軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百六十九話 父と政治

天正四年四月初頭。

北陸の風はまだ冷たい。

雪解けの泥を踏み固めた街道には、

兵糧車の轍が深く刻まれ、

大聖寺城の周囲には絶えず兵が行き交っていた。

城門脇では槍を抱えた足軽たちが慌ただしく動き、

遠くでは鍛冶場の音も響いている。

北陸戦線は、既に“持久戦”の空気を帯び始めていた。

長政は馬上から城を見上げる。

(……北陸は、本当に苦しいのだな)

播磨とも違う。

大和とも違う。

ここには、雪と泥と寒さがある。

そして何より、“終わりの見えぬ戦”の空気があった。

「若、大聖寺城に到着しました」

鷺山が横から静かに声をかける。

長政は頷くと、

手綱を引いて大聖寺城へ入った。

木戸をくぐった瞬間、

背後から声が飛ぶ。

「おぉ、芋粥殿!

よくぞ参られた!」

よく知る声だった。

長政が振り返る。

そこに居たのは――

丹羽長秀。

実父である。

長秀は秀政が来ると思っていた。

だが、視線の先に居たのは、

総大将として軍を率いる長政だった。

その瞬間、

長秀の目がわずかに見開かれる。

「……万丸か」

思わず出た幼名だった。

「お前が……芋粥の総大将か」

驚きは隠していない。

だが声には、どこか嬉しさも混じっていた。

長秀がゆっくり近づいてくる。

年齢を重ねてはいる。

だが所作に淀みはない。

鎧姿も崩れておらず、

眼光もなお鋭い。

織田家中でも、

“静かな重鎮”として恐れられる男。

それが丹羽長秀だった。

長政の胸に、小さな波が立つ。

幼い頃、遠くから追いかけた父の背中。

その記憶が、一瞬だけ蘇る。

長秀は長政の肩へ手を置いた。

「立派になったな」

父の手だった。

だが同時に、将が部下へ触れる手でもあった。

「遂には芋粥の総大将か。

伊勢での働きは聞いておる。

志摩、伊賀をまとめ、大和では本願寺を打ち破り、

播磨では羽柴と共に毛利を押し返したそうだな。

……うむ。

男の顔になった。

父は誇らしいぞ」

長政は深く頭を下げる。

「父上。

今は芋粥万太郎長政にございます」

長秀が少し笑った。

「おぉ、そうであったな。

すまぬ」

そう言いつつも、

視線は後方へ流れている。

鬼兵。

整然と並ぶ芋粥軍の精鋭たちだ。

その練度を、長秀は静かに観察していた。

「これが鬼兵か」

「はい」

「なるほど……。

話には聞いておったが、

実に良い兵だ」

長秀は淡々と続ける。

「今の北陸は苦しい。

加賀も能登も、楽ではない。

だが――」

そこで長秀の声色が変わる。

「西国と大和で名を馳せた鬼兵が、

丹羽の先鋒に加わるとなれば、

これほど頼もしいものはない」

長政は黙って聞いていた。

長秀はさらに続ける。

「しかも率いるのは秀政殿ではなく、

お前だ。

万丸――いや万太郎。

お前が丹羽と芋粥を繋ぐ柱になれば、

織田はさらに安定する」

父の言葉だった。

だが同時に、

政治の言葉でもあった。

長秀は自然に語っている。

悪意ではない。

本気で、

“それが正しい未来”だと思っている。

だからこそ厄介だった。

長政の胸の奥で、何かが軋む。

(……やはり、そう来るか)

長秀にとって、

芋粥は“織田の有力与力”、

いや譜代たる“丹羽の有力与力”とさえ見ている。

そして長政は、

“丹羽と芋粥を繋ぐための婿”。

そこに父情はある。

だが同時に、

政治の計算も混じっている。

長政は表情を崩さぬまま答えた。

「御意にございます。

芋粥は丹羽家と共闘し、

北陸を支えます。

柴田様に遅れを取るわけには参りませぬ」

長秀は満足そうに頷く。

柴田に張り合おうとする若者特有の覇気だと受け取った。

“共闘”。

長政がわざわざそう言った意味には、

気付いていない。

あるいは、

気付いていて流した。

「そうだ。

お前が中心となって両家を繋げば、

丹羽も織田も安定する。

殿がお前を芋粥へ出したのも、

そのためよ。

万太郎。

その才を、丹羽のためにも使ってくれ」

その瞬間、

長政の胸へ冷たいものが落ちた。

親しげに肩へ触れた直後。

父として語った直後。

だが最後には、

必ず“丹羽のため”へ帰結する。

長秀に悪気はない。

戦国では当たり前のそれが余計に苦しかった。

長政は一瞬だけ、

幼い日の記憶を探した。

だが浮かぶのは、

抱き上げられた記憶ではない。

寺に捨てられ、必要となれば還俗して婿に出された。

それは――

“役目”だった。

“期待”だった。

“丹羽のために生きること”だった。

長政は静かに息を吐く。

そして礼を崩さぬまま、

ゆっくり答えた。

「父上のお考え、承りました。

私も北陸を支えるため尽力いたします。

ですが――」

そこで初めて、

長秀の目を真っ直ぐ見た。

「私がまず守るべきは、

芋粥にございます。

義父秀政様の下で学び、

私はここまで来ました。

ゆえに、 私の忠義はまず芋粥にあります」

静かな声だった。

だが、線は明確だった。

長秀の表情が、

ほんの一瞬だけ止まる。

父としての感情。

政治家としての計算。

その二つがぶつかった顔だった。

やがて長秀は、

小さく笑った。

「……良い」

声は穏やかだった。

「武士ならば、

そうでなくてはならぬ。

このような世であるからこそ、

武士は忠あれ、義あれ――だ。

秀政殿に尽くし、芋粥を盛り立てよ。

それが織田を支え、

丹羽を支えることにも繋がる」

最後まで、

長秀は“丹羽”を手放さなかった。

長政は理解する。

この人は、父である前に武士なのだと。

そして武士である以上、全ては家へ収束する。

長秀は再び優しい笑みを浮かべた。

「期待しているぞ。

万丸」

そう言い残し、

背を向けて去っていく。

長政はその背を見送った。

胸の奥で、何かが静かに固まる。

その夜。

長政は一人、

城の櫓へ上がっていた。

北陸の夜風は冷たい。

遠く、村の灯が揺れている。

加賀の空は暗く、

戦の匂いを帯びていた。

長政は静かに呟く。

「……父上」

声は小さい。

だが、続く言葉は揺れなかった。

「私の父は――

義父上だけだ」

血は消えない。

丹羽の血も、

長秀への情も確かにある。

だが。

自分を育てたのは誰か。

自分に“生きて帰れ”と言ったのは誰か。

自分へ家を与えたのは誰か。

その答えは、もう決まっていた。

長政は北陸の空を見上げる。

政治は人を繋ぐ。

同時に、人を道具にもする。

長政は、その現実を理解した。

理解した上で――

芋粥として生きる道を選んだのである。