軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

書籍5巻発売記念SS わたしはがはくになりました

ノエル家に来てからずっと、いろんな初めてのことを知りました。

私はロングハーストで人間に生まれて、魔王のころではわからなかったことや知らなかったことをいっぱい覚えたと思っていましたけれど、とんでもないことでした。ロングハーストにいた十五年はノエル家での半年にもかなわない。

かれこれ一年半以上経ちますから、私もすっかり人間の世界に溶け込めたんじゃないでしょうか。

人間の暮らしは見たことのないものや知らないものがいっぱいあって、びっくりしたり楽しかったり美味しかったり。

私は毎日が楽しくて忙しいのです。

「あら? あなた絵は飾らないの?」

「……小さなものなら少しずつ」

「……小さなもの」

結婚式の準備に王都までいらしていた義母上が、エントランスから望む階段の踊り場で旦那様にお尋ねになりました。

絵。サミュエル様が私に送ってくださったお手紙の絵のことでしょうか。

あれはちゃんと大事にお手紙箱に入れてあります。タバサが用意してくれたのです。それまで私は私あてのお手紙を持っていなかったので。

旦那様はじっと見つめる義母上から視線をそらしました。

「どこにあるの?」

「軍の執務室に、ですね」

「あなたね、家庭を持ったのですからね。ここ! ここは肖像画を飾るべきでしょう!」

義母上は踊り場の壁を閉じた扇でつつきます。

「わかってます! ただアビゲイルにもう少し肉がついてからと思っていただけで!」

「私は大きくなりました!」

「お、おう。そろそろ用意させるからな」

「まあ。そうね。確かにずっと残すものですものね。――でも執務室ね。軍の。それは待てなかったのね」

「つ、妻の絵を飾るのは当たり前じゃないですかっ」

「そうねーそうそう」

今度は旦那様を扇の先でつつきながら、義母上はにこにこして「いい画家を紹介しますね」とおっしゃいました。

そういえばロングハーストの屋敷にも、伯爵と義母と義姉を描いた肖像画が飾られていたはずです。

ドリューウェットの城には、義父上や義母上とか、お小さい頃の旦那様やスチュアート様の絵ばかりでなく、先代や先々代とずっと前の当主たちの肖像画まであります。

こういったエントランスに入ってすぐの壁には当主や当主家族の絵を飾るのが、貴族の屋敷のお決まりごとなのだそうです。知らなかった。私もクレヨン持ってますのに。

旦那様が執務室に飾っているという小さな絵は、多分私が描いたロリポリとかだと思います。あれはとても上手に描けましたので。

義母上が紹介してくださった画家は、私と旦那様が並んだ絵を何枚も真っ黒な炭の棒で描いていきました。

ずっと動いてはいけなかったので、最後のほうはちょっとむずむずしましたけど頑張ったのです。

でもそれで出来上がりじゃないそうで、オルタへのお引越しのほうが早くなってしまいました。

「おーぅ」

そうしてやっと出来上がった絵が届いて、オルタの屋敷のエントランスに飾られました。

椅子に座った私の後ろに旦那様が立っている絵です。おっきい! とってもおっきな絵です!

「俺はこんなに緩んだ顔をしているか……?」

「やー、さすが新進気鋭の画家ですねー。写し取ったようですよー」

「はい! まるで旦那様がそのままそこにいるみたいです! さすが人間!」

絵の中の旦那様は、口角を少しあげたおすまし顔ですけども、時々夜会などでされていたおすましではなく、私と毎晩おしゃべりするときのお優しい目をしています。そっくりです!

