軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

03.彼の元婚約者がきたらしい(他人事)

それ以来、奇妙な同居生活が始まった。

ジークフリートは毎晩、執務が終わると当たり前のように離れにやってくる。

手には自分の枕……ではなく、リリアナが作った試作品の抱き枕(付与:『雲』)を持って。

「ただいま」

「おかえりなさい。ここは貴方の家じゃありませんけど」

リリアナが机で書き物をしていると、ジークフリートは無言で背後から近づき、リリアナの肩に額を乗せた。

「充電」

「閣下、重いです。魔道具作りが進みません」

「君の魔力がないと落ち着かない。このまま寝てもいいか?」

「ダメです。ソファーに行ってください」

最初の頃の「冷徹公爵」はどこへやら。

今の彼は、リリアナの部屋の空気(『浄』)と、リリアナ自身から漂う魔力に依存しきった、ただの甘えん坊だった。

どうやら、リリアナの【漢字】が作り出す結界の中だけが、彼にとって唯一「感覚過敏」から解放される場所らしい。

リリアナの魔力は、彼の暴走しがちな魔力を中和し、鎮める効果があるようだ。

リリアナにとっても、彼は高価な魔石や美味しいお菓子を貢いでくれるので、まあ「性能の良い大型犬」として許容していた。

そんなある日のことだ。

平和な引きこもりライフを揺るがす騒音が響いたのは。

「開けなさい! ジークフリート様がここにいらっしゃるのは分かっているのよ!」

ドンドン! と激しくドアが叩かれる。

リリアナが眉をひそめると、窓の外には派手なドレスを着た女性が立っていた。

(誰この人……?)

ジークフリートに執着している高位貴族の娘だろうか。

「わたくしはジークフリート様の幼なじみで、将来を約束した婚約者なのよ!」

「はぁ……」

(そんなのがいるって聞いてなかったんだけども……)

「【元】婚約者様が、なにか?」

リリアナとジークフリートはすでに婚姻関係にある。

だから、そこの女は元、婚約者となる。

「貧乏男爵の娘風情が、ジークフリート様をたぶらかして引きこもらせるなんて! わきまえなさい!」

どうやら、ジークフリートが本邸に帰らず、毎晩離れに入り浸っていることが漏れたらしい。

彼女は「ジークフリート様を救出する」という名目で、リリアナへの嫌がらせに来たのだ。

(それと、邪魔な私を排除しようって魂胆……?)

女が発するのは、窓ガラスが割れそうなほどの金切り声。

リリアナが「面倒くさいなぁ、防音結界の強度を上げるか」と腰を上げようとした、その時。

――ピキッ。

部屋の空気が凍りついた。

部屋の奥で、『爆睡』のアイマスクをつけて惰眠を貪っていたジークフリートが、ゆらりと起き上がったのだ。

アイマスクを外したその瞳は、深淵のように昏く、底冷えする怒りを湛えていた。

「誰だ」

彼は無言でドアへと歩み寄り、乱暴に開け放った。

「ひっ……! ジ、ジークフリート様!?」

令嬢たちが色めき立つ。

しかし、ジークフリートが放ったのは、愛の言葉ではなく、絶対零度の殺気だった。

周囲の大気が、バリバリと音を立てて凍結していく。

「失せろ」

低く、地を這うような声。

それだけで、令嬢たちの顔色が青ざめる。

「私の 安眠(つま) を邪魔するな。二度とこの離れに近づくな。次に騒音を立てれば、その家ごと氷漬けにする」

それは比喩ではなく、明確な死の宣告だった。

本気の殺意を浴びた令嬢たちは、悲鳴を上げることも忘れ、腰を抜かし、這うようにして逃げ去っていった。

あっという間に静寂が戻る。

ジークフリートは「ふぅ」と息を吐き、扉を閉めると、振り返ってリリアナに抱きついた。

「うるさかった。怖かっただろう、リリー」

(は? 何その態度……。なんで抱きつくんだろう……? 愛してもないくせに)

