作品タイトル不明
腹の底に潜むバケモノ
「カイザー兄上が抱えてるものを、俺にも背負わせてください」
真摯で健気なその言葉と瞳に……瞬時、呼吸さえ奪われた俺は息を吐き出すと短く告げた。
「だめ」
簡潔な拒絶にガーネストの肩が揺れる。
凛々しい眉根が苦し気に寄せられて、ああ、と手を伸ばさずにはいられなかった。
正直、嬉しい。めっちゃ嬉しい。
「俺の弟、マジ天使じゃね?!知ってたけど!」ってドヤっってしたいぐらい気持ちは嬉しいし、基本的に可愛い弟妹のお願いは叶えてあげたい派だ。 孫に激甘でなんでも買い与えてしまうダメなジジババの 如(ごと) く、甘やかしてやりたい派の俺だけど……。
「ごめんね? これは駄目」
これだけは駄目だ。
「……っ!どうして……っ、俺がっ、頼りないからですか……?!」
苦し気な表情に胸が痛む。
伸ばした手で頬を撫でた。確かに感じる体温と手触り。
むにっ!と摘めば僅かに硬い。
最近つまんでたのはむにっ!としたらモチモチの感触を伝えてくるマオのほっぺばかりだったため、感触の違いが新鮮で思わず数度むにむにしちゃう。
うむ、硬い。男らしく柔らかくはないが、でもお肌はつるっつる!
きょとん顔もかわゆす!と思いつつ手を離す。
よし、赤くなってない。内心むにむにし過ぎたかと危惧してただけに、ほっと胸を撫でおろした。
「大事だから。だから言えない、言わない。そう決めた」
もう一度、「ごめんね?」と告げて、ソファへと深く凭れ掛かった。
完璧オフモードだが知らん。今だけ厳重に被った優雅な黒鳥の皮も脱ぎ捨てちゃう。ぽいっ。
なんなら、行儀悪くクッションも抱きしめちゃうし。ぐてー。
「本当は……全部、投げ捨ててしまいたいと思ったんだ」
「兄、上?」
「多分、ガーネストたちが思ってる以上に私は面倒臭がり屋だし、やる気もなければ凄くもないしね。面倒で、重くて……色々と投げ出してしまいたいと思ったことだって何度もある。実際、爵位だってガーネストに押し付けたし、城での要職とかも断っているし」
言葉の途中で反論の気配を感じたが、手で制した。
反論は受け付けませーん。
不満気に口を閉ざしたリフたちは見ないフリー。幼い頃の身を削るような努力や仕事ぶりを見てたら「そんなことない」って言いたくなる気持ちはわかるけど、それは必要にかられてだし、実際の中身はそんなもんよ?
転生に気づいたばかりの頃、現実をすぐに受け入れられたワケじゃない。
これは夢で、目が覚めたらいつも通りの日常が戻ってくる。
そう思って何度、眠りについたことか。
そして翌朝、豪華なベッドで目を覚ます。
いつになっても“ 此処(ここ) ”は現実のままで……。
怖くて、不安で、苦しくて、悲しくて、「ふざけんなっ!」そう、叫びたくなったことだって何度もあった。
漸(ようや) く現実を受け入れて、大切な人も、守りたい人も沢山出来た。
爵位も立場も、貴族のしきたりも、未だに面倒だと思ってるし、ぶっちゃけ全部終わったら身分なんて捨てたって構わないとさえ思ってる。
だけどそれでも、もう、捨てられないモノもある。
俺が、 『カイザー』 であること____。
「これは私が、カイザー・フォン・ルクセンブルクとして背負う責務。私が私である為に、背負わなくてはいけないモノで、楽な方に逃げることを踏み止まってでも、私が私でありたいと願うのは…………ガーネストたちがいるからだよ」
「俺たちが……?」
「そう。可愛い弟妹に、愛してくれた家族。支えてくれるリフたちに気の置けない友人。無様に 足掻(あが) いてでも、手放したくなくて失えない大切なモノが沢山ある」
だから、認めなければならない。
懐かしく、慕わしい前世の記憶がどれだけ優しく鮮やかでも。
この世界が、 今の カイザー(俺) が生きる 世界(現実) だ。
「頼りないからじゃなく、大切だから。だから言わない。絶対に」
俺が転生者だってことは、墓の底まで持っていく。
「それに」と手に持ったクッションをぎゅぎゅーと潰した。
「不安も憂いも、恐怖も……。払う必要なんかない、このままでいいんだ」
「 何故(なぜ) です?俺やベアトリクスが思い悩んでいたら、カイザー兄上は絶対に力を貸してくれようとなさるでしょう」
「そりゃあ 勿論(もちろん) 」
えっ?なんか悩み事??
