軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

08.氷の公爵は、社交界でデレる

そして夜会当日。

美しく着飾ったリリアナは、大型駄犬(夫)を連れて、ゲータ・ニィガ王都グランレガリアへとやってきていた。

王城の大広間は、数百の蝋燭とシャンデリアの光に満たされている。

着飾った貴族たちが談笑し、グラスが触れ合う軽やかな音が響く。

その華やかな空気が、一瞬にして凍りついたのは、会場の扉が重々しく開かれた瞬間だった。

「ヘイリス公爵、並びに公爵夫人、ご入場!」

衛兵の声が響き渡る。

全ての視線が入り口に集中した。

そこに現れたのは、この世のものとは思えぬ美貌の男女だった。

一人は、リリアナ。

夜空を切り取ったような紺色のドレスを纏い、その肌は白磁のように透き通り、髪は宝石のごとき輝きを放っている。

魔法による美容チートとドレス補正の結晶だ(ドレスの色合いは付与で微調整した)。

その姿は、まさしく傾国の美女。

だが、人々が息を呑んだ理由は彼女の美しさだけではない。

彼女の腰に手を回し、ピッタリと――いや、ベッタリと張り付いている男の存在だ。

「リリー、足元は大丈夫か? 絨毯の厚みが数ミリ違うぞ、気をつけろ」

「……平気です。あと近いです。離れてください」

「無理だ。君の香りを三十秒嗅がないと、私の精神が崩壊する」

「きっしょ……。警察呼びますよ」

ジークフリート・フォン・ヘイリス。

「氷の公爵」と恐れられる存在であり、国最強の騎士団長だ。

普段なら周囲を氷点下の殺気で威圧し、誰も寄せ付けない彼が、今はどうだ。

その表情は雪解けのように緩み、瞳は甘くとろけ、リリアナの一挙手一投足にデレデレと頬を緩ませている。

「あ、あれが……ヘイリス公爵か?」

「嘘だろ……? あの絶対零度の無表情はどこへ行った?」

「笑っている……いや、あれは笑いではない。何かに依存しきった中毒者の目だ」

会場にどよめきが走る。

恐怖の象徴だった公爵が、妻の前で骨抜きにされている。

その事実は、貴族たちに天変地異並みの衝撃を与えていた。

会場の中ほどまで進むと、勇気ある貴族たちが挨拶にやってきた。

「こ、今宵はお日柄もよく……ヘイリス公爵、そして奥方様」

恐る恐る声をかけてきた伯爵に対し、ジークフリートはスッと表情を整えた。

リリアナの手前、夫として立派な振る舞いを見せようと張り切っているのだ。

「ああ、久しぶりだな。今夜は星も綺麗だ。妻を連れてくるには良い夜だよ」

ジークフリートは、まるで聖人のように穏やかな微笑みを浮かべた。

普段なら「失せろ雑魚が」と氷魔法を放つ場面だが、今日は違う。

彼はチラリと横目でリリアナを見た。

(どうだリリー! 私は社交も完璧にこなせる夫だぞ! 見直したか!?)

ドヤ顔でのアピール。

しかし、リリアナの視線は彼を向いていなかった。

彼女の瞳が捉えているのは、はるか彼方、会場の奥に鎮座するビュッフェ台だ。

(あそこのローストビーフ、厚切りだわ……。肉汁が光ってる。絶対確保しなきゃ)

リリアナの頭の中は、肉で埋め尽くされていた。

ジークフリートのアピールなど、視界の端にも入っていない。

完全に無視されたジークフリートだが、彼はめげなかった。

(おお……リリーは人ごみなど意に介さず、ただひたすらに食料を見据えている……! なんと野性的で生命力に溢れた姿だ! 可愛い!)

ポジティブが過ぎる。

彼はすでに「リリアナが何をしても可愛い」というフィルターが掛かっているため、無視されてもダメージを受けない無敵状態にあった。

「少し飲み物を取ってくる。リリーはここで待っていてくれ。……いや、やはり私もここに」

「さっさと行ってらっしゃいませ」

リリアナは渋るジークフリートの背中を押し、強制的にドリンクコーナーへ追いやった。

ようやく一人になれた。

リリアナが「さて、肉を」と一歩踏み出した、その時だ。

「あら、ごきげんよう」

行く手を遮るように、扇子を持った令嬢が現れた。

派手なピンク色のドレスを着た彼女は、ねっとりとした視線でリリアナを品定めする。

「どこの田舎貴族かと思えば……噂の『男爵令嬢』様ですわね? よくもまあ、その身分で公爵様の隣を歩けますこと」

典型的な嫌味だ。

どうやらジークフリートを狙っていた高位貴族の娘らしい。

リリアナは心底面倒くさそうに息を吐いた。

「はあ。どうも」

「なっ、何その態度! わたくしは伯爵家の……!」

「興味ないんで。そこ退いてくれます? お肉が冷めるので」

リリアナが素通りしようとすると、令嬢の顔が怒りで歪んだ。

「お待ちなさい! この泥棒猫!」

令嬢は近くのウェイターから赤ワインのグラスを奪い取ると、わざとらしく足をもつれさせた。

「きゃっ、ごめんなさい!」

バシャン!

