軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【書籍4巻コミック3巻同時発売記念SS】あのメイドはとてもものしりなのでいろいろおしえてもらえます

「厨房を見るのは女主人の仕事だと習いました」

ノエル邸初の女主人を迎えてからしばらく経った頃、奥様は厨房に突然現れた。

真顔で料理長の手元を見つめ続けている。

すでに侍女候補としてついたメイドが数人、欲を出したのか奥様を貶めようとして解雇されていたけれど、キッチンメイドの私には関係がないことだ。

通常メイドは タバサ夫人(家政婦長) の指揮下にあるけれど、キッチンメイドは料理長の下につくから。

奥様を間近で見たのはこれが初めてだった。生家で虐げられていたために体が弱く寝込みがちだからと、家政婦長や料理長がメニューに工夫を重ねていたのは当然知っているが、聞いていた以上に細かった。それでも顔色が悪くないのは体調がよくなってきているからだろう。

料理長はいわゆる上級使用人というもので、厨房では最高権力者だ。通常その采配に女主人といえども口を出すことはないが、それはそれとしていかに使用人をうまく使いこなすかが、女主人の腕といえる。

だから奥様の言うことは間違ってはいない。いないけれど、それはこんな一点集中で「見る」のとは違う……はず。

というか、目力すごくない? きらっきらしてるんだけど。じわじわ料理長に近寄って行ってるんだけど。

「ぉぉ……っ」

宙を舞うオムレツに釘付けのまま感嘆の声を漏らしてのけぞる奥様。

いや料理長そこまでオムレツ飛ばすことある? いつもより飛んでるよね?

のけぞりながらもじりじりと料理長へと近寄る奥様。

待って待って近い近い近い! 料理長! 得意になってる場合じゃないから! 火があるんだから! 油も飛ぶでしょ!

「お、奥様、椅子をご用意しましたから! どうぞ! どうぞこちらに!」

それからというもの、毎日厨房に訪れる奥様の定位置は壁際に据えた椅子となった。

たまに芋の皮を剥くわたしの近くまで寄ってくるから、そのときは皮を無意味に長く伸ばして剥いてみたりする。

「ぉおーぅ……」

妙にやる気が満ちるので、これはこれで「うまく使いこなされてる」のかもしれない。

ノエル家は主様と奥様のふたりだけとはいえ、住み込みの使用人の分もとなると日々の食料の調達量はそれなりに多い。

出入りの商人によって裏門から運び込まれた食材が注文通りかチェックするのは、キッチンメイドとしてそこそこ経験を重ねて信頼を勝ち取ったわたしの仕事だ。

「もうさぁ、ほんと男って優しいのは最初だけっていうか」

垣根で裏庭と仕切られたここは、厨房とリネン室で共用している洗い場兼作業場だ。

半地下にある厨房とリネン室へと降りる階段脇で座り込んだランドリーメイドが、長い付き合いだという恋人の愚痴を延々と繰り返している。

付き合い初めの頃は小さいながらも花束やちょっとした菓子などの贈り物だってよくしてくれていたのにとかなんとか。

「もー。聞いてるぅ? そりゃああんたは次から次へとより取り見取りだろうけどさー。ほら、さっきだってあの坊やからなんかもらってたじゃないー」

「見てたんなら受け取ってないのだってわかるでしょ」

今日の果物を運び入れた商家の下男のことを言ってるんだろう。流行りの飴玉だとか言って小袋を押し付けようとしてきたのを笑顔で押し返した。

あれは結婚を間近に控えた恋人がいる男だ。

飴玉ごときで馴れ合ったら、仕入れの融通利かせろだのなんだの図々しいこと言ってくるに決まってる。

どうもこの子は私が男に不自由していないと思っている節があるし、勝手にそう思われることは今にはじまったことではない。

この眠そうな目や腫れぼったい唇や、たぶんこれが一番大きい理由だろうけど出るべきところがしっかり出ている体つきのせいだ。

お得なことなんて何もない。なんなら婚約までした男は、風情だけは清楚な妹にとられた。居心地悪くて実家になんて帰れやしない。

わたしだって絶賛恋人募集中なのに、どうしてこんな愚痴だか惚気だかわかんないこと聞いてなきゃなんないの。

実家はそれなりに裕福な商家で、その伝手を使いまくって雇ってもらったこのノエル家はなかなかに良い職場だ。

良い職場ってのは、勤めている使用人もたいていレベルが高いもの。

主様に色目をつかうような身の程をわきまえていない使用人は次々とクビになっていったから、今はなおのこと風通しがいい。

だけど独身で恋人もいない男はロドニーさんだけなのよねぇええ。

そりゃいい人よ。主様の乳兄弟で側近で有能で、いい男でもあると思う。

でも忠誠心の高さがあまりにも所詮平民のわたしとは相容れないっていうか。主様一番の思考と行動が理解できないっていうか。

まあ向こうの視界にわたしは入ってもいないとは思うんだけど!

