作品タイトル不明
第3話 ログアウトできない昼休み
「午後、AからEまで合同の模擬戦演習だってよ」
瀬尾リクトがそう告げた瞬間、神代カイは本気で帰ろうとした。西階段の踊り場。購買のパンを片手に持ったまま、カイは何の迷いもなく立ち上がる。
「よし、体調不良だ」
「早い早い早い。判断が早すぎる」
リクトが慌ててカイの制服の袖を掴む。
「まだ何も始まってないだろ」
「始まる前に逃げるのが危機管理だ」
「それは危機管理じゃなくてサボりって言うんだよ」
「言い方の問題だろ。現代社会は言葉選びが大事だ」
「じゃあこれは進級危機だ。午後サボると実技評価に響くぞ」
「響け。むしろ退学まで一直線に響いてくれ」
「お前、本当に魔法科辞めたいのな……」
リクトは呆れた顔をした。冗談半分のつもりだったのだろう。だが、カイはわりと本気だった。魔法科という場所は、向いていない。
実技が低いから、というだけではない。むしろ、それは都合がよかった。低評価で済むなら、いくらでも低評価を受け入れる。笑われるだけなら、どうでもいい。
問題は、時々見えてしまうことだった。人の配置。術式の癖。結界の継ぎ目。視線の流れ。誰が次に前へ出て、誰が孤立し、どこで崩れるか。そんなものが、見たくもないのに勝手に線になって頭の中でつながる。だから模擬戦は嫌いだった。
戦うことより、見えてしまうことが嫌だった。
「カイ」
リクトが、少しだけ声を落とした。
「頼むよ。俺が一人だと気まずいんだって」
「Dクラスにも友達いるだろ」
「いる。いるけど、合同演習だぞ。AとかBとかが混ざるんだぞ。Dクラスなんて、一番扱いに困る中間素材なんだからな」
「便利じゃん」
「便利枠はだいたい雑に使われるんだよ。『瀬尾、そこ支えて』『瀬尾、タグ貼っといて』『瀬尾、囮やって』って」
「最後だけおかしいな」
「おかしいだろ? だからお前が必要なんだよ」
「俺がいても囮が二人になるだけでは」
「一人よりは心強い」
「心細さが二倍だろ」
リクトはカイの袖を離さなかった。カイはため息をつき、階段の窓から外を見た。演習場棟の屋根が見える。魔法科専用の大型施設で、結界壁に囲まれた半屋外型の模擬戦フィールドを持つ。
通常の体育館とは違い、内部空間は術式によって拡張され、都市区画、森林、瓦礫地帯など複数の地形を再現できる。合同模擬戦ともなれば、教師たちは張り切るだろう。
生徒たちも張り切る。特に上位クラスの連中は。カイはその光景を想像して、顔をしかめた。
「やっぱ無理」
「はい却下」
「お前に却下権はない」
「ある。友人権限」
「そんな権限は存在しない」
「今できた」
リクトはそう言って、カイの手から購買パンを奪い返した。
「あ」
「来ないならこれは没収」
「食料を人質に取るな」
「食料じゃなくて人質ならぬパン質だ」
「つまらないから返せ」
「来るなら返す」
カイは数秒だけリクトを見た。そして、負けたように肩を落とす。
「……分かった。行くだけな」
「よし」
「出るとは言ってない」
「そこは教師に言え」
「教師は敵だ」
「学校生活に向いてなさすぎる」
二人は西階段を下り、演習場棟へ向かった。昼休みの校舎は騒がしい。廊下には生徒たちが行き交い、午後の合同演習についての話題があちこちで飛び交っていた。
「白羊院さん、今日出るらしいぞ」
「Aクラスの?」
「白羊院家って、あのアストラル・ラインの?」
「加速術式、めちゃくちゃ速いらしい」
「Bの久我も出るって聞いたぞ。熱量系のやつ」
「Cクラスは早見さんが管制役だって」
「上位組の見せ場だな」
名前が聞こえるたび、リクトが少しだけそわそわした。
「なあ、白羊院ユイカって知ってるか?」
「知らない」
「嘘つけ。Aクラスの有名人だぞ。 国家認定星紋家門群(アストラル・ライン) 、白羊院家の令嬢。得意術式は加速と突撃補助。実技評価ほぼトップ」
「へえ」
「興味薄いな」
「速く走れる人だろ」
「その雑な説明、本人に聞かれたら刺されるぞ」
「加速術式で?」
「たぶんな」
リクトは続ける。
