軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

08.

朝の診察が始まる前に、ガルドが渋い顔で入ってきた。

「先生、少し聞いてくれ」

「どうぞ」

「天導協会が、お前のことを問題視しているらしい。街で噂になっている」

トーコは器具の確認をしながら、答えた。

「そうですか」

「そうですか、じゃないだろう」

ガルドが眉を寄せた。

「義手の件もある。協会の聖女が手を出して、結局こっちに泣きついてきたあの件だ。面子を潰された、と思っているかもしれん」

「潰したつもりはありませんでしたが」

「お前がそのつもりでなくても、相手はそう受け取る」

ミリアが記録を抱えながら、二人の顔を交互に見た。

「……来ますかね、ここに」

「来るでしょう」

トーコが静かに言った。

「来たら、話をします」

昼過ぎ、白い法衣を纏った男が二人、治療院の戸を開けた。

法衣の胸元に、天導協会の金の紋章が光っている。一人は四十代ほどの、顎の張った男。もう一人は若い書記らしく、羊皮紙を抱えている。

「トーコ先生とお見受けします」

顎の男が言った。丁寧な口調だが、目が笑っていない。

「天導協会、王都本部より参りました。ハルデン審問官と申します」

「どうぞ」

トーコは二人を待合室に通した。患者たちが、さっと気配を察して端に寄る。

「単刀直入に申し上げます」

ハルデンが続けた。

「無紋・無免許の者が医療行為を行っているとの報告を受けました。我々天導協会は、この国における治癒行為の許認可を担っております。免許なき者の治療行為は、患者を危険に晒す恐れがある」

「承りました」

「また、先日の件についても確認が必要です。我々の聖女が治癒を行った患者に対し、あなたが切断処置を施したと聞いています。治癒によって再生した腕を、わざわざ切り落とした」

「記録があります」

トーコは棚からカルテの束を取り出した。

「確認されますか」

ハルデンが少し、眉を動かした。

「私が治療した患者の記録です」

トーコはカルテを一枚ずつ、静かに説明した。

「治療前の状態、問診の内容、血液検査の結果、魔力視による診断、処置の内容、術後の経過。全患者分、あります」

ハルデンが羊皮紙を手に、記録を眺めた。

「……詳細な記録だ」

「患者の体で何をしたか、なぜそうしたか。全部残しています」

「しかし、これは免許の問題であって——」

「一つ確認させてください」

トーコが口を開いた。

「天導協会の免許は、何に対して発行されるものですか」

「治癒行為に対して、です。当然のことながら——」

「治癒魔法を用いた行為に対して、ではないですか」

ハルデンが止まった。

「協会に所属するのは、聖女と治癒魔法紋を持つ者です。免許の制度は、魔法を行使する者のために作られている。私は魔法を一切使っていません。魔力がゼロですから」

トーコは続けた。

「血液検査は薬草の試薬と器具を使います。縫合は針と糸です。魔道具の義手は、魔道具師が作ったものです。どれも魔法ではない。協会の管轄する『治癒行為』に、どう該当しますか」

ハルデンが口を開き、閉じた。

書記が羊皮紙に何かを書きつけるのを止めた。

「義手の件も同様です」

トーコはカルテを一枚取り出した。

「聖女による治癒魔法が、細胞促進の暴走を引き起こしました。魔力視で暴走の境界を特定し、正常組織を残して切除しました。これはあなた方が治癒を断った後の話です。記録に日時も残っています」

