作品タイトル不明
第五百九十六話 風呂場ではしゃごう
ネイキッドベヒモス討伐の翌日。
風音はベヒモス素材を『真・空間拡張』の大型格納スペースに収納できてタツヨシくんケイローンとサンダーチャリオットトレインでの高速移動も可能なために、ベヒモス討伐の翌日には他のパーティよりも先行してトルダ温泉街に戻っていた。
そして街に戻って自分たちで保有する分以外のベヒモス素材を冒険者ギルドに預けると、風音はさっそく大浴場へと向かい、人のいない場所に移動すると反復横飛びをし始めていた。それはスキル『最速ゼンラー』の能力チェックであった。
◎トルダ温泉街 大浴場
「こりゃあ体が軽い。スゴいな」
服を脱がねば発動しないというワケの分からぬスキルだが、その性能は非常に高い。風音は真っ裸の魅力に取り憑かれつつあった。
「いや、危ないから風呂場で暴れないでよ」
弓花がはしゃぐ風音を冷静に注意していた。
なお風音の動きは通常の三倍……ぐらいは速いだろうか。断続的な動きにより今や風音は分身をしているようにも見えていた。
「カザネ、危ないですわよーー」
弓花に続いてティアラも心配そうに声をかけるが風音はどこ吹く風である。新スキル『最速ゼンラー』、それは脱げば脱ぐほどに速度が上昇するスキルだ。そして今の風音は全裸。一糸纏わぬまごうことなき全裸。生まれたままの姿で、風呂場ではしゃいでいたのである。
「ふっ、ここまでの冒険で鍛え上げた私にとってはこの程度のこと、何の恐怖もない。お風呂場ではしゃいで転ぶようなそんなお馬鹿な子供時代はもう卒業したんだよ」
クワッと風音がドヤ顔を決める。ヤケクソであったともいう。裸でなければ使えないスキル。そんなもの、いつ使うのか。ヌーディストにでもなれというのか。絶壁を見せつけろと言うのか。そんな怒りと全裸への開放感が風音を襲い、風を感じずに居られなかった。
「あっ」
しかしどんなことにもいつしか終わりは訪れる。風音は勢いのままに続けて反復横飛びをしようとしてその場でスッテンと転んだのだ。
「カザネェッ!?」
ティアラの悲鳴があがる。そして、
ズガァアアアン
という凄まじい激突音が風呂場の中を木霊し、その場の全員が凍り付いた。
「きゃああああ、風音の頭から血が、真っ赤な血がぁあああ」
ティアラが絶叫する。あれだけの速度で無防備に頭から床に激突したのだ。どう考えても即死コースであった。もはや風音は動かず、ダクダクと血を流しながら身体を冷たく……してはいなかった。
「ふぅ、危なかったぜ」
『何事もなく』風音はその場で立ち上がり、目の前のめり込んだ床をゴーレム魔術でとりあえず整え、コーティングをかけて誤魔化し証拠を隠滅した。
「あれ、今確かに?」
弓花が目を丸くして風音に尋ねるが、風音は冷や汗をかきながら笑うだけだった。
「あははははは、何?」
そう言う風音に弓花が眉をひそめながら風音を見るが、特に怪我はないようだった。そして風音は弓花に気付かれないようにガクガクと震えていた。
(ああ、『致命の救済』使ってる。今の即死案件だったのかぁ……)
風音の持つ悪魔ディアボのスキル『致命の救済』とは因果律を改変して死の状況をなかったことにするスキルである。つまり風音は今死んでいた。狂い鬼に殺されたのに続いて己の不注意による二度目の死である。風音は風呂場ではしゃいだお馬鹿な子供であった。だが騒ぎはそれで収まりはしなかった。
「姉貴っ、大丈夫か?」
「は?」
風音の叫び声に直樹が 帰還の楔(リターナーズ・ステイカー) による転移で飛んできたのだ。直樹の中に宿る弟の本能が姉の危機を察知し、風音に刻まれた刻印を使い女風呂の中へと飛び込んできたのだ。
「あ?」
「お?」
直樹が目の前を見ると風音の顔があった。近かった。おかげで顔から下は見えなかった。
「な……んだと?」
そして直樹は己の目の前の状況に唖然とした。
一体何が起きたのか。姉の危機だととっさの判断で飛んだ直樹には今の状況が把握できていなかった。
己が先ほどまで男風呂にいたこと。ここが女風呂であること。風音が真っ裸であること。直樹も真っ裸であること。顔が近すぎて風音の顔より下が見られてないこと。顔を下げれば見られそうなこと。だったら見てみようと判断したこと。
思考に身体が追いつき、ならばと顔を落として桃源郷への一歩を踏み出そうとしたとき、風音の姿は消えていた。
「ガフッ」
それは一瞬のことだった。背後から首に小さな腕が絡みつき、直樹の首を絞めあげたのだ。それが風音の生腕だと気付いた直樹は一瞬顔を綻ばせたが、それもわずかな間のこと。
「静かに眠れ」
風音のチョークスリーパーによって直樹は瞬く間に気が遠くなりゆっくりと落ちていった。そして直樹が最後に考えたこと、それは……
(胸が……当たら……ないだと?)
