軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百九十四話 鉄砲対鉄砲

「くそっ……」

思わず漏れた声は、秀政自身も気づかぬほど低かった。

周囲では倒れ伏していた兵たちが、

ようやく震える足で立ち上がり始めている。

数名の親衛隊が、血に染まった仲間や、

信雄の甲冑を着た影武者の亡骸へ駆け寄った。

遠目に見れば――

総大将討死に取り乱す側近たちにしか見えないだろう。

秀政も、槍を引きずるようにしてゆっくりと立ち上がった。

足軽の汚れた装束のまま、戦場を冷静に見渡す。

(行ったようだな……

今回の紀伊攻めが少数兵で臨んだのが仇になった。

本陣の守りが数百名。

狙い放題という訳か。

数千の兵で本陣を囲んでいれば、

雑賀百にここまで好き放題撃たれずに済んだであろうに)

本陣の物陰から、秀政の影武者である信雄親衛隊の一人が、

震える足で姿を現し、白鬼の傍でうずくまる信雄の方へゆっくりと歩み寄る。

秀政もその後を追った。

「雑賀……恐るべし」

影武者が震える声で問う。

「三介様は……ご無事でしょうか?」

「あちらにおられるようだ」

秀政が掌で信雄のいる方向を示す。

影武者は安堵したように息を吐き、震える声で呼びかけた。

「三介様……ご無事でしょ――」

ターン!

乾いた銃声が空気を裂いた。

「う……ぶへ」

影武者の頭が弾け、秀政の目の前で崩れ落ちた。

血飛沫が秀政の頬にかかり、白狩衣の信雄にも容赦なく降りかかる。

「うあああああ!!」

信雄が悲鳴を上げた。

影武者の身体が、まるで庇うように信雄へ覆いかぶさる。

秀政も腰が抜けかけたが、必死に踏みとどまり、

匍匐で物陰へ転がり込んだ。

(まだ居やがった……!

奴ら、俺も狙っていたということか)

周囲の兵たちも再び物陰へ飛び込み、

誰一人として動けなくなった。

どれほどの時間が経ったのか分からない。

ただ、息を潜める音と、遠くで続く木本砦の攻防だけが耳に残る。

やがて――

退却してきた農兵たちが本陣を取り囲み、

堺鉄砲衆が周囲へ銃口を向けて警戒態勢を取った。

その瞬間、ようやく雑賀衆の気配が薄れた。

(退いたか……

信雄と俺を討ち取ったと思ってくれていれば、

雑賀の目的は達しただろう。

しばらくは安全かもしれん。

だが、俺たちが生きていると知られれば、

また来るやもしれん。

くそ……ふざけやがって。

絶対に返り討ちにしてやる!)

「三介様ぁ!!」

怒号と共に、林が土煙を上げて駆け寄ってきた。

「林、無事だったのか?」

秀政が声をかけるより早く、

林は一直線に信雄の元へ走った。

「三介様ぁ!!ご無事でしょうか!?」

血を浴びて震える信雄を見た瞬間、

林の顔が怒りで歪む。

「おのぅれぇ!!!よくも三介様を!

許さぬ!」

秀政はその背に声をかけた。

「林、よくぞ無事だった」

「ん?おぉ、芋粥様。

三介様が心配で駆け付けてまいりました!

俺にとって雑賀の鉄砲など恐れるに足りませぬ!」

豪快に笑う林――

だが、その裏で何が起きていたか。

林は確かに狙われていた。

「えぇい!鬱陶しい連中よ!

俺に続けぇ!!」

槍を振りかざし、林が突撃する。

ターン!

背後から放たれた銃弾が林を狙う――

だが、偶然にも後ろを走っていた農兵が射線に割り込んだ。

「ぶへろ!?」

農兵が撃ち抜かれ、地面に転がる。

「なんじゃ?構わぬ、続けぇ!!」

林は気づかぬまま走り続ける。

再び、背後から一斉射。

タタターン!

ターン! ターン!

しかしまたしても、林の背後を走る農兵たちが射線に入り、

次々と撃ち抜かれて倒れていく。

「ぐげっ……」

「ぎゃっ……!」

二人、三人と倒れ、

そこでようやく林は悟った。

「ぬぅ……雑賀の鉄砲か!小癪な!!

いや、待て!

むぅ、三介様が危ない!

全軍退け退けぇ!!

