作品タイトル不明
第4話 三秒後に後衛が孤立する
白羊院ユイカの突撃は、圧倒的だった。中央広場を一瞬で制圧し、遮蔽物の裏に隠れたB・D合同チームの前衛を二人まとめて押し返す。
導杖の軌跡は白い光の線となり、空間に鋭い角を描く。運動系術式による加速。重心補助。起動短縮。そのどれもが高水準だった。
彼女はただ速いだけではない。速さの中で姿勢が崩れない。視線もぶれない。次の足場、次の敵、次に自分が通るべき線を理解している。才能に甘えた突撃ではない。鍛え上げられた前衛の動きだった。
「白羊院さん、そのまま押し切れます!」
Aクラス後衛の一人が通信越しに叫ぶ。
「右路地、敵影二!」
「確認済み」
ユイカは短く応じると、速度を落とさず右へ切り込んだ。追いつけない。敵だけではない。味方も、彼女に追いつけていなかった。Aクラスの後衛二名は中央広場の手前で支援術式を維持している。
視界共有、起動補助、防御結界。どれも優秀だ。だが、術式には有効範囲がある。どれほど優秀な支援でも、届かなければ意味がない。ユイカの前進速度に対し、後衛の位置更新が遅れていた。
さらに、B・D合同チームはただ押されているわけではなかった。前衛を一歩ずつ後退させながら、Aクラスの支援線を横に伸ばしている。中央広場から右路地へ。右路地から、さらに視界の悪い建物裏へ。
ユイカ本人には、まだ危機感がない。なぜなら、彼女の目の前では勝っているからだ。攻撃は当たる。敵は下がる。道は開く。だから進む。だが、盤面全体で見れば、勝っている前衛が孤立へ誘導されていた。
カイは控え席に座ったまま、その流れを見ていた。足を投げ出し、背もたれに体を預け、いかにも退屈そうな姿勢で。だが、目だけは眠っていなかった。
ユイカの速度。後衛の支援半径。ハルトの視線。Dクラス補助役のタグ設置位置。路地裏に一人だけ残った敵影。それらが頭の中で勝手に組み上がる。見たくない。なのに見える。
「……今、前衛が突っ込みすぎた」
カイは呟いた。隣にいたリクトが聞き返す。
「え?」
「三秒後に後衛が孤立する」
「は?」
リクトが間の抜けた声を出した。カイは指を折る。
一。
ユイカが右路地の敵を吹き飛ばす。
二。
Aクラス後衛が支援線を伸ばすため、中央広場の遮蔽物から半歩前へ出る。
三。
B・D合同チームの伏兵が、横から飛び出した。
「なっ――!?」
Aクラス後衛の悲鳴が通信に乗る。伏兵はDクラスの補助役だった。派手な攻撃魔法ではない。
事前に壁面へ貼っておいた 符式端末(タグデバイス) を起動し、狭い路地に一瞬だけ境界術式を展開したのだ。後衛とユイカの間に、薄い結界が差し込まれる。遮断時間は、わずか二秒。
だが、模擬戦では十分だった。支援線が切れる。ユイカの視界共有が一瞬だけ途絶える。同時に、Bクラスの久我ハルトが動いた。
「そこだ!」
赤い術式紋が展開する。熱量系術式。ハルトの導杖から放たれた熱波が、Aクラス後衛の足元を撃った。直撃ではない。安全規定内の制圧射撃。だが、足場の温度を急激に上げられた後衛は、術式維持に失敗する。
『Aクラス後衛一名、被弾判定』
『支援術式、解除』
『Aクラス後衛二名、行動制限』
管制席の表示が一気に赤く染まった。観客席の歓声が、どよめきに変わる。
「え、後衛落ちた?」
「白羊院さん、前に出すぎたのか?」
「でも今まで押してたじゃん」
「B・D側、狙ってたのか?」
ユイカが振り返る。その一瞬だけ、彼女の顔に驚きが浮かんだ。自分が敵を押し込んでいたはずなのに、背後の支援が崩れている。前衛にとって、それは最悪の感覚だ。
「支援、再接続!」
ユイカが叫ぶ。
「無理です、結界で遮断されています!」
「二秒で解除される、持ち直して!」
ユイカは即座に判断した。その反応は速い。さすがAクラスだ。だが、二秒はもう終わっている。結界が消えると同時に、B・D合同チームの前衛が反転した。
さっきまで押されていた者たちが、一斉にユイカへ向き直る。包囲ではない。包囲に見せた牽制。本命は、後衛を崩されたAクラス全体の判断遅延だ。ユイカは突っ込むべきか、戻るべきか、一瞬だけ迷った。その一瞬を、ハルトは見逃さなかった。
「火力、通すぞ!」
ハルトの導杖が再び赤く光る。彼が撃ったのはユイカではなく、ユイカの退路だった。床面に熱の境界線が走り、彼女の足を止める。攻撃判定ではない。移動制限。そして、管制席の判定が下る。
『Aクラス前衛、孤立判定』
『Aクラス支援網、機能停止』
『第一試合、B・D合同チーム優勢』
演習場が大きくざわめいた。押していたはずのAクラスが、一気に瓦解した。ユイカは悔しそうに唇を噛んだ。だが、感情のまま無理に突っ込むことはしなかった。
