軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百九十一話 孫子の使い方

信雄は甲冑の袖を揺らしながら、

唐突に子供のように不満を漏らした。

「なぁ、秀政殿。

俺は全く戦をしておらん。

いくら総大将とはいえ物足りん」

(うぐぐ……そういうことをすぐに言う。

いや、待て。

新宮と勝浦を押さえた以上、紀北は大したことがないな。

木本衆に波田須衆、二木島衆だったな。

……まぁ、いいか。

一度、白鬼の実力を測っておきたいこともある)

秀政は軽く息を吐き、覚悟を決めた。

「承知しました。

柴垣殿へ使いを出すのはやめましょう。

このまま三介様と俺も陸兵に合流します。

九鬼殿、勝浦の守備を頼む。

一部の船で先回りして、

湾口を押さえて圧をかけてくれ。

それだけで良い」

九鬼は膝をつき、短く答えた。

「はっ!」

信雄は満面の笑みで拳を握る。

「良いのか?よしよし腕がなるわ!」

秀政はその勢いに押されぬよう、静かに頷いた。

「では上陸しましょう」

上陸後、勝浦砦には入らず、

あえて一里ほど離れた野に陣を敷いた。

潮風が草を揺らし、遠くで波が砕ける音が響く。

信雄は不思議そうに首を傾げた。

「軍議はよいのじゃが、なぜ勝浦砦で行わんのだ?」

(お前らを近づけないと約束したからだっ!)

秀政は表情を崩さず、さらりと答える。

「戦とは本来、このように野で行うもの。

気も昂りましょう」

信雄は単純に感化され、胸を叩いた。

「おぅ、確かに!昂ってきたわ!」

秀政は地図を広げ、軍議を始める。

「さて、では陣割りを決めます。

まず三介様は柴垣様と共に、

親衛隊三百と堺鉄砲衆八百を率いてください」

信雄は眉をひそめた。

「ん?俺が白鬼を率いぬのか?」

秀政は即座に頭を下げる。

「すみませぬ、白鬼は俺が率います。

ですが白鬼はどちらかというと華やかさの部隊。

いざ戦となった場合、堺鉄砲衆の猛攻ほど苛烈な物はありませぬ。

此度は三介様の武威を示す戦。

堺鉄砲衆の方が良うございます」

信雄は一転して満足げに頷いた。

「なるほど!確かに確かに!さすが秀政殿じゃ!」

(ほっ……白鬼隊を傷物にされてなるものか!)

秀政は続ける。

「林殿には本隊主力の農兵千を率いてもらいます。

林殿の武があれば農兵とて猛者になりましょう」

林は豪快に笑った。

「おう!芋粥様、お任せあれ!腕がなります!」

「そして俺ですが、白鬼百と農兵五百を率います。

ですが、今回は信雄様の軍が主力となります。

三介様、柴垣殿、林殿、お任せしますぞ!」

「「は」」

「今回は九鬼は少し休ませます。

大部分を勝浦に止め、

一部を使って湾を遠巻きに封鎖する程度とします。

なにせ三介様の威がある以上、

九鬼殿の力は此度必要ありませんからな」

(九鬼には“俺の”勝浦を信雄の金を使って守らせたい)

信雄は満足げに頷く。

「うむ!」

秀政は敵勢を説明し始めた。

「攻める順ですが、木本衆、波田須衆、二木島衆とします。

我が伊賀忍びに物見させてありますが、

木本衆は数にして八百ほどでしょう。

地侍、漁民兵が五百ほどです。

木本砦には三百余り籠っているようです」

信雄は目を丸くした。

「さすが秀政殿、いつのまに調べておったのだ!」

(いや、いつの間にも何も。

常に裏で諜報は欠かせぬだろうが……)

秀政は淡々と続ける。

「波田須衆は五百ほどです。

崖にある砦を守る二百の兵。

山道を封鎖する工兵百五十。

夜襲を得意とした輩です。

百は伏兵しておりましょう」

柴垣は眉を寄せ、信雄と林をちらりと見た。

「敵は夜襲を得意としますか……。少々厄介ですな」

秀政は最後の勢力を示す。

「二木島衆は四百ほどです。

漁村に住み、砦は持ちませぬ。

三百ほどの小舟による水軍がおります。

村を守るは百ほど。

海に逃げられると少々厄介ですな。

九鬼に海から圧をかけさせましょう」

林は鼻で笑った。

「まどろっこしい!

百の守備兵ごと村を火の海にしてやれば終わりじゃ!」

信雄も乗る。

「おぉ!それは良い!一気に負けを悟って降ってこようぞ!」

秀政は一瞬固まった。

「は?……ぎょ、御意」

(……お前ら、攻め取った後に統治する気はあるのか?)

