作品タイトル不明
第百九十三話 狙われる者たち
軍議は一応の決着を見た。
雑賀の脅威を踏まえつつも、
攻略は続行――
その方針が固まったことで、
兵たちはそれぞれ持ち場へ散っていく。
しかし、信雄だけはどこか腑に落ちない様子で、
秀政のもとへ歩み寄ってきた。
信雄は腕を組み、気まずそうに口を開く。
「秀政殿、当家の柴垣が見苦しい点をお見せしたな」
秀政は首を横に振り、むしろ感心したように微笑んだ。
「ん?いやいや、当然の行動です。
むしろ柴垣殿の忠臣ぶりには感服いたしました」
信雄は意外そうに目を瞬かせる。
秀政は続けた。
「俺も雑賀は甘くみておりませぬ。
これより足軽の装束に着替えて、我が甲冑と陣羽織は、
兵に貸し与えようと考えておりました」
信雄は思わず声を上ずらせる。
「そ、そうなのか?
雑賀とはそれほど恐ろしいのか?」
秀政は静かに頷いた。
「はい、ともすれば、俺が今まで戦ってきた敵の中で、
最も恐ろしい敵やもしれません」
その言葉に、信雄の喉がごくりと鳴る。
普段は豪胆(お気楽)な彼も、雑賀の名にはさすがに気圧されたようだ。
「な、なるほど……雑賀とはそれほどか。
俺はどうしたらいい?
女人隊に混ざるだけで大丈夫か?」
秀政は即答する。
「はい、女人隊に混ざれば一兵卒に化けたも同然。
大丈夫でしょう。
おそらく柴垣殿も足軽に身を変ずるはずです」
信雄はほっとしたように胸を撫で下ろす。
だが秀政はすぐに次の懸念を口にした。
「ですが、林殿は陣頭指揮を執る必要があるため、
もう一手考える必要がございますな」
信雄は心配そうな顔で身を乗り出す。
「一策在るのですが、四百貫ほど銭を出していただけますか?
三介様も唸る秘密兵器をご用意します」
信雄は目を輝かせた。
「なんと!秘密兵器とな!出すぞ!秀政殿、頼む!」
「は!」
秀政は深く頭を下げたが、その内心は別の方向へと巡っていた。
(許せ、岡部殿。
さらに無駄遣いする。
本来なら、狙撃戦で使う遠眼鏡も信雄に買わせたかったが、
どうせ俺が使うことになる。
あまり調子に乗ると殿に怒られるからな。
あの秘密兵器だけで我慢するか)
そんな秀政の思考を遮るように、雫が勢いよく現れた。
雫は信雄の手を掴み、ぐいっと引っ張る。
「三介様!参りましょう!化粧してさしあげます!」
信雄は嬉しそうに引きずられていく。
「お、おうおう!今行くぞ!」
(……まぁ、面白がっているなら良いか)
秀政は小さく肩をすくめ、すぐに杏を呼んだ。
「杏、参れ!」
「は!」
秀政は素早く筆を走らせ、購入指示書を書き上げる。
「これを堺の千種屋支店へ。
これは三介様のツケで買ってまいれ。
そしてこの遠眼鏡百個は芋粥家に支払いを回せ」
杏は目を丸くした。
「は!これは?」
秀政はにやりと笑う。
「ふっ、度胆を抜くぞ。
少々重いので細かくばらして気を付けて運べ」
杏は指示書を受け取りながら首を傾げる。
「は!して、遠眼鏡とは?」
「南蛮の航海用具だ。貴重ではあるが、
サンパイオ商会なら航海用に多数確保しているはず。
一貫で買える普通の物で良い。
これはな、遠くのものがまるで近くにあるように見える鏡よ」
杏は感心したように目を輝かせた。
「ほぉ。珍しい物があるのですね」
秀政は頷き、声を低くする。
「あぁ。頼むぞ。なるべく急げ。
雑賀は動き出したばかりだ。
相まみえるまでには、まだ少し猶予がある。
だが、それもすぐだ」
「は!」
杏は駆け出していった。
秀政はその背を見送りながら、胸の内で呟く。
(おそらく戻ってくるまでに六日といったところか。
間に合うかどうかは微妙な所だな。
しかし……戦国時代で狙撃戦など前例がない。
だが、もし現代知識が有効ならば、
観測手(スポッター) がきっと役立つはずだ)
*
「かかれぇ!!」
怒号が戦場に響き渡り、
林に率いられた大和農兵が木本砦へ雪崩れ込む。
何度も何度も力攻めを繰り返すが、五百が籠る砦はびくともしない。
竹束と土塁が幾重にも積まれ、守りは堅い。
新宮で林が堀内氏典を血祭に上げたことで、
木本衆は降ることも許されぬと思い込んでいる。
彼らは死に物狂いで抵抗していた。
(林の自業自得とはいえ……
ここでこんな小城にこれほど苦しめられるとはな。
全く馬鹿なことをしやがる)
秀政は空を見上げて、心の中で悪態をつく。
本陣の近く。
足軽に化けた秀政は、汚れた装束のまま槍を構え、
戦況を見据えていた。
その両脇には、同じく足軽姿の忍びが控えている。
秀政の指示は、この忍びを経由して影武者へ届き、
影武者から全軍へと伝えられる仕組みだ。
白鬼の近くでは、足軽に扮した柴垣が、
女装した信雄を守る位置に立っていた。
誰もが息を潜め、雑賀の影を警戒している。
その時――
乾いた銃声が戦場を裂いた。
ターン!
