作品タイトル不明
第五百五十話 悲しいから鳴こう
『ウォォォオオオオオオオオオオオオオン』
世界の終わりを告げる断末魔のような咆哮がその場に木霊していた。そして、周囲の冒険者たちは全身を恐怖で震わせながら目の前の獣を眺めていたのだ。
そこには、銀色に輝く全長二メートル半を超える狼が二本足で立っていた。その身にゴスロリピンクの衣装を纏っていたがそれを笑う者はこの場にはいない。何か一言口にすれば、自分を含んだ何かが終わると彼らは確信していた。
また、狼の握っている銀色の槍も彼らが踏み出せない理由の一つであった。その槍の輝きがあまりにも神々しいのだ。極寒の大地を想起させるような、命の存在の一切を許さぬ研ぎ澄まされた清浄なる気がそれから放たれ、刃先からは狼の巨体に合わせたかのような神聖力のエネルギー刃が迸っていた。触れたものみな傷つけそうな圧倒的な存在の力があった。
さらには化け物の後ろにいる三頭首の巨大な銀狼の存在もあった。銀光放つ瞳で自らの主の邪魔をする者を排除しようと三つの首が周囲を見回している。主を侮辱されたことに激昂し彼らも怒り心頭のようであった。
特に中央の刃のような角の生えた狼から発せられる怒気は凄まじく、見る者すべてを心胆寒からしめるものがあった。
そして、その周囲には死屍累々と男たちが転がっていた。パーティ『ドドリアン』とパーティ『熊殺し団』の全メンバーがその場で蹴散らされて大地に突っ伏していた。死人がいないことがそもそも奇跡のような状態だった。
そんな半死人たちの中心で哀を叫ぶ獣がいた。
『オォォオオオオオオオン』
まるでこの世の絶望を音に変えたような悲しい咆哮だった。
何が起きたのか……それは簡単なことであった。
強者として恐れられる者が弱者を装えばどうなるのかなど火を見るよりも明らかなことであったのだ。そう、己の分を弁えぬ愚か者たちが『 血塗れの狂戦士(ブラッディベルセルク) 』に手を出そうとしたのである。
今、ゴルディオスの街は 金翅鳥(こんじちょう) 神殿というダンジョンが現れたことで大陸中から冒険者たちが集まってきている時期であった。それもA級ダンジョンと知って挑もうとする者たち、つまりは腕に覚えのある者たちばかりであった。
そして、ただの噂話でしか白き一団を知らぬ者たちもその中には大勢いた。そんな彼らが街で一目置かれる白き一団やそのメンバーに対して悪感情を抱いたとしても不思議なことではなかった。寧ろ白き一団の悪名すらも荒くれ者である彼らにしてみれば勲章のようなものだ。恐れられることとは、すなわち自らの力を誇示できているということと同義なのだ。故に名をあげるために彼らが手っ取り早く標的にしたのが受付をしていた弓花だった。
もちろん弓花もそんなバカを相手にするほど幼稚ではない。臆病者と罵られようがそんなことどうでも良い弓花はどこ吹く風で流していた。しかし、彼らは弓花にだけではなく受付に来たお客様にまで手を出してしまったのだ。
それは弓花にとって久方ぶりに会話に花を咲かせられた相手だった。それも弓花好みのイケメンだった。唐突に恋が芽生えることもある。イケメンとの春が来たかと弓花が思った矢先にイケメンが連中に殴られ吹き飛んだ。イケメンが大きく弧を描いて事務所から外へと飛んでいった。そしてイケメンがゴロゴロと転がりゴミ捨て場に激突したのだ。
そして、次の瞬間に発せられたものは怒りであった。
それはコミュニケーションに餓え、彼氏に餓え、まともなイケメンに餓えていた弓花をキレさせてしまうには十分なことだった。激情が弓花の全身を支配し、事務所の前で決闘となったのももはや当然の成り行きだった。
