軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

11.

砦での処置から、二日が経った。

重傷者の容態が安定してきた。赤の印をつけた兵士たちは、今では自分で水を飲めるようになっている。輸血を受けた男も、昨日の朝から粥を食べ始めた。

トーコは砦に留まっていた。

ライナルトに「もう少し残ってもらえるか」と言われたのは、処置が一段落した翌朝のことだ。理由は、まだ詳しく聞いていなかった。

ミリアは治療院が気になるようで、昨日デッドエンドに戻した。ガルドがいる。セラも時々来ている。しばらくは大丈夫だろう。

肩の上でシルフィが「きゅ」と鳴いた。

魔力視に映るのは、静かな翠の光だ。

――ここにいろ、ということだろう。

「わかっています」

トーコは次の患者を呼んだ。

昼過ぎ、ライナルトが執務室に呼んだ。

地図が広げられていた。辺境の地形図だ。いくつかの場所に、印がついている。

「今回の魔物について、話しておきたい」

ライナルトが地図を指した。

「例年、この時期に魔物の活動は活発になる。しかし今年は規模が違った。大群だ。これまで見たことがないほどの数が、辺境に押し寄せた。騎士団が迎撃した。ある程度は押し返した。今は膠着している」

ライナルトが地図の一点を指した。山がちな地形の、奥まった場所だ。

「ここに巣がある。放置すれば、また大群が来る。今度は砦では抑えきれないかもしれない。叩きに行く必要がある……しかし」

ライナルトが腕を組んだ。

「兵の消耗が激しい。今の状態で巣に攻め込めば、勝てない。数日、立て直す時間が必要だ」

トーコは地図を見た。

「それで、残るよう言ったんですか」

「経過観察だけではない。何か、できることがあれば頼みたかった」

トーコは少し考えた。

「わかりました。診てみます」

回復中の兵士たちを、一人ずつ改めて診察した。

血液検査を行い、魔力視で体内を確認する。傷の経過は概ね良好だ。縫合部位の感染もない。

しかし。

「……おかしい」

数値を並べながら、トーコは眉を寄せた。

鉄分が低い。特定の栄養素の数値が、軒並み基準を下回っている。傷とは別の、慢性的な不足だ。

「食事について、聞いていいですか」

傍にいた兵士が、首を傾げた。

「食事……?」

「砦では、毎日何を食べていますか」

「干し肉と黒パン、豆のスープです。毎日だいたい同じで」

「野菜は」

「たまに玉ねぎが入るくらいですかね。果物は……遠征中はほとんど」

トーコは次の兵士、また次の兵士と確認した。答えはどれも似たようなものだった。

腹は満たされている。しかし、体に必要なものが足りていない。

「怪我の前から、この状態だったと思います」

大柄な兵士――輸血を提供した男が、腕を見ながら言った。

「そういえば、最近やたら疲れやすいとは思っていたんですが」

「疲れやすい、傷の治りが遅い、気力が上がらない。そういう症状はありませんでしたか」

「……あります。みんなそう言っていますよ。遠征が長かったから仕方ない、と思っていましたが」

「遠征のせいだけではありません」

トーコは数値を見た。

「この状態で巣に攻め込めば、傷を負ったとき回復が遅い。判断も鈍る。体が動く前に消耗する」

男が、静かに言った。

「……先生に、それを言われると、重みが違いますね」

トーコはライナルトのところへ向かった。

数値を書いた紙を持って、執務室の扉を叩く。

「戦力の低下は、傷だけから来ていません」

ライナルトが顔を上げた。

「食事から来ている部分が大きい」

トーコが紙を広げた。血液検査の数値が並んでいる。

「鉄分、特定のビタミン、ミネラル。どれも不足しています。腹が満たされていても、体に必要なものが足りなければ、回復は遅い。今の兵士たちの状態では、傷が癒えても本来の力が出ません」