秀政は軍議を締めた。

「軍議は以上ですが、よろしいですか?」

信雄は立ち上がり、刀の柄を叩いた。

「よし、構わぬ!いざ出陣!」

しばらく進むと、空気が変わった。

木々の間に潜む気配が濃くなり、

兵たちの足取りも自然と慎重になる。

ここから先が木本衆の領域――

物見によれば、すでに五百の兵が丘の上で万全の構えを取っているという。

秀政は馬上から前方を見据え、信雄へ声をかけた。

「三介様、敵が前方の丘に陣取っております。

ここは……」

しかし信雄は手を上げ、秀政の言葉を遮った。

「まぁ、待ってくれ、秀政殿。

俺だって戦が出来るということを見せてやろう」

(は?いや、まぁいいけど……)

秀政は内心で頭を抱えつつも、表情は崩さない。

「承知しました。

ですが、敵は丘に竹盾と土塁を作って待ち構えております。

鉄砲がやや使いづらい状況です。

敵を潰走させた後、鉄砲で止めを刺すとよろしいかと」

信雄は胸を張り、得意げに言い放つ。

「孫子に曰く!

“迂を以て直と為す”とある!

つまり遠回りすれば真正面から攻めるより早いのだ!」

傍に控える柴垣は心の中でそっと突っ込んだ。

(いや……“遠回りに見える道が実は近道”という意味で……

遠回りすれば良いという意味では……)

信雄は勢いそのままに命じる。

「よし!林!

あの丘をぐるっと回って背後から攻めよ!

遠回りこそ最短の勝利だ!」

林は困惑しながらも返事をする。

「は、はぁ……?」

だが実際には、丘の裏側は断崖絶壁で回り込めなかった。

林隊は右往左往し、息を切らせながら走り回る。

丘の上の木本衆は、まるで猿芝居でも見るかのように静観していた。

信雄は歯噛みし、拳を震わせる。

「うぬぅ、謀ったな、木本め!

我らの疲労を誘ったか!

孫子に曰く!

“兵は詭道なり”!

つまり、奇声を上げて敵を欺けば勝てるのだ!」

柴垣は再び心の中で呟く。

(いや……奇声を上げることでは……)

信雄は大きく息を吸い込み、叫んだ。

「よし!皆の者!

奇声を上げて突撃すれば敵は驚いて逃げる!

うおおおおおおおおお!!」

農兵たちも勢いに飲まれ、叫びながら丘へ駆け上がる。

「うおおおおおおおおお!!」

しかし木本衆は冷静そのもの。

竹盾を下ろし、槍を構え、ただ待つ。

丘を駆け上がる側が不利なのは言うまでもない。

林隊に一定の被害が出たところで、

奇声作戦は自然消滅した。

戻ってきた林隊の疲労と苛立ちを見て、

信雄の堪忍袋も限界に達する。

「構わん!火力で押し切れ!

堺鉄砲隊、放てぇ!!」

乾いた轟音が連続し、白煙が風に流れる。

派手さだけは天下一品だった。

林は目を輝かせて叫ぶ。

「おぉ、さすが三介様。なんという火力!

なんという暴力!

これぞ織田の真髄!」

だが実際には、竹盾と林に阻まれ、被害はほとんど出ていない。

信雄は満足げに頷いた。

「随分弱らせたようだな!

林、突撃せよ!」

「おう!」

林隊が再び突撃する。

秀政はその様子を見て、深いため息をついた。

「凄まじいな……稚拙すぎる」

その横で、霞が無表情のまま控えていた。

「殿、いかがなさいますか?」

秀政は決断する。

「うむ、あまり邪魔はしたくないが、

これでは農兵に余分な死者がでる。

霞、少々手伝ってやれ。

お前の隊の二十五名だけでよい。

カラコールを試してみよ」

霞は馬上で姿勢を正し、声を張る。

「は!白妙隊前へ!

カラコールで敵伍長を射抜け!

凛殿、氷花隊は替えの鉄砲の準備をお願いいたします!」

凛は静かに頷いた。

「心得ました!」

白妙隊は馬を走らせ、丘の手前まで一気に駆ける。

急停止し、火縄を確認しながら鉄砲を構える。

火種はまだ生きている。

霞が短く命じた。

「よし、撃てる」

白妙隊が敵伍長へ狙いを定める。

「放てぇ!」

ずどどーん!

乾いた音が連続し、敵伍長が跳ねるように倒れた。

半数が命中し、頭を撃ち抜かれていた。

白妙隊はすぐに馬首を返し、敵が状況を理解する前に撤退する。

その背後から第二波が駆け出していた。

氷花隊は戻ってきた第一波に、あらかじめ詰め替えておいた鉄砲を素早く手渡す。

第二波もまた敵伍長を撃ち抜き、同じように撤退した。

秀政は満足げに頷いた。

「カラコールだ。完成しているな。

まるで渦の様に回転しながら敵を狙撃している。

命中率はまだまだだが、通用するぞ」

さすがに敵も状況を把握し、

伍長たちは林の陰に隠れた。

カラコールはここで終了となるが、

すでに複数の伍が伍長を失い、

機能不全に陥っていた。

林隊の突撃は、混乱した敵をそのまま飲み込んだ。

信雄は馬上で大声を上げる。

「おぉうおぉう!見よ、見よ!

我が軍は圧倒的じゃ!」

興奮する信雄を横目に、

秀政は静かに満足げに頷いた。

(白鬼を実戦で試せたのは重畳重畳!)

こうして木本衆は押し破られ、信雄の勝利となった。