軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百七十七話 鬼、潰れし時

六月十日。

手取川は、完全に地獄と化していた。

豪雨。

濁流。

泥。

そして絶え間なく響く悲鳴。

上杉軍の突撃によって崩された織田勢は、

もはや軍の形を保てていない。

柴田、丹羽、前田、佐々。

歴戦の将たちですら、

自軍をまとめるだけで精一杯だった。

その中で――

芋粥軍もまた、潰れようとしていた。

既に鬼兵たちは味方の位置すら把握できていない。

自分達がどこにいるのか、逃げられるのか。

守るべき大将がどこにいるのか。

生きているのか。

「退けぇぇぇ!!」

正則が怒鳴る。

だが雨音が全てを掻き消す。

赤鬼兵たちは泥の中で槍を振るい、

迫る上杉兵を押し返していた。

だが、止まらない。

敵が一向に減らぬ。

押し返しても、

押し返しても、

次が来る。

「くそっ……!」

鬼兵が泥に足を取られる。

転倒した瞬間、上杉兵の槍が一斉に突き下ろされた。

赤い具足が泥に沈む。

「立てぇ!!」

正則が怒鳴る。

だが、その怒声すら豪雨に呑まれていく。

別の場所。

青鬼もまた、包囲を崩しながら後退を続けていた。

「止まるな!」

鷺山が叫ぶ。

「退路を確保しろ!

囲まれたら終わりだ!」

青鬼兵たちは隊を小分けにし、

次々と襲い来る上杉兵をいなしながら下がっていく。

だが、敵が多すぎる。

味方は次第に散り散りとなり、混乱と絶望が視野を奪う。

皆がどこで戦っているのか、もう分からない。

「若は……!」

鷺山が歯を食いしばる。

だが、今は自分の前の兵を救うので精一杯だった。

皆の力を信じて戦うしかないのだ。

黒鬼騎馬もまた苦戦していた。

泥。

ぬかるみ。

増水。

騎馬の速度が死んでいる。

「馬が沈むぞ!」

「隊列を保て!」

清正が叫ぶ。

だが、騎馬隊の強みそのものが封じられていた。

馬が転倒する。

落馬した兵へ、即座に槍が降り注ぐ。

精鋭たる黒鬼騎馬ですら、

この豪雨の前では無敵ではない。

清正が悔しげに唇を噛んだ。

「これが……軍神の戦か……!」

長政は、なおも前線にいた。

「退くな!

崩れるな!

退いた者から討たれる。

守りを固めろ。それこそが生きる道だ!」

泥水を浴びながら叫ぶ。

だがその瞬間。

横殴りの豪雨の向こうから、

上杉騎馬が突っ込んできた。

「若!!」

槍衾が乱される。

馬が悲鳴を上げた。

長政の馬が横倒しになる。

「ぐっ……!」

泥へ叩きつけられる。

足に激痛が走った。

立てない。

その上へ、

芋粥兵が覆いかぶさる。

「若を守れぇ!!」

「下がれ!!」

長政を守った兵の背中に槍が何本も突き立つ。

血が泥へ流れた。

長政は歯を食いしばる。

「構うな……!

退け!!」

だが、兵たちは退かない。

鬼兵も常備兵も、若き総大将を庇いながら討たれていった。

一方。

撤退を始めていた丹羽長秀は、その手腕を持って、

何とか軍を立て直し、泥だらけの敗残兵から報告を受けていた。

「芋粥が……若殿が……!

しんがりで取り残され……!」

長秀が顔を上げる。

「万丸が?」

「は、はい……!

我らを逃がすために……!」

その瞬間、長秀の顔色が変わった。

「馬を引け」

家臣が慌てる。

「なりませぬ!

今戻れば丹羽まで潰れます!」

「あやつは――」

長秀が怒鳴った。

「あやつは、

わしを助けようとして死地へ残ったのだ!!」

泥を蹴る。

「父として助けずにおれようか!!」

家臣が止めようとする。

「殿!!」

「ええい、離せ!!」

長秀は自ら馬へ飛び乗った。

「丹羽勢、引き返すぞ!!