大量の赤ワインが、リリアナのドレス目掛けて撒き散らされる。

純白の肌と、夜空色のドレスが赤く染まる――はずだった。

【撥水】。ドレスに付与された漢字魔法が発動する。

ドレスに触れた瞬間、赤ワインはまるで蓮の葉に落ちた水滴のように、コロコロと球体になって弾かれた。

一滴も染み込むことなく、重力に従って床へと落下する。

そして、運悪く(あるいはリリアナが計算した角度で)跳ね返ったワインは、令嬢のピンク色のドレスを直撃した。

「ひゃっ!?」

令嬢のドレスに、どす黒い染みが広がる。

リリアナは無傷のドレスを払い、涼しい顔で首を傾げた。

「あらあら。手が滑ったんですか? お高いワインでしょうに、勿体ないこと」

「な、な……っ!?」

令嬢はパクパクと口を開閉させ、己のドレスとリリアナを交互に見る。

何が起きたのか理解できないようだ。

「貴女……何をしたのよ! わたくしのドレスが!」

「自業自得でしょう。クリーニング代くらいは自分で出してくださいね」

リリアナが冷たく言い放った、その時だ。

会場の気温が、急激に低下した。

「……誰だ」

地獄の底から響くような低い声。

戻ってきたジークフリートだ。

彼はリリアナの足元に落ちたワインと、わめき散らす令嬢を見て、状況を察知したらしい。

彼の手にはグラスが握られているが、その中身は瞬時に凍結していた。

「私の妻に、何をした?」

バリバリバリ……!

ジークフリートを中心に、床や壁が凍りつき始める。

本気の殺気だ。

周囲の貴族たちは悲鳴を上げることもできず、ガタガタと震え上がった。

令嬢に至っては、腰を抜かして失禁寸前だ。

「ひっ、あ、あの、これは……!」

「死にたいらしいな。いいだろう、そのふざけたドレスごと氷像にしてやる」

ジークフリートが手を掲げる。

会場全体を巻き込む広範囲殲滅魔法の構えだ。

このままでは、楽しいパーティ会場が巨大な冷凍庫になってしまう。

そして何より、あの美味しそうなローストビーフがカチカチに凍ってしまう!

それは困る。

(肉のためだ、仕方ない)

リリアナは近くのテーブルにあった皿から、一口サイズのカナッペを掴んだ。

そして、詠唱に入ろうとしていたジークフリートの口に、強引にねじ込んだ。

「んぐっ!?」

「うるさいです。これでも食べて黙っててください」

物理的な口封じ。

ジークフリートは目を白黒させ、もごもごと口を動かした。

サーモンとクリームチーズの味が広がる。

次の瞬間、彼の怒りのオーラが霧散した。

「……!!」

ジークフリートが、頬を染めてリリアナを見た。

その瞳は、感動と恍惚に潤んでいる。

「リリーが……私に……『あーん』をしてくれた……!」

「してません。餌付けです」

「美味しい……! 世界一の珍味だ……! ああ、幸せだ……!」

彼は口に入ったカナッペを、この世の宝物のように大切に咀嚼し始めた。

さっきまでの殺気はどこへやら。

完全に骨抜きである。

その隙に、腰を抜かしていた令嬢は這うようにして逃げ去っていった。

会場には、呆気にとられた貴族たちと、幸せそうに咀嚼する公爵だけが残された。

「……騒がしい人」

リリアナは溜息をつき、ようやくお目当てのローストビーフへと向かう。

邪魔者は消えた。

彼女は皿に山盛りの肉を積み上げ、リスのように頬張り始めた。

「んー、美味しい!」

肉汁とソースのハーモニーに、リリアナが顔をほころばせる。

その様子を、背後からジークフリートがうっとりと見つめていた。

「見ろ、あの食べっぷり……。なんと愛おしい……」

「……閣下、もう手遅れですね」

誰かがポツリと呟いた言葉に、周囲の誰もが深く頷いたのだった。