作品タイトル不明
第百七十一話 銭が戦を支える
握手のあと、正式に書類で契約を交わす。
秀政は静かに筆を置き、支配人へ向き直った。
「まずは鉄砲千挺、弾と火薬十五万発。
これを今年中に揃えられるか?」
支配人は胸に手を当て、深く頷いた。
「Mil arcabuzes…
sim, Hidemasa-dono.
E por um preço especial…
três kan por peça.」
木村が訳す。
「“千挺であれば、今年中に必ず。
しかも特別に、一挺三貫でご提供いたします”
と申しております」
お悠は横で目を見開いた。
秀政も内心で焦る。
(……三貫!?
見立てでは七貫前後、安くても五貫と思っていたが……
これは破格どころではない……!
政成の四千貫どころではない裏金が作れるではないか!)
秀政は表情を変えず、淡々と告げた。
「三貫か。
思ったより……随分と安いな。
我々は通常十貫はする高品質の鉄砲を望んでいる。
それを三貫で相違ないな?」
支配人は慌てて付け加える。
「Para Hidemasa-dono…
trata-se da mais alta qualidade,
vendida normalmente por quinze kan.
Mas para vós…
oferecemos pelo preço mais baixo possível.」
木村が再び冷静に訳す。
「はい、一見の客には十五貫で売るほどの最高品質です。
“秀政様には、可能な限りの最安で”
と申しております」
秀政は一拍置き、静かに言った。
「……ならば、倍にしよう」
「…Dobro…!?」
「二千挺だ。
弾薬も火薬も倍用意せよ。
半分は今年中、残りは来年でも構わぬ」
支配人は椅子を鳴らして立ち上がった。
「Dois mil…!?
Hidemasa-dono… com um pedido tão grande…
podemos baixar ainda mais…
dois kan e meio por peça!
Mil e quinhentos entregaremos este ano!」
「“二千挺もの大口であれば、
一挺あたり二貫半までお値下げいたします!
千五百挺は今年中に、
残りは来春の第一船で必ずお届けいたします!”
と申しております」
秀政は思わず息を呑んだが、
外には焦りを出さない。
(……二貫半!?
信長様から預かった一万四千五百貫……
二千挺でも六千貫ほど……
弾薬を倍にしても芋粥家の分まで賄えた……!
殿もこれほど裏金を作ったとは思うまい)
秀政は満足げに頷いた。
「よい。契約だ。」
支配人は胸に手を当て、震える声で答えた。
「Hidemasa-dono…
vossa decisão é grandiosa…
Sampaio viverá para servi-lo.」
「“秀政様のご決断は偉大です。
サンパイオ商会は、命をかけてお仕えいたします”
と申しております」
*
それから数日。
秀政はお悠を連れて堺を堪能する。
堺の町は、伊勢とはまるで違う空気をまとっていた。
南蛮船の帆柱が林立し、香辛料の匂いが風に乗り、
町を行き交う人々の衣装も色鮮やかだ。
お悠は、目を輝かせた。
「弥八様……!
あれをご覧くださいませ!
あの布……見たことのない色です!」
普段は控えめな彼女が、袖を引いてくる。
秀政は思わず笑った。
「落ち着け、お悠。
まだ町に入ったばかりだぞ」
「は、はい……!
ですが……あちらの店も……!
あの器……なんと細かい模様……!」
お悠は次々と店先を覗き込み、
まるで童のように秀政の手を引いて歩く。
「弥八様、これをご覧ください!
この香り……伊勢にはないものです!」
「うむ……南蛮の香だな。
気に入ったか?」
「はい……!
なんだか胸が高鳴ります……!」
秀政は横で、
お悠がこんなにも楽しそうにしている姿を初めて見た。
(……よほど嬉しいのだな)
彼女が振り返るたびに、
その表情は明るく、柔らかく、
伊勢で見せる“奉行としての顔”とはまるで違う。
「弥八様、あちらの店にも……!」
「はいはい、行こう。
今日は好きなだけ見てよいぞ。
そして色々買って帰ろう。
堺へはそう来れるわけでもないでな」
(今の俺は裏金が大量にできてホクホクうはうはだ。
何でも買える)
「……本当に、よろしいのですか?」
「お前のために連れてきたのだ。
堺を楽しめ」
お悠は一瞬だけ立ち止まり、
胸に手を当てて深く頷いた。
「……ありがとうございます。
弥八様と歩く堺は……
とても、とても楽しいです」
秀政は照れ隠しのように咳払いした。
「そうか。ならば良い」
その後もお悠は、
南蛮の器、色鮮やかな布、香辛料、
珍しい菓子、見たことのない玩具……
次々と興味を示し、秀政を連れ回し、
伊勢で待つ皆への土産として購入した。
秀政は終始、
どこか嬉しそうにその後ろを歩いていた。
*
伊勢へと帰る前日、今度は秀政夫婦がサンパイオ商会に招かれた。
豪華な一室に通された後、支配人は手を叩いた。
「Hidemasa-dono…
antes de partir…
permita-me oferecer presentes à vossa família.」
「“秀政様……
お帰りの前に、ご家族への贈り物を
お受け取りいただきとうございます”
と申しております」
秀政が頷くと、南蛮箱が三つ運び込まれた。
真鍮の輪が幾重にも組まれた、美しい天球儀。
支配人は恭しく差し出す。
「Senhora…
para vós, que possuís sabedoria e graça…
um globo do nosso mundo.」
「“聡明で気高きご夫人へ……
我らの世界を映した地球儀を”
と申しております」
お悠は息を呑んだ。
「……まぁ……これが世界?