「……それは」

「邪道かどうかは、患者が判断することです。私は結果を出しています」

待合室が、しんと静まり返っていた。

ハルデンが少し間を置いてから、言った。

「理屈はわかりました。しかし協会としては、前例のない医療行為が横行することを、看過するわけにはいかない。一週間以内に活動を自粛していただくよう、求めます」

その瞬間、待合室にいた患者の一人が立ち上がった。

鉱夫の男だ。大きな体で、ハルデンの前に立った。

「自粛、というのは、先生が診てくれなくなる、ということか」

「それは……患者の方が口を挟む話では——」

「俺はここで診てもらって、治った」

男が低い声で言った。

「五年間、腕が曲がったまま仕事してた。治癒魔法で治したはずなのに、ずっと痛かった。先生に診てもらって、初めて原因がわかって、初めて治った」

別の患者が立ち上がった。

「私の子供も、ここで助けてもらいました」

また一人。

「俺もだ」

また一人。

待合室の患者が、一人ずつ立っていく。

ミリアが記録の束を胸に抱えて立った。

「この記録、全部先生が治した患者さんのものです。一人ひとりの名前と、何がどう治ったか、全部入っています」

ガルドが腕を組んで立った。

「邪道と言うなら、邪道で結構だ」

ハルデンが、部屋を見回した。

白い法衣の男が、言葉を失っていた。

そのとき、戸が開いた。

ライナルトだった。

鎧姿で、静かに入ってくる。視線がハルデンに向いた。

「何の話をしている」

「ライナルト辺境伯閣下……」

ハルデンが姿勢を正した。

「この治療院の活動について、協会として自粛を求めに参りました」

「私が認めている施設だ」

ライナルトが静かに言った。

「この街の医療を担っている。辺境伯として、その活動を支持する」

「しかし協会の規定では——」

「協会の管轄は魔法を用いた治癒行為だ。ここで行われているのは魔法ではない。管轄外の話に、協会が口を挟む根拠はあるか」

ハルデンが言葉に詰まった。

書記が、また羊皮紙に書くのを止めた。

そこへ、もう一人、戸が開いた。

緋色の髪。丸い目。ただし今日はエプロンではなく、深緑の上質な外套を着ていた。いつものぽわぽわした雰囲気はそのままだが、どこか違う。

「あれ、なんか揉めてる」

八宝斎が、のんびりした声で言った。

「八宝斎さん」

ミリアが言った。

「ちょうど近くにいたから来てみた。義手の経過、気になってたし」

八宝斎がハルデンを見た。

ハルデンが八宝斎を見た。

何かに気づいたように、表情が変わった。

「……も、もしかして」

「リフィア・フォン・ヴォルグ」

八宝斎が、いつもと同じ穏やかな声で名乗った。

「ヴォルグ公爵家の六女で、世界最高の魔道具師と言われたヴォルグ卿の娘。今は引退して、こっちで暮らしてるけど」

ハルデンの顔が、みるみる蒼白になった。

書記が羊皮紙を取り落とした。

「……な、なぜこのような辺境に」

「ダーリンがここにいるから」

八宝斎がにこっと笑った。

「それで、この治療院の義手を作ったのも私。材料費と技術料は受け取っているから、問題はないよね」

「そ……それは、もちろん」

「トーコちゃんの器具も全部私が作ってる。魔道具師として、品質は保証する」

八宝斎が、ハルデンをまっすぐ見た。いつもの柔らかい目だが、その奥に揺るぎないものがある。

「邪道って言ってたみたいだけど、私はそう思わない。この治療院は、魔法では届かない命を拾ってる。それを邪道と呼ぶなら、私も邪道の側に立つ」

待合室が、静かになった。

ミリアが固まっていた。

ヴォルグ公爵家。世界最高の魔道具師の娘。いつも油で手を汚して、焼き菓子を喜んで食べていたあの人が。

「……八宝斎さんって」

「ミリアちゃん、後で話すね」

八宝斎がにこっと笑った。

ハルデンたちが帰ったのは、それから間もなくのことだった。

「……検討します」

それだけ言い残して、二人は足早に出て行った。

待合室がどっと緩んだ。

「やったな」

鉱夫の男が笑った。

「先生、よかったですね」

患者たちが口々に言う。

トーコは小さく頷いた。

「ありがとうございました」

ライナルトが近づいてきた。

「無茶をするな」

「無茶はしていません。正論を言っただけです」

「正論を言い続けるのは、無茶というんだ」

トーコが少し、ライナルトを見た。

魔力視に映るのは、深い青の光。心配している色だ。

「……善処します」

「それでいい」

ライナルトが小さく頷いて、出て行った。

八宝斎がその背中を見送り、トーコの隣に立った。

「あの人、先生のこと心配してるね」

「辺境伯として、この街の医師が面倒事に巻き込まれると困るんでしょう」

「そういう話じゃないと思うけど」

「どういう話ですか」

「うーん」

八宝斎が少し考えて、言った。

「後でお茶しながら話す。ミリアちゃんも来て」

「私もですか」

「うん。私の話もしないといけないし」

ミリアがまだ、少し呆然とした顔をしていた。

夕方、三人で工房の作業台を囲んだ。

ミリアがお茶を両手で持ちながら、八宝斎を見た。

「……ヴォルグ公爵家、って」

「本当のことだよ」

「なんで、そんな方がここに」

「ダーリンがいるから、って言ったでしょ」

八宝斎がにこっとした。

「公爵家の娘とか、魔道具師の娘とか、そういうのは向こうの話。こっちでは普通に暮らしてる。普通に物を作って、普通に好きな人と生きてる」

「でも、今日みたいなとき……」

「使えるものは使う。トーコちゃんの役に立てるなら、なおさら」

八宝斎がトーコを見た。

「トーコちゃん、怒った? 勝手に来て」

「怒っていません。来てくれて、ありがとうございます」

「えへへ」

八宝斎が嬉しそうに笑った。

工房から治療院に戻る道で、ミリアがぽつりと言った。

「先生って、すごい人と友達なんですね」

「八宝斎が凄腕なのは、最初から知っていました」

「公爵家の娘だとは知らなかったんですか」

「知りませんでした」

トーコが静かに言った。

「でも、知っていても同じでした」

「……なんでですか」

「八宝斎は、八宝斎です。肩書きは関係ない」

ミリアが少しの間、黙って歩いた。

「先生って、誰に対してもそうですよね。患者でも、閣下でも、八宝斎さんでも、同じ目で見てる」

「当たり前のことです」

「当たり前じゃないですよ」

ミリアが言った。

「私には、まだできないことです」

トーコは何も言わなかった。

肩の上でシルフィが「きゅ」と鳴いた。

魔力視に映るのは、穏やかな翠の光だ。

——やることは変わらない。ただ、それだけだ。

治療院の灯りが、夕暮れの中に見えてきた。