であった。本来であれば後ろから絞められれば、膨らんだ胸の厚みが背中を押してくれるはず。だが直樹にとって誤算だったのは、姉の胸がまっ平らであることであった。
なお、イケメンが真っ裸で女子風呂で寝ているということで、老若問わず女子が殺到し直樹は晒し者になっていた。風音がズルズルと外に運び出すまでの間、それなりにお粗末ではないモノを持つイケメンはその下腹部に視線を集中されていたのである。
◎トルダ温泉街 冒険者ギルド事務所 支部長室
『ふむ。ティアラの周囲が少し騒がしいようだな』
炎の魔人形態……つまりはほとんど人と変わらぬ姿でいるメフィルスがそう口にした。術者とのフィードバックにより、風呂場の騒動でのティアラの驚きがメフィルスに伝わったようである。
「あの子たち、また騒いでるのね」
メフィルスの横に座っているルイーズが苦笑する。
「賑やかそうなお仲間ですな」
ふたりの前でテーブルを挟んで座っているのは冒険者ギルドの支部長である。その言葉にはメフィルスとルイーズの双方が笑う。
なお今この場にいるのはメフィルスとルイーズ、それに冒険者ギルド支部長のみである。
このトルダ温泉街はメフィルス前国王陛下の愛人が経営するホテルのある街であり、冒険者ギルド支部長はこの街に通っていたメフィルスとも面識があった。さらにいえば現在の絶好調であるメフィルスの姿は病に伏せっている前の精力的に活動していたメフィルスそのままであるため、メフィルスが普通に出歩いて支部長がそれを目撃したのであれば気付かぬはずがなかったのだ。
そんなこともあり、驚きの顔でメフィルスに近付いてきた支部長にはメフィルスも「しまった」という顔をしたのだが、実際に死んだのは確かであるし今は一介の召喚体の身の上である。こうして知己として話す分には……ということで話の席が設けられたというわけであった。
とはいえ、支部長にしてみれば死んだと思われた前王が街の危機を救ってくれたということになるのだ。当然内密にとは言われてはいるが支部長にとっては身に余る光栄であるようだった。そして過去の話などが弾み、続けて話題は今回のネイキッドベヒモス討伐にも及んでいく。
「正直、あれを倒せて良かったわよ。あたしらがこなかったら恐らくは王国軍案件、それも数百人規模で死傷者の出る掃討作戦になっていたでしょうね」
ルイーズの言葉には支部長の顔も少しばかり強ばる。またルイーズの言葉は決して大袈裟なものでもなかった。
通常の魔物討伐は冒険者に依頼されるもの。しかしそれが対処できないほどに難敵であったり異常な繁殖数であったりと冒険者の領分を超えた場合には王国軍に処理が回される。王国軍は対国家だけではなく、当然のことながら魔物への対応も求められるものなのだ。
今回のベヒモスたちの討伐に関していえばベヒモス討伐実績のあるレイブンソウルを呼べる算段があったからこそ冒険者ギルドからの依頼が成立していた。そうでなればツヴァーラ王国軍の対応となっていたはずで、あのアーマードベヒモス相手に王国軍が挑んだ場合、極めて甚大な被害になっていたのは目に見えていた。
『うむ。余としても正直キモの冷える話であったわ』
ルイーズの言葉にメフィルスが頷く。現行のツヴァーラ王国軍で対処ができぬとはメフィルスも言わないが、 爆発反応装甲(リアクティブアーマー) 対策は大変に骨が折れたことだろうと考えていた。場合によってはアーチの自爆特攻を実際にヤらざるを得ない事態になったかも知れないのだから、かつて国を治めていた者としては胸をなで下ろす思いであったのだ。
「本当に感謝いたします。メフィルス王陛下のご尽力を頂けるとは……」
ギルド支部長がそう口にして頭を下げている。
『余の力ではない……が、その方の気持ちは受け取っておこう。すでに話はしてはおるだろうが、今回の件については良いように報告しておいて欲しい。それが我が孫娘の願いでもある』
メフィルスの言葉に支部長が「ははぁ」と頭を下げる。その様子を見ながらもメフィルスは、そしてルイーズの顔はあまり晴れた様子ではなかった。
白き一団という存在は風音の現状の立場の隠匿以外にも、その戦力はあまりにも大きくなり過ぎていてそちらについても隠さなければならないことが多くなっている。
『何かしら手を打つべき……であろうな』
メフィルスはそう呟きながら、考え込んでいた。