世界とは……このように丸いのですね。
日ノ本はどれでしょう?」
秀政が端にある小さな島を指す。
「これだ」
「え?この日ノ本がこれですか?」
「世界は広い、子供達にも見せてやろう。
驚くだろう」
「はい!」
その様子と通訳された夫婦の会話を聞き、
支配人が微笑む。
そして、次にぜんまい式の小さなオルゴールと、
象嵌細工の小箱が差し出された。
「Para as jovens Senhoritas…
tesouros de além-mar.」
「“お姫様方には、海の向こうの小さな宝物を”
と申しております」
「音が鳴ります!
これは……明や蘭が喜びそうです」
お悠が興奮気味に秀政に語り掛ける。
次は、南蛮船の水夫が儀礼で佩く、小型のカットラス。
刃は落としてあり、振り回しそうな松丸でも安全だ。
さらに小さな羅針盤が添えられている。
「Para o jovem príncipe…
uma espada cerimonial…
e uma bússola que guia o mundo.」
「“若君には……儀礼の剣と、世界を導く羅針盤を”
と申しております」
「弥八様!針が勝手に動きます!」
「それが世界を測る道具だ」
「松丸も喜びそうです!」
秀政がお悠の様子を見て微笑む。
支配人は胸に手を当て、深く頭を垂れた。
「Hidemasa-dono…
esta família é digna de reis.
Se me permitir…
desejo servir-vos por toda a minha vida.」
「“秀政様……
このご家族は王家のように尊くございます。
もしお許しいただけるなら、
生涯をかけてお仕えしたい”
と申しております」
秀政は静かに頷いた。
「よい。
これからも芋粥とサンパイオ商会は共に歩む。
栄華と共に」
支配人の顔は、
完全に“秀政に惚れ込んだ男”のそれだった。
*
北陸。
そんな秀政夫婦の様子とは異なり、こちらは常に張りつめていた。
大聖寺城の広間には、
柴田勝家、丹羽長秀、前田利家、佐々成政、
そして芋粥家の若き総大将・長政が座していた。
まだ元服したばかりの若武者。
だがその背筋は伸び、眼差しは揺るぎない。
柴田勝家は、ちらりと長政を見て鼻を鳴らした。
「……若いのう。
これが芋粥の総大将か」
その声音には、わずかな侮りが混じっていた。
丹羽長秀がすぐに口を開く。
「勝家殿。
若さは欠点ではございませぬ。
この万太郎は、伊賀・志摩・大和・摂津・播磨……
いずれの戦・調略・外交において、
義父・秀政殿の下で非凡な働きを見せております」
利家も頷く。
「芋粥の兵は強い。
その兵を束ねるなら、若くとも構わぬ」
柴田は腕を組み、地図を見下ろした。
丹羽長秀が静かに口を開いた。
「権六殿。
芋粥には――
加賀を押さえてもらおう」
その言葉に、広間の空気がわずかに動く。
長秀は内心で呟いた。
(上杉は強大だ。
若い長政では心もとない。
ここは父として守るべきだ。
だが、真っ向から“役に立たぬ”とは言えぬ。
我が子を傷つける訳にもいかぬし、
芋粥を軽く見せる訳にもいかぬ。
将来の芋粥を背負うのは長政だ。
そして芋粥は、いずれ丹羽家を支えてくれる)
その思いを胸に、長秀はあえて重責を与えた。
勝家が長政に睨みを利かせる。
「門徒一万二千を……四千でか?」
長秀は迷いなく長政へ視線を向けた。
「万太郎。
出来るな?」
長政は膝を正し、力強く答えた。
「は! できます。
お任せください。
我が芋粥が門徒一万二千を押さえまする。
柴田様と丹羽様は――
どうか上杉を打ち破ってください」
柴田は鼻を鳴らした。
「……三倍ぞ?
口ではどうとでも言える」
長政は一歩進み、迷いなく言い切った。
「播磨では四倍の毛利と戦いました。
それと比べれば此度は門徒どもです。
必ずや――
柴田様と丹羽様にはご迷惑をおかけしません」
広間が静まり返る。
勝家はしばし長政を見つめ、
やがて豪快に笑った。
「ふん、言い切ったな。
だが――嫌いではない。
若い内はそうでなくてはな。
任せるぞ、芋粥長政。
お前の働きも、
織田の命運を支えていると心得て――
必ず成し遂げろ!」
「はっ!」
その声は若いが、
揺るぎない覚悟があった。
丹羽長秀は静かに目を細めた。
(……行け、万太郎。
ここを越えれば、
芋粥は織田の柱となる)
こうして、能登は柴田・丹羽・前田・佐々。
加賀は芋粥長政という布陣が決まった。