導杖を構え直し、残った味方との再接続を試みる。そこは冷静だった。とはいえ、最初の流れはもう戻らない。Aクラスの華やかな突撃は、わずかな支援線の断絶から崩された。
「……マジかよ」
リクトは、口を開けたまま固まっていた。それから、ぎこちなくカイを見る。
「お前、今の……」
「気のせい」
カイは即答した。
「いや、気のせいじゃないだろ。三秒後って言ったよな? 本当に三秒後に――」
「たまたま」
「たまたまで秒数まで当たるか?」
「俺の体内時計が優秀だった」
「そういう話じゃない」
「じゃあ勘」
「勘で後衛孤立とか言うなよ」
リクトの声が少し大きくなり、近くの生徒がこちらを見た。カイは面倒くさそうに立ち上がる。
「トイレ」
「逃げるな」
「生理現象だ」
「絶対違うだろ」
「人間は水分でできてるからな」
「意味分かんねえよ」
カイはリクトの追及を無視して、控え席から離れようとした。その背中に、演習場の歓声と教師の指示が重なる。第一試合はまだ続いている。
ユイカは立て直そうとしているし、ハルトはさらに押し込もうとしている。Dクラスの補助役たちは、派手さはないが役割を果たしている。
良い模擬戦だった。教材としては。カイはそう思って、すぐにその考えを打ち消した。評価するな。考えるな。自分には関係ない。
「だから突っ込みすぎだって……」
誰にも聞こえないくらいの声で、カイはぼやいた。だが、その声を聞いた者が一人だけいた。
管制席の早見ナツメである。彼女は、複数のログ画面を見比べながら、手を止めていた。カイの声を直接拾ったわけではない。演習場の音声ログに、小さな呟きが混じっていたのだ。
『今、前衛が突っ込みすぎた』
『三秒後に後衛が孤立する』
それは、公式通信ではない。控え席の環境音に紛れた、ほとんどノイズのような音声。普通なら聞き流す。だが、ナツメは聞き流せなかった。
なぜなら、その呟きの三秒後、本当にAクラス後衛が孤立したからだ。ナツメはログを巻き戻した。ユイカの座標。後衛の支援範囲。B・D合同チームの伏兵位置。タグデバイスの設置ログ。ハルトの術式起動タイミング。全てを照合する。
カイの予測は、結果論ではなかった。伏兵が動く前に言っている。タグが起動する前に言っている。ハルトが照準を変える前に言っている。つまり、彼は盤面の崩壊を事前に読んでいた。
Eクラスの劣等生が。基礎射撃すらまともにできないはずの神代カイが。
「……どういうこと?」
ナツメは小さく呟いた。画面の中で、カイが控え席から離れていく。姿勢はだらしない。表情は眠そう。まるで、何も分かっていない落ちこぼれのように。けれど、あの一瞬。彼の視線は、誰よりも速く戦場全体を捉えていた。
ナツメは視覚補助端末の位置を直し、カイの後ろ姿を見つめた。興味ではない。好奇心でもない。もっと冷たい、解析対象を見る目だった。模擬戦フィールドでは、ユイカがようやく体勢を立て直し、ハルトの熱量術式を正面から受け流していた。
観客席は再び沸き上がる。だが、ナツメの意識はもうそこにはなかった。
彼女はログに残った小さな音声波形を保存する。ファイル名をつける。
『神代カイ/非公式予測ログ01』
保存完了の表示が出た。ナツメは静かに息を吐く。
「Eクラスの劣等生、ね」
その声には、わずかな疑念が混じっていた。一方、演習場の外へ出たカイは、廊下の壁にもたれていた。胸の奥が少しだけざわついている。
三秒後に後衛が孤立する。
あんなこと、言うつもりはなかった。ただ見えてしまった。昔と同じだ。ギミックの兆候を見つける。
ロールの崩れを読む。誰がどこでミスをするか、どうすれば立て直せるか、勝手に考えてしまう。ゲームなら、それでよかった。むしろ、それが求められていた。
神託のカイ。そう呼ばれていた頃の自分なら、今の模擬戦にもすぐ指示を出しただろう。前衛、二歩下がれ。後衛、支援線を短く保て。伏兵のタグを先に潰せ。火力役の視線を見ろ。
でも、現実では言わない。言えば、誰かが動く。自分の言葉で、誰かが危険な場所へ行く。その先にある痛みまで、全部見えてしまう。カイは拳を握った。まぶたの裏に、赤い警報灯がちらつく。兄の声が蘇る。――現実は、リトライできない。
「分かってる」
カイは低く呟いた。
「だから、やらないんだよ」
演習場の中から、試合終了のブザーが聞こえた。結果は知らない。知る必要もない。そう思ったはずなのに、カイの頭の中では、さっきの盤面がまだ勝手に動き続けていた。
ユイカの速度。ハルトの火力。リクトのタグ。ナツメの管制。それぞれの役割が、線になってつながりかける。カイはそれを振り払うように、廊下を歩き出した。
だが彼は知らない。自分が何気なく漏らした呟きが、すでに一人の解析特化生の記録に残っていることを。そして、その小さな疑念が、やがて彼を逃げ場のない盤面へ引き戻すことを。