作品タイトル不明
Ep.80 妹の帰還〜アーサーside
「……セシリアが、この屋敷に来る……!?」
「はい。本日、お時間を頂きたいと先触れが参りました」
朝、目が覚めて登城の支度を整えていると、家令にそう告げられた。
……セシリアが……来る。
もはや夜会や貴族院会議の席でしか姿を見ることも叶わない、私に残された唯一の妹。
セシリアのことを思い出そうとすると、私や両親の愚かさが招いた出来事や、クララのこと、そして最後に言葉を交わしたあのトレヴァント辺境伯家での冷たい拒絶が蘇り、胸がナイフで抉られるように痛む。
「……いかがなさいますか? 旦那様」
「……受けろ。セシリアは、我がアシュフォードの者だ。使用人たちに「無礼は許さん」と徹底させろ」
家令は一礼して退室した後、私は独り、執務椅子の背もたれに身体を預けて目を閉じ、天を仰いだ。
やがて先触れにあった約束の時間になると、窓から、ブランシェ侯爵家の家紋がある馬車が敷地内に入ったのが見えた。
私は身なりを整え直し、侍従と共にエントランスへ出迎えに向かう。
エントランスまでの廊下を歩いていると、幼い頃のセシリアやクララの笑い声が、耳の奥で幻聴となって響き渡った。
両親の庇護下で何の心配もせずに、ただ幸せを享受しているだけで良かったあの時代。
歩みを進める足が重くなり、私は拳を強く握り締める。
エントランスに到着すると、そこには久々にまともに顔を合わせるセシリアと、変わらずに影のように控える黒髪の執事の姿があった。
「……久しいな。セシリア」
「ご機嫌麗しゅう存じますわ。アシュフォード公爵閣下」
他人行儀な挨拶に一瞬、胸が疼いたが、それは僅かな違和感と共にすぐに消えた。
いつも通り優雅に微笑むセシリアが、軽く会釈をしただけでカーテシーをしなかったのだ。
私が驚きに目を見開き、その違和感の原因に視線を向けると、彼女は幸せそうにお腹を撫で、悪戯っ子のように微笑んだ。
「ふふっ。無作法で申し訳ございませんわ。お腹が大きくなって、どうしてもカーテシーが安定しませんの」
その姿に、私は絶句してしまう。
セシリアの後ろでは、ノインが心配そうに眉を顰めて彼女を注視している。
「……旦那様」
侍従の囁きで、はっと我に返り、私は慌てて彼女たちを応接室へと案内した。
移動中、段差や何やらと気になり、後ろを歩くセシリアたちを、そわそわと何度も振り返ってしまった。
互いにソファに座わり、侍従にお茶を準備させようとするとノインに遮られた。
彼が手慣れた動きで、セシリア用に持参した妊婦でも飲めるハーブティーを淹れ始めたのを視界の端で確認し、私は言い淀みながら問い掛けた。
「……その、セシリア。話の前に……腹の子の、父親を聞いても、いいだろうか……?」
彼女は供されたソーサーごとカップを持ち、ハーブティーに口を付け、何でもないことのように平然と答えた。
「父親ですか? もちろん、夫のノインですわ」
「夫って……。しかし、ノインは……!」
ノインが父親だと言われても驚きはしなかった。
それだけ彼は常に彼女を守り、寄り添い、忠実だった。
セシリアも、ノインを誰よりも……それこそ、婚約者であるハインリヒや家族よりも信頼しているように見えた。
だが、確かノインは孤児院で拾った『孤児』だったはず。
平民、しかも孤児を貴族の『伴侶』には出来ない。
「ノインは、『平民』ではありませんわ」
「なに……?」
私の疑問に先んじて答え、セシリアがカップをソーサーの上に戻した瞬間、ノインが横からそのカップを奪い、音もなくローテーブルの上に置いた。
セシリアが柔らかく微笑むと、ノインは小さく溜め息を吐いた後、私を真っ直ぐに見据えた。
「改めまして。私はクロンヴァルト帝国、クロード公爵家次男⸺⸺ノイン・クロードと申します。現在は、セシリアと結婚した際に伯爵位を継承いたしましたので、グレイヴ伯爵家当主となりました」
「なっ……! 帝国の、クロード公爵家と言えば、筆頭公爵家では……っ!?」
「はい。諸事情により、10歳の頃に父と親交のあった家へ預けられておりました」
どこかの貴族家の養子となったのかと思えば、予想を遥かに超える高貴な家柄だったことに言葉を失ってしまう。
「籍はクロンヴァルトで入れましたの。こちらで進めると……ほら、国王陛下に不要な警戒心を抱かせてしまいますでしょう?」
セシリアは困ったように笑った。
やはり、ハインリヒが必要以上に彼女を意識していることに気付いていたようだ。
……あれだけ露骨なのだ……気付かないほうがどうかしているが。
「……そうか。すまない、予想以上の内容に驚いてしまった。遅くなったが……セシリア、ノイン。おめでとう」
心からの祝福を伝えると、セシリアは一瞬、きょとんと目を丸くしたが、すぐに柔らかく微笑み「ありがとうございますわ」と、ノインと共に答えた。
「それで……今日の訪問は、その報告だったのか?」
「いいえ。公爵閣下は、国王陛下の周りに羽虫が飛び回っているのをご存知かしら?」
少し温くなった紅茶に口を付けながら用件を尋ねると、返ってきた言葉にカップを持つ手が強張った。
「……それは、スターリング伯爵令嬢のことか?」
すぐにソーサーの上にカップを戻し、私は表情を変えずに視線を向けた。
セシリアはにっこりと微笑み、ノインへ一瞬視線を向けると、彼から甲斐甲斐しく差し出されたカップを受け取り、それに口を付ける。
「ええ、『それ』ですわ。閣下はどうお考えですの?」
「……それは、『側妃』として……という意味か?」
室内には、私の侍従を含めて四人しかいない。
それにも拘わらず、流れる空気は固く張り詰めていた。
「違いますわ。彼女が『側妃』になることはありませんもの……。私が聞きたいのは『側妃』の座を望む『羽虫』が飛び回っていること、についてですわ……」
ソーサーの上にカップを戻すと、セシリアはそれまでの微笑みを消し、翡翠の瞳が、射抜くような冷徹な光を放った。
口元には、まだ笑みが残っているのに、その視線に射竦められ、身体が更に強張ってしまう。
「……側妃になることは、ない、というのは……どういう意味だ……?」
「言葉の通りですわ。現国王陛下に、王妃陛下以外の妃は『生涯』存在することはございません……万が一、それが存在することになれば────」
「国王陛下は、ご無事ではいられないでしょうね」と、冷ややかに嘲笑した。
身体の芯から凍えるような殺気に、私の後ろに立っている侍従が息を呑むのが分かった。
「……それは、謀反ではない、のか……?」
「いいえ?これは帝国との『契約』に基づいた当然の結果ですもの。⸺⸺これは警告ですわ、閣下。アシュフォードを守りたいなら、何が起きても、国王陛下の側に立つことはお控えなさいませ。さもなくば……」
そこで言葉を止め、セシリアは妖しく口角を上げた。
『さもなくば……今度こそ、アシュフォードは潰されるでしょう……』
そう、告げられた気がした。
セシリアは筋が通らないことはしない。
ならば、これから起きることは、きっと、成るべくして成ることなのだろう……。
私は、ただ黙って頷くしかなかった。