作品タイトル不明
第92話 焼き物と木工と
朝、久秀から届いた話によれば、志乃と源吾は、今は久秀の家の仕事を手伝いながら、川や山を駆け回っているらしかった。
焼き物に向いた土を探しているのである。
もっとも、これは貴丸が最初から慶久と久秀へ念を押していたことでもあった。
「焼き物ってのは、すぐには出来ないんだよ」
囲炉裏端でそう言いながら、貴丸は指を折る。
「まず土探し。これだけで下手したら何ヶ月もかかる。で、窯を作るだろ? そこからさらに、焼いて、割れて、また焼いて……釉薬も配合変えたりするし」
そこまで言ってから、面倒臭そうに付け加える。
「たぶん、まともになるまで二、三年はかかると思う」
その言葉に、慶久も久秀も静かに頷いていた。
急いでどうにかなるものではない。だからこそ、長い目で見るしかないのである。
そして今回、請戸へ移ってきた市兵衛の一族だが、改めて整理すると、かなりの大所帯だった。
石川市兵衛。妻のお里。娘の神無。息子の四郎。
さらに市兵衛の弟が二人。仁兵衛と、その妻の如月。三兵衛と、その妻の霜月。加えて、老いた祖父の昆と祖母の梅。一族を、そのまま抱えている形だ。
もっとも、大和田家もそこまで余裕があるわけではない。慶久は最初にはっきりと伝えた。
「食うに困らぬだけの飯と、住む家は出そう。だが、その先は共に飯の種を探すしかない」
市兵衛たちは深く頭を下げ、それで十分だと言った。
まずは生き延びねばならない。その上で、仁兵衛と三兵衛へ話を聞くと、二人は木工よりも、元の忍び働きの方が役に立てると申し出た。
「命の取り合いは難しゅうございますが……探りや、人の流れを見るなら得意でございます」
その目には、まだ山を渡ってきた者特有の鋭さが残っている。そこで貴丸が前々から考えていた“領内と近隣への目”の話が動き出した。
銀四郎一人では、どうしても手が足りない。近隣の村。荷の流れ。余所者。商人。噂。そうしたものを拾う者が必要だった。
結果として、仁兵衛と三兵衛は、銀四郎の配下として、領内外の探索や情報集めへ関わることになったのである。
一方、市兵衛たち一家には、大和田館のそばにあった広めの空き家が与えられた。
雨風は防げる。井戸も近い。今の彼らには十分すぎる住処だった。
そして早速、慶久と貴丸は、市兵衛を木地師の八兵衛へ引き合わせることになった。
当初、貴丸は露骨に嫌がった。
「えー……めんどい」ごろりと寝転がったまま言う。
だが慶久は真顔だった。
「後々、この地をまとめるのは、そなただぞ。人と人を繋ぐのも役目なのだ」
「ほーん」とりあえず適当に返事はした。だがその時、貴丸は鼻の穴へ指を突っ込んでいた。まるで聞いていない。
慶久が頭を抱えかけた、その時だった。
すっ――と、廊下を琴が横切る。そして無言のまま、ぎょろりと貴丸を見る。
瞬間。貴丸の姿勢がぴんと正された。
「お客様! 承りました! はい! 喜んで! ギリギリ踊りますよ!」
声だけ妙に元気だった。
「なんだ、お客さまとは……で、なんで踊るのだ?」
慶久は、なんとも言えぬ顔になる。
――俺は、完全に舐められておるな。そう思う。だが今さらである。
結局、苦笑するしかなかった。
そうして一行は、八兵衛の家へ向かった。
八兵衛はうっかりなどではなく、無骨な男だったが、市兵衛の話を聞くと、思いのほか素直に頷いた。
「一緒に働ける者が増えるならありがたいですな」
縄張り意識は薄いらしい。むしろ、まともに木を扱える者が増える方が嬉しいようだった。市兵衛の方も、静かに頭を下げる。
その横で、貴丸は完全に別方向へ興味を持っていた。