「食事を変えれば、改善するのか」

「一朝一夕でどうにかはなりませんが……継続していれば、効果はでききます。このままでは、巣への攻め込みはおろか、今の膠着状態も長くは持ちません」

ライナルトが黙って聞いていた。

「具体的に、何を変えればいい」

トーコがもう一枚の紙を出した。

「緑の野菜。果物。臓物――肝臓や心臓に近い部位。それから発酵させた食品。これらを食事に加えてください」

「……臓物か」

「嫌がる兵士もいるかもしれませんが、効果は高い。調理の仕方を工夫すれば食べられます」

ライナルトが少し、口元を動かした。

「あなたは医師だけでなく、兵站の話もするのか」

「体のことを考えれば、食事の話になります」

「そういうものか」

「そういうものです」

ライナルトが立ち上がり、扉を開けた。

「料理長を呼べ」

砦の料理長は、五十代の恰幅のいい男だった。長年、この砦の食事を一手に担ってきたという。

トーコの話を聞き終えて、腕を組んだ。

「急に野菜を増やせと言われましても……辺境での調達は限りがありますし、兵士たちが食い慣れているものでなければ、残す者も出ます」

「何があるか教えてもらえますか」

料理長が在庫を確認しながら、答えた。豆は十分ある。玉ねぎ、根菜類が少量。塩漬けの肉。香辛料がいくつか。

そこへ、ガルドが小脇に籠を抱えてやってきた。

「先生、砦の周囲を少し見てきた。これが採れた」

籠の中に、薬草と野草が入っている。

「これは食えるぞ。こっちの実も、こう調理すれば問題ない」

料理長が籠を覗き込んだ。

「……これを食うんですか」

「薬草として使うものですが、食材にもなります」

トーコが答えた。

そこにミリアが「私も手伝います」と厨房に入ってきた。エプロンを持参していた。

「料理なら、できます」

料理長が、ため息をついた。

「……わかりました。やってみましょう」

厨房が、にわかに動き始めた。

ミリアが手際よく野草を刻む。ガルドが薬草の下処理を教える。料理長が渋い顔をしながら、臓物の下茹でをする。

薬草入りの濃いスープ。臓物と根菜の煮込み。野草を塩で揉んで発酵させた漬物。

料理長が味見をした。

長い沈黙があった。

「……悪くない」

ぼそりと言った。

「漬物は、もう少し時間をかけた方が旨くなりますが」

「今夜出せますか」

「出せます」

夕食の時間、兵士たちの前に見慣れない料理が並んだ。

「なんだこれ」

「臓物か……遠征飯じゃないな」

大柄な男が、まず一口食べた。

少し間があった。

「……うまい」

「本当か」

別の兵士が食べた。

「……悪くないな」

漬物を口に入れた若い兵士が「酸っぱい」と言いながら、それでももう一口食べた。

大柄な男がトーコを見た。

「先生、これもあんたが考えたのか」

「食材はガルドさんが、料理はミリアと料理長が」

「先生は?」

「何を食べればいいか、考えました」

男が、ふっと笑った。

「十分だ」

夜、ライナルトとトーコが執務室で向き合った。

「薬と食事は、根本が同じです」

トーコが言った。

「体に必要なものを、薬で補うか食事で補うか。食事で補える分は、食事でやった方がいい。毎日続けられるから」

「魔法で治す、薬で治す、食事で整える。それが揃って初めて、体が動くということか」

「そうです。治癒魔法はその一つです。万能ではありません」

ライナルトが静かに言った。

「治癒師には、そういう発想はない」

「治癒魔法があれば十分、という世界で育てば、そうなります」

「あなたは違う」

「前世が違いますから」

ライナルトが少し、目を細めた。前世という言葉には踏み込まなかった。ただ、静かに続けた。

「数日後、巣に向かう。その前に、できる限り兵を整えたい」

「今夜から食事を変えれば、三日で回復速度が変わります。五日あれば、かなり違う」

「五日、もらえるか」

「こちらはいくらでも」

ライナルトが頷いた。

「……助かる」

いつもの静かな声だった。しかしその奥に、珍しく、素直な感謝があった。

トーコは少し、窓の外を見た。

夜の砦は静かだ。遠くで焚き火が揺れている。

「戦況が、落ち着いたら」

「ああ」

「定期検診に来てください。砦の兵士全員の数値を取っておきたい」

ライナルトが、また口元を動かした。

「医師らしい答えだ」

「医師ですから」

「……そうだな」

五日後の朝、出陣前の広場に兵士たちが並んだ。

顔色が、明らかに違う。目に力がある。立ち姿が、五日前より締まっている。

大柄な男が、トーコの前で足を止めた。

「先生、行ってくる」

「気をつけて」

「ああ。戻ったら、また血ぃ抜いてくれ」

「検査だけです。一升は抜きません」

男が笑った。隣の兵士も笑った。

ライナルトが馬上から、一度だけトーコを見た。

「戻ったら、また診てもらう」

「待っています」

それだけだった。

馬が動き出す。砦の門が開く。騎士団が、朝の光の中へ出ていった。

シルフィが肩の上で「きゅ」と鳴いた。

魔力視に映るのは、穏やかな翠の光だ。

――行ってらっしゃい、と言っている気がした。

トーコは門が閉まるまで、その場に立っていた。