軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

13.

朝、セラが治療院に来た。

いつもより少し早い時間だ。白い法衣の袖を少し折り、小脇に薬草の包みを抱えている。最近、来るたびに何かを持ってくるようになっていた。

「先生、今日は私が診ます」

トーコが振り返ると、セラが珍しく、はっきりした声で言っていた。

「軽傷の方は私が対応できます。問診の仕方も、覚えました」

「セラさんが」

「はい。先生は……休んでください」

トーコは少し、セラを見た。

「患者が来ます」

「軽傷の方は私が診ます。重症の方が来たら呼びます」

「しかし」

「先生」

セラが、一歩前に出た。大きな目が、真剣だ。

「砦から戻って、一度も休んでいないです。私、見ていました」

ミリアが横でこくこくと頷いている。ガルドが薬棚の前で、知らないふりをしていた。

トーコは少し考えた。

——ワーカホリック。

前世で死んだ原因が、頭をよぎった。過労だった。休まなかった。働き続けて、倒れた。

トーコは息を吐いた。

「……わかりました」

セラが、ぱっと顔を輝かせた。

「本当ですか」

「今日だけです」

「今日だけでも十分です」

ミリアが「やった」と小声で言った。

さて、何をすればいいのか。

トーコは診察室の外に出て、少しの間、途方に暮れた。

シルフィが肩の上で「きゅ」と鳴いた。魔力視に映るのは、穏やかな翠の光。どこか、おかしそうな色だ。

「笑わないでください」

「きゅ」

戸口から外に出ると、朝の空気が気持ちよかった。

市場の方から声がする。いつもの街だ。デッドエンドの、いつもの朝だ。

ぶらぶらと歩き始めたとき、後ろから足音がした。

「先生」

振り返ると、ライナルトが立っていた。

騎士団の装備ではなく、落ち着いた色の外套を着ている。珍しい出で立ちだ。

「休みと聞いた」

「セラさんに言われました」

「ちょうどよかった」

ライナルトが、小箱を取り出した。

「砦での件、礼が遅くなった」

「お気遣いなく」

「気遣いではない。筋を通したかっただけだ」

箱の中には、深い緑色の石がついた細工物が入っていた。装飾品ではなく、お守りに近いものらしい。

「辺境では、これを贈る習慣がある。命を助けてもらった者への、感謝の印だ」

トーコは受け取った。

「ありがとうございます」

ガルドが戸口から顔を出した。

「閣下、ちょうどいいところに。この嬢ちゃんを、街でも案内してやってくださいな。一人で歩かせてもぼーっとするだけですから」

「ガルドさん」

「先生は休むのが下手くそです。誰かいないと、気づいたら仕事してます」

ライナルトが、少し口元を動かした。

「案内くらいなら、できる」

「……お手数をおかけします」

「手数ではない」

ガルドが満足そうに戸を閉めた。

市場を抜け、石畳の坂を下ると、川沿いの道に出た。

デッドエンドの川は、鉱山から流れてくる水を引いたもので、水が澄んでいる。岸沿いに小さな店が並んでいて、昼時には賑わう場所だ。

ライナルトと並んで歩いていると、通りかかる人々がぎょっとした顔をしてすぐに頭を下げた。辺境伯が街を歩いているのは、珍しいのだろう。

「普段は歩かないんですか、街を」

「巡回はするが、こういう形ではない」

「そうですか」

「……あなたは」

「私は毎朝、薬草に水をやるついでに歩いています」

「知っている」

「見ていたんですか」

「街の者が話す」

トーコは少し、前を向いた。

川沿いの角を曲がったとき、見知った緋色が目に入った。

八宝斎だった。

隣に、見知らぬ男がいた。

落ち着いた色の着物に近い服を着た、三十代ほどの男だ。背が高く、物静かな雰囲気をしている。八宝斎の隣で、川を眺めていた。

「あ、トーコちゃん」

八宝斎が手を振った。

「休みなの? 珍しい」

「セラさんに言われました」

「えらい。あ、こちらは——」

八宝斎が隣の男を見た。男がトーコに向かって、静かに頭を下げた。

「タカト・サクダイラです」

穏やかな声だった。

「さくだいら……」

トーコが、その名前を聞いて少し目を動かした。

佐久平。日本の地名だ。

「タカトさんも、トーコちゃんと一緒なのよ」

八宝斎がにこっと言った。

「そうなんですね」

「そそそ。お互い転生者同士だから気が合って、ねー」

八宝斎がタカトの腕を取った。タカトが小さく頷いた。表情はほとんど動いていないが、八宝斎を見る目が柔らかい。

二人の間に、長い時間が積み重なっているのが、言葉がなくてもわかった。

「ライナルト閣下も、今日は街に」

「ああ」

「珍しい組み合わせね。邪魔したなら」

「邪魔ではありません」

トーコが答えた。

「八宝斎、またいつか」

「うん。またね、トーコちゃん」

タカトがもう一度、静かに頭を下げた。

二人が川沿いを歩いていく。肩が触れそうな距離で、並んで。

しばらく歩いていると、前方で声がした。

女の子が転んだらしい。石畳の段差に足を取られたのか、膝と頭を打っている。母親が慌てて抱き起こしていた。

「大丈夫ですか」

トーコが駆け寄った。

頭の傷を確認する。こめかみの少し上、髪の生え際に小さな裂傷がある。頭部は血管が多い分、小さな傷でも血が出やすい。見た目より派手に出ていた。

「道具がない……」

縫合針がない。消毒薬もない。今日は手ぶらで出てきた。

しかしこの傷は、放置するのも気になる。

トーコは少し考えた。

髪だ。

「少し失礼します」

女の子の髪から、数本引き抜いた。細く、しかし丈夫な黒髪だ。

傷口を指で寄せ、髪を使って固定する。結ぶのではなく、傷を閉じるように橋をかける形で。前世で見た、髪縫合の手技だ。縫合針の代わりに使える、緊急時の方法だ。

「これで少し圧が保てます。帰ったらすぐ治療院に来てください。ちゃんと処置します」

母親が呆然としながら頷いた。

「あ、あの……髪で、縫うんですか」

「緊急処置です。本来の縫合より劣りますが、今は道具がないので」

女の子が、ぱちぱちとトーコを見ていた。

「……痛くなかった」

「怖かったですか」

「ちょっとだけ」

「よく我慢しました」

女の子が、照れたように笑った。

ライナルトが後ろで静かに見ていた。

母子が治療院の方へ向かうのを見送ってから、二人は川沿いのベンチに腰を下ろした。

ライナルトが言った。

「休みでも、治療をするのか」

「道具がなかったので、本格的な処置はできませんでした」

「休みでも、体が動いていた」

「……習慣です」

ライナルトがしばらく川を見た。

「一つ、聞いてもいいか」

「どうぞ」

「先ほどの男——タカト・サクダイラ。チラと聞こえたが、転生者なのか」

トーコは少し、間を置いた。

「……はい」

「そうか」

ライナルトはそれだけ言った。追わなかった。

「黙っておこう」

「……いいんですか」

「あなたが言わなかったことには、理由があるだろう。それで十分だ」

トーコはライナルトを見た。

魔力視に映るのは、深い青の光だ。静かで、揺るぎない。

「……ありがとうございます」

「礼はいい」

川が、静かに流れていた。

シルフィが「きゅ」と鳴いた。魔力視に映るのは、温かくて少し意地悪な翠の光だ。

——何が言いたいのかは、今日も聞かないことにした。

午後の光が、川面に揺れていた。