軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

SS-01 貴丸VSお佳 事の始まり

お佳がなぜ、それほど貴丸を毛嫌い? しているのか。

それは、お佳がこの大和田館へ世話になって十日ほど経った頃のことに始まる。

まず、お佳にとって、この館そのものが異質だった。

侍女頭の敏は仕事には厳しい。掃除の順番から水桶の置き方まで細かく見るし、失敗すればきっちり叱る。

だが、理不尽に怒鳴り散らしたり、奉公人を虫のように扱ったりはしない。性格そのものはおっとりしていて、なにより信用できる女だった。

慶久も琴も、奉公人へ冷たく当たることがない。

そして何より、お佳を驚かせたのは食事だった。朝、昼、晩。毎日三食きっちり出る。

それだけでも十分驚きなのに、さらに信じられなかったのは、その内容だった。

食べる場所こそ別だが、大和田家の者と奉公人とで、内容にそれほど差がないのである。雑穀米に、魚、汁、生野菜。時には肉まで付く。

お佳は最初、本気で「今日は何か祝いの日なのだろうか」と思ったほどだった。

しかも兄の修平とお佳には、読み書きや算術まで教えてくれる。

敦丸や希丸も一緒に机へ向かい、年齢に似合わぬほど真面目に勉強していた。

……ただし。

そこに、貴丸だけはいない。

朝餉にも来ない。勉強の場にも現れない。

昼になっても姿を見かけず、たまにふらりと現れたかと思えば、縁側で寝転がっているか、庭でごろごろ転がっているか、そのどちらかだった。

「あの方、本当に嫡男なの……?」

お佳は日に日に呆れていった。

敦丸も希丸も、年相応にきちんとしている。なのに長男だけが、やる気というものをどこかへ置き忘れて生きているようだった。

だから、お佳はなんとなく貴丸のことが好きではなかった。

……いや。正確には、“好きになれなかった”。

お佳は、この館へ来てから、琴に何度も声をかけてもらっていた。

「お佳、こっちを手伝ってくれる?」「お佳、少し休みなさい」

そうやって自然に呼ばれるたび、お佳は嬉しかった。

琴は身分で人を分けない。奉公人だからと見下すこともなく、失敗しても頭ごなしに怒鳴らない。

館の誰かが疲れていれば気づき、寒そうにしていれば着物を増やし、食事も、奉公人だからと粗末にしない。

この館がどこか温かいのは、きっと琴がそういう人だからなのだと、お佳は思っていた。

だからこそ。その琴を、いつも困らせる貴丸の存在が鼻についた。

ある日のことなど、お佳は今でも忘れていない。突然、朝餉前に貴丸が裸になって踊り始めたのだ。

意味の分からない歌を叫びながら、奇声を発して蝋燭を振り回し踊っていた。

敦丸も希丸も腹を抱えて笑い、元伯たちも笑っていたが――

その中で、琴だけは違った。少し離れた場所で、顔を青くしていたのだ。

「貴丸……あなたは将来どうなってしまうのですか……」

本気で心配していた。

いや、目元が潤んでいた。その姿を見た瞬間、お佳の中で何かが決定的に固まった。

――なんなの、この人。琴様はいつも、この館のみんなのことを考えている。

そんな人を、泣かせるなんて。

しかも当の本人は、裸で踊りながら「これぞ―オタ芸!」とか意味不明なことを叫んでいる。

お佳は思った。絶対に、この人だけは駄目だ、と。

そして家の仕事や掃除を一通り覚えた頃、敏から新しい役目を言い渡される。

「今日から貴丸様のお部屋掃除、お佳にお願いするね」

その瞬間、お佳は嫌な予感しかしなかった。

実際、部屋は予想通りだった。

脱ぎ散らかした小袖。積み上がった書物。

なぜか転がっている木片。紙切れ。紐。よく分からない石。

すると、部屋の中央には、熊皮の上へどっかりと置かれた“布団”の塊があった。

その中でもぞもぞと蠢いているもの――おそらく、貴丸である。

お佳は、その布団を見るたびに、未だ少し驚いてしまう。

普通、庶民ならば、筵を敷き、その上へ筵や麻のぼろ布を掛けて眠るものだ。

多少裕福な家でも、厚めの筵や薄い敷物を重ね、小袖を掛ける程度である。

まして東国の寒村では、“寝具”などというものに、そこまで手をかける者は少ない。だが、貴丸だけは妙に寝具へ執着していた。

以前、敏が苦笑交じりに教えてくれたことがある。