また弓花にとって不幸だったのは、相手がそれなりの実力者だったということだろう。少なくとも生身の弓花では彼らを纏めて相手にしては勝てないほどに強かった。
そして相手にとって不幸だったのは、手を出した相手が悪すぎたということだろう。『 血塗れの狂戦士(ブラッディベルセルク) 』の本気を完全に引き出させてしまうほどに彼らは愚かで、また多少の抵抗ができてしまうほどの実力があった。
その結果が目の前の光景である。
瞬時に巨大な狼となった弓花はアイテムボックスから聖者の槍ムータンを取り出し、男たちを完膚なきまでに叩きのめしたのだ。一切の油断なく、一切の容赦なく、一切の情けなく、己の技術の粋を尽くして銀色のオーラ放つ怪物は自らに敵対するすべての荒くれ者たちの肉体と精神を徹底的に破壊し尽くした。
「殺せ」と叫ぶ声も虚しく、生きたまま彼らは地獄を味わったのだ。
そうして身動き一つできぬほどに叩きのめされて大地に這いつくばった男たちの瞳にはもう生気の色がなかった。俗に言うレイプ目である。彼らはこれまでに鍛え上げてきた己の力も、それに伴う自尊心なども徹底的に弓花に叩き潰されたのである。
それは、スキル『深化』を用いて完全狼化したことにより発生したスキル『獣性』の暴走だった。普段は狼と化した肉体を制御するためのスキルが心の弱った弓花を支配し、野生の掟をもその身に体現させたのだ。人という種の群れの中に己という上位種がいることを弓花は恐怖とともに男たちに刻み付けたのである。
そして、気が付けば獣が一匹鳴いていた。とても悲しそうに、寂しそうな声で鳴いていた。
それから恐れる冒険者たちを見渡すと、狼は目から大粒の涙を零しながらいずこかへと去っていったのだ。
そう、人と獣が交わることはないのである。
人が大好きで、人とともにいたかった獣は、しかし最後の最後で本性を晒して恐れられ逃げ去るしかなかった。
これはそんな悲しい獣の物語だったのだと、その場の人々の心に強く刻み付けて獣は立ち去っていったのであった。
◎ゴルディオスの街 白の館
「……やっちゃった」
二匹の狼が大暴れした翌日。
弓花は当然森に帰ってはいなかった。特に帰る森などなかった。白の館に戻った弓花はひとりでいたいと言って客室に篭もり、クロマルに抱き付いて一晩中泣いていたのである。そして気が付けば弓花は朝を迎えていた。
「もう……朝なんだ」
赤い目をこすりながら弓花は外を見て今が朝であることを理解した。また、部屋を出てみるとどうやら仲間たちは早朝訓練に出ているようで、オーリングも昨日からダンジョンに潜っているため館の中には誰もいなかった。
「む……いかなきゃなぁ」
今日一日くらいは休んでもと思ったが、一日でも途切れてしまえばそれはそれで癖になるかもしれないと弓花は考えた。そして心配するクロマルの頭を撫でながら、弓花は仲間たちを追って街の外に向かうことにしたのだ。今は無心に体を動かしたい時だったのである。そして、弓花が外に出たときだった。
「ちーっす」
「「「「「「ユミカさんちーっす」」」」」
弓花が白の館を出ると、昨日の荒くれ者たちが整列して一斉に頭を下げてきたのである。
「は、はい。ち、ちーす?」
一晩中泣き腫らしたことでショボショボとした目をしながら、弓花はその集団を見て呆然としている。どうやら昨日の怪我の治療は受けたようだが、まだ治りきっていないようで包帯を巻いている者たちも多数いるようだった。
対するクロマルの視線は厳しいが、特に敵対する様子もないのでその場で警戒だけして佇んでいた。そして、弓花の後ろから風音が「やあ、おはようみんな」と言いながらやってきたのである。