八兵衛の仕事場へ入るなり、道具をじろじろ見回し始めたのである。壁際には、木屑の積もった轆轤。縄を巻く手引き縄。削り屑だらけの作業台。
そこへ、大小様々な刃物が並んでいる。
貴丸はその中の一つを見て、ふと首を傾げた。
「……鉋ってあるの?」
八兵衛は「は?」という顔をした後、棚から一本取り出した。
柄の先へ刃が付いた道具だった。
「これですな。槍鉋ですが」
貴丸はそれを見て、何度か頷く。
「あー……やっぱこの時代、まだこれか。槍鉋だよな」
ぶつぶつと独り言を漏らしている。
さらに別の道具へ目を向ける。荒木鉋。内繰り鉋。仕上げ用の小鉋。轆轤の軸受けまで覗き込み、大鋸や斧の形までしげしげ見ていた。
「へぇ……」「なるほどなぁ……」何かを考えている顔だった。
その様子を見ながら、八兵衛と市兵衛は顔を見合わせる。
そして一行は、そのまま市兵衛たちの新しい住まいへ戻った。
館の近くにあった空き家だが、人数の多い一族が入ると、それだけで随分と生活の気配が出る。
荷はまだ完全には片付いておらず、壁際には包みが積まれている。だが、その中にも、すでに木の香りが漂っている。
市兵衛たちは、運んできた道具類を丁寧に並べ始めていた。
すると貴丸が、またふらふらと近寄っていく。
「ねぇ、作った物とかないの?」
「作った物、にございますか?」
「うん。前に作ってたやつ」
市兵衛は少し考え、それから木箱の一つを開けた。中から出てきたのは、いくつもの木工品だった。
木椀。盆。皿。小箱。薬箱。どれも派手ではない。だが、手に取れば分かる。
木目の取り方。角の収め方。蓋の噛み合い。どれも実に丁寧だった。
貴丸は薬箱を手に取り、蓋を開けたり閉めたりしながら、感心したように呟く。
「へぇ……すご。ちゃんとしてるね」
「ありがとうございます」市兵衛は少し照れ臭そうに笑った。
すると、その横で娘の神無が何かを大事そうに抱えているのが目に入った。
小さな木の塊だった。だが、よく見ると妙だった。
様々な色の木片が細かく組み合わされ、幾何学模様のようになっている。
貴丸の目が、ぴたりと止まる。
「……それ、何ぞ?」
神無は少し驚いたように顔を上げた。
すると市兵衛が苦笑しながら答える。
「ああ、それは……木端を集めて固めた物です」
「木端?」
「端材ですな。うちはそれほど余裕もありませぬので、捨てる木でも何か使えぬかと思いまして」
そう言って木塊を受け取る。
「これは、まぁ……手慰みのようなもので」
すると神無が、小さく口を挟んだ。
「模様が綺麗だったから、私が欲しいって言ったの」
その瞬間だった。貴丸の顔が、ぴたりと止まる。
そして次の瞬間。
「――それだ!」
突然、大声を上げた。一同がびくりとする。貴丸は木塊を掴んだまま、興奮したように叫ぶ。
「寄木だよ! 寄木細工!」
「……よせ、ぎ?」
「そうだ! 箱根っていえば寄木だろ!」
当然、この場の誰も意味が分からない。だが貴丸だけは、一人で猛烈に盛り上がっていた。
「いけるいける、絶対いける……!」
そう言いながら、貴丸は突然、「紙! 筆!」と叫ぶ。
市兵衛が慌てて紙と筆を持ってくると、貴丸はその場へしゃがみ込み、さらさらと何かを書き始めた。
慶久が後ろから覗き込む。
「……なんじゃこれは」
描かれていたのは、不思議な形の鉋だった。台木の上へ刃を埋め込み、後ろから押して削る形になっている。
貴丸は筆を走らせながら説明する。
「えーっと……台鉋、だったかな」
「だいがんな?」
「これ、鍛冶師に作ってもらえば、面をめちゃくちゃ綺麗に削れると思うよ」