――つまりは全く出会いがない。

「貢がれるってことが大事なんでしょー! いいなー!」

「はんっ、くちづけのひとつでもしてにっこりとおねだりしてあげたらー?」

用箋挟(クリップボード) に挟んだ注文票にチェックを入れる手は止めないまま、しなをつくって上目遣いにそれっぽいことを言ってみせた。

知らないけど。くちづけなんてしたこともないけど!

こういうことをするからダメなの! わかってる! 自分で無意味に風評かきたててるのよ! わかってるけど!

「おねだりはくちづけをしてにっこり……」

「ひゃあ!」

いつの間にか垣根の向こう側から奥様がのぞいていた。

また真顔でうなずいている。何に納得したの⁉ どうするつもりなの⁉

取り繕う間もなく、奥様はたたたっと駆けて行ってしまった。えー……。

これはわたしが要らない入れ知恵したことになってないわよね? 大丈夫よね?

数日後。

空いた木箱を作業場の階段脇に積み上げてひと息ついたところだった。

ひび割れてささくれだった指先をこすり合わせながら座り込んだとたん、また垣根の向こうからぴょこんと現れる奥様。

「おねだり上手にできました!」

元気よく告げられたんだけど! 何したの! ほんと大丈夫だったの⁉

「そ、そうですか。それはよかった……です?」

「はい! とてもいいことを教えてくれたのでご褒美が……あ! ちょっと待ってるといいです!」

また颯爽と奥様は駆けていく。え。わたしが待つの? ここで? いつまで……?

主様の溺愛っぷりが、すっかりノエル邸における当たり前の風景となって久しい。

メイドたちが休憩している部屋に奥様がちょこんとまぎれて座っていることも、気がつけばおやつをおすそ分けしてしまっていることもだ。

時々我に返ってこれはどうなんだと思ったりはするのだけど、奥様が嬉しそうに跳ねていると妙にやる気が満ちるのよ……。

困惑しながら立ちすくんでいたら、本当にすぐ奥様はまた息を切らせながら現れた。ほっぺ真っ赤なんだけど。

息を整えている間に、厨房に降りてとってきた水を入れたコップを渡した。

「前にタバサがしてくれたのです」

一気に飲み干した奥様に言われるがまま、石段に並んで腰かける。

貴族夫人がそこらでひょいひょいしゃがんだり座り込んだりするもんじゃないけれど、うちの奥様に限っていえばいつものことだし使用人一同すっかり慣れていた。でも、さすがに私の手をとって直々にクリームを塗りこまれはじめるとは思わない。

「えっ、えっ、おお奥様そんなこと」

「タバサがこうして! こう! してくれたら! 私の手もすぐにつるつるになったので!」

きゅっきゅっと丁寧に一本一本指を揉んでいく手つきは、家政婦長がしてくれた通りを真似ているんだろう。

嫁いできてすぐの頃は、髪も手も、肌だって貴族令嬢とは思えないほどに荒れていた。あのときに家政婦長が直々に吟味して取り寄せてたクリームじゃないんですかこれ。もしかして。やわらかで高級なにおいがしますもん。実家で母だけが大事に使っていたクリームより、もっと高級なにおいですよこれ。

よし、とものすごく満足気につぶやいた奥様は、ご褒美ですとまだたっぷり残っているクリームの瓶を丸ごと石段においてくれて。

もー。奥様ったらもー。

現れたときと同じに颯爽と、でも両手を高々とあげて駆けていく奥様を、私も拍手の途中のように両手を胸の前で立てたまま見送った。

クリームたっぷりすぎてまだべっとりのままですぅ。もったいないですぅ。もー。奥様ったらもー。

泣きたいような笑いたいような気持と両手を持て余しつつ座っていたら、垣根の向こうで同じく座り込んでいるロドニーさんと目が合った。

いつからいたんですか。笑いすぎじゃないですか。

ノエル子爵家が王都を出てオルタへと引っ越す日が近づいている。

料理長は一家でついていくらしい。

王都に残るのなら紹介状をちゃんと持たせてくれるし、ついてくるなら歓迎すると、もったいなくも料理長ばかりか家政婦長までそう言ってくれているのに、まだわたしは返事ができないでいた。

だって! わたしは恋人も! なんなら結婚だって諦めてなんていなくて!

