作品タイトル不明
夢落之章:みらいのゆめ
プフォーーーー。
夜の駅前で風音がラッパっぽい笛を吹き鳴らす。
その風音の後ろにあるのはラーメン屋台だ。ラーメン屋台風音家は週末限定で姿を見せる、知る人ぞ知る隠れた流行りの屋台であった。隠れているのに何故流行っているのか……その理由は誰にも分からない。もしかすると風音が自分で食いッターなるSNSに「すげえ旨い」「美人の店主がいる」「あの●●屋よりも美味しい」等と書き込んでいるためかもしれない。
その屋台で出されるラーメンはサッパリめの醤油ラーメンである。今時の流行りのものではないが、居酒屋を出たおっさんには定評のある味で、風音家はそれなりのファンを獲得し賑わいを見せていた。
そして、もう時刻は深夜に近付き、店終いと言うところにおっさんがひとり、のれんをくぐってやってきたのである。
「らっしゃい」
風音が声高く言うと「おや、お姉ちゃんのお手伝いかい」と言いながらおっさんが笑ながら席に座った。それを聞いて風音の横にいる弓花が「こいつ、一児の母ですよ」と風音を指差した。
「ははは、まさか」
「ははははは。オジさん。ラーメン、一丁で?」
風音の笑いにおっさんも冗談だと理解したのか「うん、一丁ね」と返した。
「それとビールも貰えるかな」
「あいよー。そんじゃあ私が作るから、弓花はビールお願い」
「はいはいっと」
そう言って風音は準備を始め、弓花は屋台の下に設置してある冷蔵庫からビールを取り出した。
風音は慣れた手つきで茹でた麺をシャッシャと湯切りしてスープの入ったどんぶりに入れ、続けてそれぞれの具と、最後に特製のチャーシューと煮玉子を乗せてさっとおっさんの前に出す。
「こりゃあ美味そうだ」
ムワッと上がった湯気にメガネを曇らせながらおっさんがハフハフとラーメンを食べ始め、そして一気に食べ終わり、スープまで飲み干すと、それから置かれたビールを空にしてから笑顔で帰っていった。
そのおっさんの後ろ姿を見てから、風音は腕の時計を見る。そろそろ店じまいの時間である。
「うーん。もういいかな。弓花、そんじゃ終わりにしようか」
「オッケー。客商売とかやったことなかったけど、こういうのも悪くはないわね」
「でしょ。けど慣れてないと大変じゃない?」
「いやー、そんなでもないよ。終わりの時間帯は遅いけど、前の会社に比べれば全然」
そう言って弓花が肩をすくめるが、その表情はあまり明るくはなかった。その原因は明らかで、実はつい先日に弓花は勤めていた会社を首になったのだ。
「あれねえ。まさか上司ブン殴って首とか本当にあるとは思わなかったよ」
「仕方ないでしょ。あのハゲオヤジが『僕とアフターファイブをエンジョイしようよ』とか言い出すんだもの。マジ、キモかったんだから」
そう言って震わせている拳こそが、その上司の顔面を殴打し、そのカツラを窓の外へと飛ばした伝説のストレートを放った拳である。職場内で思わず拍手がされたそうだが、残念ながら弓花は首になった。
「ハァ、弓花も三十二なんだから、少しは落ち着きを持たないと。手を出さずに別の手段に出ればいろいろと搾り取れたかもしれないんだよ?」
「言わないでよ。つか、裁判でも起こしてギスギスした職場の中で仕事ってのもなかなかキツいわよ。まあ、もう辞めちゃったし……もういいの」
そう言って後片づけを進める弓花に「いいんなら、いいけどね」と言いながら風音ものれんを外して片付けに入った。
ラーメン屋台風音家は、風音の個人的な趣味によって生み出された屋台である。子供も落ち着いたし、少しは仕事っぽいことがしたいと考えた風音は何故かラーメン屋台を始めることを決意したのである。
そして、妻の奇行に対しいつも通り風音の旦那は反対もせず、それどころかマホガニー製の大層な出来栄えの屋台をプレゼントする始末であった。仕事を辞めて暇をしていた弓花は、本日そのお手伝いをしていたというわけであった。
「まあ、私は助かるけどさ。けど、弓花も再就職先がすぐに見つかると良いよね」
「就職先というか……永久就職先を……」
「見つかると良いねえ」
勝ち組が優しい視線を弓花に向ける。現在弓花は失業中。三十二歳の独身。そして同い年である風音は財団のご婦人。大学生の時に、ラージャ財団の総帥ナーガ・ラージャと電撃結婚をした風音は今では一流セレブの仲間入りであり、対して弓花は普通の社会人で、先日からはからついにそこからもドロップアウトしていた。なぜ、どうしてここまで差が付いたのか…慢心、環境の違い。世界は悲しみに満ちあふれていたのである。