本陣をお守りせよ!!」

林が引き返したことで、

雑賀はこれ以上の狙撃を断念せざるを得なくなった。

だが――

“信雄と秀政が死んだ”と雑賀が誤認した可能性は高い。

そしてその誤認こそが、

信雄軍に与えられた、ほんのわずかな猶予だった。

兵たちが幾重にも本陣を取り囲み、

その最前列には堺鉄砲衆が銃口を外へ向けてずらりと並んでいた。

鉄砲の火縄がじりじりと燃え、煙の匂いが本陣を包む。

この布陣では、さすがの雑賀衆も容易には狙えぬ。

戦場にも、ようやくわずかな安堵が戻りつつあった。

そんな中、荷を背負った杏が息を切らしながら戻ってきた。

秘密兵器を携えて。

秀政はすぐに軍議を開くよう命じた。

本陣の周囲には厚手の陣帳が張られ、

外からは誰がいるのか一切分からない。

布の向こうは薄暗く、火の粉の揺らぎだけが影を作っていた。

その大将席には、足軽装束に身を包んだ信雄が座っている。

もはや威厳も虚勢もなく、ただ怯え切った目だけが揺れていた。

雑賀の狙撃が、彼の心を完全に折っていた。

秀政は静かに口を開いた。

「見ての通りだ。

雑賀衆、思った以上に強敵だった。

奴らは一旦は三介様と俺を討ち取ったと誤認し、

満足していることだろう」

信雄は小さく肩を震わせる。

秀政が淡々と続ける。

「ここで退くのも一手だが、

それでは雑賀の威に臆して逃げたことになる。

殿が最も嫌う負け方だ」

陣帳の中に重い沈黙が落ちた。

「よって、このまま紀北攻めを継続する。

そうなると三介様や俺が生きていたと気づくことになるだろう。

引き続き影武者は立てるが、反撃せねばいつかは、

足軽に化けたことにも気づくやもしれん」

秀政は、布の向こうの闇を睨むように言った。

「俺は次回、狙撃戦を考えている」

陣帳の奥で、柴垣が息を呑んだ。

「狙撃戦……?」

「黒鬼鉄砲三百を呼び寄せた。

これに白鬼を合わせれば四百足らず。

我が鉄砲隊も雑賀に負けぬところを見せてやる。

細かい戦術は俺に任せてくれ」

信雄が弱々しい声で問う。

「秀政殿……あのような化け物に勝てるのか……

また白鬼が撃たれぬか……?」

「撃たれるやもしれませぬ。

ですが、ここに至っては温存などと言っておられぬ。

鬼の威信を賭けて雑賀に撃ち勝つ」

信雄はうつむき、かすれた声で答えた。

「……秀政殿が言うなら、そうなのであろうな」

いつもの豪胆さは影も形もない。

秀政は話題を切り替えた。

「それよりも木本砦だ。

いい加減、そろそろ落とさねばならぬ。

林殿、全力で力攻めせよ」

林の力強い声が返る。

「任せていただきたい!

だが……なかなか堅いのも事実」

「今度の城攻めでは農兵千五百を率いてくれ。

三介様の守りのためにも、堺鉄砲衆は本陣を囲ませる。

先の戦いでは本陣を空けすぎた。

堺鉄砲衆が取り囲めば、前回よりは雑賀もやりにくかろうて」

林が即答で応じる。

「俺には鉄砲など不要!三介様をしっかりお守りしてくだされ。

農兵でも十分よ!」

その時、柴垣が低い声で進言した。

「しかし……このままでは林が危険ではありませぬか?

