作品タイトル不明
第103話 漂流老人、宗長の話をする
そして、千葉湊ではいろいろあったものの、一行はようやく出立することとなった。
次に向かうのは今川領――駿河である。
目指すは、駿河国有度郡の清水湊。海路ならば、そこまでは二日とかからぬ距離だった。
もっとも、実際には船を着ければ終わりではない。荷下ろしに始まり、関所や番所への届け出、人足や馬の手配、さらに駿府へ入ったとしても、すぐ今川家中の者へ会えるわけでもない。それなりに日数はかかるだろう。
今回、千葉家への謁見が比較的円滑に進んだのは、長年関東に根を下ろしていた八田屋が、手を回していたからである。
どうやら、この時代においては、清水湊が“海の玄関”。駿府が“政の中心”。そういう感覚らしい。
貴丸はぼんやりと、そんなことを考えていた。
船は冬前の海をゆっくり進んでいく。空気は冷たいが、まだ本格的な荒れには入っていない。波も比較的穏やかで、船腹を叩く水音だけが静かに続いていた。
そんな時、――ぶぉおおおお……ぶふぉっ。突然妙な音が船上へ響く。全員の視線がそちらへ向いた。
船縁に座った貴丸が、両手で大きな螺貝を抱え込み、真剣な顔で息を吹き込んでいたのである。だが音は、勇壮というより、どこか潰れた牛の呻き声に近かった。
「…………」
元伯が無言で天を仰ぐ。貴丸は気にした様子もなく、再び構えた。
――すぅぅぅ……ぷす。今度は情けない空気漏れだけだった。
「難しいなこれ……」
「貴丸、何故また急に螺貝を……」
元伯が疲れた顔で問うと、貴丸は当然のように答える。
「だって敦丸、全然吹けなかったじゃん」
「あ?」元伯が片眉を上げた。
「あのさ、前に母上に激怒された閻魔大王の時あったでしょ? その時、敦丸が螺貝吹こうとしてたけど、“すぅ……”としか出てなかったから」
「ああ……あったな」
「だから気になってたんだよね。そしたら千葉湊で売ってる店があったから、三ちゃんに買ってきてもらったんだ」
「何故それを、わざわざ船旅で練習しようと思ったのか……」
「暇だから」即答だった。
「船ってやることないし。手力の練習と、これなら座ったままできるじゃん」
いかにも貴丸らしい理由だった。要するに、なるべく動きたくないのである。
とはいえ、船の上は館のように好き放題寝転がれる場所でもない。狭い上に揺れるし、ずっとごろごろしていれば、すぐ誰かに小言を言われる。
だが、こうして甲板へ座り込み、何か熱心にやっている風を装っていれば、暇潰しにもなるし、周囲からも文句を言われにくい。
その結果が、冬に近づきつつある海へ延々と響き渡る、妙な螺貝の音だったのだ。
――ぶぉおお……ぶごっ。
「お」今度は少しだけ、それらしい低音が響いた。
貴丸の顔がぱっと明るくなる。
「出た!」
「いや、今のは半分くらい化け物の唸り声でだったぞ……」
「でも前より螺貝っぽかった!」嬉しそうだった。
三兵衛は深々とため息を吐く。だが、その横で元伯だけは、どこか面白そうに目を細めていた。
「そのうち本当に吹けるようになるやもしれんな」
「でしょ?」
貴丸は得意げに頷き、再び螺貝を構える。
そして次の瞬間。
――――ぶぉおおおおおおおおっ!!
今度は、船上の空気が震えるほどの低い音が響き渡った。波間を渡り、冬前の海へ長く尾を引いていく。
一同が目を丸くする。貴丸自身まで驚いた顔で螺貝を見ていた。
「……おお」
「吹けたではないか」元伯が感心したように呟く。
だが次の瞬間。調子に乗った貴丸がさらに息を吹き込み、
――ぶべぇっ!!
