作品タイトル不明
海を越えて
ナギは吹き飛んだ大蛸の頭部を見て、左右をチラリちらりと確認する。
みんなが怒っていなさそうなことを確認して、そろーっと口を閉じたのだが、閉じた瞬間にカプッと空気の漏れる音がした。
「ナギー! すごいねぇ」
その瞬間ユーリが両手でナギの頭を撫でまわす。
「やるじゃんお前、何でビビってたんだよ」
首元をアルベルトが叩き、他の仲間たちも嬉しそうに集まってきた。あれは悪い結果ではなかったのかとほっとしたナギは、地面に伏せる。皆が喜んで褒めてくれるのが嬉しくて、ナギはジッとそのままされるがままになっていた。
ハルカは空の上で、想定以上の成果を発揮したナギの一撃に驚いていた。
飛び散った頭部が自分の方にもきて、慌てて障壁を張ったのだが、あちこちに残骸が散らばってそれはもう、大変なことになっている。
海の氷を解除すると、その飛び散った身はゆっくりと海に漂い、そしてしばらく様子を見ていると魚たちについばまれ始めた。
あんな化け物のような魔物がいる海でも、小魚たちは生存しているらしい。
さらにその小魚を求めて少し大きな魚が。
そしてその魚を求めてさらに大きな魔物が、そして、というのを延々と繰り返した結果、先ほどの大蛸がここを縄張りとしていたのだろう。
あの大蛸は、体を凍らせて固めてもなお、ハルカに対しても、陸にいるナギに対しても遠隔攻撃をしてこなかった。あれはつまり、恐らくその手段を持たないということだ。
あとは、ナギが自信を持ってくれていればそれでいい。
振り返ってみると、ナギが仲間たちと一緒に砂浜へ降りてきているのが見えた。
もうぐだっと転がっているだけの大蛸の足の先端を咥え、ずるずると野営地へ引きずり始めている。
時折海の方を警戒しているようだが、もうそれほど恐れてはいないのだろう。昨日までのナギだったら、絶対にここまで海に近寄ってこなかったはずだ。
ハルカは昨日ナギが、蛸の身を伸ばしながら食べていた姿を思い出した。
きっと蛸の足がとてもおいしかったのだろう。全身を使ってずりずりと引っ張っていく姿は、ちょっと間抜けでかわいらしい。
臆病な性格といい、美味しいものに目がないところといい、似なくてもいいとこで自分にちょっと似てしまっているようだとハルカは笑った。
ナギはやはり海へ出るのがそれほど怖くなくなったらしい。
蛸足を美味しくいただいてから、ハルカたちは予定通り魔物だらけの海の上空を、帝国へ向けて飛んでいくことになった。
念のため高度は先ほどの蛸足の二倍の高さを維持している。
そもそも音を出したりしない限り蛸は上空のものに意識を向ける様子がなかったので、滅多なことで襲われたりはしないだろうと推測していた。
昼から夜までまっすぐ方向を定めて飛んで、気づいたことは大海原の上空の見るもののなさだ。
陸上を飛んでいると眼下を見ているだけでも退屈しないのだが、海の上を飛んでいると本当に景色が変わらない。たまに不安そうにナギが振り返るのも仕方のないことだろう。なにせ飛べど飛べど景色が変わらないのだから。
しかしその度ハルカは大丈夫だとナギに告げ、進むべき方向を指さし先に進んでもらう。
元々の知識があったこともあるが、ハルカはこの世界に来てから必要な旅の技術を身につけていた。生真面目な性格で書物から知識を蓄えたことに加え、わからないことを聞けばすべて答えてくれる師匠の存在が大きかった。
影の位置や季節、天体の動きから、今の時間と向いている方角は割り出せるし、ナギの進む速度をなんとなく体感で把握し、目的地までの時間を割り出せるようになっていた。
これはアバウトな冒険者たちのことを考えれば、相当珍しい技術なのだが、本人たちはまるでそれに気が付いていない。感心しているのはイーストンくらいのものだ。
ナギだけでなく、仲間たちもこの景色の変わらなさに不安を持っていた。
