作品タイトル不明
第八百四十六話 温泉をまたごう
◎ゴルディオスの街 白の館
「へへーへい。ららら、へへーへい」
鼻歌を歌いながらワンツーステップで風音が廊下を進んでいた。それはそれは軽快なリズムであった。まるで浮かれ具合が全身から滲み出ているかのようなステップである。
風音はその勢いのまま脱衣室へと入ると、クルリンッと飛んで回転し、新たに手に入れた『神速の着脱』というスキルを使って空中で一瞬でスッポンポンになって着地し、浴場へと入っていく。
なお、脱ぎ散らかされた服やらパンツやらは、その場で待機していたメイド人形のノアがポイポイと拾って片付けていた。良くできたメイド人形である。
「とうっ」
そして、風音の快進撃は止まらない。そのまま風音は浴場に入ると湯船に向かって一気にジャンプしたのだ。水飛沫が飛び、湯船からはお湯がザバーと溢れ出る。チンチクリン程度のサイズでも湯船に飛び込めばそうなるのは当然の帰結である。しかし、そんな風音の行動を見咎める人物がそこにはいた。
「行儀ワリィぞカザネ」
それは先にお湯に入っていたレームであった。ノアが脱衣室でスタンバっていたのもレームが入っているからであったのだ。
「いやーテンション上がっちゃってさー。そいそーい」
だが、そんな言葉では風音は止まらない。レームの言葉ひとつで冷ませられるほど弱い熱意ではないのだ。
そして風音は第八十階層で新たに手に入れた温泉珠から出した含鉄泉、第七十階層で手に入れた温泉珠から出したラジウム温泉、アモリアのオークションで手に入れた温泉珠から出した硫黄泉、さらには庭から掘り出した炭酸泉の四つが並べられた湯船を反復横飛びで移動しながら四種類の温泉を高速移動で浸かり続けていく。
なお、含鉄泉は鉄分が含められていて貧血や痔に効き、ラジウム温泉は細胞を活性化させ、硫黄泉は身体が暖まり、炭酸泉は血行を良くする効果があるそうである。それらを順に浸かることによって風音はより健康的な身体を手に入れることが可能であると考えていた。
『いや、邪魔だから』
その次の瞬間には風音がポイッとJINJINに投げられた。迷惑きわまりない。ウザい。まさしく今の風音はそうした存在だった。
「なんのっ」
だが風音も性懲りも無くクルリンと空中で回転して炭酸泉の中へと入った。バシャンとお湯が跳ね、隅でくつろいでいた弓花がジト目になる。
「アンタ、はしゃぎ過ぎだから」
弓花はため息をついてそう口にしたが、風音が軽く躁状態になっている理由も知っているので、あまり強く怒ろうという気にはならないようだった。
実は今朝方に病院から、直樹たちの意識が回復したと報告があったのだ。それは地上に戻ってから三日後のことである。
病院で再会した直樹やジンライたちは、弱ってはいたが会話できる程度には意識もはっきりしており、解毒もされているので後数日で退院も可能だとのことであった。
そんな中で目覚めた弟の前ではツンデレっぽい感じでいた風音だが、病院から出た途端に浮かれポンチの権化と化したのである。
何しろ、最近の直樹は目を閉じて口を開くこともなかったのでまったく気持ち悪くなかったのだ。そのため、風音の中では直樹の美化が急速に進行していた。
現物の動いている姿を見続ければ、またすぐにでもゴミを見る目に戻るだろうが、それでも今の風音は弟の回復に浮かれていたのである。
『風音ねぇ。直樹が起きたのが嬉しいのは分かるけど落ち着きなさいよねぇ。私、今ちょっといいアイディアが浮かんでるところなんだから』
「むー、直樹は関係ないよ。直樹は。けど、ちょっとはしゃぎ過ぎていたかもしれない。気を付ける」
なお、JINJINはオリジナル長編BL漫画『 僕 ( ドラゴン ) を魔王剣で貫いて』の執筆の佳境に差し掛かっていた。次の魔王剣の餌食を誰にしようかとJINJINは真剣に悩んでいるところであった。
「と、見せかけて」
そう言ってまた動き出そうとした風音を弓花が真正面から捕まえる。
「馬鹿な!?」
「もういいから落ち着きなさい。まったくもー」
そう言って弓花が風音の肩をつかんでゆっくり肩まで浸からせていく。だが、その行為は風音の熱をさらに高める結果にしかならなかった。
(またデカくなっている……だと?)
