軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

10.

使いが来たのは、夜明け前だった。

ライナルトの騎士が治療院の戸を叩き、簡潔に告げた。

「辺境伯閣下より。砦に同行を願いたい。昨夜の魔物討伐で、負傷兵が多数出ています」

「わかりました」

トーコは即座に動いた。

道具箱を開け、器具を確認しながら詰めていく。縫合針、縫合糸、消毒薬、包帯、麻酔薬。それから、奥の棚から丁寧に包んだ器具を取り出した。輸血用の管と針だ。八宝斎に作ってもらった、まだ使う機会がなかったものだ。

ミリアが寝ぼけ眼で出てきた。

「先生……?」

「砦に行きます。来ますか」

ミリアが一瞬で目を覚ました。

「行きます」

砦はデッドエンドから馬で一刻ほどの距離にあった。

門をくぐった瞬間、空気が変わった。

至る所に、人が横たわっている。中庭、廊下、広間。鎧を纏ったまま動けなくなっている者、仲間に肩を借りて座っている者、意識がなく地面に伏している者。呻き声が、あちこちから聞こえてくる。

治癒師が二人いたが、どちらも壁に寄りかかって動けなくなっていた。魔力切れだ。

ライナルトが近づいてきた。鎧に血がついている。自分も戦っていたのだろう。

「来てくれた」

「呼ばれましたから。状況を教えてください」

「負傷者は四十二名。うち重傷が十数名。治癒師二人が限界を迎えた」

「わかりました」

トーコは中庭に立ち、全体を見渡した。

魔力視を開く。

重傷者の光が、あちこちで弱く揺れている。出血が続いている者、内臓に損傷がある者、骨が折れたまま放置されている者。ざっと見渡しただけで、今すぐ動かなければならない者が何人かわかった。

「まず、全員を分けます」

ライナルトが頷いた。

「分ける……?」

近くにいた若い兵士が、眉を寄せた。

「重症度で分けます」

トーコは持ってきた布を取り出し、色ごとに裂いた。

「赤。今すぐ処置しなければ、命が危ない。最優先です」

「黄。処置が必要ですが、少し待てます」

「緑。軽傷か、自力で動けます。後回しにしていい」

兵士たちが顔を見合わせた。

「そして黒」

トーコが続けた。

「手を尽くしても、救えない可能性が高い方です」

静寂が落ちた。

「……見捨てる、ということか」

壮年の兵士が、低い声で言った。

「違います」

トーコは静かに、しかしはっきりと言った。

「私は一人です。時間も限られています。黒の方に時間をかけている間に、赤の方が死ぬ。それを防ぐための判断です。見捨てるのではない。より多くの命を救うために、順番をつけています」

誰も、反論しなかった。

ライナルトが静かに言った。

「先生の指示に従え」

兵士たちが動き始めた。

トーコは一人ひとりを素早く確認しながら、色の布を手首に結んでいった。魔力視が、体内の状態を次々と告げる。赤、緑、黄、赤、黄、黄、緑——。

ミリアが記録をつけながら、必死についてきた。

分類が終わった頃、ライナルトが傍に来た。

「黒は、いないのか」

「今のところは。ただ、赤の中に一人、急がなければならない方がいます」

「案内する」

広間の隅に、その兵士はいた。

三十代ほどの男だ。腹部と右脚に深い傷がある。治癒師が傷を塞いではいたが、顔色が蝋のように白い。呼吸が浅く、脈が弱い。

「先生……この人は、もう」

傍についていた若い兵士が、顔を歪めた。

「傷は塞いだのに、よくならなくて……」

トーコは魔力視で確認した。

傷の修復は済んでいる。しかし、出血で失った血液が戻っていない。体内を循環する血が足りず、臓器への供給が滞っている。治癒魔法は組織を再生できるが、失われた血液そのものを作り出すことはできない。

「血が足りていません」

「血……?」

「出血で大量に失った血液が、体の中で足りなくなっています。傷を塞いでも、血が足りなければ体は動きません」

「では、どうすれば」

「輸血が必要です」

その言葉が広間に落ちた瞬間、周囲がざわめいた。

「輸血……?」

「他の人の血を、この人の体に入れます」

どよめきが広がった。

「血を……入れる?」

「そんなことをしたら、死ぬんじゃないか」

「ありえない。血は体の中にあるものだろう」

トーコは声を上げなかった。ざわめきが収まるのを待って、静かに続けた。

「血には種類があります。合う血と、合わない血がある。合わない血を入れると体が拒絶して、確かに危険です。だから先に調べます。合う血であれば、入れることができます。それで助かります」

