軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

09.

天導協会からの通達が届いたのは、朝の診察が終わった頃だった。

ガルドが封書を持ってきて、渋い顔で差し出した。

「治癒師不在の辺境への支援として、聖女を一名派遣する、だそうだ」

「そうですか」

「支援、という名目だがな」

ガルドが腕を組んだ。

「監視だろう。先日の件で引き下がったはいいが、諦めたわけではない、ということだ」

「そうでしょうね」

トーコは通達を読んで、棚に置いた。

ミリアが首を傾げた。

「どんな方が来るんでしょう」

「来ればわかります」

「先生、怖くないんですか」

「やましいことは何もありません」

シルフィが肩の上で「きゅ」と鳴いた。

三日後、馬車がデッドエンドに着いた。

治療院の前で止まった馬車の扉が開き、小さな足が降りてきた。

小柄な少女だった。白い法衣を纏っているが、少し大きいのか、袖がわずかに余っている。目が大きくて、きょろきょろと周囲を見回している。荷物を抱えたまま、おずおずと治療院の看板を見上げた。

「あ……あの……天導協会より、セラと申します……こちらが、トーコ先生の治療院で……合っていますでしょうか……」

声が小さい。

ガルドが戸口で腕を組み、じっと見た。ミリアが隣で「か、可愛い……」と小声で言った。

「合っています。どうぞ」

トーコが扉を開けた。

待合室に通すと、セラは椅子に座りながら、きょろきょろと診察室の方を覗いていた。棚に並んだ器具を見て、目を丸くする。血液検査の遠心分離機を見て、少し青ざめる。

「こ、これは……」

何か言いかけて、止まった。

「邪道な、と言いたいですか」

「い、いえ……そういうわけでは……」

セラが俯いた。

「協会から、先生のことを……その……調べてくるように、と言われていまして」

「そうですか」

「す、すみません……正直に言ってしまいました……」

「正直に言ってくれた方が、助かります」

トーコがお茶を持ってきた。ハーブを煎じたもので、湯気が立っている。

「どうぞ」

「あ……ありがとうございます」

セラが両手でカップを受け取り、一口飲んだ。

「……いい香り」

目が、少し柔らかくなった。

シルフィがトーコの肩から飛び降り、セラの膝の近くに着地した。セラが固まった。

「し、神獣……!」

「きゅ」

シルフィが翠色の目でセラを見た。

セラが恐る恐る手を伸ばすと、シルフィはじっとしていた。指先が鱗に触れる。

「……柔らかい」

魔力視に映るシルフィの光が、穏やかに揺れている。

——気に入った、ということだろう。

お茶が半分ほど減った頃、治療院の戸が勢いよく開いた。

鉱山の作業員らしき男が二人、仲間を抱えて飛び込んできた。

「先生、頼む……落石で頭を打って……!」

男の額から、血が流れている。

「診察台に」

トーコが即座に動いた。

セラが立ち上がりかけた。聖女として、反射的に動こうとしたのだろう。しかし傷から流れる血が目に入った瞬間、足が止まった。

顔が蒼白になっていく。手が、細かく震え始めた。呼吸が浅くなる。

「す……すみ……っ」

声が出ない。膝が、折れそうになっている。

ミリアが気づいて、セラの腕を支えた。

「椅子に座って。ここにいていいですから」

トーコは処置に集中しながら、一度だけセラを見た。

魔力視に、萎縮した光が見える。怯えて、固まっている。

今は患者が優先だ。

処置は十分ほどで終わった。頭部の裂傷を縫合し、止血を確認する。男の意識ははっきりしていた。脳への影響もない。

「しばらく安静にしてください。動けるようになったらガルドさんのところへ」

「ありがとうございます、先生……」

作業員たちが頭を下げて、処置室の方へ移動した。

待合室に戻ると、セラがまだ椅子でうずくまっていた。ミリアが傍に座り、背中に手を当てている。

「す、すみません……役に立てなくて……」

「椅子に深く座ってください。背もたれに寄りかかって」

トーコが静かに言った。セラが言われた通りにする。

「ゆっくり息を吐いて。吐くことだけ考えてください」

「……はい」

「吐いて。ゆっくり。急がなくていいです」

しばらく、トーコはセラの傍に座っていた。何も急かさなかった。ただ、傍にいた。

少しずつ、セラの呼吸が整っていった。顔に血の気が戻ってくる。

落ち着いてから、トーコは問診を始めた。

「こういうことは、よくありますか」

「……はい。昔から」

「どんなときに起きますか」

「知らない場所に一人でいるとき……人が多い場所……急に大きな音がしたとき。あと」

セラが少し間を置いた。

「治癒魔法を使おうとするとき。血を見たとき」

トーコが魔力視を開いた。

セラの体内を流れる魔力は、明るくて澄んでいる。量も十分だ。落第と言われるほど魔力が少ないわけではない。ただ、その流れが——どこかで固まっていた。萎縮したように、出口の手前で縮こまっている。