**********
「ただいまー」
そして風音が今の本拠である東京板橋区にある屋敷に戻ると、執事とメイドたちが一斉に頭を下げ「お帰りなさいませ」と返してきた。
「相変わらず気後れする家ね」
その後ろに付いていた弓花がそう言うと、風音は「慣れだよ、慣れ」と言って、さっさと中へと入っていく。それからふたりで部屋に向かう途中で、二階からパタパタと翼をはためかせたタツオが降りてきた。
「母上、お帰りなさい。それに弓花もこんばんは」
「ただいまタツオ」
「こんばんはタツオ」
くわーと鳴くタツオに、ふたりが挨拶を返す。
「タツオはこんな時間まで起きてるの?」
「うん、今年は中学受験だからね。まあ根詰めすぎないようにしないとねタツオ」
風音の言葉にタツオがくわーっと鳴いた。自慢の水晶の角が今日も輝いている。
「大丈夫ですよ母上。自分のペースは分かっているつもりです。それでは弓花さん、また」
そう言ってタツオはくわーっと鳴きながらパタパタと飛んで二階に戻っていった。
「タツオ、本当にナーガさんに似てきたわねえ。あ、でもナーガさんは今日はいらしてないの?」
「うん。旦那様は今インドに行ってる。親戚の結婚式なんだって。私はちょっと別の用があったし、今回はいかなかったけどね」
「相変わらずのワールドワイドな付き合いね。羨ましいわ」
弓花がため息をついた。
「ほらほら、三十過ぎてからのため息は幸運も一緒に出しちゃうって言うよ」
「止めてよねえ。もう、風音。今日はつき合える?」
「うん。本業の仕事の方も一段落したし、問題ないよ」
そう言う風音は現在では大変な資産家であった。
大学でもう老人に届くだろう相手と結婚したときには周囲を騒がせた風音であったが、小遣いを資産運用によって倍々ゲームで増やし続け、今ではナーガ・ラージャ財団は風音を中心に回っていると言っても良かった。気が付けば乗っ取っていたのである。
そして、今弓花がいる屋敷も都内の一等地。どうしてこんな差が付いたのか、弓花は昔を思い返す。思えば最初にケチが付いたのはアレ
が始まりだろうか。
「直樹……と別れてからかな。何もかもが回らなくなったのは」
もう十年以上も前のことである。
その間に達良もゆっこ姉と結婚し、今では子供も大きくなった。名前が 滋射久(ジーク) と付いたのはどちらの影響だろうか。イジメがないかが心配ではあった。
「直樹か。今、元気かなぁ」
その弓花のつぶやきを聞いて風音は風音で若干寂しそうな顔を見せる。
実はストーカーが行きすぎた弟は、現在フランスのラージャ財団の支部で働いているはずであった。
少し姉と離れて頭を冷やそうか……という温情措置ではあったが、場合によっては財団の闇の勢力によって消されかねないので、今では直樹もあまり姉好きを表に出さないようにしているそうである。実に頭のかわいそうな弟だった。
「更生されてるといいなぁ」
「あれは病気よ。諦めなさい」
即座に弓花が否定し、風音がシュンとなった。世の中にはどうにもならないことだってあるのだ。
そして、風音が家の中にあるバーに入って酒とグラスを出し、それをテーブルに持っていき、弓花と飲み明かし始める。
その弓花から聞くのはいつも愚痴ばかりだ。それでも弓花はなんだかんだといっても前向きではあった。
結婚も諦めてはいない。つい先日の婚活でもIT企業の社長と知り合ったという話を風音は知らされた。それを聞いて風音はサッと某国製のSIMカードがふたつ挿せるウルトラアイポーン77を出して、聞かされた名前を打ち込んでいく。そして出てきた結果を見て「黒か……」とつぶやいた。
「何よ?」
すでに酔いが回ってボーッとした顔の弓花に「なんでもないよ」と風音が言うと弓花は「あーもー。出会いって素晴らしー」とケラケラと笑って、そのままテーブルにうつ伏せになって寝息を立て始めたのである。
「しょーがないなー」
そう言いながら風音はスマホを叩いて、さきほどの男の詳細が書かれたメールに目を通す。
IT企業の社長を名乗った男の名前は本名ではあったが、その男が運営しているという会社はペーパーカンパニーであった。
その偽装の手口からどうやらそれはプロの犯行であり、風音の名をどこかから聞きつけて弓花に接触してきたのであろうという予測が書かれていた。
