作品タイトル不明
11
その噂を聞いたのは、昼休みの食堂だった。
「えっ、レオンさん地方行くんですか?」
思わず聞き返した私に、向かいの猫獣人女性文官が頷く。
「なんか王城からの依頼らしいですよ〜。長期になるかもって」
「へぇ……」
「まあレオンさん仕事できるから、中央に引き抜かれても不思議じゃないですよね」
その瞬間、胸の奥がすうっと冷えた。
(……え)
長期?中央?引き抜き?
つまり
(……騎士団からいなくなるの?)
途端に食事の味が分からなくなった。先程の考えが頭の中をグルグルまわり、その後の会話もほとんど入ってこない。気づけば私は、ぼんやりスープを掻き回していた。
「副隊長?」
「えっ?」
「顔色悪くないですか?」
「だ、大丈夫です!」
慌てて笑う。でも全然大丈夫じゃなかった。
◇
それから数日、レオンさんは忙しそうだった。総務部へ行っても不在のことが多く、会えても短時間。
しかも周囲には大量の書類が積み上がっていて、声をかけるのも申し訳ない。私は遠巻きに見る事しかできなかった。
(……忙しそう)
寂しい。会いたい、話したい、それなのにもうすぐ会えなくなるかもしれない。そう思うたび、胸がぎゅうっと苦しくなる。
夜もあまり眠れなかった。常に落ち着かず、そわそわする。ここ数日、耳も元気がない。今まで本人の意思など、完全に無視してもれていた鳴き声も、ピタリと止まったままだ。
同僚の騎士たちに、
「副隊長最近どうしたんです?」
と心配される始末だった。
でも理由なんて、自分でも分からない。いや本当は、もう気づき始めていた。
私はレオンさんが好きなんだ。
◇
出発の前日、終業時間をむかえた夕方になっても総務部の灯りは、まだ消えていなかった。
私はその灯りをみつめて、廊下で立ち止まる。
胸が苦しい。このまま行っちゃうの?ちゃんと話せないまま?嫌だ、それは嫌。このまま会えなくなるなんて…
ぽろり、と涙が溢れ頬を伝う。
「っ……」
自分でも驚く。なんで泣いてるんだろう、こんなのまるで…恋してるみたいじゃない。
(……いや、違う。みたいじゃない)
好きなんだ。私はレオンさんが好き。顔だけじゃない、冷たそうに見えて本当は優しいところとか、一緒にいると安心するところ。声を聞くと落ち着く、匂いを嗅ぐとほっとする、触れられると嬉しい。もう会えないなんて嫌、それも全部好きだからだ。
気づいた瞬間、もう駄目だった。抑えきれぬ気持ちを抱えて、私は勢いよく総務部の扉を開けた。
「レオンさん……っ!」
室内にいた文官達がびっくりした顔で、一斉にこちらを見る。それから涙目の私を見て、全員すっと目を逸らした。
「えっとぉ…今日はもう帰るかぁー」
「お疲れ様でーす」
「よし帰ろ、帰ろ」
「今日は空気が重いですねぇ」
「みんなー帰るぞー」
レオンさん以外の全員が、逃げるように消えていく。レオンだけがまだ、ぽかんと私を見ていた。
「……エレナ?」
私はその姿を見た瞬間、たまらなくなった。
「っ……!」
駆け寄るり勢いのまま、ぎゅっと抱きついた。レオンの身体が硬直する。でも今はそんなことを気にしてる余裕なんかない。
顔を胸元へ押し付けた瞬間、ふわりとレオンの匂いがした。
木の香り
インクの匂い
お茶の香り
肺の奥まで深く吸い込むと、安心する。胸がじんわり温かくなる。
あぁ、やっぱり好きだ。
私は涙声のまま、服を掴んだ。
「やだ……」
レオンの呼吸が止まる。
「……エレナ」
「行かないで……っ」
その瞬間。
ゴゴゴゴゴゴ……
空気が震えた。今までの比でないほど、棚の書類が揺れる。窓硝子もびりびり鳴った。
レオンの低周波だ。とても心地よい振動に安心してしまう。その事実が、また胸を熱くする。
レオンの腕が、恐る恐る私の背へ回った。
「……それ、反則でしょう」
掠れた声だった。
「だって……レオンさんが遠くにいっちゃうかもって!」
「俺がどれだけ我慢してきたと思ってるんです」
ぎゅう、と抱き締められる。力強い抱擁なのに、苦しくなくむしろ落ち着く。
その瞬間。
ビリリ……
私側からも低周波が返った。いつもの無意識ではない、エレナの求愛の鳴き声がレオンの鳴き声と共鳴し、空気が甘く震える。
レオンが目を見開いた。
「……っ」
私は涙を拭きながら、必死に言葉を絞り出した。
「好き、です……」
言った瞬間、レオンはボンッと音がしそうなほど、真っ赤に赤面し体が微かに震えた。それからレオンはしばらく固まっていた。何秒ほどだろうか、3秒、5秒、エレナには永遠に思えるほど長い一瞬の後、レオンは観念したみたいに深く息を吐く。
「……もう離しませんからね」
吐き捨てるような言い方だったが、声はどこまでも優しい。おもむろにレオンは、机の引き出しを開け、そこから小さな箱を取り出す。
「……え?」
開かれた箱の中には、銀色のピアスが二つ入っていた。小さな黒曜石が揺れる、シンプルなデザインのもの。
「番の証です」
私は目を丸くする。
「えっ」
「本当は、もっとちゃんと渡すつもりでした」
「えっ!?」
「でも…受け取ってくれますか?」
心臓がうるさい。ドキドキドキドキ、倒れてしまいそうだ。でも嫌じゃない。むしろ嬉しくて…
「……はい」
その瞬間
ゴゴゴゴゴ……
今までで一番強い振動を感じ、共鳴した波が空気を甘く揺らす。
エレナを見つめたまま、レオンが小さく笑う。
「……可愛い」
「い、今それ言います!?」
「だって泣きながら番になってくださいって来たので」
「そ、そんな言い方してません!」
真っ赤になる私を見て、レオンはくすくす笑ったが、ふと真顔になり思い出したように口を開く。
「ちなみに…」
「はい?」
「異動じゃありませんよ」
私は固まった。
「……へ?」
「二週間の地方出張です」
少しの沈黙と、その後
「えぇぇぇぇぇぇぇ!?」
王都中に響きそうな声が、総務部へ響き渡った。