軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百七十話 薬味という武器

天正四年、四月三日。

長政が北陸戦線に着こうとする頃。

鈴鹿館・会計局。

帳簿を閉じたお悠が、ほっと息をついたところへ秀政が声をかけた。

「お悠」

「あ!?

弥八様、いつからそこへ?」

「ちょうど今だ。

どうだ、最近は……少し出かける余裕はあるか?」

お悠は言葉の意図が分からず、

驚いたように見つめる。

「はい。

殿が鈴鹿館に会計局を建ててくださり、

勘定奉行も多く任じていただけましたので……

以前のような忙しさはございませぬ。

今は数字の最終確認と承認が主でございます」

少し考えてから続ける。

「最終確認は明と蘭に任せることもできます。

あの子らは童でありながらも、大人の奉行顔負けに

丁寧に作業を行います。

承認も、一時的であれば父上に任せられます」

秀政は満足げに頷いた。

「そうか。ならば――

堺まで一緒に来てくれ」

「えっ……わ、私が……堺へ……?」

「南蛮商会との会食を行う。

南蛮人は、女子を丁重に扱う文化がある。

お前が居れば、話が柔らかくなる」

お悠は胸に手を当て、深く息を吸った。

「……弥八様のお役に立てるのであれば。

喜んでお供いたします」

秀政は微笑んだ。

「助かる。

では準備を始めよう」

「じゅ、準備でございますか?」

鈴鹿館・奥の間。

秀政は料理人たちを集め、前掛けを締めた。

お悠は不思議そうに首を傾げる。

「弥八様……今日は、何を?

ここは大名である弥八様が入る場所では……」

「南蛮人に出す料理を作る。

お前たちにも作り方を覚えてほしい」

「わ、私たちが……?」

秀政は笑って、木箱を開けた。

中には大きな肉の塊が入っている。

お悠は思わず後ずさる。

「こ、こんな……生のままの肉を……?」

「心配するな。これは“焼いて食べる”料理だ。

だが――ただ焼くだけではない。

まずは下ごしらえだ。

今回は猪の肉だ。

本番は牛を使う」

「牛でございますか……?

農耕作業に支障が出ませぬか?」

「南蛮人は牛を食べるのだ。

安心しろ。

堺では南蛮人に提供される牛の肉も銭で手に入る。

さすがに伊勢での予行演習ではそのためだけに

牛を使うのはもったいないからな。」

秀政は別の器を指した。

中には細かく刻まれた舞茸が敷き詰められている。

「肉は舞茸に一晩漬ける。

こうすると驚くほど柔らかくなる。

今回は予め漬けておいてある」

「ま、舞茸に……!?

そんなことで肉が変わるのですか……?」

「変わる。

理屈は知らんが、堺の料理人から教わった」

もちろん未来知識であって、堺の料理人というのは出まかせだ。

秀政はさらに、酢を少量ふりかけた。

「それと、酢を少し。

肉の繊維がほぐれ、臭みも消える」

「お酢で……肉が……?」

「そういうものだ。

料理も戦と同じだ。

段取りで勝敗が決まる」

秀政は鉄板を熱し、肉を置いた。

ジュウッ、と力強い音が響き、香ばしい匂いが立ち上る。

「まずは強火で表面を焼く。

肉汁を閉じ込めるためだ」

お悠は思わず息を呑む。

「……良い匂い……!」

「だが、ここで切ってはならん。

焼いた後は“休ませる”。

余熱で火が通り、柔らかくなる」

「や、休ませる……?」

「肉にも休息が必要だ。

今回は猪の肉ゆえ、よく焼いて火を通すが、

牛であれば多少血が滴っていてもおいしく食べられる。

焼き加減は人の好みとなる」

秀政は次に魚を取り出した。

「次は魚だ。大豆油・胡麻油で揚げる。

南蛮人は揚げ物に慣れている。

衣をつけて油で揚げると、香りが立つ。

そこへ山椒塩を添える」

粉山椒、粉わさび、乾燥大葉、柚子皮が並べられる。

「これらが日本の“薬味”だ。

肉にも魚にも合う。

南蛮人は、この香りに驚くだろう」

「衣……油で……?