盛大に息が裏返った。
忠家がとうとう声を上げて笑い出し、治兵衛まで肩を震わせていた。
八田屋の治兵衛は、船上で帳面を見ながら工程を確認していた。
「まず清水で今川方へ使者を出します。その翌日に、ゆるりと駿府へ向かえばよろしいでしょう」
貴丸は少し首を傾げた。
「でもさ、今川家って、そんなすぐ会ってくれるもの?」
すると治兵衛が笑う。
「普通なら難しゅうございます。ですが、お聞きしますところ、元伯様には宗長様という御縁がございますゆえ」
そこで、元伯から、かつて共に旅をしたという宗長の話を聞くことになった。
元伯は船縁へ肘を預け、冬の海を眺めながら頷いた。潮風が白髪を揺らし、細くなった目がどこか遠くを見ている。
「今川家の使僧(外交僧)のような立場でな。諸国を巡り、有力武家や公家との間を取り持っておる御方だ」
宗長。駿河国島田郷の生まれで、若い頃は弘済と名乗っていたという。
「幼少より今川義忠公(駿河今川家第8代当主・今川義元の祖父)へ近侍しておったそうだ。だが、応仁の乱で義忠公と共に上洛し、その後、義忠公が討たれると、今川家中も乱れてな」
義忠の死後、今川家では家督争いが起きた。
後に“今川のお家騒動”と呼ばれる内紛である。
宗長は、その混乱を機に京へ上り、連歌師の宗祇へ師事して連歌を学んだ。さらに一休宗純へ参禅し、大徳寺真珠庵の傍らへ住み、一休没後も酬恩庵でその菩提を弔っていたらしい。
「だが、やがて再び駿河へ戻られた。氏親様の代になると、今川家の使僧として諸国を巡るようになってな。三条西実隆殿、細川高国殿、大内義興殿……まぁ、とにかく顔が広かった」
そこまで言って、元伯は少し笑った。
「儂が宗長殿と出会ったのは、永正二年頃(1505年)――白河の関よ。その頃の儂は、家督を慶久へ譲って、ふらふら諸国を歩いておってな」
囲炉裏端で酒でも飲むような気安さで言うが、普通の隠居がやることではない。
「道中で土地の雑兵に難癖を付けられておってな、それで宗長殿を助けたのが縁だった。宗長殿も面白い御方でな。そのまま意気投合して、共に東海道を下ったのだ」
当時、宗長は既に五十を越えていた。だが、その旅は若者よりよほど精力的だったらしい。
「駿河では柴屋軒に逗留しておった。儂もそこで今川方の兵の動かし方などを見て回っておったな」
「へぇ……」貴丸は素直に感心した。
今の元伯からは想像しづらいが、随分と各地を歩き回っていたらしい。
「永正五年頃(1508年)には、宗長殿と共に京で大内義興の入京も見たぞ」
元伯の目が、少しだけ細くなる。
「西国の兵がな、延々と都へ入っていくのだ。槍も鎧も関東とは違った。あの時は、天下というものの広さを思い知らされたわ」
船がゆっくり波を越える。空は薄曇りで、冬前の海は鈍い銀色をしていた。
「そして翌年――永正六年頃(1509年)だったか、宗長殿が薩摩へ招かれてな。儂も一緒に西へ下った」
「薩摩って、島津の?」
元伯は頷く。
「もっとも、あの頃の島津は、まだ一つにまとまっておらなんだ。薩州家だの伊作家だの、島津一門同士で睨み合っておった」
薩摩では、島津忠治がなお宗家として威を保っていた頃である。
「宗長殿は、忠治殿をはじめ島津一門の者らと連歌の席を設けておった。忠隆殿は、武辺一辺倒ではなく、禅や歌にも理解が深かったな」
「へぇ、国持なのに」
「戦ばかりしておるわけでもないのだよ、国持というものはな」
元伯は苦笑した。
「もっとも、薩摩は随分長くおった。宗長殿は文化の席へ出ておったが、儂の方は別でな」
そこで元伯は、少し遠い目をした。
「戦へ巻き込まれた」
「戦!?」貴丸が思わず声を上げる。
忠家も驚いた。
「山田昌久殿という武士と妙に気が合ってな」
元伯は少し懐かしそうに笑った。
「後には忠良殿の側近衆として名を知られるようになった御仁らしいが、あの頃はまだ若い地侍だった。その縁で、儂も“山田虎之助”などと名乗り、何度か薩摩兵として戦場へ出たこともあった」
「いや、何してるのじいさん……」
「成り行きだ」全く説得力がない。
だが元伯本人は、本当に成り行きだったと思っている顔をしていた。
「もっとも、あの頃の薩摩は、どこへ行っても身内同士で争っておった。昨日の味方が明日は敵など珍しくもない」
海風が吹く。元伯は静かに続けた。
「そして永正十年頃(1513年)――忠治殿が亡くなられてな」
そこで一度、言葉を切った。
「それを機に、儂はさらに南を見たくなったのだ。忠隆殿から琉球への紹介状を書いてもらってな。船へ乗った」
「それで琉球へ?」
「行くはずだった」
元伯は苦笑した。
「だが、途中で大嵐に遭ってな。一月近く海を流された。これは前に話したな? 気づけば、高山国へ流れ着いておったわ」
さらりと言う。だが、その“さらり”の中に、とんでもない年月が詰まっていた。
その後、元伯は高山国で数年を過ごし、倭寇船へ乗ってようやく博多へ戻ったのだという。
そして数年後。ようやく請戸へと帰ってきたのだ。
貴丸は、波の向こうを見ながら思う。
自分の祖父は。
思っていた以上に、とんでもない人生を歩いてきたらしい。