続けざまに二発、三発。
ターン! ターン!
「何事だ!?」
秀政が低く呟くと、隣の忍びが素早く身を寄せた。
「殿、お隠れを。堺鉄砲衆の音ではございませぬ」
「馬鹿を言うな。
ここで足軽が過剰に守られれば化けの皮が剥がれる。
堂々としていれば狙われぬ」
「では、せめて拙者の陰に」
「うむ、すまぬ。
それでどこが狙われた?
被害は?」
そこへ別の足軽が雑談するような自然さで近づいてきた。
もちろん忍びだ。
「被害は上がっておりませぬ」
しかし、その直後――
ターン!
ターン! ターン! ターン!
再び銃声が連続する。
秀政の顔色が変わった。
「どういうことだ……待て、まずいぞ!」
「何がでしょうか?」
「この音は……周囲を警戒させていた忍びが撃ち抜かれた音ではないか?」
忍びたちの表情が一気に険しくなる。
「まさか……我らが後れをとると?」
「どこに潜むか分からん雑賀衆によって狙撃されるのだ。
忍びでも討ち取られる。
忍びを率先して狙うとは。
こんな当たり前のことを見逃していた。
先に忍びを落とされれば、本陣がどこからでも狙われるぞ!」
ターン、ターン。
「これだけ忍びが討たれたとしたら……。
警戒網がはぎ取られたやもしれん。
信雄と柴垣に気を付けるよう伝えろ」
「は!」
忍びが散っていく。
秀政は槍を握り直し、息を潜めた。
(隠れた方がいいか?
いや、足軽のふりをしている方がいい。
次はどこ狙ってくる……?)
ターン、ターン。
乾いた音とともに、本陣近くの信雄親衛隊が二人、
頭を激しく揺らし、血を撒き散らしながら崩れ落ちた。
(くっ、本陣を狙ってきおった……!)
さすがに秀政も柴垣も白鬼も、
一斉に物陰に隠れて身を低くする。
ターン。
警戒していた親衛隊がさらに一人倒れた。
(身なりの良い者から狙っておる……)
白鬼の一人が叫ぶ。
「敵の位置、掴みました!
南南東の林、三本木の中央と右に二名!
反撃します!」
「待て!罠だ、誘っておる!」
秀政の制止は間に合わなかった。
白鬼の狙撃自慢の二人が、荷物の陰から飛び出し、
身を低くしたまま銃を構える。
タターン!
タターン!
直後、別方向から複数の銃声。
白鬼二人が同時に胸と眉間を撃ち抜かれ、
白狩衣を真紅に染めながら吹き飛んだ。
(くぅ……なんて手練れだ)
「白鬼!今は耐えよ!
反撃するな、撃たれるぞ!」
信雄の喉から、かすれた声が漏れた。
「あ……あ……」
目の前で倒れる白鬼。
つい先ほどまで一緒に笑っていた者が、
今は血を流し、動かない。
真っ赤に染まった白鬼が血の海に横たわっていた。
信雄は頭を抱え、うずくまった。
恐怖で身体が震えている。
それを見て秀政にも冷や汗が流れる。
「雑賀……想像以上だ……」
その時、信雄の甲冑を着た影武者が、
物陰へ逃れようと本陣から飛び出した。
タタターン!
タターン!
鉄砲の一斉射。
影武者は鉄砲の弾を受けるたび、
踊るように身体を震わせ、
そのまま崩れ落ちた。
信雄の顔から血の気が引く。
しばらく、戦場に不気味な静寂が落ちた。
「行ったか……?」
時間だけが過ぎていく。
木本砦を攻める兵の叫び声だけが遠くで響く。
しかし秀政たちは動けない。
一歩でも動けば、次の瞬間に撃ち抜かれる――
そんな緊張が全身を縛っていた。
ターン!
遠くで鉄砲の音。
「今度はあちらかっ!」
タターン!
ターン!
複数の銃声が重なる。
それは――林が突撃している木本砦の方角だった。
「林……」
そして、銃声が止んだ。
直後、木本砦の方から、
信雄軍が退却してくる足音と叫びが聞こえ始めた。