万丸を拾う!!」

歴戦の丹羽兵たちも、

覚悟を決めて槍を握り直した。

激戦の最前線。

芋粥軍は完全に分断されていた。

赤鬼。

青鬼。

黒鬼。

常備兵。

農兵。

それぞれが、目の前の敵と戦い、

退くだけで精一杯。

統率など、既にない。

鬼兵が泥に沈む。

常備兵が川へ流される。

農兵が泣き叫びながら逃げる。

鬼も農兵も、等しく潰れていった。

長政は泥の中で膝をついていた。

足が動かない。

周囲には、まだ戦う芋粥兵たち。

「若……!」

「まだ退けます……!」

その時、上杉兵の列が崩れた。

別方向から騎馬隊が突っ込んできたのだ。

「丹羽だぁぁ!!」

長秀だった。

丹羽勢が必死に槍を振るい、

長政周囲を切り開く。

長秀が馬上から怒鳴る。

「万丸!!」

長政が顔を上げた。

「……父上」

「立て!!」

「足が……」

長秀は即座に馬から飛び降りた。

長政を無理やり引き上げる。

「馬へ乗れ!!」

「しかし――」

「黙れ!!

今度はわしがお前を守る番だ!!」

長政が馬へ押し上げられる。

その後ろで、丹羽兵が次々と討たれていった。

夕刻。

雨はなお降り続いていた。

だが、ようやく織田勢は撤退に成功し始める。

前田。

佐々。

柴田。

丹羽。

それぞれがようやく立て直し、血を流しながら退いていった。

上杉も深追いをしない。

そして芋粥軍もまた、

壊れながら、

それでも潰れきらずに退いていく。

その夜。

敗残兵たちが少しずつ集まり始める。

泥。

血。

折れた槍。

鬼の具足すら失った兵たち。

誰も口を利かない。

鷺山が、集まった兵数を確認していた。

赤鬼、青鬼、黒鬼、大損害。

常備兵は壊滅状態。

農兵は離散。

そして――

長政がいない。

「……若は?」

誰も答えられない。

正則が顔を伏せる。

清正も黙った。

鷺山は拳を握り締めた。

「若を死なせてしまっていたなら……」

鷺山の声は震えていた。

「俺は腹を切る」

そして泥の地面へ膝をつき、

静かに神仏へ祈り始めた。

上杉の残党狩り、落武者狩りから隠れながら、

芋粥による懸命な捜索が続けられた。

だが、北陸織田軍はこの敗北の速報として、

丹羽長秀、芋粥長政の討死を信長並びに秀政へ伝えた。

二日後、雨がようやく止む。

そこへ、丹羽旗が現れた。

丹羽長秀も討ち取られたと思われていた中での帰還である。

鷺山たちが飛び出す。

その先に傷だらけの長秀がいた。

そして馬上には、包帯だらけの長政もいる。

「若!!」

長秀が静かに呟く。

「……すまなんだ」

長政も弱々しく鷺山に声をかける。

「鷺山、心配をかけた……」

鷺山たちは、ようやく安堵の息を吐いた。

手取川合戦。

織田勢は壊滅した。

だが、完全消滅ではない。

離散した兵。

川へ流された後に生還した兵。

敗走後、各地から戻ってきた兵。

それらを再集結した結果、

最終的な損害は以下となった。

柴田勢、

戦死・行方不明、八百から千二百。

丹羽勢、

五百から八百。

前田勢、

三百から五百。

佐々勢、

三百から五百。

芋粥勢、

鬼兵と常備兵で六百から八百。

農兵千は全員が行方不明となった。

さらに、溺死者は後から合流した芋粥を除く

織田四将合計で千から千五百に達した。

勝敗ではない。

惨敗だった。

加賀での芋粥大勝すら、

完全に吹き飛ぶほどの。

これは史実の手取川敗戦をはるかに凌駕する大敗となった。

その被害は倍を数える。

織田は、能登と加賀北部を失った。

岐阜。

敗報を受けた信長は、

激怒した。

「……手取川で何をしておる!!」

その怒りは、

柴田、丹羽だけではない。

前田。

佐々。

そして芋粥にも向けられる。

この敗戦によって、

織田家中の力関係、発言力は大きく揺らぎ始めていた。