作品タイトル不明
第七百三十四話 温泉に入ろう
「風音、風音。起きなさいってば」
風音のおでこがペチペチと叩かれている。
「うーん。私の 額(ひたい) は打楽器じゃない……もしかすると弦楽器? とかかも」
「弦楽器も違うから起きなさい。ほら」
その呆れた感じの言葉を聞いて、風音はようやく目を覚ます。そして風音が周囲を見回すと、そこはまだライオットスパイダークィーンを討伐した場所のようであった。タツヨシくんケイローンやアダミノくんを中心に素材回収をみんなで行っていた。
「私は、あれ?」
その光景を見ながら風音は「はて?」と首を傾げ、風音を起こした弓花がそのまま何かを言おうとすると、それをドンッと跳ね飛ばしてユーコーが風音の前へと立った。
「大丈夫だった風音? どうやらクィーンの甲殻のカケラが飛んできて当たったみたいね。戦闘終了だからって油断しちゃ駄目ってことかしら?」
その矢継ぎ早に繰り出された言葉に「ああ、そうなの?」と言いつつも、風音はやはり思い出せないようだった。また両方の頬が妙に痛かった。
「うーん。それに両ほっぺがヒリヒリするんだけど?」
「多分、ダブルで飛んできて頬に当たったのよ。運がなかったわね」
「う、うーん?」
風音が頬をさすりながら、なおも首を傾げるが、周囲も目を背けて何も口にしようとはしないので風音は「気を付けるよ」とだけ言葉を返した。
破片が飛んできたのであればスキル『暴風の加護』で防御されるはず……などということを風音は思いつけなかったし、まさかほっぺをつねられて意識を失ったとも思い至らなかったようである。
ともあれ、戦闘は終了していた。風音は周囲の状況を把握してから立ち上がると、今回の目玉の素材の元へと歩いていく。
「べっとべとだね」
それはライオットスパイダークィーンの身体の中から取り出した龍神の鱗であった。
今はクィーンの体液でベトベトになっていて、弓花の所有する白炎の神刀『ヒノカグツチ』の神々の炎で焼いて浄火しているところである。白き炎が、魔素の含まれたライオットスパイダークィーンの体組織を焼いて消滅させているのだ。それを見ながら仮面の槍使いライノーがつぶやく。
「しかし、神々の炎か。実際に見るのは初めてだな」
「一応後ろ盾にミンシアナの女王陛下がいらっしゃるからな。よけいなことを考えん方が良いと思うぞ」
ライノーが眉をひそめて龍神の鱗を焼いている炎を眺めているのを見て、ジンライがそう忠告する。
すっかり忘れられているが、今の弓花はミンシアナ王国の鍛冶の巫女という立場でもあった。それに神々の炎はその維持にも手が掛かる。そのまま持っていって……というわけにもいかないものだ。
「心配するな。一応うちの国にも神々の炎はあるからな。まあドワーフ連中が管理していて、使用するとたんまり金を搾り取られるが」
そのライノーの言葉にジンライは「やむを得まい」と返す。神々の炎はドワーフにとって神聖なもので、鍛冶の巫女の所有はほとんどがドワーフによって握られている。ドワーフにしてみれば人間相手に使わせてやるだけでもありがたく思えと言いたいところだろう。
「で、これはどうするの?」
そして風音に続いてやってきたユーコーの問いに、風音は少しだけ考えてから口を開いた。
「そうだね。ロクテンくん阿修羅王モードの武器にしようかと。人間が使用するのは難しいらしいし」
その言葉にはライノーも「あれになら大丈夫か」と頷く。
「その鱗は神力が強すぎるからな。こんなものを常時持ち続けていては、そのライオットスパイダークィーンのように身体が崩壊してしまいそうだ」
その言葉と共にライノーの視線の先にあったのは、他とは違う色をしたライオットスパイダークィーンの甲殻であった。それは龍神の鱗の周囲にあった甲殻が変化したもので、神力が込められていた。また、甲殻の周囲にこびりついている蜘蛛の肉は爛れて腐っていた。龍神の鱗の神力に耐えきれず、体組織が崩壊を起こしていたのである。
「他の部位は……まあ、使えそうなのはこの糸出しの魔石と神力の籠もった甲殻かなあ。ライオットスパイダーは攻撃力はあっても、毒持ちではないしね」
続けて風音の口にした糸出しの魔石とは、ライオットスパイダークィーンの喉奥にあった魔石である。これに魔力を込めることで蜘蛛の糸を生成できるのだ。それは恐らくゆっこ姉のスペル『フレアレイン』を防ぐほどの糸を生成可能なはずで、 制作系(クラフト) アイテムとしてはかなり優秀な部類に入ると思われた。
「あのクラスの魔術防御付与がある糸を出せれば、相当なモノになるな」
その魔石をライノーは、すごく物欲しそうな顔見つめながらつぶやく。
「んー、ひとまずはこれは保管するよ。けど、素材の優先権はこっちにあるでいいんだよね、ライノーさん?」
「うぐ、ま、まあ……そうは言ったが」
風音の問いにライノーが頷きつつもぐぬぬ顔となる。
実のところユーコーとライノーは今回の件に参加する際、そうした取り分については白き一団の一存に任せると最初から宣言していた。元々勝手に付いてきたふたりである。取り分までまとめて奪われては溜まらないし、両者ともそのときはそれで良しとしていたのだ。
「まあ、配分は実際にどの程度の素材がどれくらい穫れるか次第だけどね」
風音はそう言って糸出しの魔石をアイテムボックスへと入れた。実際にこれ以上の成果があれば、風音も最終的な取り分の分配の際には考慮する予定である。ライノーがその魔石を手に入れられるかどうかは今後の活躍次第であった。