「久我ハルトも有名だぞ。Bクラスだけど、火力だけならAクラス並み。熱量系術式で演習場の標的を三枚まとめて溶かしたらしい」
「設備破壊じゃん」
「ちゃんと許可範囲内だったらしい。あとCクラスの早見ナツメ。解析と通信管制がすごいって話。合同演習だと、ああいうタイプがいるだけで全体の動きが全然変わる」
「詳しいな」
「普通は知ってるんだよ。お前が知らなすぎるだけ」
「俺、Eクラスの情報管理で忙しいから」
「Eクラスの何を管理してるんだよ」
「昼寝に適した机の角度とか」
「本当に忙しくなさそうだな」
軽口を交わすうちに、演習場棟へ着いた。入口では、各クラスの生徒たちが集まっていた。雰囲気が普段の授業とは違う。Aクラスの生徒は、姿勢からして違った。
制服の着こなし、端末の整備状態、立ち方、視線の置き方。全員が、自分は選ばれた側だと自然に理解している。Bクラスは、もっと熱っぽい。Aに追いつこうとする者、Aを倒そうとする者、自分の実力を見せたい者。魔法師としての野心が、肌に刺さるようだった。
Cクラスは、少し離れた場所で端末を確認している。視線は人ではなく、演習場の構造や通信リンクへ向いていた。戦う前から、別のものを見ている。Dクラスは、その間に挟まっている。
そしてEクラスは、隅にいた。カイはその隅へ自然に移動しようとしたが、リクトに襟首を掴まれた。
「逃げるな」
「逃げてない。適正配置だ」
「隅っこ適正って何だよ」
その時、演習場の中央側で空気が変わった。一人の少女が入ってきたからだ。
白い髪に近い淡金色の髪を高い位置で結び、凛とした姿勢で歩いてくる。制服の上からでも、鍛えられた体幹が分かる。腰には細身の導杖。歩幅は大きすぎず、小さすぎず、いつでも走り出せる重心を保っていた。
白羊院ユイカ。
周囲の生徒が自然に道を空ける。彼女はそれを当然のように受け入れながらも、傲慢には見えなかった。視線はまっすぐで、表情は引き締まっている。努力を知らない名門令嬢ではない。努力したうえで、名門の看板を背負っている者の顔だった。
「ほら、あの人」
リクトが小声で言う。
「速そうだろ」
「馬みたいな感想だな」
「白羊院だけに?」
「言ってない」
ユイカがふとこちらを見た。リクトが慌てて口を閉じる。カイは目を逸らした。目立つ人間とは目を合わせないに限る。
続いて、別の方向から男子生徒が現れた。赤みがかった黒髪。鋭い目つき。肩にかけた導杖は、一般生徒用より一回り太い熱量系対応モデルだ。
周囲に近づく生徒が少し距離を取っているのは、彼の端末が常に微弱な熱を帯びているからだろう。久我ハルト。Bクラスの実力者。彼はAクラスの集団を一瞥し、ユイカを見るとわずかに眉を上げた。
「白羊院も出るのか」
「合同演習ですもの。出ない理由がありません」
ユイカが淡々と返す。
「Aクラスが本気を出すなら、こっちも遠慮しなくて済む」
「遠慮していたの?」
「してたことにしておく」
ハルトの口元に挑戦的な笑みが浮かぶ。ユイカはそれを受けても、表情を崩さなかった。火花が散るような空気だった。リクトが小声で言う。
「怖っ。上位クラス怖っ」
「帰るか」
「帰らない」
さらに、演習場脇の管制席に一人の女子生徒が座った。
黒髪を肩で切りそろえ、細いフレームの視覚補助端末をかけている。派手さはない。だが、彼女の周囲だけ端末画面の数が多かった。複数のウィンドウを同時に展開し、演習場の結界状態、通信チャンネル、生徒ごとのATリンクを確認している。
早見ナツメ。
Cクラスの解析特化生。彼女は誰かと談笑するでもなく、黙々と表示を整理していた。指先の動きに迷いがない。必要な情報だけを拾い、不要な情報を消し、優先度を付けて並べ替えていく。カイは一瞬だけ、その手順を見た。悪くない。いや、かなりいい。
情報の捨て方が上手い。そう思った瞬間、カイは自分で嫌になり、視線を外した。見なくていい。評価しなくていい。自分には関係ない。
「全員、集合」
