軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

39.

朝の空気が、清んでいた。

辺境の都市から少し外れると、すぐに森が始まる。デッドエンドの北側に広がる大きな森で、奥には魔物が多く、瘴気も濃い。しかし入り口付近は浅く、薬草も豊富だ。

ライナルトが「用事がある」と言っていた場所が、ここだった。

「森の近くで、確認したいことがある。付き合ってくれ」

「わかりました」

二人で、森の入り口に向かった。

シルフィが肩の上にいる。スノウは病院の前の定位置に置いてきた。

森の入り口に立つと、空気が変わった。

木々の間から、ひんやりとした風が流れてくる。瘴気が薄く漂っているが、入り口付近はほとんど気にならない。

トーコが、深く息を吸った。

「……良い気持ちですね」

「そうか」

「前世でも、山や森の空気は好きでした。診察室にいると、忘れていますが」

「たまには出た方がいい」

「そうですね」

ライナルトが、森の中を確認しながら歩き始めた。

トーコが後を追う。

薬草が目に入った。足を止めて、確認する。魔力視で成分を見ると、状態が良い。

「これは使えます。少し採っていいですか」

「構わない」

トーコがしゃがんで、薬草を丁寧に採り始めた。根を傷つけないように、来年もここで採れるように。

「随分、丁寧だな」

「来年また来たいので」

「……そうか」

ライナルトが、少し口元を動かした。

しばらく歩くと、道が細くなった。

左右の木々が近づいてくる。下草が多い。

ライナルトが、立ち止まった。

「少し、奥に入る。迷子になると困る」

「大丈夫ですよ。道はわかります」

「念のため」

ライナルトが、手を差し出した。

トーコは少し見て、それから手を取った。

大きな手だった。温かかった。

「……そういうものですか」

「迷子になってからでは遅い」

「そうですね」

並んで歩き始めた。

トーコは特別なことだとは思わなかった。迷子防止のための処置だ。合理的だ。

ただ。

魔力視を薄く開くと、ライナルトの魔力の色が見えた。

いつもの深い青だった。落ち着いた、静かな色だ。

しかし今日は、その奥に、何か違う色が混じっていた。

温かくて、少し、揺れている。

——なんだろう、これは。

トーコは少し首を傾げた。しかし何も言わなかった。

並んで、歩き続けた。

薬草を見つけるたびに、少し立ち止まった。ライナルトが待った。急かさなかった。

「詳しいな、薬草に」

「ガルドさんに習いました。見分け方は最初わからなくて、よく間違えました」

「今は間違えないのか」

「だいたいは。魔力視で確認できるので」

「魔力視は、なんにでも使えるな」

「使い道が多くて、助かっています」

ライナルトが頷いた。

木漏れ日が、二人の足元に落ちていた。

シルフィが突然、肩から飛び立った。

いつもと違う方向だ。トーコが魔力視を開くと、シルフィの翠の光が急いでいる。

「……何かいます。シルフィが反応しました」

「人間か、魔物か」

「人間です。魔力の色が見えます。弱っている」

二人が早足で向かうと、木の根元に人が倒れていた。

若い男だ。足首を痛めているらしく、立てない様子だった。顔が青白い。水も食料も持っていないようだった。

「いつからここに」

「き、昨日の……夕方から。道に迷って、足を捻って……」

「わかりました。今から街に連れて帰ります」

トーコが足首を確認した。骨折はない。捻挫だ。ひどい腫れが出ているが、歩けないほどではある。

「背負って運ぼう」

ライナルトが、すでに男の傍にしゃがんでいた。

「待ってください、閣下が」

「早い方がいい」

男を背負い、立ち上がった。

トーコは、その様子を少し見た。

鎧ではなく、今日は軽い外套だ。背中が広い。男一人を背負っても、特に表情が変わらない。体幹が安定していて、重心がぶれない。

「……たくましいですね」

「何か言ったか」

「いえ」

「そうか」

歩き始めた。

トーコが、男の様子を確認しながら並んで歩く。

来た道を戻っていると、突然、茂みが揺れた。

魔物だった。

中型の、四足の魔物だ。爪が長く、目が赤い。遭難者の匂いを嗅いで、近づいてきたのかもしれない。

ライナルトが、男を地面に下ろした。

「先生、こちらを頼む」

「わかりました」

「動かないでいてくれ」

トーコが男の傍にしゃがんだ。シルフィが飛び立ち、二人の周囲に風の結界を張った。

ライナルトが、剣を抜いた。

魔物が、跳んだ。

ライナルトが、それより速く動いた。

剣が閃いた。

一合。二合。

魔物の動きが速い。しかしライナルトはそれに対応していた。足捌きが静かだ。無駄な動きがない。どこを狙われるかを先に読んでいるように見えた。

三合目で、魔物が倒れた。

ライナルトが剣を収め、振り返った。

「怪我はないか」

「こちらは大丈夫です」

男が「す、すごい……」と呟いた。

トーコも、少し男と同じ気持ちだった。

医師としてのライナルトしか、長い間見ていなかった。患者として、記録として、話し相手として。

こういう人だったのか、とトーコは思った。

剣を持つ手が、怪我を確認する手と同じ手だと気づいた。

「……たくましいところもあるんですね」

「たくましいところも、とはどういう意味だ」

「いつも静かな方だと思っていたので」

「戦場では、静かにはしていられない」

「そうですね。失礼しました」

ライナルトが、少し目を細めた。

「……怖かったか」

「怖くはなかったですよ。見ていました」

「見ていたのか」

「魔力視を開いていたので、動きがわかりました。速かったですね」

「……なんでも魔力視で見るな」

「便利なので」

ライナルトが、かすかに笑った気がした。

街に戻ったのは、昼過ぎだった。

男を病院に連れていき、ミリアに引き渡した。

「捻挫と軽度の脱水です。入院は必要ありません。処置をして、水分と食事を取らせてください」

「わかりました。先生は……楽しかったですか」

「薬草がたくさん採れました」

「そっちですか」

「あと遭難者を助けて、魔物に遭遇しました」

「……デートとは」

「出かけただけですよ」

ミリアが「はぁ」と言った。

ライナルトが「世話になった」と言った。

「こちらこそ。久しぶりに森に入れました」

「また行くか」

「……薬草が補充できるなら」

「そうか」

ライナルトが、少し間を置いた。

「楽しかった」

「私もです」

ライナルトが頷いて、出て行った。

扉が閉まってから、ミリアがトーコを見た。

「先生」

「なんですか」

「楽しかった、って言いましたね」

「はい」

「閣下も楽しかったって言っていましたね」

「はい」

「それが」

「薬草も採れましたし、良い経験でした」

「……そうですね」

ミリアが、何かを諦めたような顔をした。

シルフィが肩の上で「きゅ」と鳴いた。

魔力視に映るのは、温かくて少し意地悪な翠の光だ。

——何が言いたいのかは、今日も聞かないことにした。

採ってきた薬草を棚に整理しながら、トーコは少し、今日のことを思い返した。

手の温もりのことは、考えなかった。

……考えないようにした。