それからしばらくして素材回収も終わると、風音たちは拠点へと戻ることを決めた。
そして、戦いの後は温泉で汗を流すことを決めたのである。それが今の風音コテージでは可能であった。
◎メゾトルの森 地下風音コテージ 大浴場
「これぞ、温泉って感じよね」
波々とお湯が入っている湯船の中にザバーンとゆっこ姉が入った。そのまま肩まで浸かるとそのお湯がさらにダバダバと湯船の外へと流されていく。また、その横にユッコネエがにゃーと鳴きながら入ると今度は滝のようにお湯が溢れた。
「いっぱい出ちゃったわね」
「にゃー」
ゆっこ姉の言葉にユッコネエが鳴いた。
現在、風音コテージ内の浴場に入っているお湯は温泉珠によって出されたものである。このメゾトルの森に向かう途中で一泊したときにも彼女らは入ったのだが、ただの風呂に比べてやはり全身が暖まるようだとゆっこ姉は感じていた。
なお、何故ミンシアナの女王であるゆっこ姉が風音たちと共に風音コテージの浴場で唐突に温泉に入っているのかといえば、実は仮面の女王ユーコーの正体がゆっこ姉であったためである。
仮面の女王ユーコーがミンシアナ王国のユーコ女王陛下であったとは驚愕の真実であったが、不思議とその場の全員が受け入れてた。それは白き一団の胆力の高さを物語っているようでもあった。
「あー、別の種類の温泉珠も手に入れて、湯船を並べてみたいなぁ」
そしてユッコネエに続いて湯船に入った風音がそう口にする。人の欲望には限りがないのである。それにはさらに続けて入った弓花が呆れた顔をして言葉を返した。
「また言ってる。ゴルディオスの街に戻れば、これと二種類は楽しめるでしょ? 十分じゃない?」
その言葉にゆっこ姉も頷きながら、さらに付け加える。
「それに長距離ポータルが用意できれば、カザネ魔法温泉街と、ハイヴァーンのドラムスの街と、ツヴァーラのトルダ温泉街も繋げられるのよ。そうなればもう温泉に困ることはないわ」
どうやらゆっこ姉の中での長距離ポータル設置計画はさらなる広がりを見せているようだった。
トルダ温泉街は達良の石碑とルイーズのホテルがある街で、ドラムスの街は東の竜の里ゼーガンより下りた麓にある温泉街。そこにカザネ魔法温泉街まで加わるのだ。毎日が温泉天国である。
なお、ドラムスの街がポータル設置場所に選ばれたのは、東の竜の里ゼーガンは結界が張られていて、直樹の 帰還の楔(リターナーズ・ステイカー) でもなければ、転移が不可能なためであった。
この計画が完成することによりポータル間での移動が可能となり、その上テレポートを自力で使える風音とアダミノくんは魔力さえあれば好きな温泉に入ることが可能となる。まさに夢のような計画であったのだ。
もっともそれはそれとして、風音は種類の違う温泉珠が欲しかった。
「むう。温泉珠を揃えるのは私の夢なのに……んー夢? そういえば、気絶してるとき……夢を見ていたような」
「気絶してたのに? どんな夢よ?」
その弓花の問いに風音は少し考えてから、そっと顔を背けた。よくは思い出せないが、なにかとても親友に失礼があったような気がしたのだ。気のせいであると思いたい。そして風音は気のせいだろうと己を納得させて、夢の内容を思い出すことを放棄することにした。
なんだか、とても重要な話をしていた気が風音はしたが所詮は夢だ。重要そうに思えて、実際にはそうではない……どころか、そもそも内容があったかすらも定かではない。
風音も中二の頃にはよく宇宙の真理とテレポート装置の設計図を何度となく夢の中で見て、その時は理解していたものである。多分そんな感じだろうと風音は自分を納得させたのだった。
そんなわけで弓花の質問に「忘れた」と華麗に返した風音は、話題を変えるべくティアラたちへと声をかけることにした。
「それで、ティアラたちの方だけど。アダミノくんについてどうだった? 乗り心地悪くなかった?」
その問いにティアラが少し考えながら言葉を返す。
「そうですわね。ヒッポーくんほど快適ではありませんでしたけど、思ったほど揺れはしませんでしたわね」
「そうね。ちゃんと矢の狙いも付けられたし、あれなら問題なく使えるわ」
ティアラと、続けてエミリィもそう返す。
また頭を泡でアフロのようにして髪を洗っていたレームもそれには反応する。
「そう、そう。そんな感じ……だったな。お……み、見えねえ。タツオ、お湯。お湯をかけてくれ」
その言葉に、横で身体を洗っていたタツオがくわーっと鳴きながら尻尾でシャワーを掴んで、レームにお湯を浴びせていた。
「くっ」
それを見ながら風音が唸る。どうにもふたりの仲が良すぎる。お母さんとしてはとても心配だったのである。
「と、ともかく、明日は闇の森の探索だけど、アダミノくんはそのまま運用して大丈夫そうだね。後、ゆっこ姉は今日みたいな大技を出すとすぐに他の魔物が集まってきちゃうから、明日からは闇の森対応のスタイルで挑んでね」
「了解。もちろん、そこらへんは分かっているわよ」
風音の言葉にゆっこ姉が肩をすくめながら返事をする。ゆっこ姉もゼクシアハーツ時代の経験により闇の森でどう対応すれば良いのかは当然分かっていたのである。
そして、明日は再び闇の森の探索となる。それは風音が自分のためだけに用意をして『風音の杖』と名付けた杖の真価がいよいよ発揮される瞬間でもあった。