できれば堅実に稼ぐ役人とかがよくって!

そうなると王都から離れることはよりよい結婚から離れることと同義であって!

ああでも、こんなに待遇のいい家はそうそうないし。

ドリューウェットから大量に届いた荷物の目録をつくりながらぐずぐずと考え続けていた。

王都で主様がお世話になった方たちへの贈り物だそうだ。

いくつも積み上げられた木箱のほかにも、大きな水桶がある。

生きたまま丁重に届けられた そ(・) れ(・) は、そんじょそこらの下位貴族程度ではお目にかかれない高級食材だ。

蓋を開けて状態をしっかり確認する。上司の将軍あてだと聞いているから不手際は許されない。うん。さすがドリューウェット……。

「アグネス! こっちですこっち!」

「はははははい!」

また垣根の向こうから元気な声が近づいてきた。

慌てた声は最近奥様と親しくされているリックマン様だろう。菓子はもうとっくにお出しされているはずだけれど――って、え。

「生きたまま来たのがあるって聞きました! リックマンに見せたい――あ!」

「あわわわっ」

奥様に手を引かれたリックマン様の足元がもうヨロヨロしていて、支えなくてはと思わず両手を出したわたしの横を奥様がすり抜けた。

「つよそう! これつよそうだからサーモンじゃないですか! これ!」

なみなみと水を湛える桶に迷わず突進した瞬間、もう奥様は獲物を抱き上げていた。

うそぉおお!

奥様の素早さはこの一年で完全に把握したつもりでいたのに! まだ上をいかれた!

「おくさま! いやあああ! おくさまああ! あぶないですから! それ! それウツボォォォ!」

ドリューウェットからの長い道のりを経てなお衰えなかった力強さでウツボは身をくねらせていて、脳天から血が全部降りてきた心地がした。

噛むんですよそれ!

「ここここれが! これがウツボ!」

リックマン様は近寄ろうとしては後ろに飛びのき、また近寄ろうとしては飛びのいてを高速で繰り返している。

怖いですよね! わかります! でも近寄りたいんですね!? それはわからない!

「おおおくさま、おくさま! 噛まれないうちに戻してください! ほんと噛みますからそれ!」

怪我なんてされないうちに取り返したいけれど、下手に手を出すこともできなくて。

不本意ながらリックマン様と同じような挙動を繰り返してしまっていた。

「大丈夫です! ここをっこうして持てばっほら!」

落ち着いてみれば、奥様はしっかりと掴み所をおさえているらしく。

ウツボの身と尾はくねれども、ぱっかりと開いた凶暴な歯が並ぶ口は、ぱくぱくと空気を飲んでいるだけだった。

もー! 奥様ったらもー!

結局あれから騒ぎを聞きつけた料理長にウツボを取り上げられた奥様は、家政婦長にしっかり叱られていた。

だけどウツボ二匹のうち一匹は、揚げ物やトマト煮になって晩餐の卓に並んで、「ふわっふわ! ぷるっぷる!」と奥様は大喜びだったそうだ。

「侍女を断ったんですって?」

みっつあるカバンのうち、最後のひとつを荷台に載せたところでロドニーさんに声をかけられた。

オルタの屋敷の準備もあるから、ついていく使用人たちの大半は奥様たちよりも先に王都を発つのだ。

「あ、はい。わたしではとてもとても」

「母さんが残念がってましたよー。まあ、料理長も手放したがらなかったそうですから仕方ないですねー」

たしかに侍女になれば、オルタでももう少し出会いがあるかもしれないんだけど。

それなりに実家で教育を受けていた自負はあるから、学ばせてもらえればなんとか追いつくんじゃないかとも思うんだけど。

「厨房にいるほうが奥様のお役に立てると思うんで」

ロドニーさんはうんうんと頷いてから、はい、と小さな瓶をわたしの手に載せる。

「いい仕事をしたらご褒美らしいですからねー」

大事に大事に使っていたけど、もうそろそろ底をつきかけていたクリームと同じ瓶だった。

いやぁあ! うそぉ! なんていい人なのこの人ー!

「先発隊、しっかり屋敷の準備お願いねー」

「はい!」

王都を出るのは生まれてはじめてで、よく考えて決めたことだけどやっぱりぬぐい切れなかった小さな不安がすっかり消えた。

「ロドニーさんも奥様をしっかり無事にお連れしてくださいね!」

「はいはーい」

オルタ行き先発隊の馬車を出発するまで見送ってくれたロドニーさんに大きく手を振り返した。

きっとオルタではなんかいいことあるような気がしてきた。

たぶん! いい男もきっといる! たぶん! がんばろうわたし! 待ってろオルタ!