「……本当に、助かるのか」

「助かった例があります」

ライナルトが、広間を見渡した。

「先生の指示に従え、と言った。それは今も変わらない」

場が静まった。

ライナルトがトーコを見た。目が、続けろ、と言っていた。

「この方の血を調べます。次に、皆さんの血を調べます。型が合う方に、協力をお願いします」

トーコは患者の血を採取し、試薬で型を調べた。

八宝斎につくらせた、持ち運び用の遠心分離機で、採血したものから血漿を分離。試薬で血液型を調べる。

手回し式の遠心分離機なので、かなり労力はいる。が、兵士たちに協力してもらえて、事なきを得る。

それからミリアを連れて、動ける兵士たちのところへ順番に回った。指先に針を刺し、血を採り、試薬を混ぜる。色の反応を見る。

「この方は合いません」「この方も違います」「この方は——合います」

三人目で見つかった。大柄な兵士で、眉の太い男だ。

「俺の血が……合うのか」

「はい」

「使ってくれ」

男が即座に言った。

「仲間のためなら、血の一升や二升、惜しくない」

「一升は抜きません。少量で大丈夫です」

男が、一瞬きょとんとした顔をした。それから、ふっと笑った。

「……そうか。頼む」

周囲の兵士たちが、固唾を呑んで見ていた。

トーコは八宝斎製の輸血用の管を取り出した。細い針が両端についた、透明な管だ。一方を大柄な兵士の腕に、もう一方を患者の腕に接続する。

シルフィが静かに飛び立ち、周囲に結界を張った。

「始めます」

血が、管の中をゆっくりと流れ始めた。

誰も喋らなかった。

兵士たちが、管の中を流れる血を、息を詰めて見つめていた。

一刻ほどが経った頃、患者の顔色が変わり始めた。蝋のように白かった頬に、少しずつ赤みが戻ってくる。

「……顔が」

若い兵士が呟いた。

「赤くなってきた」

「血が、足りてきたということか」

患者の呼吸が、少し深くなった。脈を確認する。弱かった拍動が、少しずつ力を取り戻している。

「……先生」

ミリアが、小声で言った。

「助かりますか」

「助かります」

トーコは脈から手を離さずに、答えた。

「今夜が峠です。朝になれば、動けるようになります」

広間が、ほうっと息を吐いた。

大柄な兵士が、腕の針を見ながら言った。

「俺の血が……あいつの体に入ってるのか」

「そうです」

「不思議なもんだな」

男が、患者の顔を見た。

「生きろよ、馬鹿野郎」

誰かが笑った。緊張が、少し解けた。

処置が一段落したのは、夜も深くなった頃だった。

トーコは砦の外壁に寄りかかり、夜風に当たっていた。シルフィが肩の上で静かに丸まっている。

足音が近づいてきた。

ライナルトだった。外套を羽織り、鎧を脱いでいる。二つの椀を持っていた。

「温かいものがあった。飲め」

「ありがとうございます」

トーコが椀を受け取った。スープだ。体に染みる温度だった。

二人、しばらく黙って飲んだ。

「今日は助かった」

「仕事です」

「仕事、か」

ライナルトが夜空を見上げた。星が多い。デッドエンドより、ここは空が広い。

「あなたは戦場に向いている」

トーコが少し、ライナルトを見た。

「どういう意味ですか」

「判断が速い。動じない。何を先にすべきか、迷わない。戦場で指揮を執る者に必要な資質と、よく似ている」

「私は剣は持てませんが」

「剣でなくても、戦っている」

トーコは少し考えた。

「……褒めているんですか」

「褒めている」

短い沈黙が落ちた。

星が、静かに瞬いていた。

「……ありがとうございます」

トーコが言った。

ライナルトが、椀を傾けた。

「礼を言うのは私の方だ」

それだけだった。それだけだったが、何か重いものが言葉の奥にあった。

トーコは夜空を見上げた。

魔力視を薄く開くと、シルフィの翠の光が穏やかに揺れている。

——何が言いたいのかは、今夜も聞かないことにした。

翌朝、デッドエンドへの帰り道。

馬の上で、ミリアがぽつりと言った。

「先生って、どこでも同じですね」

「どういう意味ですか」

「治療院でも、砦でも、同じ目をしていました。怖くないんですか。あんなにたくさんの人が倒れていて」

トーコは少し、考えた。

「怖いですよ」

「え」

「間に合わなかったらどうしようとは、思います。でも怖いまま手を動かすしかない。それだけです」

ミリアが黙った。

しばらくして、「そうですね」と言った。

「先生みたいになりたいな、とは思わないけど」

「思わなくていいです」

「でも、先生のそばにいたいとは思います」

トーコは何も言わなかった。

シルフィが肩の上で「きゅ」と鳴いた。

魔力視に映るのは、穏やかな翠の光だ。

——どこにいても、やることは変わらない。

デッドエンドの街が、朝の光の中に見えてきた。