「カザネさんもちーっす。おら、声をあげろやテメーラ」
「「「「「「ちーっす」」」」」」
手を挙げて彼らに挨拶をする風音に弓花が疑問の瞳を向ける。
「ええと、あんた修行に行ってるんじゃ……というか、なにこれ?」
その弓花の問いに風音がフッと笑う。
「昨日は大変だったね弓花」
「え、うん。まーね」
弓花が曖昧に頷いた。
「私もね。少しだけ振り返ってみて考えたんだよ。そして、気付いたんだ。弓花は自分を見失っていたんだってね。あんな格好で受付なんてして愛敬を振り撒いても弓花の内側にある凶暴な牙を隠すことなんて無理だってことを最初に理解しておくべきだったんだよ」
弓花は愕然としていた。受付をするように指示をした本人がなんだか酷いことを言っているのである。しかし、風音はそんな事実を微塵も感じさせない力強さで両腕を握りしめて力説する。
「だから私も反省したんだよ。戦士はやっぱり戦士としてコミュニケーションをとるべきだったんだってことに」
そう、言ってることはともあれ風音も反省をしていたのである。
弓花はもうすでに一流の戦士。そして、その事実を前提にして、これまでの旅の中で弓花が自分たち以外と楽しそうに話していたのがいつだったのかを記憶を遡って風音は思い出したのだ。
「弓花は彼らのような人たちと仲良くなるべきだったんだよ」
「え?」
さっと目の前の豚だかゴリラだかな顔をしている男たちに風音は両手を差し出した。弓花は愕然としたが、風音にはちゃんと考えがあった。
風音はしっかりと憶えていたのだ。弓花が輝いていたとき、それはジンライ道場とバーンズ道場での兄妹弟子たちと一緒に修行をしていたときだった。そう、ただ恐れるのではなく、ちゃんと弓花の実力と向き合える相手こそが弓花には必要だったのだと、風音はついに答えを見つけたのだ。風音に促されて、豚顔のリーダーらしき男が前に出て弓花に口を開く。
「俺らぁ、パーティ『ドドリアン』と『熊殺し団』はユミカさんの化け物みてえな強さにいたく感動しやした。俺らぁ、獣人よりもケダモノみたいな連中とか言われてやしたけど、上には上がいるんだって骨身に染みるほどに理解しやした。勉強になりやした」
「「「「「「なりやしたー」」」」」」
そういってパーティ『ドドリアン』と『熊殺し団』の面々は弓花に向かって深々と頭を下げたのである。その姿を見て、弓花もふっと溜息をはいてから「しょうがないなあ」という顔をして笑った。今の会話の中に色々と怒りポイントがあったはずだが弓花は気付いていなかった。それほどまでに弓花は追いつめられていたのだ。
「んー、まあ昨日は私も少しやり過ぎたし、その……ごめんね?」
そう、なんだかんだと言っても弓花も風音たち以外の人間とのコミュニケーションには餓えていたのである。例え相手が獣人でもないのに豚や熊みたいな顔をしていても構わないほどに弓花は嬉しかったのである。そして、少しだけはにかんで弓花は彼らに「一緒に特訓してみる?」と早朝訓練に誘った。それは弓花にとっての新たなる一歩だったのである。
なお、この死獣事件と呼ばれる騒動以降、『 血塗れの狂戦士(ブラッディベルセルク) 』さんの噂には『寂しいと暴れる』との注意も追加されることとなる。
『 血塗れの狂戦士(ブラッディベルセルク) 』さんは適度なコミュニケーションをとってあげないと精神的に不安定になって爆発するとの風音の忠告はそれなりに的を射たものではあったし、その後の弓花の援護射撃になったことは想像に難くない。
しかし、その忠告がまさか昨日の地獄のような光景とともに街を超えて『贄を捧げよ』と拡大解釈され伝わっていくとは、このときにはまだ誰にも予測できてはいなかったのである。