真正面の弓花のたわわなものを見て風音の怒りゲージが急速に上がっていく。目の前にある自己主張に対して風音の心は業火の炎に包まれた。
「ていていていてい」
「いきなり何すんのよ。この馬鹿」
弓花のおっぱいを乱打し、さらに揺れるソレを風音は「ぐぬぬ」と睨みつける。怒りに任せて叩きつけたが、それは敵の大きさを思い知らせるだけだった。敵はあまりにも強大だった。
(おかしい。食べているモノはほとんど同じはずなのに……同じはずなのに)
まったく大きくなる気配のない自前のブレストプレートを見て風音がさらに唸る。そして弓花のと、自分のを見比べて、風音は再度膨らみにジャブをして、弓花にデコピンで反撃されていた。
「あら、カザネ。何をしていますの?」
そんなやり取りの途中で浴場に入ってきたティアラが不思議そうな顔をしている。その後ろにはエミリィとアモリア王国の宮廷魔術師長ミサリもいっしょにいた。
普段はルイーズとともに来ているミサリだが、今日はひとりでアモリアから来たようである。
「チッ、別になんでもないよ」
「人の胸見て舌打ちすんじゃないわよ。なんなのよ、もう」
涙目の弓花が少し赤くなった自分の胸をさすっている。
その横をJINJINが通り過ぎ、ミサリの元へと駆けよった。
『ミサリさん。アレ、アレはどうなりましたか?』
「JINJINさん。ええ、持ち主は見つかりまして。今は交渉中です。それほど遠くないうちに持ってくることができそうですよ」
『素晴らしい。あなたは神か』
そして、JINJINが裸でへへーと拝み始めた。
ミサリがそれに引いた顔をしているが、JINJINはボンゴ帝国の大匠やすの現奥方である。その繋がりを思えば、彼女には何も言えなかった。
ミンシアナ王国よりも北寄りのアマリア王国にとって、大陸北でも有数のドワーフの国との繋がりはとても貴重なコネであった。
「アレってなんだ?」
その様子に、事情を知らないレームが首を傾げて呟いた。
「四百年前に 悪魔(ディアボ) に造らせてたJINJINの印刷機だって。アモリアの魔法具オークションで購入した相手まで絞り込めて、今交渉中って話だね」
「へぇ、なるほど」
それがどういうものなのかまでは分からないレームがそう返す。それから風音もミサリに尋ねる。
「ねえ、ミサリさん。ルイーズさんは来てないの?」
「ええ、あの人も今は忙しいですから。この近隣の国では阻止に成功していますけど、各国に根付いた悪魔の動きが活発化しているらしいんですよ」
「む、そりゃ嫌な話だね」
風音が眉をひそめる。
「けどですね。逆に尻尾が掴みやすくなってるようでもあるんです。活性化と言うよりはボロを出しやすくなってるんじゃないかと……その、率いていた悪魔が減ったことで組織だった動きが取れなくなってるんじゃないかって、ルイーズは予測しているようですね」
「ああ。悪魔の最上位はかなり倒したからね。七つの大罪ってもうほとんど残ってないんじゃないかな?」
風音はそう言いながら、七つの大罪のことを思い浮かべた。
傲慢(スペルビア) のディアボ
憤怒(イラ) のジルベール
嫉妬(インヴィディア) のゴーア
怠惰(アケディア) のゾアラル
強欲(アワリティア) のエイジ
色欲(ルクスリア) のゼクウ
現在、七つの大罪と呼ばれていた、悪魔集団のリーダーと判明しているのはこの六体の悪魔である。
そして、悪魔王と呼ばれていたユキトとすでにディアボではないJINJINを抜かせば、七つの大罪で未だに活動中なのは 憤怒(イラ) のジルベールと、未だ姿を見せていない 暴食(グラ) の二体のみだ。
七つの大罪が悪魔の組織の中心であったとするならば、ルイーズの予測通りに集団としてはもはや機能不全に陥っている可能性はあった。
「そんなわけで、ルイーズは悪魔狩りを指揮して忙しいそうです。時間がとれれば温泉ぐらいは浸かりにこれるでしょうけど」
「ルイーズさんも大変だね」
そう返す風音だが、ルイーズがパーティから離れても普通に温泉通いしてるので、特に寂しいと言うこともない。また、転移魔術により風音は今や会おうと思えばいつでも会いに行けるのだ。
「それよりも聞きましたよ。また、凄いものを造ったとか。龍神様の鱗で造った斧なんてよくできましたね」
「うん。まだ私たちも見てはいないんだけどね。明日に王都で受け取って試す予定なんだよ。ね、弓花?」
その風音の言葉に弓花が少し緊張した顔で頷いた。
親方たちが造り上げた手斧は今、ミンシアナ王国の王都シュヴァインにあるマジリア魔具工房に運ばれ、細かい調整がされているところだ。そして明日には完成するそうで、風音たちはそれを直接受け取りに向かう予定であった。