そんな料理があるのですね……」

お悠は真剣な表情で頷いた。

「……必ず習得してみせます。

弥八様のお役に立てるように」

秀政は満足げに微笑んだ。

「よし。

これで堺でも堂々と振る舞える。

お前の腕で、南蛮人を驚かせてやろう。

折角だ。子供達を呼んで、事前に薬味の旨さを確認しよう。

南蛮商人にお薦めの薬味を紹介できるやもしれんしな」

鈴鹿館・奥の間。

出来上がったステーキと揚げ魚が食卓に並ぶ。

明、蘭、松丸が目を輝かせた。

「母上、これは……何ですか?

……こんなに分厚い

……まさか獣の肉なのですか?!」

秀政はあらかじめ作らせておいた

フォークとナイフを手に取る。

「これが“西洋の食べ方”だ。

しばらく練習するぞ」

家族全員がフォークとナイフを持った瞬間――

「えっ、どう持つのですか!」

「落ちました!」

「切れません!」

「箸で食べたい」

卓は大混乱。

秀政は笑いながら教える。

「焦るな。慣れれば簡単だ」

まずは塩で食べさせる。

その一口を食べた瞬間――

家族全員が固まった。

「美味しい……」

「……う、うまい……!!」

「獣肉が……こんなに美味しいのですか……!?」

「父上、南蛮人はこんなおいしいものを食べてるんですか?」

そこから 山葵(わさび) 、山椒、

大葉、柚子皮、生姜、味噌、醤油、酢。

お悠は静かに微笑む。

「私は……塩で食べるのが好きです」

明が続く。

「私は……わさびが美味しいと思います!」

蘭も松丸も夢中で食べ続けた。

秀政は満足げに頷く。

(久しぶりに美味い肉を食べた)

「よし。これで堺でも恥をかかずに済む」

秀政はお悠を連れて伊勢を立った。

六十名ほどの小規模な大名行列。

堺には10日ほどかけて到着した。

堺・千種屋本邸。

本番の堺では、南蛮人向けに用意された牛肉を千種屋経由で確保していた。

サンパイオ商会支配人が通されると、

お悠が丁寧に礼をした。

「Senhora…!

A presença de vossa esposa é uma grande honra para nós, Hidemasa-dono!」

木村がすかさず翻訳する。

「秀政様、ご夫人をお連れくださるとは、

我らにとって大いなる名誉です!」

秀政とお悠は木村を通して、しばし歓談する。

そして秀政は静かに料理を運ばせた。

ステーキ、揚げ魚。

それに今回の主役、山椒、粉わさび(練り戻し)、大葉、柚子皮の薬味。

この時代、ポルトガル人も肉は煮てスープにするのが主流である。

ステーキは彼らにとっても新鮮に見えた。

まずは塩をかけて食す。

その時点で満足そうであるが、秀政に進められて薬味を試した。

支配人は一口食べた瞬間、椅子を蹴って立ち上がった。

皿を見つめ、目を見開き、震える声で叫ぶ。

「…Meu Deus…!?

Isto é… maravilhoso!

Este aroma… esta picância…!

Combina com carne… e até com peixe…!」

場の空気が一瞬止まる。

木村は慌てず、静かに一礼して訳した。

「支配人は……

“なんという味だ……!

この香り、この辛味……

肉にも魚にも合うとは……驚嘆しております”

と申しております」

支配人は胸に手を当て、まだ震えている。

秀政は淡々と告げる。それをすぐに通訳する。

「これらは伊勢・志摩で採れる“薬味”だ。

粉にすれば長く持つ。

交易にも向いている。

我々はこれらを安く、大量に貴商会に“のみ”

提供することを約束する」

サンプルで持ち込んだ山椒の瓶を一つ指さし答えた。

「これ一つで銀1匁で構わぬ」

秀政が値段を伝えた瞬間、

支配人は椅子を鳴らして立ち上がった。

「Hidemasa-dono…!?

