか、気絶して放り出されるか選べ」
「くっ、この……!」
男はじたばたと暴れるが、アルベルトはその度に首を徐々に締め上げていく。顔が酔っ払いよりも赤くなったところで、男が悲鳴を上げた。
「出ていく!! 放してくれ!!」
アルベルトがパッと手を放すと、男はその場でしゃがみ込んで荒い息を繰り返した。そして振り返ってアルベルトを睨みつけ、その風貌を初めてきちんと確認する。場合によってはこの場でやり返すことも考えていたのかもしれないが、明らかに冒険者の格好をしているアルベルトに恐れをなしたのか、男はつんのめるようにして出口へと走った。
後ろを見ながら走っていた男は、ユーリの方へ突っ込んでいき、そして前へ一歩出たレジーナに顎を蹴り上げられて意識を飛ばした。
綺麗に一回転して後頭部を床にぶつけた男は、カエルのような格好で伸びてしまっている。
ふんっと鼻を鳴らしたレジーナは、男の足をもって出口まで行くと、そのまま男を遠くへと投げ捨ててドアを閉めた。
アルベルトが呆れたような顔で言う。
「折角俺が穏便に済ませたのに」
「穏便……? あ、いえ、ありがとうございます」
「ま、ま、どういたしましてー」
言わずにはいられなかったのか、女性が一度首を傾げたが、その後すぐに深く頭を下げて礼を言った。
一方で、ハルカは未だ酔っ払いと格闘を続けていた。
「お、俺は、俺は、うおおおん、うおおおおおおん」
ついには羽交い絞めにされたまま泣き出してしまった男を、ハルカはそっと手放したが、男はその場に座り込んで泣き続ける。
「あ、あの、すみません、何も攻撃とかはしていないんですが、その、泣き出してしまって、どうしましょう」
どうしていいかわからず泣き出したいのはハルカの方だった。
宿に酔っ払いの悲しき泣き声だけが響く中、女性が苦笑してハルカにも頭を下げる。
「大丈夫ですから、気にしないでください。お父さんが迷惑をかけてごめんなさい」