軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百八十四話 温存

信雄が喜び勇んで退出した後、

秀政は深く息を吐き、上座に座り直した。

冬の冷気がわずかに入り込み、畳の上を静かに撫でていく。

上座が信雄の温もりで少し暖かく快適なのが癪に障る。

(あいつの事は馬鹿な大型犬とでも思えば良いのか……)

「浅野を呼べ」

側近に命じると、ほどなくして浅野が姿を見せ、

地図の前に静かに座した。

「お呼びでしょうか?」

秀政は、これまでの経緯――

信雄の暴走、堺傭兵の早すぎる雇用、

そして出陣前倒しの圧力――を簡潔に伝えた。

浅野は聞き終えると、苦笑を浮かべた。

「それは大変な目に遭いましたね」

「まぁな。そこでだ。

あまり時間がない。早急に標的を決めねばならぬ。

手伝ってくれ」

「は!」

浅野は姿勢を正し、地図に目を落とした。

「先ほどのお話では、

……紀伊の南東を九鬼水軍を使って攻めると。

殿も目星を立てられましたか?」

「あぁ、一応はな。

だが、浅野、お前の意見を聞きたい。

諜報はお前の部下に任せることになるからな」

浅野は頷き、真剣な表情で口を開いた。

「では、忌憚なく意見を申させていただきます。

まず最重要となるのが――

新宮、阿須賀、佐野周辺。

すなわち新宮一帯です。

熊野川河口で、海運拠点。

熊野三山の玄関でもあり、伊勢から熊野航路に渡り、

攻め取った際の利が大きい。

石高は二万石には届きませぬが、

この地の価値は“湊”にございます」

「うむ。俺の考えと全く一致する」

浅野はほっとしたように微笑んだ。

「そうですか。それならば良うございました。

次に――

木本、波田須、二木島。

紀北沿岸はいかがでしょうか?

沿岸補給地、水軍泊地であり、

小港群が多数ございます。

石高は一万石強といったところでしょうか」

「それも俺の考えと一致する」

浅野はさらに地図を指でなぞり、南へ下った。

「では次。

三尾、太地、勝浦の牟婁郡沿岸です。

漁港が多く、海運・南海交易が盛ん。

石高以上の価値があります。

ここも一万石ほどでしょう」

秀政は思わず笑みを漏らした。

「ふふふ、浅野。

お前はとことん俺と同じことを考えるのだな。

俺も自分が正しかったと安心できる。

勝浦は特に美味い。俺が欲しいくらいだ。

後の補給港にもなる。

だが、あの坊っちゃんが手に入れてくれるなら、

俺にも使わせてくれるだろう。

他にはあるか?」

浅野は少し考え、地図の内陸部を指した。

「そうですね……

あとは本宮街道沿いの小城でしょうか。

熊野信仰による人流があり、関銭も取れます。

この四つで五万から七万石といったところ。

三介様が十分に紀伊大名を名乗れます。

これが現実的な所かと」

秀政は力強く頷いた。

「うむ、それでいく。

浅野、早急に敵を調べてくれ。

敵対する勢力と拠点、軍事規模を洗い出してくれ。

それさえあれば、攻めながらでも勝ち筋は組める」

浅野は深く頭を下げた。

「は!

なかなか厳しい期限ではありますが、

急ぎ探らせます」

秀政は浅野の背を見送った。

(……本当に時間がない。

だが、やるしかないか)

浅野が退室した後、

秀政はしばし考え込んだあと、

静かに息を吐いた。

「鷺山を呼べ。早馬でだ」

命を受けた家臣が駆け出していく。

秀政は地図を前に、次の段取りを頭の中で組み立てる。

三日後。

鷺山利玄が鈴鹿館を訪れ、

上段の間に姿を見せた。

旅装のまま、しかし凛とした姿勢で秀政の前に座る。

「お呼びで?」

「あぁ。此度の紀伊攻めは、

誰とは言わぬぼんくらの影響で出立が早まった。

二月十五日に志摩に向かう」

鷺山は目を丸くしたが、すぐに気合を入れ直した。

「は!腕がなります!

しかし三介様は困ったものですな」

苦笑しながらも、どこか嬉しそうな鷺山を見て、

秀政はふと、あることを思い出した。

「そういえばだが……」

「はい、何でしょう?」

「綾芽は変わりないか?

お前にとって待望の子だな」

鷺山の表情が一気に柔らかくなる。

「はい!男子であって欲しいと神仏に祈っております」

「そうだな。だが娘も可愛いものだぞ」

「それはそうですね。

ただ武家たるもの、早く世継ぎは欲しゅうございます」

「それもそうか」

秀政は腕を組み、少し考え込んだ。

そして、ぽつりと告げた。

「……ふむ。気が変わった。

お前は桑名で留守番だ」

鷺山は目を見開いた。

「は!?なぜにございます?」

「だから気が変わったのだ。

此度の戦いは下手をすると長引く。

あれが総大将だからな」

鷺山は苦笑しつつも、どこか不安げに尋ねた。

「俺では力不足と?」

秀政は首を横に振った。

「逆だ。お前には役不足だ。

お前ほどの男を連れていく必要はないと思った。

今回は徹底して芋粥の戦力を温存する。

ゆえに、脇は加藤と福島で固める」

「はぁ……」

鷺山は納得しきれない様子だったが、

秀政はさらに続けた。

「それにだ。

人生の先輩として教えてやろう。

女子はな、身籠った時に雑に扱われると、

生涯その恨みを忘れぬものだというぞ」

「いや、雑になど扱っておりませぬ。

信用おける侍女、産婆を選定して準備しております」

「違うのだ。

傍にいて欲しいものなのだ。

子が生まれた時に真っ先に抱いて、

名を付けてやらねばならぬ。

お前は綾芽の傍におれ」

鷺山はしばし黙り、やがて深く頭を下げた。

「は、分かりました……」

秀政は穏やかに笑った。

「それが夫婦円満のこつよ。

お前の働きは常々評価しておる。

たまには休め。そして妻を気遣え」

鷺山は照れくさそうに笑った。

「承知しました。

加藤、福島は並々ならぬ男です。

あいつらであれば任せられます」

「知っておるよ。

あいつらなら五十万石の大名にもなれる器よ」

鷺山は少し間を置いて、ぽつりと尋ねた。

「俺はどうですか?」

秀政は肩をすくめた。

「いや、知らんがお前もなれるんじゃないか?」

鷺山は苦笑した。

「殿、なんか軽ぅございますな」

二人は顔を見合わせ、思わず笑った。

「「ははは!」」

鷺山は深く頭を下げた。

「殿、ご配慮ありがとうございます。

子が生まれるまでは綾芽の傍にいることにします」

「そうせよ。

その代わり政務を怠るなよ?

桑名の開発、常備兵の訓練。

お前がやらねばならんことは山ほどあるからな!」

「は……ははぁ……」

鷺山が退出していく背中を見送り、心の中で呟く。

(さて、これでよい。

此度の戦は楽して損なく終わらせる必要がある。

胃が痛くなるのは俺だけで十分よ)