作品タイトル不明
第八十二話 特別損失の計上
黄忠が率いる蜀の精鋭「オールドガード」の突撃は、
峻が配置した買収用の馬車を次々と破壊し、
曹操軍の前線を切り裂いていた。
数字では測れない「忠誠心」という名のバイアス。
それが、峻の完璧な計算式を、
物理的に叩き壊しにくる。
「峻殿! 黄忠の刃がすぐそこに! 早く退避を!」
韓恢(かんかい) が恐怖に顔を歪ませ、
峻の袖を引っ張る。
だが、峻は動かなかった。
飛び散る木片と砂塵の中、眼鏡の奥の瞳は、
恐ろしいほど冷ややかに、
黄忠の動きを観察していた。
「……なるほど。
これが『信頼』の現価(現在の価値)ですか。
……素晴らしい瞬発力だ。ですが――」
峻は算盤の珠をパチリと弾いた。
「――あまりにも『燃費』が悪すぎる」
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峻は懐から、もう一本の信号弾を取り出し、
躊躇なく天へと放った。
「全軍、
予定通り『第二段階(損切りプラン)』へ移行。
……黄忠部隊を深く引き入れ、
彼らが消費した『 体力(エネルギー) 』の負債が、
最大になる瞬間を待ちます」
峻が仕掛けた現金買収。
それは単なる寝返り工作ではなく、
敵の最も尖った戦力を引きずり出し、
孤立させるための「撒き餌」でもあったのだ。
前進しすぎた黄忠の周囲を、
曹操軍の誇る重装歩兵が包囲していく。
どれだけ強靭な武勇であっても、
孤立した状態で数倍の敵に囲まれれば、
その「残存価値」は分単位で目減りしていく。
遠くからそれを見つめる諸葛亮の顔から、
ついに余裕の笑みが消えた。
「……黄忠殿の忠義を、
あえて『高値で買い取る』ための罠だったか……!」
峻は、包囲された黄忠を見つめながら、
冷徹に言い放った。
「諸葛亮殿。貴方が今、
黄忠殿という『最大級の優良資産』を失えば、
蜀の軍事的信用は完全に、
デフォルト(債務不履行)を起こす。
……これ以上の損失を出したくなければ、
今すぐ定軍山から、
『撤退(事業停止)』を宣言しなさい」
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「……引けぃ! 全軍、撤退だ!」
諸葛亮の苦渋に満ちた命令が下り、
蜀軍は定軍山の霧の奥へと退いていった。
激戦が終わり、静まり返った戦場。
峻は、壊された馬車と散らばった新魏通宝を見つめ、
静かに帳簿にペンを走らせた。
「……本日の決算。特別損失、金、馬車。
……ですが、リターンとして敵の主力資産を大破、
かつ定軍山の領有権を確保。
……総合評価は――『黒字』です」
峻は泥のついた眼鏡を外し、丁寧に拭き上げた。
人間の情、美学、忠誠。
それらすべてを「コスト」として飲み込み、
事務屋の覇道は、
さらに深く蜀の心臓部へと進撃していく。