思わず即答した。多分真顔。
「ほら、やっぱり」
俺の返答は大変お気に召さなかったらしく、ムスっとした顔でクッションを取られた。確かに今の会話の流れなら「じゃあ、なんで」ってなるよな。
弟に拗ねられ、慌てて言い訳を探す。
「いや、違うよ?必要のない恐れや不安なら幾らでも払うけど、私のコレは必要なモノだから」
「必要ってなんですか?」
「んー、戒め、的な?」
初めて自分自身の無力さを痛感したのは母さんの死。
知っていた。わかっていた。
だけどそれでも、死んでほしくなんかなかった。
でも結局……事故でも他殺でも、流行り病ですらない病による死を防ぐ手立てなんてなくて、冷たくなった 亡骸(なきがら) に無力さを痛い程に味わった。
二度目は、無邪気で小さな仔犬の死。
もうこの世界にも慣れたと思ってた。だけどその思い違いを突きつけられた。
真っ白な毛並みを血で汚した仔犬の死因は毒だった。
親戚が連れてきたその仔は、じゃれつかれて落としたクッキーを食べて死んだ。直前まで俺が手にしていたものだ。
正直、ドン引いた。
貴族生活が長く、薄汚いドロドロを嫌という程に垣間見てしまった今なら少しは理解できる。中途半端な立ち位置の 公爵家嫡男(俺) が、周囲にとっては邪魔な存在だったこと。消えてくれたらどれだけ美味しいか。
だけど当時の俺には衝撃的な出来事だった。自らの利の為に、平然と幼子を殺そうとする。
価値観も、命の重みも、俺が知っている世界とは異なるのだと思い知った。
所詮(しょせん) は全年齢対象の乙女ゲームの世界、と頭のどこかで楽観視していた俺の思い違いをまざまざと突き付けられるには十分だった。
そして同時に、『無能』という『異物』だと判明した途端の周囲の掌返しは、『転生者』だというもう一つの『異質』を隠し通そうと強く心に刻んだ切っ掛けだ。
気付かれてはいけない、この世界に馴染まなくてはいけない。
“ カイザー(俺) ”はこの世界の人間なのだから_____。
…………まぁ、そうして死に物狂いで頑張り過ぎた結果、逆に周囲から浮いて目立った感も否めないが。必要な努力だったってことで結果オーライ!
はじめて生き物の命を奪った時の手の震え、ガーネストやベアトリクスが生まれた時の歓喜と、未来への不安。
“当たり前”の明日が、“当たり前”に訪れないことを俺は知っている。
だって、俺は前世での自分の最後を覚えていない。
“当たり前”に訪れると思っていた明日は、かつての俺には訪れなかった。
「正直、消せない後悔も、気分が悪くなるような忌々しい記憶も沢山ある。でも、必要だった。そこから派生した恐れや不安が、私を動かす原動力になったことは否めないし。現実は早いうちに思い知っておいて良かったと思う」
平和ボケしたままだったら多分、ここまで死に物狂いになれなかったと思う。
ガキの時にハードな現実見せられたからこそ、足掻きまくる時間があった。
「だから この感情(コレ) は一生、抱き続けなきゃいけない。消さずに、忘れずに……だけどそれに支配されてもしまわぬように、腹の底で飼いならすべきモノだから」
「情緒不安定だったのかちょっと起きちゃったみたいだけど」と笑ってガーネストの手から再びクッションを回収。
俺たち兄弟に手慰みと八つ当たりでむぎゅむぎゅされたクッションは、哀れ、ペッタンコ……。
せっせっと形を戻してみるも、元通りにならないので他のクッションで隠しちゃう。証拠隠滅。バレバレだが。
ガーネストの表情はとてもじゃないがまだ納得はしてなさげだ。
まぁ、結局、悩みの原因だのなんだの一つもちゃんと口にしてないしね。
「お腹すいた。ガーネスト、 折角(せっかく) だから昼食付き合って」
「えっと?はい?」
唐突な話題変換に疑問形だが、そのはい?は肯定のはいと 見做(みな) しまーす。
「憂さ晴らし、付き合ってくれるんだろう?こんなモヤモヤは腹の底に沈めとくのが一番。ってことでご飯、食べよう。お腹減って気が立ってるのもあるかもだし、情緒不安定の原因は深刻なベアトリクス成分の不足だと思うんだよね。せめて他で癒しを補給しないと」
「……成分ってなんだよ」
はいー、耐えられなかったのかソラからツッコミ頂きました。
確かに前後の会話のテンションに差があったかも知れないけど、切実に深刻な話題です。
昼食の準備をしようと、すぐさま動き出そうとしてくれるリフを引き留めた。
お腹は減ってんだけどね、その前に。
「お茶が飲みたい、紅茶。リフの紅茶が一番美味しいから」
子供みたいに 強請(ねだ) れば「お望みのままに」といつもの笑みを浮かべてくれた。
そのティーポットは 何処(どこ) から?!
瞬時に現れたように見えた謎のティーポットを凝視しつつ、漂う香りにほっと心が落ち着く。最近はジャスミン茶とかジャウハラのお茶ばかり飲んでたから余計に懐かしい。
そうして用意された食事は……めちゃくちゃ量が多かった。
いや、お腹減ったとは言ったけど多っ!!
頑張ったけど、残しました……。お腹いっぱい……。