「またか。本当に懲りないねえ」
そう言って風音は連絡先からイリア・ノクタールの名を選んで電話をかける。
その人物はラージャ財団の荒事専門のエキスパート。何かしらあったときに裏で対処するための暗部の人間である。風音はナーガからいざというときには……と言われて連絡先を聞いていた。
風音は大切な親友である弓花を騙そうとする相手を許すつもりはなかった。そうした手段を取ろうと思うほどに風音の怒りは今、有頂天に達していたのだ。
「あ、イリアさん、うん。さっきのヤツね。ああ、やっぱり黒? うん、それじゃあ、いつも通りに始末を……」
『なんか微妙に物騒な夢を見ているね風音』
「あれ、達良くん?」
そして風音が気が付くと、その電話の主は達良になっていた。風音は何故そうなったのかが分からなかったが、ひとまずはアハハと誤魔化し笑いをする。
「あ、いや、始末って言っても良い意味でだよ。凄く人道的なヤツ」
慌てて言い訳する風音の声に、電話の先の達良からはため息もれた。
『随分とそっちの世界に毒されてるみたいだねえ。まあいいけど。それにだ。以前に比べれば多分、これは楽しくて風音らしい夢かもしれないな』
「?」
風音には、その達良が何を言っているか分からなかった。
『それにしても僕と直接話せるくらいになっているということは……多分風音、君は自力でこっちに近付いてしまったんだろうね。その原因も、この場所からでもある程度は把握できる』
「私には達良くんの言っていることがサッパリなんだけど」
首を傾げる風音だが、達良の話はさらに続いていく。
『どうせ目を覚ませば忘れるんだろうけど……できれば 魔力の川(ナーガライン) との接続は控えた方がいいよ。このまま続けていけば、いつか生きたまま神様になってしまうから。大地と 魔力の川(ナーガライン) に固定されて、要石のような、ある種の贄と化すんだ。まあ、いずれ会えたらちゃんと教えて上げるから、とりあえずはできる限りは抑えておきなよ』
「はぁ、イタズラ電話なら切るよ達良くん」
先ほどから達良の言っている言葉の意味が風音にはサッパリ分からない。 魔力の川(ナーガライン) という言葉が昔にやっていたゲームの設定のひとつ……程度は分かったが、他はまったく意味が分からない。
そして風音は思う。達良も今は一児の父親なのだから、中二妄想で会話をするのはやめて欲しいものだと。
そして風音も現在は三十を越えた子持ちの大人の女性だ。達良にも落ち着いてきた自分を少しは見習って欲しいと考えていた。故にこうして寝ぼけているだろう相手に対しては毅然とした対応を取ることも必要だと風音は判断し、通話終了のボタンを押そうとして、
『ちょ、ちょっと。待って。もうひとつ、連絡だけ』
「何?」
風音はその指を止めた。
『あのさ。君に救われたJINJINは今はやすと共にいるみたいだから、できれば彼らも連れてきて欲しいんだよ。覚えていればでいいからね』
「助けた? 私、JINJINに何かしたっけ?」
それはやはり、風音には身に覚えのないことだった。だが電話の中の達良は『したんだよ』と返す。
『あいつも眠っていたから覚えていないみたいだったけど、今は悪魔になってるから少しは繋がってあっちの状況の方は分かるんだ』
「達良くん」
『そういうわけだから……』
「お休み」
『え、ちょ……』
風音は電話を切った。どうやら達良は本格的に寝ぼけているようだった。風音は明日にでもゆっこ姉にチクってやろうと思いながらスマホを仕舞う。その会話に気付いたのか、弓花が「ふわぁ」とアクビをしながら顔を上げた。
「風音。今の誰?」
「んー、達良くん。なんだか寝ぼけてたみたい」
「まあ、あいつはデブだからね」
デブは関係ないと風音は思ったが、デブではあるので特に否定もしなかった。達良は今、幸せ太りで小デブが大デブになっているのである。
一方で弓花の達良に対しての反応は、以前に比べると随分と丸くなっていた。昔だったら訴えるべきとか高らかに叫んでいたはずである。
「年を取るってそういうことなのかもなぁ」
「何が?」
風音の言葉に弓花が首を傾げる。それに風音は肩をすくめながら「なんでもない」と笑って、再びグラスに酒を注ぐ。
そして、こうした未来も或いはあったかもしれない……と風音は考えながら、ゆっくりとその意識を覚醒させていったのである。