軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百八十九話 最良の胃薬

信雄と柴垣、林が退出し、広間に静寂が戻った。

その空気の中で、秀政は三人の名を呼んだ。

「岡部殿、九鬼殿、朧。

お前達は少し残ってくれ」

三人は足を止め、秀政の前に並んだ。

外の喧騒が遠くに聞こえる。

新宮城はまだ血と煙の匂いが残り、

その中で行われる密談は、どこか異様な緊張を孕んでいた。

秀政はまず岡部へ向き直る。

岡部政継は、帳簿を抱えたまま魂が抜けたような顔をしていた。

信雄の「金に糸目はつけぬ!」の一言で、

彼の精神は完全に死んでいた。

「岡部殿、大変申し訳ないことをした」

秀政の言葉に、岡部は弱々しく顔を上げる。

「芋粥様……何でございましょうか……?」

声は枯れ、まるで死にかけの老人のようだった。

秀政は静かに続けた。

「俺のせいで城を建てることになってしまい、

財政をひっ迫しかねない状況を作ってしまった」

岡部の眉がピクリと動く。

秀政のこの言葉の真意を探ろうと、考えを巡らせるが、

信雄のせいで脳が死んでおり、考えも及ばない。

「そこでだ。芋粥が二千貫、すぐにお貸ししよう」

「に、二千貫……?」

岡部の目に、わずかに生気が戻った。

「左様。無論、いずれ返してもらうがな。

だが、利子は取らぬ」

「む、無利子で……?!」

岡部の顔に血色が戻る。

まるで砂漠に雨が降ったかのようだった。

秀政は笑顔で軽く頷いた。

「そうだ。その代わりに――

紀伊を得た暁には、新宮湊の利権に関して、

芋粥は無償で使わせてもらうぞ」

「いえ、それは……それでは……!」

岡部の顔から、再び血の気が引いた。

まるでジェットコースターのように表情が上下する。

秀政はにこやかに肩を叩いた。

「いやいや、岡部殿。俺は責任を感じているのだ。

遠慮するな。困った時はお互い様だ」

「……あ、はぁ……

もう、どうとでもなれ……!

有難く拝借致します……!」

岡部は大きくため息をつき、

完全に諦めた顔で頭を下げた。

秀政は満足げに頷く。

「うむうむ。千種屋に金を用意させる。

千種屋も無償で頼むぞ」

岡部の眉がひきつった。

「……はい……」

秀政は無利子の代わりに、

その何倍もの“利権”を踏み倒した。

まるで消費者金融のように、

金を無理やり押し付けて法外な条件を飲ませるやり口だった。

岡部はふらふらと立ち上がり、

ブツブツと呟きながら去っていった。

「しらん……しらんぞ……わしは悪くない……

もうどうでもいい……芋粥様も千種屋も無料で何が悪い……!」

(少々気の毒な事をしたな。遂に壊れてしもうた。

もし信雄が史実のように改易されたら、

岡部殿はうちの会計局に厚遇で拾い上げてやらねばならんな)

秀政は心の中で苦笑した。

岡部が去ると、今度は九鬼と朧へ向き直る。

「九鬼殿。此度の行軍は、ゆるりと向かって欲しい」

九鬼嘉隆は怪訝そうに眉を上げた。

「ん?何故だ?