彼の態度に困惑しながらも、リリアナはうなずく。

「いえ、別に。閣下の方がよっぽど怖かったですよ」

「すまない。もう、限界だ」

ジークフリートはリリアナを強く抱きしめたまま、真剣な声で告げた。

その瞳には、熱っぽい光が宿っている。

「本邸に戻ろう。離れは狭すぎる。本邸の俺の寝室を、君の好きに改造してくれ。君の魔道具で埋め尽くして、二人で暮らそう」

それは、実質的な愛の告白であり、正式な夫婦としての同居の申し込みだった。

不眠症が治り、リリアナの有能さと(自分に媚びない)居心地の良さに気づいた彼は、彼女を手放せなくなっていたのだ。

ハッピーエンドの気配。

しかし、リリアナは彼の腕の中で、きっぱりと首を横に振った。

「え、普通にお断りしますけど?」

「なっ?」

ジークフリートが目を見開く。

「な、なぜだ? 私の財力があれば、もっと快適な環境を作れるぞ? 素材も使い放題だ」

「環境の問題じゃありません。契約の問題です」

リリアナは、にっこりと微笑んだ。

それは、初夜の時に彼に見せた、淑やかな笑みと同じものだった。

「閣下、仰いましたよね? 『君を愛することはない』と」

「っ……!」

「私はその言葉に深く感銘を受けたんです。ああ、この方は私に面倒な公爵夫人の務めや、ドロドロした感情労働を求めていないんだわ、と! 素晴らしいビジネスパートナーだと思いました!」

リリアナは力説する。

「本邸に戻れば、またあのうるさい貴族たちの相手をしなきゃいけないでしょう? そんなの御免です。私はここで、誰にも邪魔されず、静かに引きこもっていたいんです。それが私たちの契約ですよね?」

正論だった。

あまりにも正論すぎて、ジークフリートはぐうの音も出ない。

過去の自分の発言が、鋭利なブーメランとなって心臓に突き刺さる。

あの時は、彼女を守るため、そして自分の平穏のために言った言葉だった。

それが、まさかこんな形で自分の首を絞めることになるとは。

「だ、だが……私は、君を……」

「愛することはない、ですよね? 安心してください。私も閣下を『最高の金づル……スポンサー』として尊敬していますから!」

恋愛感情? なにそれ美味しいの?

リリアナの強固な「引きこもり精神」と、ビジネスライクな笑顔の前に、ジークフリートの淡い恋心は粉砕された。

結局。

本邸への引っ越しは白紙となり、代わりに離れが増築された。

ジークフリートは「契約」を盾に、毎晩のように離れへ「出勤」してくる。

「リリー、眠れない」

「はいはい。今日は新作の『熟睡アロマキャンドル』がありますよ」

「違う。君が足りない」

ベッドに入ったリリアナの背後から、大きな身体が忍び込もうとしてくる。

しかし、リリアナは布団を頭までかぶり、冷たく言い放った。

「え、普通に嫌ですけど。自分のとこで寝てください」

「そんな……!」

「キャンドルはあげるんで。はい、さようなら」

リリアナは魔法で灯りを消し、数秒後には「すー、すー」と幸せそうな寝息を立て始めた。

ジークフリートはしばらく立ち尽くしていたが、やがて肩を落とし、キャンドルを片手にトボトボと部屋を出て行った。

「……君を愛することはない、なんて言わなければよかった」

本邸の広すぎる寝室。

静かにはなったが、どこか寒々しい部屋で、ジークフリートは一人キャンドルの炎を見つめる。

甘い香りはするが、彼女の温もりはない。

「……リリー」

ジークフリートは悔しげに呟き、枕に顔を埋めた。

【漢字】の力で手に入れた、最強の引きこもりライフ。

だが、不眠症の公爵様がリリアナの部屋に「定住」できる日は、まだまだ遠そうである。