しかし、ナギに指示を出す都度ハルカが地図を確認し「今このあたりですね」と指をさしてくれるので、その度少し安堵していた。
人力カーナビのようなものである。
焦りからか段々とナギの速度が上がっていたことに気が付いていたハルカだったが、それについては特に言及しなかった。流石に疲れて突然倒れるようなことはないはずだ。
大蛸を倒したときのことでもわかっていることだが、ナギは力をセーブしている。
多くの場合ハルカたちを背中に乗せていること。それに、人と暮らしているから本気を出すタイミングが少ないことが原因だ。
だからこの速度の上昇も無理をしているわけではなく、焦りからその遠慮がちょっとなくなっただけなのだろうと、ハルカは判断していた。
月が出る。細い細い月は光源としては頼りない。
ハルカはナギに一度止まるように指示をだし、広く障壁をその下に広げた。
海が見えなくなるよう色付きで、ついでにちょっとでも安心感がでないかと、木目調を目指して障壁を張ってみたが、どうもやはり偽物臭い。
普段木の床をちゃんと観察していなかったせいだろう、ただ茶色い変な床と壁ができてしまった。
その中にいくつか、光を浮かせると、ナギはほっとしたように伏せて体の力を抜いた。
「いやー……、思ったより海を渡るのって怖いね」
「陸地がないってだけでこんなに違うとは思わなかったぜ」
「そですね。僕は船乗りにも向いてなさそうです」
「この調子なら、明日の昼過ぎにはまた地面と再会できますから。もうちょっとだけ辛抱してくださいね」
珍しくモンタナまで弱音を吐いていたが、不思議なことにユーリはあまり怖がっていないようだった。ちなみにイーストンとレジーナはいつもと変わった様子がない。これが世界を歩いてきた年季の違いだろうか。
早起きしたこともあったのか、イーストンとハルカ以外全員が一斉に休む。
ハルカは障壁を張っている以上眠るわけにいかないため、徹夜は決まりだ。
みんなが寝静まった後、昼間よりも元気そうなイーストンにハルカは問いかける。
「みんな怖がっていましたが、イースさんは怖くないんですか?」
「うん、まぁね。僕は昔から竜に乗って海を渡っていたし、ハルカさんほどきっちりしてないけど今自分がどこら辺にいるかわかってる」
「なるほど……。それじゃあ、レジーナやユーリが怖がってない理由ってなにかわかります?」
この二人に関しては、イーストンとは違う理由があるはずだ。ただ勇猛だからというのでは説明がつかない。ハルカにはその理由が思い当たらなかった。
「そうだなぁ……。なんだろうね。…………僕の推測に過ぎないけど、レジーナはさ、誰にも知られず命を落とすかもしれないって日々が当たり前だったんじゃないかなって。恐れないんじゃなくて、麻痺してるんだと思うよ」
「…………そうですか」
物心ついた頃から命の保障がなかった世界。
そんな風に考えると、ハルカの心はひどく締め付けられた。
「ユーリも……、そうですね、生まれた頃から記憶が続いているのだとすれば……」
「あまり深刻にならないでよ。全然違うかもしれないでしょ」
イーストンは、失敗したかなーと思いながらハルカを慰める。
ユーリの誰も知らない過去は、今でもほんのりとその性質に影を落としている。
黙り込むハルカに、イーストンが続ける。
「心配しすぎだよ。レジーナも、ほら、最近ナギの近くで寝るようになったし」
「寒いからでは?」
「そうかもしれないけど、前までは一人で離れてたでしょ。それにほら、ユーリなんかみんなの間に挟まって幸せそうな顔してるじゃない」
それでも、ユーリが今幸せだというのは確かに疑いようのない事実ではあった。
「……そうですね。眠っているのに、笑ってる」
ハルカは微笑みながら、仲間たちが休む姿を静かに眺めるのであった。