牟婁郡如き、新宮同様、容易に片付くぞ」

「それは知っている。

だが――俺は勝浦を奪う」

「勝浦を……奪う??」

九鬼の目が細くなる。

元より勝浦を奪いに行くのだ。

秀政は静かに頷いた。

「勝浦は元々、調略する予定だった。

だが三介様のせいで……いや、“三介様の威光”で、

もはや降ることはなかろう」

九鬼は鼻で笑った。

「確かにな。降伏の使者を射殺したのは愚策も愚策よ」

「だがな、言い換えれば――

勝浦湊衆も熊野別当の連中も、

もはや死と隣り合わせだ。

今頃、戦々恐々としておる。

なにせ、相手は九鬼殿だからな」

九鬼は口の端を吊り上げた。

「つまり、信用ならぬ三介様ではなく、

芋粥殿であれば降ると?」

「そうだ。

そして俺は殿に願い出る。

勝浦を飛び地として領有させてもらうことをだ」

秀政の声は低く、しかし確信に満ちていた。

「殿も勝浦と熊野が火の海になることを望んでいない。

三介様の暴挙を隠さず伝えた上で、

“芋粥であるから無血で降った”と伝えれば、

俺が保護することを許可するだろう」

九鬼は深く頷いた。

「確かに。

大殿様であれば、それは十分に考えられる」

秀政は朧へ視線を向けた。

「そこでだ。朧。お前の役目だ」

朧は静かに一歩進み出た。

その微笑は柔らかく、しかし底が見えない。

「はい、 私(わたくし) めに何か?」

「お前は物静かに笑顔を絶やさず、

人を警戒させない力を持つ」

「左様でございましょうか?」

「今、俺には手駒がない。

この中で最も外交に向くのはそなただ。

勝浦を説得してこい」

朧は小首を傾げた。

「出来ましょうか?」

「出来る!条件次第で確実にな」

朧が微笑したまま問う。

「お聞かせいただけますでしょうか?」

「うむ。

まず勝浦湊衆だ。

奴らは商人であり、海賊であり、湊の惣中(自治組織)だ。

ゆえに求めるは“自治と利益の維持”」

秀政は指を折りながら条件を述べた。

「一つ、惣中の維持を許し、芋粥は干渉せぬ。

二つ、湊衆による関銭は継続。ただし芋粥は無税だ。

三つ、船役(船の出入りの管理)も現状を維持する。

四つ、湊衆を芋粥家臣として遇し、

三介様の軍勢は勝浦に寄せつけぬ。

五つ、九鬼水軍による海上安全を保障する」

九鬼が反応した。

「我らにもこの利権に一口噛ませていただけるのか?」

秀政は笑った。

「そうだ。勝浦を九鬼の第二の本拠としても使えよう。

勝浦は九鬼にとって伊勢志摩以外で最も使いやすい湊だ。

海上保証という大義名分をもって、

熊野灘の制海権を九鬼が独占し、湊を堂々と使用できる」

九鬼嘉隆は深く頭を下げた。

「芋粥殿……!

この御恩、いかに返せばよいか……!」

秀政は静かに言った。

「いずれ志摩も殿に願い出て、俺の領地にしたい。

それまでに志摩をまとめよ。

恩は――俺の家臣となることで返せ」

九鬼の目が光った。

「は!」

秀政は朧へ視線を戻す。

「次は熊野別当だ。

一つだけ先に言っておく。

熊野は女人禁制だ。

絶対に立ち入るな。

穢れとして全てを台無しにする。

先に勝浦湊衆を説き伏せ、

勝浦で熊野と交渉しろ」

「心得ました」

秀政は続けた。

「熊野別当は宗教勢力であり、求めるは“権威の維持”だ。

一つ、熊野三山神領を保護する。

二つ、神官の任免に芋粥は不介入を約束する。

三つ、熊野信仰の儀式を妨げぬ。

四つ、熊野水軍を芋粥が保護し、その独立を保証する。

五つ、芋粥は熊野の領主ではなく“保護者”である。

すなわち、熊野の上に立つ者ではない。

六つ、湊の利益の一部を熊野別当に還元する。

関銭の一部、熊野詣の船の優先権だ」

朧は深く頭を下げた。

「承知しました。

この朧にお任せください。

必ずや勝浦湊衆と熊野別当を説き伏せてまいりましょう」

九鬼も胸を叩いた。

「芋粥殿、朧殿が説き伏せるまでは、

あの坊っちゃんに分からぬよう大回りして時間を稼ぎましょうぞ」

秀政は深く息を吐いた。

「うむ……九鬼殿、朧、任せるぞ。

これだけ胃の痛い出陣だ。

少しくらいは美味い想いをせねばやってられぬ。

頼んだぞ」

「「は!」」

広間に二人の声が響き、

秀政はようやく、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。

(これが俺にとって最良の胃薬よ)