Por Deus… por um monme…!?

Isso é praticamente um presente!

Se vender por um monme…

nós lhe daremos armas e pólvora pelo menor preço que existe!

Isto vai dominar o mercado no nosso reino!」

木村は一礼し、

表情を崩さず静かに訳した。

「支配人は……

“銀一匁では、もはや贈り物のようなものです。

その価格でお売りいただけるのであれば、

鉄砲も火薬も、可能な限り最安でご提供いたします。

本国で必ず大きな成功を収めるでしょう”

と申しております」

支配人の熱量と、木村の冷静さの落差が

場の空気を一気に引き締める。

お悠が微笑む。

「日本の香りが、海の向こうでも喜ばれますように」

支配人は胸に手を当て、

深く頷き、震える声で答えた。

「Senhora…

o vosso desejo é uma bênção para nós.

Levaremos este aroma ao outro lado do mar,

com todo o respeito e orgulho.」

木村は一礼し、

支配人の熱を抑えるように静かに訳した。

「支配人は……

“ご夫人のお言葉は、我らにとって祝福のようなものです。

この香りを海の向こうへ、

敬意と誇りをもって運びましょう”

と申しております」

お悠も微笑んで返した。

秀政が真顔に戻り、付け加える。

「支配人。

この薬味は我々“芋粥”とサンパイオ商会のみが、

利益を独占すべきだ。

これは織田も、他の商会もこの取引をやらせてはならない。

故に最高機密に扱うことを望む。

よろしいな?

我々芋粥にのみ薬味を求めよ。

芋粥はそれに最大限応えよう。

欲を張って他からも調達しようと考えるなよ」

木村は同時に通訳していく。

「日本を……、芋粥を舐めるな」

秀政が凄んだ目つきで支配人を見つめる。

秀政の家来どもも合わせて鋭い目つきを向ける。

村瀬新陰流の印可者、並びに伊勢の上級忍びどもだ。

その殺気は凄まじいものだ。

秀政の凄みのある言葉と、

家来たちの鋭い視線を浴びた支配人は、

一瞬、喉を鳴らし後ずさった。

「…Meu Deus…

Hidemasa-dono… eu entendo…

Isto será um segredo absoluto.

Nenhuma outra companhia saberá.

Só a Sampaio terá este privilégio… eu juro.」

「支配人は……

“この取引は絶対の秘密といたします。

他の商会には一切知らせません。

サンパイオ商会のみが、この特権を持つと誓います”

と申しております」

すぐに秀政が笑顔を向けて続ける。

「だが、芋粥とサンパイオ商会が世界で一番儲ける事には

間違いない。

栄華は思いのままよ。

この薬味をどこで手に入れたか周りに問われたならば、

大明帝国の山奥から手に入れたと告げよ。

原価は銀一匁ではなく、銀十匁だと公言するのだ。

さすれば他商会は障壁の高さを考えて参入できず、

サンパイオ商会は実質十倍の利益率の商品を独占できるのだ。

悪くあるまい」

秀政の説明を聞き終えた支配人は、

胸に手を当て、深く頭を垂れた。

「Hidemasa-dono…

vossa sabedoria é extraordinária.

Com este plano,

somente a Sampaio e a casa Imogayu colherão todos os lucros.

Eu prometo manter este segredo,

e desejo continuar este comércio convosco por muitos anos.」

木村は支配人の熱を抑えるように、

静かに、丁寧に訳した。

「支配人は……

“秀政様のご慧眼はまことに見事でございます。

この策であれば、芋粥家とサンパイオ商会のみが

利益を独占できましょう。

この秘密は必ず守り、

今後も長くお取引を続けさせていただきたい”

と申しております」

秀政は満足そうにたちあがると、手を出した。

支配人としっかり握手を交わす。

香辛料貿易は動き出した。