「血液検査をしていいですか。指先に少し針を刺します」

「は、はい……」

検査の結果に、身体的な異常はなかった。

トーコは静かに言った。

「心の病気です」

セラの目が、揺れた。

「体と同じように、心も傷つきます。強い恐怖や悲しみの体験が、後から症状として出ることがある。息が苦しくなる、手が震える、急に怖くなる。これは、あなたが弱いからではありません」

「病気、なんですか……私が」

「そうです。あなたのせいではありません」

セラが唇を噛んだ。

「ずっと……自分がおかしいんだと思っていました。聖女なのに、魔法が怖くて。みんなはちゃんとできるのに、私だけ」

「何か、きっかけがありましたか」

長い沈黙があった。

セラが、ゆっくりと話し始めた。

「三年前……まだ見習いの頃、患者さんの怪我を治そうとして。魔法を使ったら、上手くいかなくて……腕が、破裂してしまいました」

声が、細くなった。

「患者さんは助かりましたが、私のせいで余計な傷を作ってしまって。それから……魔法を使おうとすると、あのときの音が聞こえる気がして、手が止まってしまうんです」

トーコは黙って聞いた。

「それで落第と言われて。協会では、使えない聖女だって……今回も、どうせ邪魔になるだろうから辺境に行かせろ、って言われたんだと思います」

セラが俯いた。

「すみません……こんな話、聞かせてしまって」

「話してくれてありがとうございます」

ミリアが廊下で目を押さえているのが、視界の端に見えた。

昼過ぎ、小さな女の子が母親に手を引かれて来た。

膝を擦り剥いている。転んだらしく、泥がついている。泣いていたのか、目が赤い。

「先生、娘が転んでしまって」

「診ます」

トーコが膝を確認した。擦り傷だ。深くはない。洗浄すれば十分だが、端が少しめくれている。

トーコはセラを見た。

「一つ、試してみませんか」

セラが目を丸くした。

「私が……ですか」

「ええ。私が隣で見ています」

「でも、また暴走したら……」

「私には魔力の流れが見えています。おかしくなりそうになったら、すぐに声をかけます」

セラが、女の子を見た。

女の子が、大きな目でセラを見上げている。

「……お姉ちゃん、聖女さん?」

「そう……です」

「じゃあ、治してくれる?」

セラが少し、息を呑んだ。

それから、ゆっくりと膝をついた。

「……やってみます」

セラが傷の前に両手をかざした。

魔力視に映るのは、萎縮した光だ。出口の手前で、止まっている。

「深呼吸して」

セラが息を吸った。

「急がなくていいです。魔力を一度に流そうとしないで。細胞一つひとつに届けるつもりで、少しずつ」

「細胞……」

「今、傷の端に光が届いています。そのまま。もう少しだけ、奥へ」

セラの眉が寄る。

「怖い……です」

「大丈夫。今、ちゃんと届いています。暴走していません」

トーコは見えているものをそのまま言葉にした。魔力の光がどこにあるか、どこへ向かっているか。セラの代わりに、地図を読んでいる。

「もう少し。傷の中心まで、あと少し」

セラの手が震えている。

「……こわい」

「見えています。大丈夫です。あなたの魔力は、今ちゃんとあなたの言うことを聞いています」

光が、細く、ゆっくりと、傷の中心へ流れていった。

傷口が、動いた。

ゆっくりと、端から中心へ向かって、皮膚が閉じていく。

女の子が、目を丸くした。

「……なおった」

母親が息を呑んだ。

「ありがとうございます……! 聖女様、ありがとうございます……!」

女の子が、セラを見上げてにっこりした。

「聖女さん、すごい」

セラの目から、涙がこぼれた。

声も出さずに、ただ、泣いた。肩が揺れる。手が、膝の上で握られている。

母子が帰っていく。扉が閉まった。

シルフィが静かにセラの膝の上に乗った。

「きゅ」

セラが、泣きながら、シルフィを両手で包んだ。

「先生」

しばらくして、セラが顔を上げた。目が赤い。それでも、どこかすっきりした顔だった。

「本当のことを言います」

「どうぞ」

「協会に、先生の邪魔をしてこいと言われました。証拠を集めて、営業停止の理由を作れと」

「わかっていました」

「でも、来てみたら……」

セラが、治療院を見回した。棚に並んだ器具。整えられた診察台。廊下で聞き耳を立てているミリアと、薬棚の前で知らないふりをしているガルド。

「邪魔なんて、できないです。先生は、ちゃんと治療してる」

「監視したいなら、してください」

トーコが静かに言った。

「やましいことは何もありませんから」

セラが、少しだけ笑った。初めて見る顔だった。

「……また、来てもいいですか」

「どうぞ。患者はいつでも」

「患者として、来ます」

セラが立ち上がり、深く頭を下げた。

「今日は……ありがとうございました。出直してきます」

馬車が見えなくなってから、ミリアがため息をついた。

「かわいかった……」

「仕事中です」

「わかってますよ。でも、かわいかった」

ガルドがお茶を一口飲んで、ぼそりと言った。

「また賑やかになるな」

「そうですね」

肩の上でシルフィが「きゅ」と鳴いた。

魔力視に映るのは、満ち足りた翠の光だ。

——また一人、この治療院に根付いていく。そんな気がした。