作品タイトル不明
Ep.77 伯父の訪問
「セシリア様。陛下の悪い癖が、また出たようです」
「……ノイン。あなた、私の夫になったのに、いつまで私に敬称を付けて呼ぶつもりなの?」
「……ああ、すまない。長い間の習慣で、ついな……」
いつまで経っても抜けない執事時代の癖に呆れた視線を向けると、ノインはバツの悪そうな顔でしどろもどろに答えました。
……まあ、長年染み付いた習慣がなかなか抜けないのは、仕方ないのでしょう。
溜め息を一つ吐き、本題に戻します。
「それで? 陛下の悪い癖というのは、あの伯爵令嬢が関係しているのかしら?」
「ああ。あれだけ小娘……クララで痛い目にあったというのに。喉元過ぎれば、何とやらだな」
……クララを小娘と呼んでいたのね。
まあ、それはいいとして。
ノインの言葉に、私はデスクの上で手を組みながら肘を突きました。
久しぶりに聞いたクララの名前に、過去の出来事が昨日のことのように脳裏に浮かびます。
「……ただ、今回はあの時とは少し様子が違う」
「どこが違うのかしら?」
「そうだな……。クララを女狐と呼ぶなら、あの令嬢は『小狐』に過ぎない」
つまり、クララよりもレベルが低いという意味なのでしょう。
あの子は穴はあっても、周囲を巻き込むのが上手かったですからね。
「その『小狐』は、陛下にどう仕掛けているの?」
「何てことはない。ただ、肯定してやっているだけだ」
「それだけ?」
ノインは肩を竦め、頷きました。
どうやら思い通りに事が進まない苛立ちや、私への劣等感で精神的に余裕がないようです。
片方の腕は頬肘をつき、反対の手の指先でトントン、とデスクを叩きながら頭の中で状況を整理します。
「……そういえば、伯父様から面会の申し出があったわね」
今後、私の予想通りに進むのなら……そろそろ釘を刺すのに丁度いい頃合いでしょう。
⸺⸺⸺
「お久しゅう存じますわ。伯父様」
「……ああ、久しいな。セシリア」
前アシュフォード公爵夫人の兄であり、この国の宰相⸺⸺ギルバート・ファルケンハイン侯爵。
私がまだ、王族教育で王城へ通っている時や公務の際にお会いすることはあったけれど、業務以外で会話をした記憶がありません。
エントランスで出迎えると、挨拶以上の会話もなく、応接室へ案内しました。
……本来なら、お話の内容を考えれば、秘密部屋を使用するべきでしょうが、伯父様にあの部屋を知られてしまうのは、後々不都合が起きるかもしれないので控えます。
今日はノインも有能な執事の顔に戻り、以前と変わらず、完璧に対応しています。
屋敷内で重要な客人のみ通す応接室へ案内すると、すぐにノインがお茶の準備を始めました。
向かい合わせにソファに座り、淑女の仮面を貼り付けて微笑みかけますが、伯父様は相変わらず仏頂面です。
「今日のご用件は、先日の『警告』に関してでしょうか?」
「……それもある。だが、それ以外にも、お前の企みを聞きたい」
「企み……ですか?」
伯父様は鋭い視線で見据え、探りを入れてきました。
私は片頬に手を添え、小首を傾げながら不思議そうな表情を装いましたが、その様子に伯父様は眉間にシワを寄せました。
「……とぼけるな。裏でお前が動いていることくらい予測がつく」
その言葉に、私は口元にだけ笑みを残し、真っ直ぐと伯父様を見つめます。
「人聞きが悪いですわね……。私は本当に何もしておりませんわ。あえて言うのなら……その都度、『対応』しているだけですわね」
「対応だと? ……何の対応だ」
「そうですわね……。前トレヴァント辺境伯が私を拒否したので、私も彼のすべてを拒絶しました。クララが王妃陛下を嵌めようとしたので、同じように毒薬を用意して差し上げました」
クララの騒動に私が手を貸していたことに関してか……それとも、あの騒動が仕組まれていたという真実に対してなのか、伯父様は驚愕に目を見開いています。
「あれも……お前が関係していたのか……」
「関係……と言えるほどのことはしておりませんわ。ただ、あの子の性格を考えて、王妃陛下に『備え』をお渡ししただけですもの」
私はノインが淹れた紅茶を一口含み、何でもないように平然と告げました。
さすが、宰相というべきでしょうか?
先ほどまでの動揺は既になく、無表情のまま私を見つめています。
「……今日、私の訪問を受けたのには理由があるのだろう?」
「ええ。あの小狐が陛下の周りをうろついているのは、伯父様の指示かしら?」
「もし、そうならどうする?」
伯父様の試すような発言に、私はティーカップを音もなくソーサーの上に戻しました。
「……どうもしませんわ」
意図が分からない、というように怪訝そうに眉を寄せています。
「だって、そうでしょう? 以前も、今も、これから起きることも。すべて本人が『選択』した『結果』でしょう?」
「何故、私に関係ありますの?」と微笑みながら、そう伝えると、伯父様は絶句し、少し目を見開きながら明らかに顔が強張りました。
「……私は、どうしたらいい?」
伯父様は一度瞼を閉じ、再び開けると真剣な眼差しで、私に問いかけました。
「何も。ただ、何が起きても黙っていてください。そうすれば、侯爵家だけは、生き残れますわ」
そう、侯爵家『だけ』は。
寄子であるスターリング伯爵家は、このままいけば没落か、取り潰しになる可能性が高いです。
ですが、それも彼らの『選択』した『結果』なのです。
すべての『結果』には、必ず『原因』もしくは『要因』があります。
他国、しかも自国よりも圧倒的な大国との婚姻です。
その婚姻契約の内容も調べず、後先考えずに己を過信し、一国の王を手玉に取ろうなど……浅はかにも程があります。
伯父様は、私の言いたいことを理解したのでしょう。
黙って頷くと、顔を歪ませながら我が家を後にしました。
その夜。夕食を終え、夫婦の寝室でノインと二人きりの時間を過ごします。
結婚してからのノインは、『遠慮』や『恥じらい』という言葉をどこかに捨ててきたようです。
ソファに座ると、当然のように彼の膝の上が私の定位置になりました。
最初は恥ずかしかったのですが、それが毎日続けば、いくら私でも慣れます。
湯上がりのまま、バスローブを身に纏い、そこから晒されている首元や鎖骨などから男の色気を感じます。
「宰相は、黙っていると思うか?」
ノインは私の腰に回した反対の手で淡い黄金色の液体が入ったウイスキーグラスを持ち、軽くグラスを揺らしました。
中の氷がカラン、と涼やかな音を立てます。
「黙っているでしょうね。自分の代で歴史ある侯爵家を傾けるわけにもいかないもの。……それに、伯父様も今の王家に思うところもあるでしょうし」
「何故、そう言い切れる?」
「本当に忠誠を誓っているのなら、クララの婚約など認めるはずがないわ。伯父様に黙って進めたのなら、自分を軽んじる王家に、義理立てするような人じゃないわ」
私はノインの胸にぴったり体を預けると、どくん、どくんと鼓動が伝わってきます。
「なるほどな」と低い声が耳朶を震わせ、グラスの中のウイスキーを飲み干すと、それをローテーブルの上に置き、私の膝裏に腕を通しました。
そのまま、軽々と抱き上げられ、天蓋付きのベッドへ移動し、カーテンを閉ざされます。
そこからは二人だけの、甘く長い夜が始まりました。