刃。裏金。押さえ。そして木の台。貴丸は記憶を探りながら、それらしい構造を書いていく。
「これがあるとさ、この木端を薄ーく、均等に削れるんだ」
そう言いながら、神無の持っていた木塊を指差す。
「すると、この綺麗な模様が、紙みたいにぺらぺらに出来る」
「紙みたいに……?」
「それを箱とか、盆とか、小物に貼るんだよ。そしたら、めちゃくちゃ綺麗になる」
その場が静まる。市兵衛は、絵図と木塊を見比べていた。
職人の顔だった。頭の中で、もう形を組み始めている。
ぽつりと呟く。「……なるほど。面白い、かもしれませぬな」
すると今度は、神無が勢いよく前へ出た。
「それ、私やりたいです!」目が完全に輝いている。
貴丸は「おお」と少し嬉しそうに頷いた。
「絶対向いてると思うよ」
神無はもう木塊を抱えたまま離さない。
市兵衛もまた、静かに笑っていた。
「木端が銭になるなら、これほどありがたい話もございませぬ」
その横で、慶久は図面を見ながら苦笑する。
「……また妙なものを思いつきおって」
だが、その顔はどこか楽しそうでもあった。
「よかろう。鍛冶師へ話を通してみる。貴丸、その絵図は預かるぞ」
「おうよ」貴丸は気軽に返事をした。
だが、その頃にはもう、頭の中は別のことでいっぱいだった。
寄せ木の模様を使った小箱。秘密仕掛けの細工箱。京の町人や公家向けの土産物。
薄く削った木目を貼り合わせれば、今までにない細工ができるかもしれない。
――箱根って、確かこういうので有名だったよな。
そんなことを考え始めると、貴丸の口は止まらなくなる。
「例えばさ、この模様を斜めに繋げるだろ? すると、こう……立体……えぇと…なんか浮き上がって見えるんだよ」
神無へ向かって、木端細工を指でなぞりながら説明する。
「あと、箱をさ、普通に開くんじゃなくて、一回横にずらして、押して、回して……みたいにすると面白い」
「……回す?」
神無が目を丸くする。
「うん。開け方知らないと開かない箱」
「そんなの作れるんですか!?」
「たぶん」適当だった。
だが、貴丸の頭の中には、ぼんやりと前世の記憶が浮かんでいる。
寄木細工。秘密箱。細い幾何学模様。断片的な知識ではあるが、それでも十分に面白かった。
「あと、薄ーく削った木を貼ると、盆とか箱とか、全部模様入りに出来るんだよ。たぶん京の奴ら、こういうの好きだぞ」
貴丸は楽しげに次々話していく。
その横で、神無は完全に真剣な顔になっていた。最初はただの木端遊びだった。
だが今、その木端が“細工”になるかもしれない。銭になるかもしれない。
何より、自分の作った模様が誰かへ届くかもしれない。
神無は、貴丸の言葉を一つも聞き漏らすまいとするように、じっと見上げていた。
市兵衛もまた、そんな娘の横顔を静かに見つめている。
その時だった。
外から、ばたばたと慌ただしい足音が近づいてくる。
「慶久様!」声と共に、修平が息を切らせながら庭先へ飛び込んできた。
額には汗が滲み、肩で息をしている。
「どうした」慶久が振り向く。
修平は一度呼吸を整えてから告げた。
「桑折様より使いが参りました。明後日の午後、こちらへお越しになるとのことです。相馬様への献上品を持参し、そのまま合流なされるそうでございます」
その言葉に、場の空気が少し変わった。
慶久が小さく頷く。
「……いよいよか」
桑折と合流すれば、その翌日には出立である。船へ乗り、海路で南下し、そして都へ向かう。
陸奥の田畑と山々を離れ、遥か京へ――。
秋風が庭を抜ける。
どこか浮き足立ったような空気が、その場へ静かに広がっていった。