昼間は運が良かったにすぎぬ」

秀政は頷き、杏の方へ視線を向けた。

「そうだな。だからこそ秘密兵器を用意した」

杏が運んできた木製クレート三箱が、

ごとり、と重い音を立てて並べられた。

中身が重すぎて三箱に分けて運んだのだ。

蓋を開けると――

「おぉぉぉぉぉぉぉ!!」

沈んでいた信雄が、子供のように声を上げた。

中から現れたのは、

南蛮渡来の鉄の塊――フルプレートアーマーとクローズヘルム。

秀政は静かに言った。

「これなら遠くから狙って勢いの落ちた狙撃弾であれば、

多少は弾き飛ばす」

信雄は身を乗り出す。

「お、俺が着たい!」

「いえ、これは重いので逆に危険です。

林殿のような豪傑であれば、これを着こんで陣頭でも指揮をとれます。

林殿、こちらへ」

林の具足が外され、足軽たちが手際よく鉄の鎧を着せていく。

やがて、鉄の巨人がそこに立った。

「やや視界が狭いな」

「バイザーを上げれば多少広くなるが、

今回は閉じたままにせよ。

顔を撃たれて死なれても困る」

「はぁ……だが、これであれば鉄砲弾を気にせず攻められますな」

「鉄の鬼が迫れば木本衆も震えあがるだろう。

必ず落とせ。この紀北を早々に落として、

紀伊攻めを織田勝利のうちに終わらせるのだ」

「はっ!」

信雄は林の鎧を興奮気味に撫で回していたが、

秀政はそれを無視して軍議を締めた。

その後、秀政は黒鬼・白鬼の伍長を芋粥軍の帳へ呼び寄せ、

密かに次の戦いの準備を始めた。

「芋粥は砦攻めには参加せず、狙撃戦を行う。

まずよく聞け。

このような戦いは前代未聞だ」

黒鬼たちが息を呑む。

「まず、鬼甲冑を脱げ。目立つわけにはいかぬ。

そして黒鬼、白鬼は服を染めよ」

「染める……?」

「灰、緑、茶を混ぜるのではなく、それぞれ点を打つように染める。

全体的に緑に見えるようにな」

秀政は墨の灰汁、泥、草汁をそれぞれ個別に扱い、

一度草汁で全体を染めた後、灰と泥と墨を一筆一筆、

丁寧に布へ書き込んでいく。

それは戦国の常識を逸脱した、奇妙な柄――

だが、近代迷彩そのものだった。

「白狩衣、野戦装束をこの柄に染める。

頭巾、袴もだ。顔や肌にも塗って汚せ。

遠くから見れば完全に草になる」

霞が不思議そうに首を傾げる。

「変わった柄ですね。

むしろ派手で目立つように見えますが……」

「そうでもない。

上から草束を纏えば、林や草原では完全に溶け込む」

秀政は続けた。

「三人一組で匍匐し、土と一体化しろ。

その上で役割分担だ」

凛が息を呑む。

「三人で……役割を?」

「まず指揮を執る者を作る。

観察手だ。

これは敵の位置を観察し、

どこに潜んでいるかを見出すのだ。

この遠眼鏡を貸す。

これは遠くを大きく見せる南蛮鏡だ。

だが、気を付けろ。光を反射する。

そうすると逆に相手に自らの位置を知らせてしまう。

鏡の外淵は黒く塗ってなるべく反射しないようにはしてある。

だがな、これを覗き見る時は草束を頭からかぶり、

必ず光がかからぬように常に気を遣え」

遠眼鏡が手渡されると、黒鬼たちはざわめいた。

「そして次が射手だ。

最も射撃が達者なものを選べ。

座って撃つのではなく匍匐したまま撃て。

まず、左肘を地面につけろ。

左肘が第一の支点だ、ここが浮けば銃が揺れる。

肘は泥に沈めても構わん。安定が最優先だ。

銃床を肩に深く押し当てろ。

肩が第二の支点だ。

銃が跳ねてもぶれぬよう、

肩で“押し返す”つもりで構えよ。

右手で銃を軽く支え、引き金に指をかけろ。

右手が第三の支点だ。

だが力を入れるな。

力めば銃口が揺れる。

指は“置く”だけでよい。

これを守れば安定して撃てる。

射手は撃つことだけに集中せよ」

雫が自信に満ちた目で種子島を見つめる。

「最後に護衛・補助だ。

集中する二人の代わりに周りに気を配れ。

異常があれば知らせろ。

手が空いた時は弾を詰めよ」

凛が小さく呟いた。

「これなら……雑賀にも勝てそうですね」

秀政は力強く頷いた。

「勝てる。

鉄砲は雑賀だけのものではないと知らしめる。

三日後、城攻めを再開する。

二日後には散開して配置につけ。

一日は匍匐したまま待機せよ。

飯と水も持ち込み、そこで待機だ。

狙撃とはそういうものだ。

獲物を狩る獣のように待ち伏せるのだ」

陣帳の中に、緊張と覚悟が満ちていく。

「敵は百。こちらも百組。

撃ち勝てるかどうかはお前たち次第だ。

だがお前たちなら撃ち勝てると、俺は信じている」

「「は!」」

陣帳の中に響いた返答は、

雑賀の恐怖を押し返すように力強かった。