教師の声が響いた。複数のクラスの生徒たちが演習場中央へ集まる。教師は大型ホログラムを展開し、今日の演習内容を説明し始めた。
「本日の合同模擬戦は、クラス混成ではなく、クラス対抗形式で行う。目的は単純な勝敗ではない。各クラスの役割差、術式傾向、連携の癖を確認することだ」
ホログラム上に、演習フィールドの地形が表示される。市街地型。低層ビル、遮蔽物、狭い路地、中央広場。視界が通る場所と通らない場所が混在している。
前衛が突出すれば後衛とのラインが切れやすいが、うまく使えば機動力のあるチームが一気に制圧できる。カイは反射的に全体を見てしまい、すぐに目を伏せた。嫌な配置だった。
「第一試合は、Aクラス対B・D合同チーム。Cクラスは管制補助として両陣営のログを記録。Eクラスは控えとして観察、および第二試合以降に参加予定」
「第二試合以降、か」
リクトが小声で言った。
「お前、出番あるかもな」
「腹痛になる予定」
「予定腹痛って何だよ」
Aクラスのメンバーがフィールド入口へ移動する。ユイカは前衛位置に立った。導杖を抜く。細身の黒いタクト型端末が起動し、内部の銀色回路が白く光る。彼女の周囲に、星の角を思わせる鋭い術式紋が浮かんだ。
白羊院家の星紋は、白羊。得意とするのは、加速、突撃、起動補助。最初の一歩で盤面を動かす家だ。
対するB・D合同チーム側では、ハルトが前に出た。彼の導杖に赤い回路光が走る。熱量系術式。火を生むのではなく、空間内の熱エネルギーの偏りを作り、爆発的な圧として放つ魔法。分かりやすく強い。だからこそ、分かりやすく狙われる。
「瀬尾」
教師がリクトを呼んだ。
「お前は第二班の補助待機だ。タグデバイスの準備をしておけ」
「はい」
リクトは肩を落とした。
「ほらな。便利枠」
「おめでとう」
「祝うな」
カイは控え席に座った。観客席ではなく、参加予定者用の待機ベンチだ。フィールド全体が見えるが、直接干渉はできない位置。最悪だった。見えすぎる。
「第一試合、開始準備」
演習場の結界壁が淡く発光した。管制席でナツメが通信ログを開く。
「両陣営リンク確認。安全結界正常。魔力出力制限、規定値内。記録開始します」
澄んだ声だった。余計な感情が混ざっていない。教師がうなずく。
「開始」
ブザーが鳴った。瞬間、ユイカが消えた。いや、消えたように見えた。実際には、凄まじい加速で中央広場へ飛び込んだのだ。導杖を振るたび、足元に白い術式紋が咲き、彼女の身体をさらに前へ押し出す。速い。観戦していた生徒たちがどよめいた。
「はっや……!」
「もう中央取ったぞ!」
「B・D側、反応遅れてる!」
ユイカは止まらない。敵の初期配置を読んでいたかのように、最短距離で遮蔽物の間を抜ける。B・D合同チームの前衛が迎撃しようとするが、間に合わない。
彼女の導杖が空間を斜めに切り、運動系術式による衝撃波が相手の姿勢を崩した。その隙に、Aクラスの後衛が支援術式を展開する。起動補助。防御結界。視界共有。全てが速い。カイの隣で、リクトが思わず声を漏らした。
「すげえ……これ、Aクラス圧勝じゃないか?」
観客席も沸き立っていた。白羊院ユイカの突撃は、それほど華やかだった。一人の前衛が盤面を切り開き、後衛がそこへ支援を重ねる。教科書に載せてもいいような、名門らしい制圧戦術。
けれど。カイは、眉をひそめた。彼の目はユイカを見ていなかった。ユイカの後ろを見ていた。前衛と後衛の距離。支援術式の有効範囲。B・D合同チームの後退角度。ハルトの立ち位置。狭い路地に残された、妙に空いた空間。視線の向き。誘導されている。
速すぎる前衛が、自分の速度で味方との接続線を引き千切ろうとしている。カイは、小さく呟いた。
「……前、出すぎだろ」
その声は、歓声に紛れてほとんど誰にも届かなかった。リクトだけが、隣で首を傾げる。
「え?」
カイは答えなかった。演習場の中央で、ユイカがさらに一歩、敵陣深くへ踏み込んだ。その一歩を見て、カイは無意識に指を折った。
一。
二。
三。
まだ何も起きていない。けれど、もう崩れる。それがカイには、はっきり見えていた。