「貴丸様、“寝るのは人生の半分だから、そこを削るのは愚かだ”とか仰って、ずっと色々作ってるのよ」

最初、お佳は意味が分からなかった。だが実際に使ってみると、驚くほど暖かかったのである。

布団というそれは、布を袋状に縫い合わせ、中へ様々なものを詰め込んで作られていた。

下へ敷くものには、狩りで得た鹿や熊や兎の毛などが詰められているらしく、少しごわつくが地面の冷たさを通しにくい。

そして上へ掛ける方には、蒲の穂や薄の穂、それに細かく砕いた藁などが詰め込まれていた。

ふわり、とまではいかない。だが、小袖を何枚も重ねるより遥かに暖かい。

最初は貴丸だけが使っていたらしい。

しかし、その暖かさが家内で評判になり、今では大和田家の者だけでなく、奉公人たちの間にまで広がっていた。

――こういうところだけは、妙に役立つことをするんだよね。

お佳は半ば感心しながら、布団の中でもぞもぞ動く塊を見た。

ただし。その中身は、今日も見事に寝ていた。

布団を頭まで被っているせいで顔は見えない。

お佳は小さくため息を吐きながら、なるべく音を立てぬよう掃除を始めた。

下手に起こして機嫌でも悪くされたら面倒である。だから静かに、静かに片付けていった。

散乱した本を積み直し、小袖を畳み、障子際の埃を払う。

それでも布団の塊はぴくりとも動かなかった。やがて掃除も終わりかけた頃。

ふと、お佳は気づく。

布団が半分ほど剥がれていた。春だとはいえ、今日は肌寒い。風邪でも引かれては面倒だ。

お佳は「まったくもう……」と心の中で呟きながら、そっと布団を掛け直そうと手を伸ばした。

その瞬間だった。

がしっ。

「ひゃっ!?」突然、手首を掴まれた。

次の瞬間、ぐいっ、と凄まじい勢いで引っ張られる。お佳はそのまま布団の中へ引きずり込まれた。

「え!? ちょ、まっ――」

気づけば、布団の中だった。目の前には貴丸の胸元。

逃げようとしても腕を掴まれ、思うように動けない。

お佳の心臓が一気に跳ね上がる。頭の中が真っ白になる。

――え。

――え?

――これって。

混乱するお佳。相手は大和田家の嫡男。

自分は下働き。しかも男の子だけあって、思った以上に力が強い。

振り払おうにも、うまく離れられない。お佳の脳裏に、想像が一気に駆け巡った。

――ああ。

――そういうことなのね。

――世の中って、こういうものなのかもしれない。

もちろん嫌だ。怖い。だってまだ八歳なのだから。けれど、この家に拾われて世話になっている身でもある。

逆らえるのだろうか。いや、逆らえるはずもない。お佳のような子どもでも、そういうことがあると聞いたことがある。

せめて。せめて何かされる前に、顔だけでも見よう。せめて声だけでも聞こう。

半ば涙目になりながら、お佳は恐る恐る貴丸の顔を見る。

その時だった。

「……すずちゃん……」

「…………え?」

貴丸が呟いた。

お佳が固まる。

貴丸は幸せそうな顔のまま、さらに続けた。

「ごちゃ握り……そんなに大きなの…もう食べられないよぅん……」

「…………」

そして。すぴー。完全に寝ていた。

しかもよく見ると、口元から大量の涎が垂れている。そして……お佳の布団に接している顔が、何やら…ぬっちゃぬっちゃしている。

「………………」

お佳の顔が、みるみる赤くなっていく。

先ほどまでの恐怖。覚悟。諦め。人生の重大な分岐点みたいな気持ち。

その全部が、一瞬で別方向へ吹き飛んだ。

しかも“すずちゃん”とかいう知らない女の名前付きである。

お佳はぷるぷる震えた。一瞬でも。本当に一瞬でも。

覚悟してしまった自分が恥ずかしい。受け入れようとしてしまった自分が恥ずかしい。

そして何より。当の本人は、ただ寝ぼけて抱き枕代わりに引っ張り込んだだけだったのだ。

「~~~~っ!!」

声にならない怒りが込み上げる。

お佳はぎりぎりと貴丸の手を引き剥がし、布団から這い出た。そして眠りこける貴丸を見下ろしながら、静かに決意する。

――絶対、許さない。

とはいえ、本気で憎いわけではない。

ただ。ちょっと汁物の具を減らしてやろう、辛くしてやろうとか。

朝、起こさないでやろうとか。

寒い日は布団を少し剥いでやろうとか。

その程度の、ささやかな仕返しはしてやろうと思ったのであった。