「アビゲイルももっとこう、うん、もっときれいだと思うが、まあこのくらい描けていればいいだろう」

うんうん、と頷く旦那様に、ロドニーがはいはいと答えています。

私の方は私にそっくりなのかどうかはちょっとわかりません。

髪の色は似てると思いました。

「でも私はもうちょっと大きいと思うのですけど」

「……あー、ほら、これの下絵を描いたのは春だったからな」

「確かに」

そのころは今より小さかったかもしれません。私もどんどん大きくなっているはずですし、画家が下絵を描いたのはもう随分前ですから。

「それにしてもお上手です。こんなにそっくりな絵を描けるものなのですね。絵の具だからでしょうか」

確かにドリューウェットの城に飾られている絵もお見事だった気がしますが、あんまりよく見てませんでしたし、これはもっとそっくりだと思うのです。

旦那様は、まあまあだななんておっしゃっていますけど、寝室や執務室に飾る小さなものも描いてもらうようです。

画家への依頼をするようイーサンに命じていました。イーサンはもう手配済みですと答えてましたけど。

「執務室にも飾るのですか」

「うん。あー、ほら、机仕事をしていて、君の絵姿が目に入るとこう、うん。君がいるみたいでいいからな」

「なるほど。旦那様は私を愛してるから!」

「そ、そう、うん。そうだ、な」

ピヨちゃんが番の鳥をけしてそばから離さないのと同じように、旦那様は私をいつもそばにおきたいのです。

でも、軍の基地にご一緒はできません。お仕事だから仕方ないのですが、ときどき行く差し入れの回数は、もうちょっと増やしてもいいかもしれません。

後でタバサと相談することにします。

「それはそれとして旦那様」

「お、おう」

「やはり絵の具のほうがクレヨンより上手に描けるんじゃないでしょうか」

「そうきたか。じゃあ手配しておこうな」

「はい! 私も旦那様の絵をもっと上手に描けると思いますので! んー、そう、かっこよく! です! かっこよく!」

旦那様は両手で顔を隠してしゃがんでしまいましけど、強いのはかっこいいって言うのだと私は最近知ったのです。

旦那様はおつよいからかっこいい!

絵の具は次の日にもう届きました。オルタの町は王都と同じくらいにいろんなものがいっぱいありますのでなんでも揃うのです。

「さ、ご用意いたしましたよ」

絵の具なら準備が必要ですねとタバサが温室を整えてくれました。行ってみると、床とテーブルにそれぞれ大きな敷布が広げてあります。

大きな白い紙もその上に広げてありました。私も大きな絵が描きたいと思ってましたからちょうどいい! さすがタバサです!

それから絵の具の使い方を教わりました。

チューブをひとつ手に取って、きゅって押すとにゅるって赤色のクリームみたいなのが出てきます。赤じゃないです。青がいい。

「これは水で薄めて使う絵の具なんですよ。肖像画で使われているのは油絵の具でございます。あれは少し扱いが難しいですし、まずはこちらで練習いたしましょう?」

青の絵の具をパレットという板に載せて、水を含ませた筆で溶いていきます。

絵の具は十二色ありました。青が青しかなくて、これじゃ旦那様の色にならないと思いましたけど、いろいろと混ぜてつくるのだとも教わりました。

青と黄色で緑!

赤と黄色でオレンジ!

「おおおお!」

楽しいです。

たくさん試して、青に黒をちょっとだけ混ぜると旦那様の色に近くなりました。楽しい。

試しているうちに、タバサの色やロドニーの色、イーサンのもできていきます。

みんなの絵も描いたらいいかもしれません。楽しい。

そう思ってましたのに、旦那様がお帰りになったときには、もう全部真っ黒になってました。

「いつのまに……」

「ぶほっ――っん、んんっ、随分頑張ったな」

温室までお迎えに来てくださった旦那様が、笑って褒めてくださいましたけど真っ黒です。

これじゃ旦那様の絵になりません。髪の毛しか描けない。

何より紙が全部真っ黒です。あと敷布も。

がっかりです。タバサが顔と手と足を濡れた布で拭いてくれてますけど、がっかりです。

「ああ、じゃあ魔王はどうだ?」

「! それなら描けます! 魔王は真っ黒でした!」

旦那様がそうおっしゃると、後ろについてきていたイーサンが新しい紙をくれました! しゅってどこからともなく出てきた紙です!

夜ごはんの前にはできあがりました。魔王は手も足もいっぱいありますけど割と簡単に描けました。かなり似ていると思います。

「さすが俺の妻は画風がダイナミックだ」

旦那様はそう褒めてくださって、その絵は屋敷の執務室に飾られました。

「明日は旦那様を描きます。髪の色のつくり方はわかりましたので!」

「楽しみにしてる」

魔王もちゃんとつよそうに描けましたし、きっと明日は旦那様もおつよくてかっこよく描けると思います。

そして旦那様はもっと喜んでくださるでしょう。とっても楽しみです。

私は毎日、明日が楽しみで楽しいのです!